2014年07月12日

サッカー大国に羨望しつつ

 コロンビア戦、1対3にされた後、選手達の気持ちが折れたのが伝わってきた。悔しく、空しく、何とも絶望的な時間帯。熱狂する左右前後のコロンビアサポータ達。むなしく走り回る私の選手達。この4年間が、走馬灯のように頭の中を駆け巡る、ザッケローニ氏との冒険が終わろうとしている。その想いをあざ笑うような、ハメ・ロドリゲスの4点目。立ちすくむ私の選手達。40年来の戦い「今回こそ」はとの想いが消えていく。繰り返す。悔しく、空しく、何とも絶望的な時間帯。
 この無常観こそ、現地観戦の魅力。これだけの切歯扼腕が味わえるのだから、サッカーはやめられない。本当に現地に行ってよかった。

 しかしね。

 羨ましいのですよ。ブラジルの方々が。自分の目の黒いうちは、先般のブラジルの方々のような絶望感は味わえないだろうから。
 世界最高峰の選手を並べながら、焦りや不運が交錯し、なすすべもなく自壊していく自分のチーム。それも、ワールドカップの準決勝で。こんな絶望感を味わえるなんて。

 セレソンが序盤から前掛かりに出ていくのを見て悪い予感はした。ネイマール不在が、相当なプレッシャとなっていたのだろう。「少しでも多く好機を作りたい、先制点をとって楽になりたい。」そこのボタンのかけ違いが、無意味な前進を呼ぶ。そして、軽率なミスからの2失点。それでも、たった「2失点」だったのだ。慌てずにオスカールを中心に攻め返せばよかったのだ。でも、世界最高峰の選手達は「ネイマール不在で70分で、2点なんか取れない!」と思って、みんな切れちゃった。合掌。
 超一流選手が、ここまで追い込まれるなんて、ブラジル以外は考えられない。たとえイタリアでもドイツでも地元でワールドカップをやっても、ずっと冷静に優勝を狙う(そして、1990年と2006年それぞれ冷静に失敗した)。もしアルゼンチンが地元でやれば、今回のセレソンに近い精神状態になるかもしれないが、優勝回数5回と2回、1978年に1回は地元で成功している、等からもう少し落ち着いて戦うように思う。大体、セレソンはどんな敵地でやっても相当強いのだから、地元でない方が勝ちやすいかもしらんな。
 小学生の指導をしていると、このような試合を時々見る事がある。敵のエースに完全に崩されると、皆が棒立ちになり、敵エースに蹂躙され、数分間に大量失点してしまうのだ。いや、逆に当方のエースが敵をチンチンにしてしまう経験もあるけれど。ところが、世界最強国の精鋭が、日本の小学生サッカーと同じ隘路にはまるなんて。

 いや、これがサッカーの醍醐味だ。
 
 もっとも、あの後ドイツがおもしろがって猛攻で5対0にしてしまったのは、セレソンにもサポータにも、むしろ幸運だったと思う。あの絶望感をつごう1時間我慢させられれば、人間誰しも少しは冷静になれる。もし、「ネイマール不在で70分で、2点なんか取れない!」と切れる選手達が、前半を0対2で折り返していたとすれば、後半立て直して無理攻めに走ったはず。そうなれば、ドイツが冷静に逆襲を仕掛け、最終的には1対4くらいで惨敗した可能性がある。そうなると、興奮した状態で完敗を味わう事になり、別な意味でやり場のない怒りにさいなまれる事になったのではないか。

 3位決定戦。
 ブラジルもオランダも、明らかにやりたくない試合。それでも、ファン・ハール氏やファン・ペルシーには「俺はこんなどうでもよい試合はやりたくない」と言う自由がある。しかし、スコラリ氏やチアゴ・シルバには、そのような権利がないのがお気の毒。
 せめても。セレソンが、オスカーを中心に、重圧から解き放たれた美しいプレイを見せてくれる事を。

