イーグルスが日本選手権を制し、日本チャンピオンとなった。故郷の野球チームの日本一。心底嬉しい。
しかし、最後の最後に、イーグルス星野監督が前日160球投げていた田中を起用した事で、歓喜が随分と薄いものになってしまった。
誤解しないで欲しいが、投手の酷使を気にしているものではない。それはそれで、いかがなものかとは思う。けれども、「目先の勝利」と「各選手の永続性」のバランスは中々難しいのは否定しない。
そして、星野氏が、田中を酷使する事が「勝つ確率を高めるため」なのだったら、(非難する向きもあるだろうが)彼の仕事は「イーグルスを勝たせる事」なのだから、それはそれで納得できる。けれども、私が乗り切れないのは、「美馬や則本の方が抑える確率が高いのに、星野氏は大向こう受けを狙って田中を使った(ようにしか、私には見えなかった)」からだ。真剣勝負こそ、最高の娯楽のはずではないか。
ともあれ、素直に喜びを語りたい。
仙台人として、日本選手権には結構なトラウマがある。73年から当時のロッテオリオンズが仙台宮城球場(今のKスタです)を準本拠地として活動した事があった。私も何試合か観戦しに行ったが、結構な観客動員だった。当時のオリオンズは、ショーマンシップあふれる金田正一監督に率いられ、木樽正明、村田兆治、有藤通世、アルトマンらが活躍し、最強と言われた阪急ブレーブスを追いかける存在、熱狂的に応援し、勝利に歓喜したものだった。そして、74年にはプレイオフ(これは仙台でも行われた)でブレーブスを破り、日本選手権に出場権を獲得した。ところが、その日本選手権は東京後楽園(今の東京ドーム)で行われ、さらに日本一のパレードすら仙台では行われなかった。これで仙台の野球熱は完全に冷めてしまい、観客動員も激減、数年後オリオンズは逃げるように仙台を去った。
私はサッカー狂だが、この世代のスポーツ好きの常として、当然のようにガキの頃から野球に浸り切って育ってきた。
小学校2年の夏休みに家族旅行で東京に出かける際に父にねだり、当時の後楽園での讀賣ジャイアンツ対サンケイアトムズ(今のスワローズね)を観戦したのが、最初の生観戦。高橋一三の好投に興奮し、生で観る長嶋茂雄に熱狂したのは忘れ難い思い出だ。確か王貞治は負傷欠場だったはず。サッカーの初生観戦は、その1年後仙台で譲渡試合として行われた日立対ヤンマー戦だから、野球の生観戦の方が先だった、ちなみにこの試合では釜本は肝炎から回復しておらず不出場、どうも私はそう言う運がないのかもしらんな。
故郷に野球チームができて、ちゃんと昔の宮城球場を完全な本拠地として活動しているだけで嬉しかった。大学時代のサッカー部のチームメートが、ドラゴンズの勝ち負けに一喜一憂しているのが、本当に羨ましかったから。
ベガルタへの思いとは全く違うけれど、心底嬉しかった。ただ、上記の星野采配には、引っ掛かりがあった。
「神様、仏様、稲尾様」や「権藤、権藤、雨、権藤」とは違う。稲尾様が連投する方が、権藤が投げる方が、勝利の確率が高かったから、彼らは投げたのだ。けれども、今日の田中マーは違う。絶対に違う。美馬や則本の方が、勝つ確率は高かったのだ。
ともあれ、日本一である。
仙台の母に電話した。あれこれ喜びを含めた野球談義を交わした後に、母に言った。
「あの場面、やはりどうしても飲み込めない。勝つために確率を高めるべきではなかったか。」
と。すると、母に叱られた。
「いや、違う。あそこは、やはり、何があっても田中に投げさせるしかない。」
と。
まあ、そう言う事なのでしょう。素直に祝い酒を堪能すべきなのかな。うん。
2013年11月04日
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原理原則は絶対に曲げない」という星野監督の特徴が
よく出た采配だったと思いますよ。恐らく、9月後半に
入って中継ぎ総崩れ状態になった時に、
「勝負を決めるところでは田中に抑えさせる」と決めたんでしょう。
