2012年10月16日

ブラジル戦前夜2012、しかも寿人付き

 人間、贅沢なもの。フランスに勝って有頂天な週末を堪能しつつも、明日のブラジル戦に向けて「よっしゃ、もう1つ」と言う気分になっている。「なあに、本田抜きでフランスをひねったのだ、本田が復活、寿人もいるし、セレソン何するものぞ」と、考えるのは私だけでないだろう。「とてもではないが『ひねった』などとは言えない事」は忘却の彼方。

 ブラジルとやる時に何より肝要な事は、「ブラジルを乗せない事」に尽きる。「何を当たり前の事を言っているのだ」と、おっしゃる向きが多いだろうが、これはとても大切。まだ格段の戦闘能力差があり井原が八面六臂の守備で破綻を防いでいた90年代や、06年のドルトムントの屈辱など、一度彼らを乗せた以降は「もうどうしようもなくなった」のは、記憶に新しい。いや、A代表には限らない。今野や川島のワールドユースでも、昨年のワールドジュニアユースでも、ちょっと日本がバランスを崩し、先方をリズムに乗せてしまうと、とんでもない事になった(昨年のU17諸兄は、0ー3から盛り返して2ー3まで持ち込んだのはすばらしかったけれど)。
 一方で、いきなり加地がビューティフルゴールを決め(怪しげな判定に取り消されたれが)、その後も中田英寿のサポートを受けた全盛時の中村俊輔が冴えまくった05年のコンフェデでは、ブラジルは相応に当方をリスペクトしてくれて、アレックスと言うハンディを抱えながらも、互角(と言うには、おこがましかったか…いや、3日前の詳細ももう忘れたのだから、7年前の事など思い切り不遜に語ってもバチはあたるまい)の攻防を演じる事ができた。
 セレソンに限らず、ブラジルのトップチームと戦う時は、まずは「乗せない事」そして「当方を相応に警戒させる事」が、大切なのだ。そうなれば、先方は状況を見て「1点差で勝てばよい(05年のように「引き分ければよい」を含む)」と、無理をしなくなる。もちろん、ここから勝ち切るのは、これでこれで大変な難儀なのだが。
 今、我々の課題は、この超大国と戦う時は、どんな試合でも必ず事態を膠着させる事、言い換えれば、試合終盤まで「負けていても1点差」と言う試合に持ち込む事、それを100%成功させる事なのだ。

 そのために大切な事は2つある。
 1つは、長時間に渡る敵ペースの時間を作らない事。ブラジルにペースを握られ、我慢する時間帯続くのは仕方がない事だ。しかし、それがあまり長い時間続けば、いつかやられる。彼らはそうやって「乗ってくる」のだから。フランス戦の前半のように、縦パスが収まらないとわかったら、それをダラダラと続けずに、違う事を試さなければいけない。
 2つ目は、2点差にされない事だ。ブラジルに失点を許さないのは、世界中全ての国にとって簡単ではない。洗練されたカウンタや、技巧と高さを活かしたセットプレイや、フッキやネイマール(あるいはカカ)の「うわあああああ」など。しかし、大事な事は、もしそうやって失点しても、粘り強く、丁寧に守りを継続し、点差を広げられない事だ。
 そうやって、僅少差で終盤まで持ち込む。
 昔とは違う。我々には、香川も長友も本田も、そして、遂に井原正巳の記録を破らんとしている遠藤もいる。終盤の厳しいところで、個人能力を発揮し、セレソンから点を奪えるタレントが揃っているのだ。もちろん、前田も岡崎もいれば、なおよかっただろうが。

 そこで、寿人である。
 寿人のよさは、色々な切り口で語る事ができる。常に創意工夫して位置取りを修正する知性、「すり抜け」の早さと速さと抜け出した直後の正確なボール扱い、トップスピードに乗ったまま押さえたシュートを打てる左足の巧みさ。
 ただし、寿人は得点を多産するためには、寿人に合わせるチームメートの協力が必要なタレントなのだ。チームメートが寿人のよさを理解し、90分間寿人の特長を活かすようなサポートをした時、寿人は猛威を発揮する。このタイプのストライカは少なくない。ゲルト・ミュラーも、パオロ・ロッシも、ロマリオも、皆同じだ。彼らが得点するのには、ある程度の時間と、その間のチームメートの協力(あるいは献身)が必要だった。
 もちろん小柄で鋭いタイプの選手で、しかも短い時間で帳尻を合わせる選手も存在する。フィリッポ・インザーギや森島寛晃のように、自らのアクションや仕掛けにより、ちょっとしたスペースを作れる選手達だ。しかし、寿人は違う。寿人が得点するのには、一定の時間が必要なのだ。たとえば、岡田氏が終盤の切り札として寿人を幾度もテストした。当時、中村俊輔も遠藤も、寿人が起用されるや否や、その「すり抜け」のうまさを活かそうと工夫していた。しかし、ダメだった。終盤、寿人を起用すれば、敵も警戒するのだ。寿人は90分間と言う長時間に渡り位置取り修正を繰り返し、敵DFの僅かな隙を狡猾に突き、得点を多産するストライカなのだ。
 ザッケローニ氏は、岡崎慎司と前田遼一を所有する。だから氏にとって、寿人のテストは不要だったのだ。しかし、あろう事か、岡崎と前田が同時に離脱した。ザッケローニ氏は寿人を呼んだ。本田と香川にとって、90分間に渡り、いかに寿人を活かすか(あるいは、寿人を活かしつつ自ら点をとるか)、これは格好の練習問題である。そして、日本記録保持者となる遠藤にとっては、愉しい知的遊戯である事だろう。

 だからザッケローニさん、「あなたの90分間を、佐藤寿人にください。」
posted by 武藤文雄 at 00:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
http://blogos.com/article/48698/
遺伝という名の差別
池田信夫

中学の生物の教科書のような話をするのはバカバカしいが・・・・・・実父がヤクザだったとか自殺したとかいうことは、彼の「DNA」とは何の関係もない。獲得形質は遺伝しないので、家庭環境が遺伝子に影響を及ぼすことはありえない。よく「これは当社のDNAだ」などというのは比喩だが、どうやら週刊朝日は「部落のDNA」があると信じているらしい。そうでなくても、この見出しは「部落差別が劣った遺伝子によるものだ」という偏見に手を貸す結果になる。

どうやら武藤氏とその精神的下僕は「カテナチオのDNA」があると信じているらしい。
Posted by at 2012年10月20日 07:14
武藤さんの言っているのは、あなたが書いているように「比喩」だよ。自己矛盾に陥る文章を書く前に、良く考えるんだね。
ついでに、「当社のDNA」という比喩が何故成り立つか良く考えてごらん。
Posted by at 2012年10月20日 09:01
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