愚息の振る舞いを見ていると、身につまされる事が多い。
これには2つの側面がある。1つは血統的なもの。妙に理屈っぽいとか、叱られるのが判っていてもいたずらするとか、すぐに周りから笑いを取ろうとするとか、基本的な性格が鏡を映しているように似ていると言う側面。愚息が馬鹿をして、叱る時など、「ああ子供の時(いや、今でも)自分は周りからこう見られていた(いる)のか」と、自己嫌悪に陥る。
もう1つの側面は、親が提供している環境的なもの。親の振る舞いを想像以上に子供は見ていて、真似をするものだ。特にその振る舞いが劇的だと、子供への影響は甚大である。
と言う事で、昨晩の日韓戦のような「血沸き肉踊る」試合を愚息と一緒に観戦すると、当方の愚かなる言動を当然ながら、真似されてしまう。帰りの電車の中で、愚息は「大久保許せないよね、死んでしまえばいいのに」などと平気な顔をして言うのだ。当方は「『人に死ね』などとは言うもんじゃない」と叱るが、あまりに説得力がない。試合中に「死んでしまえ!」「この馬鹿たれ」「2度と俺の前に顔見せるな」などと、あらん限りの声で父親が絶叫しているからだ(余談ながら、昨晩は我々の目の前で韓国から来たとおぼしき赤い集団が応援していたが、私の歌や野次をあきれて見ていた)。
不思議な事に真似されるのは否定的な絶叫ばかり。肯定的なものは、不思議に真似しない。つまり「アレック!いい加減に真面目に守らんかい」、「アレック、もういい、お前は悪くない、使うジーコが悪い」のようなヤツは結構真似するが、「お〜、そこを通すか、小笠原ぁぁ〜〜」とか「よっしゃ、久保ぉぉぉ〜」などのようなのは覚えないのだ。
まあいいや。かくして、しょうもない子供が育つのだろう。親の責任である。
先日、愚息の試合で。敵チームの子がラフプレイで警告を食らった。すると、愚息が「や〜い、ざま見ろ」と言った。審判が苦笑いして「そんな事はいうものじゃない」と言っていたが、愚息は「どうしていけないのだ」と言う表情をしていた。ベンチで指揮をとる監督兼父親が、トップレベルのサッカーを見に行く度に、その種の態度を取り、その種の野次を飛ばすのだから、「いけない事だ」とは思える訳はないな。
でも、不満そうな表情はしたが、不満は口にしなかった。これは教育の成果だ。審判には絶対文句言ってはいけない事も、日頃の親子観戦で学習しているからだろう。小3の愚息は大久保を越えているのである。
2003年12月11日
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