ベガルタは久々にアウェイで勝利。先制しながら追加点を奪えぬうちに同点とされる苦しい展開ながら、終盤に若きホープ萬代が決勝ゴール。2位から7位までが勝ち点4差にひしめく大混戦だが、とにかく丁寧に勝ち点を積上げる事が肝要。勝負どころはまだまだ先だ。
と言う事で、日本代表に戻ろう。
「1次リーグは力半分で戦い、余力を残して準々決勝以降を戦おうとしている」と言う希望的な観測は外れたようだ。ヨルダン戦も、オマーン戦同様出足の悪さから、中盤を制されての大苦戦となってしまった。イラン戦でのメンバ固定は、着実に選手たちのスタミナを奪っていたようだ。コンディショニングを整えられないジーコは何度でも繰り返すのだろう。
余談ながら、ヨルダンの監督は90年ワールドカップのエジプトの指揮官との事。あの時のエジプトはいいチームだった(ミルチノビッチ氏率いるコスタリカが見事すぎて、印象が薄いのだが)。88年欧州選手権を制したオランダと互角に渡り合った試合は本当に見事だった。
開始早々からペースを握られハーフウェイラインも越えられない。しかしオマーン戦もそうだったが、相当押し込まれても、2ストッパの地域抑止能力、宮本の適切な位置取り、川口のロングシュートへの完璧な対応で、危ない場面を作らせないのが今の日本(その割に中盤を制したタイ戦の失点は無様極まりなかったが)。と、思っていたら、あえなく失点。
敵左DFサイードがタッチ沿いを突破しようとした場面、田中誠はほぼ完璧に身体を入れてブロック。ところがサイードが強引ながら素晴らしいスライディングタックルを仕掛け、@ボールを捉えつつ、A田中誠をふっ飛ばし、B自らは見事なボディバランスで立ち上がった。100点満点のスライディングと言えよう。田中誠不在の(日本から見た右サイド)は無人の荒野。サイードは余裕綽々加地を外し、ファーポストに好クロスを上げた。田中誠と加地が抜かれる事で宮本、中澤はシフトするように右側にポジションを移していたので、このクロスに対する事になるのはアレックス。いくら川口でもこれは防げない。
この場面、サイードの個人能力が田中誠の個人能力を上回ったと言えよう。個人能力で守ってきたチームが、これではどうしようもない。
ちなみに負け犬の遠吠えになるが、このスライディングタックルは後方からの結構危険なものだった。最近の欧州や日本の基準ではファウルを取られる可能性があるのではないか。この試合の主審は再三日本を悩ませたが、(PK合戦時の謎の振る舞いはさておき)必ずしも不公平ではなく、基準は明確だった。例え後方からだろうが危険だろうがボールに足が届いているタックルはファウルとしなかった。逆にボールがプレイングディスタンスに入っていても、ボールに触れず身体を入れて敵を飛ばすプレイはファウルとしていた。まさにこの失点は大会前の懸念した通りのスタイルの主審に悩まされるこの試合を示唆するものだったのだ。
オマーン戦に似てはいたが、この失点以外にも何度か決定機を敵に与えてしまった事が大きな違い。後半30分過ぎに中央左サイドへの縦パスを中澤がかぶった形になりウラを取られ好クロスを上げられた場面(川口触れず、ただし飛び込んだ敵FWも1人だけだった、この大会ほぼ完璧な出来の中澤だがこの場面の判断だけはミスに思えたのだが)、後半終了間際福西のミスパスをペナルティエリア直前で拾われた場面(福西のこのミスは言い訳の余地なし)、延長後半CK崩れからの逆襲速攻(これは守備に残っていたアレックスの軽率そのものの対応による、あの時間帯にあのような判断をするとは...)。いずれも守備者の微妙なミスがらみ。あれだけ悪環境の連戦であれだけ押し込まれてしまっては、ミスもでようというものか。
しかしあれだけ押し込まれたとは言え、日本の決定機はそれ以上あった。ただし、そのほとんどは中村のセットプレイからだが(あの後半終了間際に鈴木にピタリと合わせたクロスは、流れの中からだったが、凄かったね)。しかし、最近の久保、4年前の森島のように、ここぞと言う時に決定力を発揮する選手がいない日本ゆえ(中澤の得点力をどう評価するかだが)、もっと決定機の頻度を高めないと、120分間かけて1得点がせいぜいと言う事になってしまう。