それを最後まで守っただけです。
臨機応変が苦手なのは昔からで、北京五輪の時も
怪我でペナントレースで投げられなかった上原に
固執し過ぎて投手陣全体がおかしくなってしまいました。
今年のボストンでの無双ぶりを見ると固執するのも
分からなくはないのですが、怪我してたんだから……
この辺の硬直性が「星野は短期決戦が苦手」と言われる
所以かと。
マーくんの「中0日」も常識とはかけ離れた一手です
本人が志願しベンチに入ったにしても、監督が落合だったら本人の意思も無視して、地元のベテラン投手斎藤隆辺りで締めていたのではなかろうか…
まあ、マーくんが投げて日本一を決めるというのが最もドラマチックだったような気がしますが
楽天に絶対的守護神がいないからこそ、起きた事でしょうね
美馬はもう降りてるし、則本の3イニング目もそれはそれでどうかという。
受けを狙ったのではなく、前日に最後まで田中を降ろせなかったことを含め、田中の志願を却下出来なかった、と言った方が適切。
落合監督は落合監督で、大衆受けの逆をわざと狙う感じがある。いくら岩瀬でも、ノーヒット中の投手の後では無用のプレッシャーが掛かるのに、わざと岩瀬を選択しましたからね。
今回は誰が見てもこれという選択肢は存在しなかった。田中という選択に疑問という人もかなり多かったはずだから、落合監督も田中を選んでた可能性は高い気がする。
前日、今年初めて負けて?・・・申し訳ない気持ちが無茶になったのかも知れません。
マー君の我がままと言われても仕方ないのかもしれませんが?・・・来年メジャーに行く前の最後の雄姿を日本一で終わり、仙台のファンに見せたかったのだと思います。
そして?・・・震災を経験し、東北、そして仙台に住んでいなければ感じることができない、マー君のファンへの最大の恩返しとファンとの繋がりを私は感じました。
自分より状態の良いピッチャーは他にもいたと思います。・・・そんな事マー君が一番分かったいたと思いますし、それでも志願して投げてくれたことに嬉しく思いました。
理由は、野球だけではないんですよ!
この時の日本シリーズは我が中日ドラゴンズが巨人のV10を阻んで、20年ぶりの日本一を目指して敗れたものですな。
このあと幾度も日本シリーズに進出するもことごとく敗れ、一度も日本一になれなかった近鉄バッファローズを除くと、一番日本一に縁遠い球団にドラゴンズはなっていたのです。
だから、53年ぶりの日本一が目前で、「完全」山井の降板を選択した落合監督の采配は支持するのです。
ロッテが仙台に準本拠地を構えていたのは知っていました。「逃げるように仙台を去った」といういきさつは初めて知り、興味深いですね。
仙台がタイトルが掛かる大一番で、0-0の89分にPKを得たとしたらケガで本調子じゃなかったとしても梁に蹴らせるでしょう。角田とか松下に蹴らせて失敗した場合の責任を負わせるには彼らには酷だからです。駒野がPKを外してどのような思いをしたか、そういうことを分かってるのが星野監督なんだろうと思います。
星野監督は、田中の申し出がなかったら、絶対に投げさせなかったと思います!・・・田中の意志が全てだと思います。
星野監督は、今シーズンのパリーグ楽天優勝をもたらしたスーパーエースに、締めを託したのだと思います。・・・田中の気持ちに賭け、たとえ打たれたとしても腹を決めて送り出したと思います。
観戦していても、多分、田中は打たれピンチを招くだろうなとも思いました。・・・則本-レイ-斎藤の誰が投げても、3点は守れたと思います。でも彼はピンチをしのぎました。
日本一は当然嬉しいですが、田中で勝てて尚さら最高に嬉しかったです!
たしかに則本の方が確率が高そうに感じましたし、美馬を続投させた方が更に確率が高かったと思います。
ただ9回に田中の名前がアナウンスされた時の球場全体を味方につけた雰囲気を考えると、より勝つ可能性が高まったとも考えられるのでは?
言うなればユアスタの雰囲気でアウェイチームを飲み込む感じに近かったと思えるのですが。