昨年8月24日にNHK放映されたメキシコ五輪3位決定戦の完全録画中継のテレビ桟敷観戦記です。中継直後に書き始めたのものの完成に至らず、正月休みに完成させました。結構未完成の文章が多いのは、反省しきりなのですけれども。
もし「日本代表史で最も重要な試合を3つ選べ」と言われたら、「ベルリン五輪のスウェーデン戦、このメキシコ五輪の3位決定戦、そしてジョホールバル」と答えるのかなと思う。そのメキシコ五輪3位決定戦のフルタイム映像を、NHKが中継してくれた。
考えてみると、この3位決定戦は釜本の2得点と試合終了の瞬間の映像しか見た事がなかった。今回の放映案内での説明によると、日本国内にフルタイムの映像が保存されていなかったとの事。そう言う事だったのか。そして、メキシコでたまたま映像が見つかり、今回の番組が成立したと言う。僅か45年前の歴史的試合の映像が適切に保存されていなかった事を嘆きつつも、この映像を堪能できた事を素直に喜びたい。
そして何より嬉しかったのは、実に見事な試合だった事だ。
技巧に優れ献身的な中盤、組織的で勇気あふれる最終ライン。時代の相違から、守備ラインの深さと前線でのチェックの甘さは否めない。また、最前線に1人で大仕事をしてしまうハイパーなストライカがいるので、トップに精度のよいボールを入れれば、それだけで押し上げが甘くとも攻撃が成立してしまっているのも確かだ。けれども、基本的には今も見慣れているおなじみの日本風サッカーが展開され、成果を上げている。とても愉快な試合映像だった。
試合を振り返る前に、当時の五輪のレギュレーションをおさらいしておきたい。当時、五輪にはプロフェッショナルは出場できなかったのだ。まず、この事を理解できない若い方もいらっしゃるかもしれないが、サッカーに限らず五輪と言うのはそのような大会だったのだ。
たとえば、4年前の東京五輪では、イタリア代表が一部選手がアマチュア規定違反と言う事で、大会直前に棄権を余儀なくされている。問題になったのは、既にインテルで欧州制覇をしていたファケッティやマッツオーラと言った後年のスーパースタアだったと言う。4年後の72年札幌冬季五輪において、大会直前にアルペンスキーの金メダル候補選手が、用具の宣伝に関与したとの事で追放になった「事件」もあった。
したがって、日本がこの大会で対戦したブラジル、スペイン、フランス、そしてメキシコと言った国は、若いプロフェッショナル契約をしていない選手を集めたチームだった。実際同大会のメンバを見ても、上記サッカー強国のメンバで馴染み深い選手はほとんどいない。強いて言えば、フランスのラルケがプラティニ時代前のフランスフル代表の中盤のリーダに成長したくらいか。もし今日の日本でそのようなチームプレイを組むとしたら、大学選抜とユース代表を組み合わせたようなチームとなるだろう。
一方で、東欧だけは、国家社会主義の国だった事もあり、たとえ選手がサッカーで生計を立てていても、給与は国が支給する形態ゆえプロフェッショナルではないと言う判断で、事実上のフル代表が五輪に出場していた。日本が準決勝で大敗したハンガリーは、欧州トップクラスの代表チームだったのだ。また、選手イビチャ・オシムは、そのような「アマチュア」と言う立場で、ユーゴスラビア代表として4年前の東京五輪に出場していた事になる。
つまり、乱暴にたとえてみると、当時の五輪は、東欧やアジアの代表チーム、南米や西欧のユース代表が集まる独特の大会だったのだ。誤解しないで欲しいが、私は「だからメキシコ五輪銅メダルは、巷で騒がれているほどの偉業ではない」と言いたいのではない。むしろ、正確に当時の状況を把握しておく事こそ、この成績の偉大さは際立つと考えている。
まず、この銅メダルは36年のベルリン五輪から80年のモスクワ五輪までの間で、欧州外の国が獲得した唯一のメダルだった(五輪へのプロフェッショナリズム導入がはじまった84年ロサンゼルス大会以降、プロフェッショナル選手が登場し南米やアフリカ諸国が好成績を収めているのは周知の通り)。さらに、我が日本代表チームが、ワールドカップを含め世界大会に向けてアジア予選を勝ち抜くの成功したのは、96年のアトランタ五輪以前は、メルボルン五輪とメキシコ五輪だった。この2点だけでも、メキシコ五輪実績の偉大さは際立つ。
