70年代、望月氏は少年キング(って今でもあるのかなあ)に連載していた「ワイルド7」と言う作品を中心に、当代きっての人気マンガ家だった。その望月氏が、当時マイナスポーツだったサッカーが大好きで、JSLの三菱に大変な肩入れをしていた。その肩入れ振りが、何とも愉しい連載だった訳。大体、当時は「ワイルドイレブン」と言う名前の連載だったのだから。若い方々に理解いただくためには、尾田栄一郎氏とか岸本斉史氏あたりが、ハンドボールの某チームに肩入れして商業誌に連載を持っていると考えてもらえばいいだろうか(すみません、最近読むマンガと言うのは、坊主が買って来る少年ジャンプくらいなもので)。
ちなみに氏は、レッズとジュビロのサポータと公言されているが、その理由は明確。三菱を引退した大杉山が、故郷の静岡に帰ってヤマハの監督になったからなのだ。
実際、望月氏は三菱の関係者と、個人的な関係があったので、そのあたりの記事が何とも面白かった。たとえば、サテライトリーグで部員不足のために、当時の三菱監督二宮寛氏(後の日本代表監督)が出場し得点を決めた場面とか。日韓クラブチャンピオン定期戦(みたいな公式戦が昔あったのだ)で三菱が韓国のどこか(浦項製鉄だったような気がするが)と戦った際に、関係者席に座っていた「既に三菱を引退していた大杉山」が、試合に出ないのは残念と語ってみたり。
三菱の選手で、特に氏のお気に入りは、ファイトあふれるサイドバックだった菊川凱夫(菊川氏は、後に藤枝ブルックスを立上げる、ブルックスは本拠地を福岡に移し、今日のアビスパ福岡の前身となる)。氏は菊川を「K青年」と呼び、連載で必死に称え続けた。菊川が74年シーズンを最後に引退した時に、氏はサッカーマガジンの自ページを使い、選手菊川の引退特集としたが、これは長きに渡るサッカーマガジン史に残る美しい記事だった。
ところで、当時の三菱のライバルチームだったヤンマーに、苗字が同じ「K」を頭文字にした名選手がいたが、望月氏がそのヤンマーの「K青年」を再三からかうのがまた面白かった。特にヤンマーの「K青年」にやられた試合の後の嘆き振りが。
当然ながら、当代きっての人気マンガ家であった氏は、超多忙ながら経済的には豊か。ドイツを中心に再三欧州を訪問し、サッカー観戦を愉しまれていた。上記二宮寛監督つながりから名将バイスバイラー氏ともコネクションがあるため、サッカー界の人脈も完璧。ベルティ・フォクツとの嬉しそうな記念写真や、奥寺のドイツでの活躍への歓喜などは、サッカーマガジンのグラフページよりも、よほど充実していた号もあった。
ここまで書けばご理解いただけるのではなかろうか。望月氏は、我々のサッカーの愉しみ方を、先駆的に具現化し、マンガと文章で具体的に説明してくれ続けてくれたのだ。
サッカーマガジン編集部が、何がしかの理由で、その連載を止めるのは、それはそれで仕方が無い。ただ、望月氏の連載を止めるならば止めるで、せっかくここまで続けてきたのだから、総決算の座談会くらいをじっくり行ったらどうだろうか。座談会の進行は元編集長の千野氏なり大住氏。ゲストは望月氏の他は、三菱OBの大杉山かK青年か森氏、レッズOBの福田氏、ヤマハOBの長澤氏(お嬢さんが大変有名らしいが)か吉田光範氏、そして「ヤンマーのK青年」。こう言ったメンバが望月氏を中心に、ドイツワールドカップの苦杯を嘆いたら、さぞ面白いコンテンツになると思うのだが。
望月氏も独自のWEBサイトを持っているので、今後も氏の活躍を愉しむ事はできる。わかっている事は、来週からのサッカーマガジンが無味乾燥なものになるだろうと言う事くらい。
ワイルド7には台詞の中にそこら中にサッカーネタがあるなぁと漠然と思っていたのですが、もっと小ネタが隠されているんですね。ひっぱりだしてまた読んでみます。<br />
エルゴラが出来てからすっかりマガジンもご無沙汰してしまいました。自分以外にもそういう読者が多いかもしれません。そのための打開策としての改革だったのでしょうか。ご無沙汰の自分が言うのも場違いかもしれませんが、何とも残念です。長文失礼しました。
武藤さんがこの件についてお書きになるのをお待ちしています。