幼稚園時代、天気の悪い日などに、拙宅にKを含むガキ連中が遊びに来る。最初は殊勝にゲームなどをやっているが、そのうちに場外乱闘を含んだ大騒ぎになる。Kは常にその中心だった。
坊主が小学1年になり、サッカーを始めてくれた。と言うか、私が始めさせた。当時、私は既にサッカーの必勝法を身につけていたので、当然坊主に伝授した。「いいか、チームメートがうまければ、必ず勝てる。だから、すばしっこくて元気な仲間を皆誘うのだ。」坊主は早速私の指示通りに行動、Kはサッカー少年団に入団した。
場外乱闘指向は変わらなかったが、Kはサッカーが大好きだった。ちょっとヒントを与えると、それをスポンジのように吸収、飽きる事なくボールを蹴り続ける少年だった。
Kは大胆にも、私の采配を直接批判した事がある。「武藤さんはよお、H(私の坊主)を贔屓にしている。俺はいつも後ろのポジションで、Hばかり前に使っているじゃん。」とKが私に抗議してきた。「いいかK。Hを前に使ってお前を後ろに使うと、ほとんど失点はないし時々得点は入る。でも逆にしたら、毎試合のようにたくさん失点する。どっちがよいと思う?」と、私は反撃した。「そうか、俺が後ろの方がいいんだ。」とKは素直に納得してくれた。かえって、「K、お前大丈夫か?」と心配になったのは秘密だ。
Kは4年生くらいから、ベルマーレのスクールにも通うようになった。ベルマーレのコーチ陣は、私ではとても教えられない技巧を、Kに教えてくれた。たとえば、足先から10cmくらいの高さでのボールリフティングができるようになり、数百回軽く続けられるようになってくれた。
公式戦でJリーグのプライマリチームと試合した事があり、当然のように大差で敗れた。Kは右バックをやっていたのだが、敵の左サイドアタッカが、Kが中央を見た瞬間後ろに下がりKの視野からいったん消え、再び飛び出して見事な得点を決めた。ベンチで見ていた私は、「やはりトップレベルの子供は違うもんだなあ」と感心していたのだが、当のKは完全にパニック状態。ハーフタイムに戻って来たKは、私の顔を見るなり「あいつ、消えたと思ったら突然出てきた、武藤さん、どうしたらいいんだ?」と聞いて来た。「消える相手なんて始めてだったろうが、この子は敵が消える事に気がつき、それを具体的に言葉にできるんだ」私は思わずKを抱きしめた。
6年生の頃だったか。突然Kに聞かれた。「武藤さんは、いつも『適当に蹴らずにつなげ』って言うじゃん。でも、タッチライン際でボールを受けた時に、無理に中につなぐと、かえって危ないじゃん。それならば、縦に蹴る方が安全だと思う。」私は嬉しかった。「じゃあ、中に蹴る振りしてから、縦を狙ってみろ。」って、すぐ答を言いたかったのを、グッと我慢するのは最高だった。
もっとも、拙宅での行動には、あまり進歩はなかった。すぐに拙宅の冷蔵庫を漁っては、私にボコボコにされていたのだが。
Kも坊主も中学校のサッカー部に入った。私はKのコーチではなくなった。Kは中盤の大黒柱として、伸び伸び活躍していた。坊主はそのサポート。
日曜日にKは拙宅に遊びに来る。さすがに、場外乱闘も冷蔵庫漁りもなくなっていた。突然Kが聞いて来た。「武藤さん、この間の試合見てたよね。俺は右から左に展開したかったのだけど、敵にカットされて、逆襲から点をとられた。あの時、どうしたらよかったんだろうか。」坊主と3人で、幾度も同じ場面を繰り返した。Kは気がついた。「そうか、最初に右からボールを受ける時に、一歩下がって視野を確保すればよかったんだ。」
Kも坊主も、上々の成績で中学のサッカー生活を終えた。
Kは、比較的最近高校選手権に出た事もある名門高校に、一般入試で合格した。Kはサッカー部に入部した。百人を越える部員、Kの高校サッカーは底辺からスタートした。妻とKのお母上は親しい。Kが毎晩遅くまで必死に練習しているとの話は、いつも耳にしていた。たまにKに駅で会う。私より20cm近く上背が高くなったKは、見違えるほど逞しくなっていた。
今年の春先、駅で会った時に、ちょっとゆっくり話をした。私が「1軍に上がったんだって?」と聞いたら、「ようやくAチームで練習できるようになりました。」と答えてきた。「試合には出られそうか?」と私が問うと、「センタバックをやっているのですが、同じポジションにJのジュニアユース出身者が3人いるんです。ちょっと試合に出るのは厳しいんす。」と答えてくれた。「とにかく、頭を働かせて、頑張れ」と励ました。
夏が過ぎた頃、Kが定位置を確保したとの話が聞こえて来た。そして、高校選手権予選が始まった。見に行きたかった。しかし、どうにも都合がつかない。それでも、Kのチームは着実に上位に進んでくれた。Kは完全に定位置を確保してたと言う。準々決勝直前、Kが練習で負傷し、戦線を離脱したと聞いた。Kの高校は準決勝まで進んだが、敗退した。Kは試合に出られず、涙を飲んだ事になる。Kの高校での公式戦を見る事が叶わなかった事は生涯の悔いとなるだろう。
Kの高校の指導陣の方々に感謝したい。全く無名の中学校出身者にも、しっかり目を配り、適切な指導をしてくれたのだろう。よく、「高校サッカーは部員を集め過ぎてケシカラン」と言う批判を耳にする。それを全否定する気はないが、Kの活躍を聞くと、何が正しいかわからなくなる。
そして、何よりもKに感謝。あの馬鹿餓鬼が、50歳を過ぎたサッカー狂に夢を与えてくれたのだから。
サッカーのある日常っていいすね。
いつもありがとうございます。
と、躾のなっていない馬鹿ガキが申しております。躾がなっておらず誠に申し訳ございません。