ここ最近、先日述べた年またぎ開催の他にも、Jリーグのあり方を見直し、あるいは制度改革が必要ではないかと言う議論が多数出ているようだ。たとえば、これら一連の議論だ。私は、ここで採り上げられている提案を、必ずしも肯定しない。しかし、よりよいリーグを目指し、様々な方策を議論する事は重要な事だ。だから、これらの議論が行われる事そのものは、大変結構な事だと思っている。ただし、「よりよい」の定義を明確にする必要はあるのだけれども。たとえば、外資を導入してベッカムがJリーグにやってくる事が、「よりよい」につながるのかどうか、主観の相違を含めて正に熟考の材料となるだろう。
また、これらの議論において、我々が先達として最も「学び」の対象となるのは、やはり世界で最も注目されている西欧のトップリーグと言う事になるだろう。実際、上記で議論されている方策も「外資導入」、「外国人枠と育成枠」、「プレミア化」など、ここ最近の西欧の事例を参考にしている事は明らかだ。
と、言った一連の議論をする際に、本書は格好の学習材料となる。なぜ、そうなのかについては、本稿の末尾で述べる。
本書はイタリア在住15年を越える著者が、誕生から20年を数える欧州チャンピオンズリーグの歴史を「社会背景とスポーツビジネスの変遷から来る周辺事情」と「ピッチ上での競技」の両面から記述を試みたものだ。本書末尾で著者は語っている。
自分がこれまで見てきたヨーロッパにおけるサッカーというスポーツのあり方を、断片的な情報の継ぎはぎではなくひとつの全体像として大きな視点から描き出してみたいというのが、本書を書こうと思ったそもそもの動機だった。著者はこの試みにある程度成功していると思う。
まず本書は、読み物としてもおもしろい。上記した「周辺事情」と「ピッチ上」を行きつ戻りつしながら、この20年間を鮮明に思い出させてくれる。いわゆるチャンピオンズカップが「リーグ」に改組されたのが92−93年シーズンからだが、その決勝は、後に八百長問題が発覚するマルセイユと「カップ」の常連だったミランだった。両軍のピッチには後に監督とし一連のドラマを彩る事になるライカールト、デシャン、その後も長期に渡り選手として君臨するマルディニがプレイしていた。
そして、以降「ピッチ上」で繰り広げられた幾多の鮮やかなドラマ。ジダン、ラウール、ジェラード、ロナウジーニョ、クリスチャン・ロナウド、ルーニーと言ったピッチ上の英雄達。クライフ、リッピ、カペロ、ロバノフスキー、アンチェロッティ、ファーガソン、ベニテス、グアルディオーラ(この人は選手としても活躍したな)、そしてモウリーニョらの采配。さらには、周辺を彩るヨハンソン、ボスマン(この人は必ずしも作為があった訳ではないが)、ベルルスコーニ、アブラヒモビッチ、モラッティ、プラティニなどの皆さん。彼らが相互作用を演じながら紡いできたドラマが、見事に蘇ってくるのだ。
そして、この20年間の積み上げによる偉大な成果とも言うべき、シャビ、イニエスタ、メッシらによる「バルセロナ」の輝き。
贅沢を言うと、「ピッチ上」をもう少し詳しく語って欲しかった思いもある。しかし、そうすると巻末の資料を含めて348ページの本書が、500ページクラスになってしまい、コスト面(本書は税抜きで1800円)で問題が出てしまうのかもしれないから仕方がないか。
著者は「周辺事情」を述べて行く。衛星有料テレビを軸としたビッグマネーが、一部のビッグクラブに「富の集中化」を生み、選手の移籍料(正確には違約金)なり年俸が高騰化していった事。結果として、有力国のいわゆるビッグクラブのみが、その恩恵を受け取り、上位進出をするようになったいった事。
「カップ」時代を思い起こしてみよう。トヨタカップで来日した当時の欧州チャンピオンには、ノッティンガム・フォレスト、アストン・ビラと言ったイングランドの決して経営規模の大きくなかったクラブ、あるいはステアウア・ブカレスト、レッドスターのような欧州2番手国のトップクラブがいた。ところが「リーグ」化以降については、このような中堅クラブが欧州代表として君臨する事は一切なくなった。おなじみのビッグクラブが上位を占め、おなじみのビッグクラブしかトヨタカップに登場しないようになったのだ。
著者は容赦なく数字を並べる。そして、その数字は、この20年間で経済規模こそ格段に大きくなってきたものの、「富の集中化」の恩恵を受けたはずの多くのビッグクラブですら、実質的にはそれほど儲かっていない事を示している。そして、それらを是正するために登場した、UEFA会長としてのミシェル・プラティニ。そして、若かりし頃稀代の芸術家だったこの男が、会長として提示した「ファイナンシャル・フェアプレイ」。
そして本書は上記したように、Jリーグの将来発展を考える上で非常に有用な参考書となる。
と、言うのは、欧州のサッカーシーンが劇的に変わったこの20年間、日本のサッカーシーンも全く異なる様態ながら劇的に変わってきたからだ。約20年前のJリーグのスタート、92年アジアカップ(あるいはその直前のダイナスティカップ制覇)から格段に強力になった代表チーム(本書で述べられている西欧の「発展」と、我が国に「発展」は、決して無関係とも言い難いのだが)。そして、それ以降、日本サッカー界にかかわる人数は格段に増えた。結果として、この20年間にサッカーの世界に入ってきた方々は、その前のサッカー界を実感していない。「カップ」が「リーグ」に変わった以降しか知らない方が、圧倒的多数なのだ。
だからこそ、多くの人に「リーグ」の歴史を再認識し、「この20年間の特殊性」を実感して欲しいのだ。そして、本書はそのための格好の参考書なのだ。
「カップ」時代も、JSL時代も存分に愉しんできた、年寄りの繰り言として。
ああ、くだらねぇ。大島滓人って。