早いものであれから20年経った。私が初めて日本代表のアウェイゲームに参戦してから。
85年、メキシコワールドカップ予選、準決勝の香港戦。ホームゲームは神戸で3−0で快勝(この試合は、おそらく日本サッカー史上初めて東京からバスツアーが成立、ところが交通渋滞でキックオフに間に合わず、我々が入場したら既に日本が2−0とリードしていたと言う愉しい思い出がある)。続くアウェイゲームが、私の敵地応援初体験だった。
現地の新聞は「Mission Impossible, But...」などの大見出しで、奇跡の逆転を願う論調。TVのスポーツニュースでは、原や木村が大映しになり、大変な扱い(その取り上げ方が、いかにも「恐怖の難敵」と言う雰囲気で、映像を見ているだけで誇らしく感じた)。当時は悲しい事に日本のマスコミの扱いは非常に小さいものだった事もあり、香港での大騒ぎには感動。
香港ガバメントスタジアムは3万人くらいだろうか、大入り満員。そして、アップする日本選手には、強烈なブーイング。我々の「ニッポン、チャチャチャ」にもすさまじいブーイング。
試合は前半から、香港がロビングに合わせてトップが飛び込む強引なサッカーでペースを掴む。しかし、森下、加藤久、宮内のセンタラインが冷静に敵の猛攻をいなす。そして前半終了間際、加藤久が巧みなドリブルで持ち出し木村とパス交換後に、右サイドの水沼に展開、水沼の突破からの低いセンタリングに走りこんだ木村が合わせて先制。我々は熱狂するが、周囲の香港サポータは怒りのあまり、我々に次々と物を投げて攻撃。
後半も香港の攻撃を日本がかわす展開。荒れた観客席の雰囲気を察したのか、主審は何でもないプレイで香港にPKを与える。しかし、そのPKを森下がストップ。ところが、空気をよく読んでいる主審は意味不明の判定で、やり直しを命じる。ところがそれをまた森下が再びストップ。いや、あの2本目の森下の反応は忘れられないな。香港サポータのテンションはいよいよ上がり、危ない雰囲気はどんどん増してくる。
それでも後半30分過ぎだったか、香港のシュートが決まり同点になる。我々は笑いながら「これで無事帰れる」と話し合っていた。ところが、物事はそう簡単に解決しなかった。終了間際、いよいよスタンドが騒然としてきて、我々日本サポータの周辺に警官隊が入る。そのためか何となく、スタジアム全体が集中を欠いた雰囲気になった。その瞬間、敵陣近く右サイドのFKから、水沼が正確なクロスを上げる、そしてよせばよいのに原がファーポストから完璧なヘディング。2−1!勝たなくていいのに、勝っちゃった(余談、この原のシュートが決まる瞬間の場面の写真がサッカーマガジンに載ったが、その写真にはスタンドで立ち上がって見守る私が映っていて、本当に嬉しかった)。
試合終了。もうスタンドは滅茶苦茶。我々は警官隊の完全な保護下に置かれ、身動きとれず。香港のサポータが外で暴れているらしく、スタンドで待たされる。1時間ほど経っただろうか、森監督以下選手たち(彼らも我々同様にスタジアムから動けなかったのだ)が、我々のところにやってきた。原に「見事な位置取りでしたねえ」と言うと「マークしている相手が(自分にヘディングを取られないために)何とか前に出ようとしていたのがわかったので、貴史(水沼)に『ファーに蹴れ』と合図したんです、ピタリと合わせてくれました」との事。いやもう試合直後にこんな会話ができたら「ソウルにも必ず行きます、メキシコに必ず連れて行って下さい。」となるよな。いい時代だった。
何のかの言って、あれほど愉しいアウェイゲームはなかった。そして、今回はあれ以上愉しい体験ができるのではないかと、期待は大きい。10万人だものな。そのためにも、勝ってもらわなくっちゃ。
2005年03月23日
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出張中
Excerpt: いよいよ、今晩ですな。 昨日より明日までは、大阪某所に滞在中でして、テレビ観戦も狭いビジネスホテルの小さなテレビになりそうですが、とにかく、魂込めて応援します。 ちなみに、最後まで迷い、結局は今回..
Weblog: 蹴球森羅万象
Tracked: 2005-01-01 00:00
水を打ったような静けさの中での少数の歓喜、震えますね。でも、ご無事で。<br />
宇都宮さんのコラムをよみながら、帰国報告をお待ちしております。
今重大局面に差し掛かっているんですから。
I am staying at Dubai air port.