さて、試合。
当時はいわゆる4-2-4システムが主流だった訳だが、日本は守備的に戦うためにカバーリングのためのスイーパをおいた5-2-3システムを採用していた、とよく言われる。しかし、映像を見た限りだが、いわゆる両翼の杉山(大杉山)と松本育夫は多くの時間帯、中盤に引いており、5-4-1と呼ぶ方が適切に思えた。
嬉しいのは、中盤の質が高い事。敢闘型ファイタでボール奪取に優れる渡辺正。技巧的でエレガントで高精度のパスを操る宮本輝紀。落ち着いたボールキープができる松本育夫。そして、速さが格段なのに加え縦に出た瞬間のボール扱いが正確な大杉山。献身と技巧に優れた中盤が基軸の戦いとなるのは、今日と全く同じ。もちろん、全員のファーストタッチや身体の向きなど、今日ほど洗練されていない。だから、今の代表と比較して、チームとしてのボールキープには課題はあるのは一目瞭然だが、各選手の献身やできる事を確実にやる徹底振りはすばらしい。
最終ラインは、今日では考えられない深いラインに位置する鎌田をスイーパとするやり方。おもしろいのは2ストッパが森と小城、2人とも本来は中盤で創造的な展開を得意とする選手。しかし、この試合ではメキシコの(少々短調な)クロスをはね返し続け、敵FWに対して鋭い当たりを継続した。両サイドバックの片山と山口は正に職人、厳しいマークで進出してくる敵を押さえ込む。GK横山の横への反応は、なるほど「動物的」な鋭さがある。
これらのスペシャリスト10人の前に、ハイパーなストライカがいた訳だ。
キックオフ直後、右サイド松本育夫のクロスがファーに流れかけたのを、釜本は強引に左足ボレーで合わせ、枠に飛ばす事に成功する。シュートそのものはGK正面で防がれたが、これはすごかった。おそらく、松本が蹴る瞬間に、釜本は後方に移動し、敵ストッパの視野から「消えた」のだろう。また、松本と釜本の間で、「どこに蹴るか」、「どこで受けるか」の約束事が完全にできていたのだろう。さらに、やや外に流れたボールに対し、1度巧く身体を外に開いて腰をしっかりと入れて、ある程度の強さのシュートをグラウンダで枠に飛ばす、釜本の技術の確かさ。
解説していた釜本氏が「松本さんのクロスの精度がもう少し高ければ、決めていたのに」と語ったのはご愛嬌。それにしても、約束事通りのパスを受け、 強引に枠に持っていく事ができるストライカが、どんなに頼りになる事か。
幾度も幾度も映像を見てきた先制弾。でも、その組み立てを堪能したのは、初めてだったが実に見事だった。中盤から宮本輝起がボールを持ち出し、クサビを釜本に。釜本は左サイド後方の大杉山に落とし、左サイドに飛び出す。そこに大杉山から柔らかいパス。左サイドに流れた釜本は、身体を入れたキープで、大杉山が上がる時間を稼ぎ、丁寧に大杉山にボールを渡し、中央に戻る。大杉山がサイドバックを揺さぶっている間に中央に戻った釜本に、大杉山が精度もタイミングも格段なクロス。後は、釜本自身の「ミスキック」と言う証言と共に歴史である。それにしても、「ミスキック」の前のトラップの絶妙な事。左斜め前方のここしかない場所へトラップする事で、「敵DFを外す」と「自分が強くボールを蹴る事ができる場所に置く」の2つを同時に成功させている。
過去2点目の映像を再三見て、よく理解ができなかった事があった。大杉山のセンタリングが、ゴールラインぎりぎりをえぐったものではないのに、釜本へのマークが随分と緩かった事だ。今日と異なり、守備のプレッシャが厳しくない時代だった事はあるのだが、それにしても。この試合の前半映像を通して観る事で、その疑問が解けたように思えた。他の場面でもそうだったのだが、えぐらずにゴールラインに平行のクロスを正確に入れる事が、このチームの約束事だったのだ。上記した開始早々の松本のクロスも、松本が蹴った場所はそれほど深くはなかった。また、2対0になった後の前半終了間際、大杉山からのファーサイドのクロスを、釜本が見事なヘディングで落とし、宮本が全くのフリーでシュートを打った場面もその典型だった。
