2015年07月02日

サッカーの母国の歴史的悲劇

 何歳になっても、何試合経験しても、サッカーの奥深さは尽きない。新たな感動と発見を体験させてくれた両国の選手達に感謝の意を表するしかない。
 講釈の垂れようがない結末だった事は確かだ。また日本の選手達、関係者の方々のきめ細かな努力が歓喜を生んだのも間違いない。しかし、ここは敢えて、あの場面およびその直前について執拗に語る事が、自分なりのローラ・バセットへの最大級の敬意ではないかと考えた。

 そもそも。サッカーの言語において、この自殺点は「ミス」と語るべきではないだろう。バセットがボールに触れなければ、至近距離から大儀見がシュートを放つ事ができたのだ。悲劇は悲劇だったが、バセットはボールに触るしかなかったし、川澄のクロスを誉めるしかない。あのような位置関係で、川澄があのボールを入れた時点で、バセットがやれる事は限られており、バセットは的確にそれを行った。それだけの事だ。これは「ミス」ではない。あのような選手の配置関係を作り出し、川澄がタイミングと精度が適切なボールを入れた瞬間に、日本はバセットの悲劇の準備をすべて終えていたと言う事だ。
 もちろん、細かな事を言えば、いくらでも指摘できる事はある。極力自殺点となるリスクを下げるために、ボールを浮かしたり外に出すために、足首のスナップを使えばよかったとか。直前の大儀見との位置取りの駆け引きを工夫すればよかったとか。しかし、そんな詳細まで語り始めたら、サッカーの論評は成立しない。むしろ、バセットは工夫してクリアを浮かそうとしたからこそ、ボールはネットを揺らさずバーを叩いたのかもしれない。いずれにしても、バセットが何か判断を誤った訳でも、技術的な失敗をした訳でもない。オランダ戦の終盤の海堀のプレイとは異なるのだ。
 
 だから、あの自殺点は「ミス」ではない。

 一方、これはイングランドにとっても「悲劇」ではあったが、決して「不運」ではない。日本は能動的にあの状況を作り、日本の攻撃がイングランドの守備を上回ったから、得点となったのだ。イングランドは日本に得点を奪われる状況を作ってしまったのだ。それを「不運」と呼ぶのは、すばらしい戦いを演じたイングランドに対しても失礼と言うものだろう。
 ただし、日本にとっては「幸運」だった。なぜならば、サッカーで最も厄介な「シュート」と言う要素を自ら行う事なく、得点となったからだ。

 さらに、この場面を作り上げたのが、我らが主将の宮間の明らかな「ミス」だった。
 直前の場面を思い起こそう。イングランドが攻め込みを日本DFがはね返し、宮間はほとんどフリーでボールを持ち出す。「よし、速攻につなげられる。」と思った瞬間、信じ難い事に、宮間がボールを大きく出し過ぎ、敵MFにカットされてしまった。速攻をしようとした日本としては恐ろしい瞬間(逆速攻を受けるリスクがあった)だったが、イングランドもボール扱いに手間取り、そこから速攻をされ直す事はなかった。そして、紆余曲折の末、日本DFがほぼフリーでターンできる状態の川澄にボールを出す事になる。
 敵にボールを奪われ速攻を許しそうな場面が訪れた直後に、逆にボールを奪えると、自軍がよりよく速攻を狙える可能性が高い。宮間のミスの瞬間のイングランドは正にそのような状況を迎えていた。ところが、そこでボールを確保し切れなかった。結果として、イングランドの後方の選手の意識にズレが生まれ、結果川澄の持ち出しにつながった。
 その意識のズレそのものは、イングランドのチーム全体の「ミス」だったが、防ぐ事が非常に難しい「ミス」だったのは言うまでもない。あの終盤の難しい時間帯に、確実なマイボールを確認するまで安全をとるか(安全をとり過ぎると、逆にラインが間延びするリスクともなり得る)、勝負どころと見て前進するか(あの時間帯に上がり過ぎるのは非常に危険でもある)、11人全員が極めて高級な判断を余儀なくされる状況だったから。そして、その難しい状況の起因となったのが、日本の大黒柱のずっと単純な「ミス」からだったのだから、サッカーの無常さを感じずにはいられない。