(意図してかどうかはさておき)イタリア風に勝つというならば、疲労していても最終ラインのミスは論外だし、好機の頻度を増やす必要があるのだ。
とするならば、やはり両サイドMFの人選はいかがなものかと言う事になってくる。
加地は元々攻撃を期待されての起用であるが、上記失点時の1対1のもろさはあまりにも残念。もっともこの選手の守備感覚の課題は、シンガポール戦失点時の寄せの甘さといい以前からのもの。ところがこの日は攻撃面でも課題を露呈した。再三切返しを狙われボールを奪われてしまったのだ。この選手の魅力は縦に出る思い切りのよさなのだが、その決断がつかないところを狙われてしまった。敵の出足に押し込まれている苦しい時間帯は、サイド沿いでキープして時間を稼ぐのは1つのやり方なのだが、あれだけボールを奪われると苦しい。
そしてアレックス。失点時の絞込みのまずさはあまりにも残念。さらに上記した延長後半の決定的ピンチを誘引した軽率な寄せは論外。もっともこの選手の守備感覚の課題は、再三再四敵クロスに尻を向けるプレイ振りに代表されるが、ジーコ氏がサイドバックにコンバートしてから全ての試合でのもの。ところがこの日は攻撃面でも課題を露呈した。判断が遅いのだ。そのため、前に出るタイミングが悪く、2トップが孤立するのみならず、中村のウラへの狙いに全く反応できなかった。現状のこの選手の魅力はノーステップで蹴る事ができるクロスボールなのだが、いつ蹴るかの決断ができないところを狙われてしまった。延長終了間際、主審にぶつけたクロスは醜態としか言いようがない。余談ながらPK戦、主審がゴールを変えたときにもう1度蹴ろうとしたのはなかなか面白かった。ダメモトとは言え、ジーコ氏のいい意味での薫陶だな。
監督批判の典型パタンは人選問題だ。しかし、人選問題はあまりにもデリケート。自分でもわかるが私が「明神、大森、服部公太、黒部、そして薩川!を使え」と言うのは、好みの問題だ。「誰を選ぶから(あるいは誰を選ばないから)この監督はダメ」と言う論理はわかりやすいが、反論も容易。つまり、水掛け論なのだ。ジーコ氏がアレックスと加地を起用するのも、彼らのプレイスタイルなり発想なりを、ジーコ氏が高く評価しているからだろう。それは否定しない。2人とも欠点もあるが、長所もある魅力的な選手だからだ。
しかし問題はこの両サイドプレイヤを固定し他の選手を試さない事なのだ。この2人の「クラス」は、中田、小野、久保、中澤とは違うのだ。無条件で日の丸のレギュラが提供される「クラス」ではない。この2人の固定は、日本代表を苦しくするのみならず、この2人の成長を阻害していると考えるのは私だけだろうか。
韓国が消えた。
あと2勝である。ヨルダン戦の苦戦、インターバルの少なさなどから考慮して、バーレーン戦も苦戦を余儀なくされるだろう。しかし、最終ラインの強さ、中村が作る(いや小笠原や藤田が参画してくれても全然問題ないのですが)決定機を考えれば、負けるとは思えない相手だ。そして決勝、イランよりは当方のバランスがまだましだろう(もっとも調子を取り戻したマハダビキアの4アシストは凄かったが)。そして、中国ならば点を取られる事はあり得ない。
火の出るような日韓戦が観られないのは残念極まりないが、韓国の敗退により、いよいよアジアチャンピオン防衛が近づいてきた。残り4国、それぞれの状況を考えれば考えるほど、アジアチャンピオンの座に1番近いのは、やはり我々なのだ。
2004年08月01日
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あと、記事を引用させていただきました。
選手の生命にも及ぶ危機が訪れた場合。<br />
私はもうジーコを応援する自信がありません。<br />
<br />
武藤様はどうお考えでしょうか?<br />
私自身の話ですが、学校は違うのですが、<br />
試合でよく顔を合わせていた同学年の人が<br />
練習中の突然死で亡くなった経験があるの<br />
で、ジーコのどうかしてる信念ぶりには<br />
もう気分が悪いのを通り越して、どうにか<br />
なりそうです。<br />
<br />
確かに川口の活躍は感動的でしたが、私の<br />
場合は感動よりも恐怖が勝っています。<br />
<br />
はぁ・・・