2004年01月15日

背が低いセンタバック

 天皇杯決勝のグラウの得点。中山と前田の展開は見事だったが、まだその時点ではグラウはフリーではなかった。しかし、いかにもこの選手らしい技巧と粘り強さで敵DFを外し、落ち着いてGKを破った。見事な得点だった。

 しかし、私は複雑な気持ちだった。グラウに外されたDFが柳本だったからだ。柳本は31歳になったとは言え、かつては代表の右サイドバックとしてレギュラを確保していた選手。肉体的な衰えはあるかもしれないが、あの重要な場面で簡単に抜かれてしまった事に失望したのだ。

 そして、長年の疑問−柳本はサイドバックに転向すべきだったのか−を、改めて想った。

 柳本はJリーグ黎明期より、サンフレッチェでセンタバックとして活躍、足の速さを軸にした対敵動作に優れたDFだった。代表デビューは95年正月のインタコンチネンタル選手権、加茂氏の監督就任直後の大会。日本が準備不足でナイジェリアとアルゼンチンにボコボコに2連敗した大会だ。柳本は、2戦目のアルゼンチン戦の後半、売出し中の若手左ウィングのランベール(この選手は消えてしまったのだろうか)に再三打ち破られた堀池に替わって起用され、無難なプレイを見せる(この交替劇が石井監督時代以来代表の中核だった堀池の最後の代表試合となる)。そして、一気に代表のレギュラを獲得した。

 しかし、私はその頃から、柳本が本当にサイドバックでいいのか疑問を感じていた。サンフレッチェでは、センタバックとして脚力を活かした切れ味鋭い守りを見せていた。しかし、サイドのプレイヤに必要なタッチラインを使った守りや、後方に下がりながらのスペースを消す動きが巧いとは言えなかったからだ。

 それでも、柳本は加茂氏の信頼を集め、丸2年に渡り代表の右サイドバックを確保していた。けれども、肝心の予選の年の97年、負傷もあり、名良橋、中村忠にポジションを奪われる。そして、そのまま代表に戻る事はなかった。さらに、いつのまにか若い頃見せてくれた切れ味あふれる守備振りも見られなくなってきた。

 あのグラウにしてやられた場面。サンフレッチェのセンタバックをしていた頃の柳本は、あのような対応には滅法強かったのだが。

 ただの妄想かもしれない。しかし、想わずにはいられないのだ。加茂氏が、無理にサイドバックに転向させず、センタバックとして柳本を起用していたらどうなっていたのだろうか。

 おそらく加茂氏が柳本をサイドバックにした理由は、ただ1つ。柳本がセンタバックとしては小柄(175cm)だったから。確かにセンタバックは上背が高ければ有利な事は間違いない。しかし、パサレラ、カンナバーロ、加藤久、170cm代半ばで空中戦を含めてペナルティエリアを席捲した守備者は、過去多数いたのだ。上背だけで優秀なセンタバックをサイドバックへコンバートするのは、いかがなものだったか。



 ベガルタの新人大河内は、肉体能力、読みの良さ、気の強さなどに恵まれた、素晴らしいセンタバックだ。ところが、大河内は上背の無さ(それでも177cmあると言うが)を気にしてか、「ベガルタ入りしてからサイドバックでプレイしたい」と言う発言をしているようだ。彼の適正を判断するほど、プレイ映像を存分に見てはいないが、上背だけでセンタバックを諦めるのは非常にもったいないと思う。
posted by 武藤文雄 at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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