Jは入学後、病気で手術を余儀なくされるなどの不運もあったが、2年になりFWで定位置を確保しかけた。しかし定着できず、登録メンバから外れたり、DFにコンバートされるもうまくいかず等、必死の奮闘を続けたと言う。そして、この夏過ぎにはワントップで定位置を確保した。
「Jの試合を観たい」と思い続けていたのだが、中々叶わなかった。ようやく、先週の高校選手権予選神奈川予選準決勝を観戦できた。Jは180cmを超える大柄な体躯、10から30mくらいの距離の疾走の抜群の速さを武器にしたストライカに成長。(小学校の時は今一歩だった)ヘディングも格段に向上していた。チームのやり方も、Jの動き出しを期待して、後方から長いボールを入れるのを狙いとしていた。ワントップのJは、ボールを奪われると敵DF、GKに執拗なチェーシング。Jが疾走を期待される距離は相当なものになる。チーム戦術は明確で、Jは持つところまで疾走を繰り返し、60分くらいで技巧派の控え選手と交代するやり方だった。
準決勝の相手は、戦前の予想ではチーム全体の技巧では上回ると言われていた。さらに悪い事に開始早々にCBの連係の拙さを突かれ、後方からのロングボール一本で敵FWに抜け出され先制を許す。しかし、チームはその後結束し、Jへのロングボールを軸に、試合を「荒れ場」に持ち込む事に成功、互角の展開となる。そして、セットプレイからCBがヘディングで同点とし、さらに敵GKのミスを突いたJの得点で逆転。その後もセットプレイを活かし、同点弾を決めたCBが頭だけでハットトリックを演じ、4対2で快勝した。
そして迎えた今日の決勝戦、三ツ沢競技場。
何があっても勝ちたい、負けたくない両チーム。見ていても重苦しい試合は、どうしても蹴り合いとなる。ギクシャクした試合となったが、20分過ぎCKから準決勝ハットトリック男がまた強烈なヘディングを決めて先制に成功した。先制し一層チームが慎重に後方に引き、強引過ぎるロングボールを多用するために、Jは準決勝ほどは活躍できなかった。
後半に入り、技巧的な選手を右サイドに集中させ崩しを狙ってくる敵に対し、引き過ぎのチームは苦戦する。たまらずベンチはJに代えて技巧的なFWを起用してキープ時間を増やそうとする。両軍の若者達の身体を張った死闘。試合はいつしか、完全な肉弾戦となり、足をつりながら戦う選手が続出する。終盤のCK時に敵はGKまでも上げて同点を狙ってくるが、当方も身体を張って対抗。「技術的見地からいかがか」と言う評価もあろうが、「戦い」と言う意味では我々サポータを最も熱狂させる試合。そして、主審は長い長い4分のアディショナルタイムの後、タイムアップの笛を吹いてくれた。
1対0。Jとその仲間たちは、全国大会出場権を獲得した。
教え子が全国大会に出てくれるなんて。夢の世界だ。
バックスタンドに挨拶に来たJに向けて、サッカー少年団の酔っ払いコーチ仲間達が「J、ようやったああ!」と絶叫する。私たちに気が付いてくれたJは、両腕を上げ満面の笑顔を返してくれた。両眼が熱くなる。
6年の歳月を経て、再びJは私たちに最高級の歓喜を提供してくれたのである。
三ツ沢競技場のバックスタンドにはたくさんの知己がいた。
Jの小学校時代からの同級生たち、その父親、母親たち、小学校の先生たち、もちろんKもいた。そして私たち酔っ払いコーチたち、いや私の妻までがサポータとして参戦し、この歓喜のお相伴を預かった。
才能に恵まれ努力を惜しまない優秀な1人の若者が、ここまでたくさんの人々に幸せを提供してくれる。
Jをここまで育てて下さった日大藤沢高校の指導陣の方々、Jを育んだご家族、Jのチームメートたち、そして何より日大藤沢高校の13番のJ、前田マイケル純に、最大限の感謝の言葉を捧げたい。
おめでとうございます。そして、ありがとうございます。
私も数年前、少年時代に遊んでもらった選手が月まで走るチームで国立のピッチに立ついう、とんでもない経験をさせていただきました。また、少年たちが進む中学校の外部コーチとして、都道府県の決勝をベンチから楽しむこともできました。
サッカーと出会い、底辺を歩いて50年近くになりますが、長くやっていると神様もたまにはこちらを見てもらえるようですね。
少しでも長く(できれば最後まで)J君とその仲間たちが楽しめるよう検討を祈ります。