できるだけゴールライン近くまでに進出してクロスを入れるのは、サイド突破のセオリー。しかし、その場合トップの選手はシュートするでなく囮となり、後方から進出してくる選手が狙う形が多くなる。しかし、このチームの場合、中央で待ち構える釜本を囮に使うのは得策でなく、必ず釜本が絡む事ができるクロスを上げる方が得策と言う、チームとしての意志統一があったのだろう。実際、大杉山や松本がよいクロスを上げても、飛び込むのは釜本だけと言う状況が多かった。それでも、崩せるのだからすごい。正に作り込まれた連係の妙だな。
それにしても、この2点目の釜本のトラップがまた見事な事。先制点では敵ストッパを外すために左側に止めたのに対し、ここではストッパの寄せの前で利き足で打つ事ができる右斜め前への完璧なトラップ。「巧い」と言ってしまうとそれまでだが、高い意識での徹底した反復練習の賜物だろう。そして、低く強く押さえた強烈なインステップキック。そのフォームの美しい事。
釜本がすばらしいのは、敵陣直前だけではなかった。よい位置取りで後方の選手がパスを出しやすい地点に顔を出し、そのフィードを柔らかく受けて、確実にキープし、味方に適切につなぐ。これだけチームプレイに優れながら、得点力あるストライカは、歴史的にも世界的にも、そうはいない。釜本御大は引退後「とにかく俺が点を取ればそれでよい」的な自分勝手に聞こえる事ばかり発言しているが、あれは照れからなのだろう。
さらに後半、前掛りになったメキシコの裏を突き、幾度となく単身で逆襲を仕掛ける。これがまた絶妙。巧みな位置取りでボールを受け、大杉山や松本のサポートを待たずに、強引な(しかし柔らかい)ドリブルで前進する。当然ながら、その前進が目的化していない。釜本の前進は、あくまでも己が得点する事を目的とした手段なのだ。そして、幾度となく単身逆襲速攻を成功しかける。僅かな幸運があれば、この試合は3点差になってもおかしくなかった。
改めてこの映像を堪能し、デッドマール・クラマー氏のバックアップを受けた長沼監督、岡野コーチの手腕に感心した。そして、その後の歴史も考えた。
これだけ質の高いサッカーを見せながら、メキシコ五輪後日本サッカーは長い期間アジアでもほとんど勝てなくなる。これは言い古された事だが、一部の代表選手のみを集中的に強化しなければならなかった事、当時まだ若かった釜本が病魔に倒れた事などが要因と言われる。しかし、このような優れた見本が、どうして直接円滑に後輩たちに伝授されなかったのか。
また、メキシコ五輪の中心選手の多くが、後に指導者となるが、残念ながら「よい指導者」と言われる存在にはなっていない。今は亡き森氏と渡辺氏、晩年の松本氏が例外なくらいか。クラマー氏と言う最高級の指導者の直接指導を、長期に渡り受けた名手達の多くが、何故「教える立場」で成功しなかったのか。
もっとも、考えてみれば、日本代表がアジアで思うように勝てなかったのは、せいぜい15年か20年程度。1968年のメキシコ銅メダルから1992年にアジアカップ制覇までは24年(85年のワールドカップ最終予選進出までは17年)。そして、そのアジアカップ制覇からもう21年以上経った事を考えれば、メキシコ五輪以降の停滞時期も、それほど気にする事はないのかもしれないが。
いずれにしれても、我々がカミカゼカマモトをスピアヘッドにした実に見事なチームを所有していた事を、この映像で再確認できた。実に誇らしい映像だった。
2014年01月02日
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「国家社会主義」だと、ベルリン五輪時代のドイツと一緒なので「社会主義国家」「共産主義国家」とでもしないと具合が悪いでしょう。