この文章の冒頭に記載した1990年11月25日の反町のプレイは出色のもの。忘れられないプレイ振りでした。この試合の事を印刷物に書く事ができただけでも、エルゴラッソに連載を持たせていただいた意味があったと思っています。
あまりの見事さに、「今の反町を見ないと言う贅沢は許されない」と言う事になり、翌週友人たちと磐田でのヤマハ戦を見に行きました。反町のプレイを見るためだけに。
ここからは余談なのですが。
このヤマハ戦。反町のプレイは悪くなかったのですが、ヤマハが絶好調で3−0で完勝。反町が攻め込むのと反対側のゴールで輝いていたのは...筑波大を出たばかりの中山雅史と言う男でした。
<以下 本文です>
1990年11月25日、90−91年JSL前期、三ツ沢競技場で行われた全日空−古河戦。ただのリーグ戦の1試合に過ぎない試合だが、私にとって忘れ難いものとなっている。全日空の攻撃的MF反町康治が実に見事なプレイを見せたからだ。
元々反町は2列目からの最前線に進出するのが持ち味の選手だった。特に反町のドリブルの面白さは、決して足が速い訳ではないが、ワンタッチずつ膝を押し出して丁寧に触る事。そのため、独特のりズムがあり、かつワンタッチごとにスピードの変化を作る事ができるので、非常に効果的。ゴール前に飛び込む時は、敵守備陣の薄いところに後方から巧みに入り込む。しかも、小さいスペースでのダイビングヘッドやジャンプボレーが得意なので、敵DFからすれば非常に守りづらい厄介な選手だった。
ところが、この日の反町はこのような元々の特長に加え、一層素晴らしいプレイを見せてくれた。中盤で敵のマークを受けながら、後方からの展開を正確に止めてスッと前を向き、マーカを一発で外し、そのまま古河ゴールに向かってさらにドリブルを仕掛けたのだ。そして、その後ラストパスを通すなり、自らシュートを狙うなりのプレイで次々と古河ゴールを襲った。当時の古河の守備陣は、気鋭の若手代表選手だった阪倉を中心にしっかりと中盤からプレスをかける組織的なものだったが、この日は中盤で反町のドリブルを全く止められず、ガタガタに崩れた。かくして、反町の1得点1アシストで全日空は古河に完勝、反町のプレイは光り輝いていた。
反町は清水東高2、3年時にインタハイを連覇。2年時の高校選手権では準優勝。3年時の冬は、後藤義一(現横浜FCコーチ)率いる清水商に予選で敗れたものの、高校サッカーのスター選手として、高校時代から全国に名を知られていた。
70年代は、清水の高校を含め、静岡勢はテクニックは高くきれいなサッカーをするのだが、高校選手権の肝心なところで、帝京や浦和勢などの関東地域の勝負強いサッカーになかなか勝てないでいた。しかし、反町らが活躍した80年代前半あたりから、清水勢は継続的強化が奏功し、清水東にとどまらず、清水商、東海大一高などが、難しいトーナメント戦の駆け引きを身につけ、再三全国制覇をするようになる。
清水東卒業後、反町は一般入試で慶應大に進学、名門ではあるが当時は必ずしも大学でもトップレベルとは言えない当時の慶應大で活躍後、JSLの全日空に加入した。当時の全日空にはプロ契約をする選手が、ほとんどだったが、反町は全日空に社員として入社する事を選択したのも、今思えば反町らしい。
上記のように全日空の王様となった反町を中心にチームを作れば、日本代表もかなり高いレベルの試合をしてくれるのではないかと期待されたが、残念ながら、当時の日本代表の活動は非常に低調だった。イタリアワールドカップ1次予選で敗退した監督がそのまま2年以上も居座り、国際試合で工夫もなく連戦連敗していた頃だったのだ。それでも、反町は90、91年に代表に選考されたが、A代表マッチは全て交代出場で4試合出場に留まった。ただし、短い時間ながら反町は代表でも印象的な活躍を見せている。91年7月に長崎で行われた日韓定期戦、日本は0−1で完敗するのだが、試合終了間際に北澤に代わって起用された反町はいかにも彼らしい抑揚あるドリブルで韓国守備ラインを突破して決定的なミドルシュート放った(惜しくも敵DFにブロックされる)。また、Aマッチではないが、この日韓定期戦の直前のパルチザン・ベオグラード戦では先発起用され、好機を演出した。ちなみに当時パルチザンの監督はイビチャ・オシムと言う男だった。
JSLがJリーグに発展的解消を遂げた後、反町はそのまま横浜フリューゲルスの一員となるが、同じポジションに前園真聖と言う若手の逸材が加入した事もあり、試合出場機会は次第に減ってきてしまう。それでも、93−94年シーズンの天皇杯、横浜Fの初優勝に貢献、その後、平塚(現湘南)に移籍後、引退する。
新潟の監督としての実績は、今さら紹介するまでもない反町氏だが、北京五輪代表チームの監督兼A代表のオシム監督下のヘッドコーチに抜擢された。オシム氏就任における日本協会の不手際は論外ではあるが、考え得る最強に近い指導体制が整ったのもまた事実。若き知将反町氏が、サッカーの全てを知り尽くす東欧の巨人の下、どのような采配をしてくれるか期待したい