2005年05月30日

先代貴ノ花死去

 先代貴ノ花、二子山親方が亡くなった。まだ55歳、あまりに若過ぎる。

 

 現役時代の貴ノ花は、誠に花のある力士だった。

 「土俵の鬼」と称された名横綱若乃花の実弟として、若い頃から注目される存在ではあった。土俵の鬼は長男、貴ノ花は末弟、鬼は当初末弟の入門に反対したそうだ。しかし、是が非でも入門したいと言う弟に対し、兄は「兄弟の縁を切る」と言う姿勢で臨んだと言う。事実、その指導は峻烈を極めたらしい。

 そして、貴ノ花がそのような「血縁」による人気が不要となるには時間がかからなかった。その相撲振りがあまりに見事だったからだ。細身ながら、実にしなやかな筋肉を利した相撲振り、常に正攻法で勝負に臨み、負けそうな状況になっても信じ難い粘り腰を見せる。

 名横綱大鵬を引退に追いやった相撲。投げの打ち合いで双方がバランスを崩しながら、先に倒れるかと思わせた貴ノ花が空中でこらえているうちに、大鵬が先に転倒。名横綱はこの敗北を最後に土俵を去った。

 横綱北の富士に土俵ほぼ中央であびせ倒しを食らい、倒れそうになりながら、柔軟な腰でうっちゃり風の逆転劇を試み、北の富士に先に手を突かせた相撲。「突き手」をとって貴ノ花の勝利とすべきか、「かばい手」と判断し北の富士の勝利とすべきか、大論争が巻き起こった。

 同世代のライバルとなる輪島と貴ノ花が、共に大関昇進を賭けて臨んだ場所の千秋楽の直接対決、水入りの大相撲を演じて、共に大関昇進を決めた一番も凄い相撲だった。

 大関昇進までは順調過ぎるくらい順調だった貴ノ花だが、その後負傷、病気などに悩まされ、思うように活躍できない。同時に大関に昇進した輪島は早々に横綱昇進。さらに、3歳年下の北の湖(これは相撲史に残る天才だからやむを得ないのだが)、同部屋の二代目若乃花らにも追い越される。それでも、休場した場所を除けば、着実に勝ち越しを重ね、大関の地位を維持。そして、地道に努力を重ね大関在任3年目には、全盛期の横綱北の湖と優勝を争う。優勝決定戦で、堂々と北の湖を寄り切り初優勝した瞬間は、大相撲史上最も盛り上がった場面と言っても過言ではない程だった。その後も1度優勝するも、どうしても連覇はできず横綱昇進は叶わなかった。とは言え引退するまで堂々と50場所、8年間に渡り大関を維持。大関在任最長記録を誇る。

 引退時の記者会見で印象的な発言が2つ。1つ目、横綱を目指すためにもっと体重が欲しかったのではないかと言う質問に「体重は不要だが、もっと頑丈な身体が欲しかった」との発言。2つ目、「(引退した場所で大活躍した新進気鋭の千代の富士に対して)自分と同様に軽量の優秀な素材の成長が嬉しい」と言う趣旨を述べた事。そして千代の富士は名横綱となり大活躍、その千代の富士に引退の引導を渡したのは、貴ノ花の息子の貴花田(後の2代目貴乃花)となるのだが。

 

 引退後は親方として多数の力士を育成。もちろん、育てた力士の代表格は2人の息子であり、それについては以前触れた



 貴ノ花が大関を張っていたのは、私が小学校6年から大学2年に至る時代だった。私の青春時に、ベルティ・フォクツと藤島信雄と並び、最も影響を与えてくれた偉大なアスリートだった。
posted by 武藤文雄 at 23:14| Comment(2) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
輪島との水入り、北の湖との優勝決定戦、いずれも小学生の時でしたが、夢中で観ていました。<br />
昨夜、当時の映像が流れましたが、今の相撲よりおもしろく感じたのはひいき目でしょうか。<br />
Posted by ふむふむ at 2005年05月31日 09:16
昔は、よっぽどのことがないかぎり座布団なんかとばさなかったもんですね。<br />
<br />
それはそうと、現・貴乃花の変なやせ方と髪形が気になります。
Posted by 五反田西口 at 2005年05月31日 22:09
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック