私にとってジョージ・ベストは結構微妙な存在だ。
私がサッカーオタクになった1970年代前半、ジョージ・ベストは既に「幻の選手」だった。ジョージ・ベストは1946年生まれ。つまり、20代後半時代には既にトップレベルのプレイからは隠居した雰囲気があったのだ。真実は知らないが、その時点で「女と酒に溺れた」名手と言うフレーズが定着していた。ただしサッカーマガジンやイレブンのバックナンバで見る写真がやたら格好よかった。長髪と髭、何とも言えない魅力的な笑顔、軟らかい膝と見事に低く下がっている腰。
その「幻」の技巧、初めて映像を堪能したのはダイヤモンドサッカーの所謂名場面集。例のチャンピオンズカップ決勝延長のドリブルシュートだった。決してスピードある訳でも、細かいタッチの変化がある訳でも、身体の入れ方の妙がある訳でもない。悠然とした落ち着きから、丹念なボールタッチで敵をかわす技巧の妙。この手のドリブルの名手と言うのは、滅多にいない。しいて最近のプレイヤで言えば、フィーゴをもっと勝手気ままにしたイメージだろうか。もっと強引にたとえると、役に立つデニウソン。
フィジカルエリートであるサッカー選手には武勇伝が多い。例えば、最近で言えばムトゥあたりが有名か。ただ、ムトゥが典型例だが、フィジカルエリートが故に、肉体的エネルギがあり余っているがための武勇伝と言う印象が強い。しかし、ジョージ・ベストの武勇伝は、ちょっと違うと思う。フィジカルエリートと言うよりは「単にオンナにもてる」と言う印象があった。極めて乱暴かつ強引な喩えとしては、岩本テルか。
ジョージ・ベストのプレイを見る事ができたのは、1988年に東京ドームで行われたキックエイズなる怪しげな花相撲(エイズの脅威に対するチャリティゲームとの事だった)。ペレとエウゼビオを中心に、ジェニングス、クロル、ノルトクビスト、カルロス・アルベルト、トレゾール、ニースケンス、クビジャス、キーガン、レップ、アルタフィニらと共に、ペレ・オールスターズと言う名前の所謂OB世界選抜の一員として来日した時。ちなみに対する日本シニア・オールスターズは、釜本、杉山、宮本征勝を中心に、落合、藤島、ネルソン吉村、小見、与那城、碓井、古前田など数年前のトップスターに加え、引退直後の清水秀彦、山本昌邦、鈴木政一、植木繁晴、上田栄治、田嶋幸三などが出ていた。
キックオフ前、出場選手全員がアナウンサに呼ばれると、ドリブルで前進しゴールに向かってシュートするイベントがあった。
そこでジョージ・ベスト。嬉しそうに両手を振り、ドリブルをスタート、ゴール前で後ろを向き、ヒールキック。過去の映像と比較すれば、見る影も無くなった太い腹ではあったが、「魅せよう」と言う姿勢だけは、他の選手と比べて格段のものがあった。「幻」は、抜群のショーマンシップで私に答えてくれたのだ。
70年代前半から半ば過ぎにかけて、世界サッカー界を席捲したクライフが47年生まれ、ベッケルバウアが45年生まれ。つまり、あの2人の中間の年齢であるジョージ・ベストが70年代前半に隠居してしまったのは大変残念な事だった。しかし、もちろんジョージ・ベストは完全に死んだわけではなかった。
77年のアルゼンチンワールドカップ予選、オランダは北アイルランドと同じグループに(クライフはこの大会、予選までは出場するも、本選は様々な理由で出場を辞退)。そのクライフが本腰で臨んでいた予選、オランダホームの北アイルランド戦、突然ジョージ・ベストが復活、見事な技巧でオランダを悩ませ、2−2の引き分けに成功したと言う。サッカーマガジンのグラビアで、2人のスーパースターを見て、一体どのような試合だったのだろうかと興奮した。
大変無責任な発言であるが、ジョージ・ベストがアルコール中毒の影響で、59歳で死んだ事は、ある意味で納得できる。友を失ったボビー・チャールトンとデニス・ローの嘆きは当然として。誰か、パット・ジェニングスのコメントを見つけた方は教えて下さい。
2005年11月29日
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東京ドームでサッカー?
Excerpt: (そういえば昔、引退した世界の名プレーヤーを集めて、 東京ドームで試合をしたことがあったなあ~) などと思い出したので、検索して調べてみたが、 http://hsyf610muto.blogtri..
Weblog: 思い出のサッカー
Tracked: 2005-01-01 00:00









本物より甘ったるい顔の俳優(名前忘れた)がベストを演じ、本物より顎のしゃくれた俳優(同じく)がチャールトンを演じていた。<br />
あの内容が事実を反映したものだったとすると、現役時代のチャールトンは、ベストが練習嫌いだったり、飲んだくれていたり、チャラチャラしていたところが嫌いだったのかな〜と思わせる。<br />
最後のシーンは、放蕩癖が抜けないベストをかばい続けたバスビー監督が逝去した後のオールドトラフォードの追悼集会。<br />
ベストが弔辞を読み上げるのだが、バックに流れていた音楽。<br />
聞き覚えがあると思ったら、“Abide with Me”、FA杯の決勝の試合前に観客全員で合唱する賛美歌だった……。<br />
<br />
オマケですが、この歌について<br />
日本語の歌詞<br />
ttp://www.ylw.mmtr.or.jp/~johnkoji/hymn/039.html<br />
メロディー<br />
ttp://homepage2.nifty.com/maiu/hymn1.html<br />
日本語詞は、まさに哀悼の歌ですね。曲を聴くとしんみりします。
<br />
Former Northern Ireland team and roommate Pat Jennings, who made his international debut in 1964 alongside Best, said: "He was not only a fantastic player, to me he was also a fantastic bloke. <br />
<br />
"The George Best I met then is the same George Best I knew later." <br />
これがそうだと思います。<br />
Pat Jennings, who made his Northern Ireland debut in the same 1964 match as Best, also emphasised the winger's allround talent.<br />
<br />
"What people don't realise is that he was a box to box player, not just a winger or the great entertainer," said Jennings, now goalkeeping coach at Tottenham Hotspur.<br />
<br />
"That is what set him apart from other greats, his work rate and willingness to chase back, to dig in when it was needed.<br />
<br />
"The other thing was that you couldn't kick him off the ball or bully him out of a game. In fact, he thrived on that. He would always come back when I had the ball and say 'give it to me' and then go and beat the defenders who were trying to kick him it was his way of making them feel smaller."<br />
<br />
ドームでの華試合は私も見に行ったんですが、なんかすっかりデブになってて、がっかりした記憶があります。