 この「悲劇」は、長らくイングランドの方々に歴史的悲劇として、語り継がれる事だろう。そのような試合をサッカーの母国と戦う事ができた事を、誇りに思う。 
posted by 武藤文雄 at 23:34| Comment(5) | TrackBack(0) | 女子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
後半は宮間に限らず、みんなパスミス、トラップミスが多かったですね。
疲労のせいですよね。前回W杯より一試合多いですし、真夏みたいに暑い時間帯のキックオフでしたし。
彼女たちの身体は限界かもしれません。なすすべなく敗れたとしても拍手を送りたいと思います。
Posted by むさきち at 2015年07月03日 00:01
よい文章をありがとうございました。
あのシーン、宮間のパスミスは、
本大会でほとんどミスがなかった宮間だったからこそ、
イングランドも追い付き遅れたのかなーと思っていました
イングランドも最後まで「イングランド」として戦い
地味だけど好ゲームでしたね
Posted by マリ at 2015年07月03日 00:14
講釈いつも拝読してます。
この試合には特に注目していて、英国米国の報道もいろいろ見てみました。現地報道を読んでみて驚いたのは、サッカー母国(英国)や女子サッカー大国(米国)とは思えないレベルの低さでした。
この試合、イングランド最大の戦犯は間違いなくサンプソン監督自身です。ひとり足が吊ったとはいえスコア1-1の状況で90分内の勝ちを焦り、80分で選手交代を使いきってしまいました。
あのまま延長にもつれ込んでいても交代枠を2人残している日本がほぼ勝ったと思いますが、英国米国ともに、このことに言及したものは私が見た限り皆無でした。
ATに起こった「バセットの悲劇」によって、延長で露わになっていたはずの監督の失策が覆い隠されてしまったのです。サンプソン監督が試合後会見でバセットの話ばかりをことさら強調したのも、自らの失策を誤魔化そうとする演技も入っていたのではないかと勘ぐってしまうほどです。
しかし、特に英国メディアは無様にもこうしたムードにすっかり呑まれて「不運」「悲劇」を繰り返すばかり。米国は米国で、FOXでは米国の女子代表OBが「イングランドのが圧倒していた試合なのに不運」と論評していたのも、日本人から見ると、何やらアングロサクソン国家同士の薄気味悪い心情的な連帯感を感じさせました。

正直、この試合まわりの論評を見て、イングランドのサッカーが長らく低迷している理由まで分かってしまった気がします。高級紙からデイリー・メイルのような大衆紙に至るまで、自らの失策は棚に上げて自己憐憫と言い訳に終始するブザマな論評ばかり。
そして、それに釣られる米国を始めとする世界の報道を見て、なるほど日本が決勝まで行けたのには理由があると確信しました。
なでしこは今後世代交代まったなしで黄金時代は終わり、これから数年は若手起用の苦しみを味あうと思いますが、海外メディアの報道の質の貧困ぶりを目にするにつけ、日本女子サッカーが今までに積み重ねてきた資産がいかに大きかったのか痛感しました。
これならば、黄金時代が終わっても、日本は少なくとも女子サッカーでは世界トップを争う立場に居続けられる。そうした確信を持てただけでも今大会は想像以上に自分にとって収穫でした。
長文失礼しました。
Posted by at 2015年07月03日 07:56
あのオウンゴールをみて、南アフリカW杯前にあったイングランド戦の闘莉王の豪快なダイビングヘッド(オウンゴール)を思い出しました
バセットのオウンゴールは、闘莉王のダイビングヘッドの、ちょっとした意趣返しということで…

それはともかく、川澄にボールが出てクロスを入れた時点で、あのオウンゴールは決定的なものだったと、私も思います

周囲のサッカーをよく知らない人の中に「あんなゴールで勝ってもなあ…」といくらか揶揄気味に語る方がいらっしゃったので、上記のような武藤さんが講釈された内容のことを説明したら、割と納得がいった様子でした

(闘莉王のダイビングヘッドも含めて)こういうサッカーの奥深さ、というか、そういう面白さみたいなのが、もっと普通の人にも伝わるといいなあ、と思いました
Posted by ロベウト・バッソ at 2015年07月04日 01:02
3番目の方のコメントが面白いですね。勉強になりました。
日本人指揮官は結果を運で片付けない方が多いので、その点は海外の監督と違う点かなと思います。
ただ、ドーハを悲劇で片付けてしまった日本も含め、万国共通でマスコミはこんなもんかな?とも思いました。
ともあれ、この試合がイングランド女子サッカー普及のきっかけになったとすれば、また厄介な事になるなと思いましたw
Posted by 大安 at 2015年07月04日 10:29
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