明後日はナビスコカップ決勝。首都圏の人気チームレッズとFC東京の対戦。人気チームと言うよりは、大規模な強化計画、大型スタジアム、大きな人口エリアなど、(マリノスと並び)かつて日本サッカー史になかったようなビッグクラブになる可能性がある両チーム。まあビッグクラブ論については、別途詳細に講釈するつもりだが、そう言う観点からも歴史的な試合となるかもしれない。
さて、試合前の予想としては、初のリーグステージ優勝に向けて独走体勢に入りつつあるレッズが優位と言う事になるのだろう。もっとも、FC東京は土肥、ジャーン、今野と守備の中核が安定しており、石川のように爆発すれば止めようの無いタレントを持っているので、一発勝負に持ち込める可能性は存分に持っている。
いずれにしても、面白い決勝戦を期待できそうだ。
様々な切り口が期待できる試合だが、やはり私はFC東京の原監督に注目したい。
レッズの前身の三菱は、落合を筆頭とする多数のスター選手を抱える70年代JSL屈指の強豪だった。ところが、80年代に入り、プロフェッショナリズムの導入に遅れた三菱は、読売、日産を筆頭とする新興勢力と比較して、優秀な素材を獲得できなくなり、リーグでも中下位に低迷する事も増えてきた。そうした状況下で、三菱を支え続けてきたのが原だったのだ。原は、80年代前半にチームメートの尾崎がドイツに移籍し、80年代後半に福田が加入するまで、抜きん出たエースとして抜群のヘディングの強さでチームを支え続けた。
原はボール扱いはとても巧い選手ではなかったが、空中戦の強さと言う一芸で代表選手にまで成長する。早稲田時代の原のボール扱いは見るに耐えないものだったが、空中戦で活躍し続けるうちに、次第に足技も上達。85年のワールドカップ1次予選の北朝鮮戦、雨中の泥濘の国立競技場で巧みなボールコントロールで敵DFをかわし決勝点を決めた場面など感涙物だった。後天的な努力で能力を高めた選手だけに、指導者としても期待された。
Jリーグが始まり、三菱はレッズとなる。そして原氏はレッズ監督に就任。しかし、真っ当な采配を見せていたが、負傷者が続出するなどの不運で勝ち点が詰めなかった99年シーズン半ばで解任される(原監督解任後レッズはJ2降格)。
原氏は堅実な紳士だから、この戦いを単純な復讐戦とは捉えていないだろう。しかし、原氏が満員の国立競技場で戦う時に特別な思いを持つのもまた当然だと思う。
A代表試合にデビューした78年のソ連代表戦の閑散とした国立。上記の85年北朝鮮戦は歓喜の勝利ではあったが応援は在日朝鮮人の声の方が大きかった。85年と87年の10月26日は満員の国立だったが韓国と中国の前に涙を飲み本大会出場叶わず。三菱の選手として1度も決勝戦で戦う事が叶わなかった国立。
その国立競技場に、原氏は初めてファイナリストとして登場する。そして敵はあの三菱時代からの赤いユニフォーム。
私はFC東京の優勝を望んでいる。
2004年11月01日
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とりあえず、緊迫感のある試合を期待しますよ。。。
できるかなぁ〜(笑)<br />
浦和と仙台はセンターバックが攻撃的っていうのくらいは似てますが(笑)