先週末は当然磐田にベガルタを応援に行くべきところを、諸般の事情でベルマーレ−ヴァンフォーレを見に行った。浮世には色々な問題があるのでやむ無し。
となると最大の興味は、やはり小倉となる。そして、小倉は私の期待通りの、いや期待以上の存在感を見せ付けてくれた。ただし、一方で相当な寂しさをも感じたのだが。
小倉のポジションは2トップの左サイドやや後方。ベルマーレの3DFはいわゆるフラット3、右サイドMFは前半は本来FWの高田ヤス(前半でレッドカード)、後半は石原、石田と、攻撃的な選手が配された。結果として、小倉を押さえる選手が不明確になってしまった。小倉はその間隙を巧みにつく絶妙な位置取り。かくして、小倉はフィールド全体を掌握した。
ところで、残念なことに、この日は小倉加入以前からチームのエースとして名高い藤田が不出場だった。今までTVで見た試合では、この2人のコンビはなかなかのものに見えたのだが。しかし、逆に藤田不在が小倉の君臨を際立たせたのかもしれない。
圧巻は前半の同点ゴール。巧みに後方からのボールを受け、1度右を向いて(ベルマーレ守備陣を小倉からみて右側に寄せておいて)左サイドの選手をフリーにした上で、身体を左に開きなおしてそのフリーにした選手へ好スルーパス。その選手が完全に縦に突破し折り返し、受けた別な選手がベルマーレDFを引きつけ、中央フリーの小倉に流す。その瞬間私はゴールを確信した。そして、四日市中央工高時代から見慣れたあの美しい左足の一発。約20mの距離のシュートの軌跡の美しさ。
ベルマーレが10人となった後半、小倉の存在感は一層高まった。ベルマーレベンチが上記の小倉のマークの修正ができぬ状況で、悠然とフリーでボールキープ。決してスピードがあるように思えないが、勝負に出れば着実に左サイドを突破。時に逆サイドに好フィード。ベルマーレ守備陣は小倉1人に振り回され、ついには後半半ばにリードを許した。
確かに小倉は凄かった。一緒に観戦していた友人は「バッジョみたいだ」と感心していた。なるほど、この日の小倉から漂う独特のオーラは、最近のバッジョを髣髴させた。私はむしろ、左利きである事、射程距離が数十mと長い事から、晩年のハジを思い出したのだが。かほど、小倉の存在感は際立っていた。
しかし、思い出したのが「最近の」バッジョであり「晩年の」ハジだと言う事に、私は無念さを禁じえない。小倉が好いプレイを見せれば見せるほど「ああ、若い頃に大きな怪我に悩まされなければ」との思いがつのったのだ。そして、この逸材が本当の意味でベストフォームを掴む事ができなかった事実を呪う。負傷さえなければ、小倉は「90年代初頭から半ば(つまり全盛期)のバッジョやハジ」をも思い出させるプレイを見せられる素材だったのではないだろうか。
私は日本代表のサポータとして、以前には予想だにしなかった幸福な10年間を過ごしてきた。しかし、この試合を見てより贅沢な想いを持った。小倉が相次ぐ負傷に襲われなければ、もっと多くの幸せを味わう事ができたのではないかと。
2003年11月10日
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