2007年01月13日

さらば友よ2

 今日は朝6時起きで少年団の大会。朝から会場準備、審判、コーチなどで慌しく過ごした。このような大会は年に数回あるので、特別な事ではない。しかし、今日の大会は私にとっては特別だった。何故ならば1年生の時からずっと指導を継続してきた坊主の同級生たちは早くも6年生、そしてその連中が小学生として戦う、最後の公式戦だったのだから。



 大会のレギュレーションの詳細はややこしいので省略するが、出場各チームが2試合を戦い勝ち点がよい上位2チームが決勝に進出する。初戦、我がクラブは常にライバルとして戦ってきた隣の学区のクラブと対戦。前半に、こぼれ球を拾われミドルシュートを決められ先制を許す。前半のうちに同点に追いつき、後半中盤を制覇して圧倒的に押し込み、幾度と無く決定機を掴むが、どうしても勝ち越し弾を決められない。逆に終了間際に、敵に決定機を許すなど冷や汗をかく場面もあり、1−1の引き分けに終わる。



 結果として、次の2試合目は何があっても勝たなければ決勝に出られない事になった。相手は隣町のスキルフルな選手を多数抱えるクラブ、これまた何度も戦った事のある敵だった。入場する彼らの後姿を見ながら何とも言えない思いにふけった。もしかしたら、この試合が彼らを指導する最後の試合になるかもしれない。最後にしたくはないのは当然だけれども、むしょうに寂しさがこみあげてきた。

 けれども、子ども達はコーチの不安を簡単に一掃してくれた。「勝たなければならない」我がクラブは、全員が厳しい状況をよく認識し、開始早々から全員がよく動き前線からプレスをかけて、ボールを奪うやひたむきに攻め込む。レベルは果てしないほど異なるが、その攻撃姿勢と意欲は78年のアルゼンチン代表チームを思い起こさせてくれる程だった。そして、開始5分で速攻から左右に揺さぶる分厚い攻めから先制。さらに10分には、FW2人が巧くパスをつなぎ敵DFを引きつけ、ボランチから長躯した坊主が完全に抜け出す。が、坊主は親譲りのボールコントロールの悪さから、シュート直前にボールを長く出し過ぎる。「ああ、決定機を逃した」とベンチでがっかりしていたら、敵DFが焦ったのだろうか、直後に坊主を後方から押し倒しPK。ラッキー。2−0で早々にリードし、そのまま押し切って決勝進出を決めた。



 そして決勝戦。今度は本当に彼らが戦ってくれる最後の公式戦。色々経緯は錯綜するが、敵の戦闘能力は今日の3試合では一番落ちる相手となった。この相手ならば、落ち着いて戦えばよほどの不運がなければやられない。この決勝戦での選手入場は、先程とは異なる思いを感じられた。ここまで残ってくれれば、寂しさではなく、何とも言えない喜びにふける事ができたのだ。「ああ、この子たちと6年間愉しく遊んで来られたのだな」と。

 試合前に子ども達は3つの事を伝えた。(1)相手より一歩でも早くボールに触れ(2)(いつも言っている事だが)急いで蹴らずに落ち着いてつなげ(3)敵陣に向かう体勢でボールをもらったならば自分がシュートを打つイメージを持て。

 子ども達は、この3つの指示をよく理解してくれて戦った。前半から圧倒的攻勢に立つものの、敵GKの好セーブをなかなか破れない。ここで坊主が再び機能する。ハーフウェイライン近傍からドリブルをスタート、2度ほどパスを出す振りをして敵DFを撹乱しそのまま強引に前進、敵DFは動き回る我がFWに引きずられ結果的に坊主の前にスペースが開く。坊主はそのまま前進し、落ち着いてボールを持ちかえシュート、が、そのシュートは完全に当たり損ねる。ところが、その当たり損ねが逆に幸いしてボールは敵ゴールに転々。勝てば官軍だな。以降も圧倒的に押し込む我がクラブ。後半に入り、分厚い攻めからから2点目。この得点を決めたのが、最近よく練習を頑張って頻繁に試合に出られるようになってきた5年生の公式戦初得点だっただけに、これまた本当に嬉しかった。この2点目で勝負あり。その後2点を追加し完勝した。



 決勝終了以降、喜びに湧く子ども達を見て、改めて何とも言えない感慨に浸ることができた。坊主が少年団に加入し、結果的に少年団のコーチを務める事になって6年間が経過した。そして、この子ども達と6年間、毎週末ボールを蹴って遊んできたのだ。

 私は、サッカーを講釈する事と応援する事に関しては世界中のどこの誰にも負けないつもりだ。しかし、サッカーを教える事については、まあ門前の小僧だな。でも、この6年間、拙いながらにも自分の全てを君達に伝授したつもりだ。そして、君達は皆成長し、ただのバカ餓鬼が、サッカー選手見習までにはなってくれた。、俺が君達にサッカーと言う麻薬の魅力のほんの1%しか教えられなかった事はよくわかっている。でも、君達はこの麻薬の魅力から離れられなくなりつつあるようだ。

 君達を直接指導する事ができる時間はもう後ほんの僅かだ。これからも、この世界最高の玩具を堪能して欲しい。そして、何年か経ち、一緒に酒精を飲めるようになった時、サッカー談義をしようではないか。今よりずっと大人になった君達に、俺は本当のサッカーの魅力と魔力を語る事ができるのだから。



 86年のキリンカップ。優勝したベルダー・ブレーメン。試合終了後、この日腕章を巻いていた奥寺康彦と監督のオットー・レーハーゲル氏の抱擁。試合後、レーハーゲル氏は語った。「奥寺とは5年間共に戦った。5年と言う月日は人生にとって、非常に長い年月だ。この長期間、奥寺と共に戦った事を誇りに思う」と。

 私も彼らに言いたい。「6年間と言う月日は人生にとって、非常に長い年月だ。この長期間、君達と毎週末ボールを蹴って遊んだ事を誇りに思う。」
posted by 武藤文雄 at 22:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 底辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ええ話やなあ。<br />
朝から涙ぐみました。
Posted by 若頭。 at 2007年01月18日 08:30
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。<br />
<br />
<br />
...いい話ですね。<br />
うちのも来年から小学生。どうなることやらとも思いますが、節目節目にサッカーがある人生のよさ、が分かってくれるやつら(友達含めて)になってほしいなと思っています。<br />
もちろん、親の自己満足だって分かった上での願いなんですけどね。
Posted by sillywalk at 2007年01月22日 11:11
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