 決勝戦。
 86年、90年(当時は西ドイツだが)と同じ組み合わせとなった。この2つの決勝戦は、私が知るワールドカップの決勝では屈指のつまらなさだった。いずれも、敗れた国は決勝進出までで満身創痍状態でボロボロ、その抵抗振りは胸を打つものがあった。しかし、優勝国が圧倒的に戦闘能力で有利だったにもかかわらず、拙い試合運びで見かけだけ接戦になってしまった。サッカーの質、駆け引きの妙、ドラマ性いずれにも、乏しいつまらない試合だった。
 82年の決勝。優勝したイタリアが、(86年同様に)決勝進出までに力を使い果たしボロボロ状態だった西ドイツに対し、圧倒的な強さを見せつけて完勝した。この試合は一方的だったが、イタリアの速攻の質の高さ、完璧な守備、西ドイツの相応な抵抗、いずれも見事な試合だった。負けるチームがボロボロでも、勝つ方が凛としていれば、美しい試合になるのだ。同様に、94年の決勝。ブラジルとイタリアが高度な守備組織をぶつけ合い、PK戦にもつれ込むまで相互に隙を見せない緊迫感あふれる試合だった。0対0でも、実に美しい試合だった。それらに比べると、ドイツ対アルゼンチンの決勝となった、86年、90年の決勝は寂しい試合だった。
 そして今回。ドイツもアルゼンチンも苦戦を演じつつ、十二分の余力を残しての対戦となる。ドイツは90年大会を思わせるとてもよいチーム。加えて、90年とは異なり、エジルと言う創造性豊かなタレントを持つ。一方のアルゼンチン。メッシはマラドーナと比較されれば格段に落ちるが、マスケラーノがいる。アルゼンチンの守備を、ドイツが容易に破れるとは思えない。そして、ドイツが隙を見せれば、そこにメッシが登場する。
 よい試合を期待したい。
posted by 武藤文雄 at 23:04| Comment(7) | TrackBack(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
武藤文雄さん!
武藤さんがご推奨の『失敗の本質』が今ベストセラーらしいですよ(Amazonの情報による)。
やっぱり、サッカー日本代表がW杯で羨望の対象になったからですか?
Posted by 失敗の温室 at 2014年07月15日 21:05
>伸び伸びと近視眼で批判してます。

中田英寿、本田圭佑ほか、近視眼的に批判がタブ0那人もいるけどね。
Posted by at 2014年07月17日 22:27
全面賛成。ついでに言うと、俺達は「守る気になれば完璧に守れる」事は南アフリカで証明済だし。 @soccerugfilez: 「攻撃的サッカーで行こう!」と大胆に舵をきって、まだ4年だぜ。たった4年の1回ぐらいの失敗で何ブレた事言ってんだよ。原博実の選択、嗜好を俺は断固支持すんよ。

ディフェンスがおろそかでぶれてないって、誰かさんに振り回された結果なのに。ぶれまくってるじゃないか。
Posted by at 2014年07月19日 13:27
オシムジャパンから止まってしまった日本 アギーレに動かして欲しい!!
Posted by at 2014年07月25日 04:53
【2014年8月31日NHK「サンデースポーツ」サッカー特集について】

JFA幹部の原博美氏が『日本人の良さ』という言葉という言葉を何度も繰り返して発していたが、この言葉は、「人種主義」と「文化本質主義」の陥穽と危険性があるので、「日本(の)選手」と表現を改めるべきだと思う。
Posted by ジーコに日本代表を委ねた2002〜06は無駄でしかない at 2014年08月31日 22:27
いつまで羨望してるんですか!(笑)
早く新しい記事が読みたいです!
Posted by at 2014年09月02日 21:01
ふみお君、夏休みは終わりましたよ
宿題はきちんと提出しなさいね
Posted by あら at 2014年09月04日 13:39
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