友人が来訪した。かつてTVのサッカー関連のクイズ番組を席捲した名物男で、今はJ2某チームのスタッフをやっている。本業の都合で、当方の住まいの近隣に来たもので、ゆっくり飲むのは実に数年ぶりの事となる。
彼との出会いは、86年のジュニアユースアジア予選の韓国戦、名古屋で行われた試合(日本は例えば三浦文丈、中村忠、韓国は例えば高正云、盧延潤がいた)。日本が0−2で完敗したのだが、当日瑞穂陸上競技場で日の丸を振っていた数少ない人間の中に、彼と私がいた。その時以来の腐れ縁。
クイズチャンピオンになるほどの男だけに、一緒に観戦していてこれほど役に立つ男はいなかった。とにかく、選手のキャリア、過去の各種大会など、実に見事に記憶しており、それを理路整然と説明してくれた。
話ははずんのだが、一番盛り上がったのは、日本代表が強くなった節目の解釈。92年ダイナスティカップと言う事でお互いの意見が一致した。オフト氏率いる日本が決勝でPKで韓国を振り切った大会。それ以前、アジアの各種大会を見る限り、日本の選手の個人能力が他国に劣っているようにはとても思えなかった。しかし、オフト氏の前任者は、アジアの各種大会で奇策としか言いようがないやり方を連発し、惨敗を繰り返してきた。我々は「選手の能力は相当高いので、まともな監督が普通のやり方をすれば、アジアならば十分勝てるのではないか」との仮定を酒の肴に、再三クダを巻いたものだった。その鬱憤を晴らしてくれたのが、ダイナスティ制覇だったのだ。その後、日本は地元アジアカップを制覇し、翌年ドーハに、後は歴史である。
もう1つ。彼がいま仕えてる監督の現役時代。監督の栄光に包まれたキャリアの中でも、ピーク中のピーク、技巧、知性、アイデア全てが光り輝いた試合があった。何の事はないJSLの1試合だが、今でも我々好事家が語り草にしている試合だ。彼が、監督にその試合の話をした時、本当に嬉しそうな顔をしたと言う。それを聞いて、あの試合を思い出し、私も嬉しくなった。
2003年05月25日
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