1997年06月01日

代表チーム強化とJリーグ

97年6月に「サッカーマニア」に書いたものです。開幕後4年目のJリーグについて書いたものです。

(2007年5月18日)

1. はじめに

本稿では、代表チームの強化とJリーグの関連と言う観点から、いつか(できれば私が生きているうちに...無理なことはわかってはいるが)日本がワールドカップに優勝するために、Jリーグがどうあるべきかについて主観を述べる。

2.Jリーグの問題点
国内リーグの活性と代表チーム強化という古典的問題

 冒頭で論じておきたいが、短期的には(あくまでも短期的だが)代表の強化とリーグ戦の活性は相反する。これは日本に限った問題ではない。いずれの国でも、代表チームの監督は限られた時間で選手を集め、まとめ、戦い、勝利を要求される。フィジカルコンディション、コンビネーションなど何を取っても少しでも時間が欲しい筈だ。一方で国内リーグの充実は、代表チームの監督から時間を奪う。そして、何より大事な選手を奪っていく。
既に歴史となった93年のハンスオフトと柱谷たちの冒険を思い起こして見よう。週2試合延長戦付きと言う世界でも類を見ない狂的な日程、バブル人気絶頂でどんな凡試合でも満員、観衆は熱狂してくれる異様な雰囲気の中、代表選手たちはJリーグで奮闘を続けた。そして、闘将柱谷は(ドーハ決戦直前に奇跡的復活を遂げたもからよかったものの)病に倒れ、職人都並の怪我は遂に直らなかった。また前記2名ほど話題にならなかったが、ある意味でチームのエースと言っても過言ではなかった福田も1次予選で崩した体調を引きずりながら、当時弱小(ながら人気最高の)レッズと共に苦渋の戦いを続け、遂に体調を整えることなくドーハでは半年前までの輝きを見せることができなかった。アジア最強を誇ったオフトのチームは、Jリーグによりその主要メンバーを奪われたのである。(それでもドーハの日本の戦闘能力は最高だったけれども)。
 歴史は繰返す。4年前同様、おそらく秋の2次予選には誰かが欠けてしまっているだろう。欠けたメンバーの中に井原、カズ、本田、名波、中田、川口の6人が入っていないことを望むだけである(このリストに前園がいないことに寂しさを感じるのは私だけだろうか)。
 繰り返すが、短期的には、どの国でもリーグ戦が盛り上がるほど、代表強化にはマイナスになる。特にJリーグは、いくつかの冠大会を含めて試合数が多く、かつ延長Vゴール方式の採用と、世界で最も厳しいスケジュールと言っても過言ではない。ある一面ではJリーグは(今までもそうであったし今後も)確実に代表チーム強化の阻害要因となっていくことだろう。と、ここまで論じると、私はあたかもJリーグに否定的な考えを持っていると思われるかもしれない。それに関しては、待っていただきたい、本稿末で私の考えを改めて述べたい。

3.日本サッカー界のレベル向上への貢献
技術的なJリーグ効果

3. 1.底辺の向上
 ややあいまいな論調で前節を終えたが、本節では逆にJリーグが明確に代表強化に直結してきたことを述べる。
本誌でも再三強調してきたように、今我々はアジアで最高に近い戦闘能力を持った代表チームを所有している。もちろんフィジカル面を加えた単純な1対1で相手を抜き去る能力や空中戦での力強さは、サウジ、イラン、韓国などに一歩劣る面があるかもしれない。しかし、サッカーの能力はそのような外面ですぐわかる事では決定されない。もし、それで決まってしまうならば、ワールドカップの決勝戦はいつでもオランダ対ナイジェリアになってしまう。少なくともアジアにおいて、ボールをキープし、つなぎ、相手を揺さぶり、速いパスをまわすことに関して、もはや日本が最高峰である。そして、サッカーの世界においては、(日本が他のアジア諸国と比較して優れている)後者の能力の方が格段に重要な能力なのである。
10年前には、最終ラインで粘りに粘って守りを固め、木村和司のカウンタに期待するしかなかったこの国に、さらに20年前にはオープン攻撃と称して、コーナーフラッグ目掛けてボールを蹴り出すことが、トップレベルにおいてすらも賞賛されていたこの国に、一体何が起こったのだろうか。そして、どうしてここまで短期間にアジア内での格が上がってきたのだろうか。
一部のマスコミにおいては、この格段のレベル向上を単純にJリーグ効果と呼ぶ傾向があるが、それはあまりに短絡的である。ここまでのレベル向上の直接要因は底辺の拡大に他ならない。底辺が拡大し、個人能力の高い人材が育ってくれば、毎週国内で行われているトップレベルのリーグ戦のレベルが上がり、その国の代表チームのレベルが上がるのは、ある意味で至極当然である。メキシコ五輪以降約30年の年月をかけて、日本はここまでレベルを上げることができたのである。日本のサッカーのレベル向上は、日本中のサッカー関係者の血の滲むような努力により底辺が大幅に拡大したためである。決して、ローマは一日にして成らない。
その成果もあり、80年代には日本のトップ選手の個人能力は、アジアの強国とそれほど遜色ないところにまで上がっていた。事実80年代半ばより代表チームも韓国や中東勢にそこそこの勝負をできるようになっていたし、一方で単独チームはしばしばアジアのタイトルを取得していた。そして、90年代初頭の日本リーグは、(観客数を除けば)十分に内容も高いサッカーを見せてくれるようになっていた。私はJリーグ開始前に疑問を持った。
 「敢えて日本リーグを解散して、新しいリーグを作る意味があるのだろうか(既にほとんどの選手はプロ契約に近い状態だった)、決して日本のサッカーのレベルは低くない。今の日本リーグを発展させていけばよいのではなかろうか。」
しかし、私は間違っていた。少なくとも、以下述べる何点かの側面で、Jリーグを始めることで日本サッカーはさらに向上を遂げ、遂にはアジアのトップレベルに到達することができたと見ている。やはり、「Jリーグ効果」はあったのである。

3. 2.真のプロフェッショナリズムの導入
まずJリーグにより、ジーコを始めとして指導者、選手を問わず、本当のトッププロが来日するようになった。本気で勝利を目指すとはどのようなことかを、日本の選手たちは目の当たりにすることができるようになったのだ。
世界のトップレベルが、いかに節制し、駆け引きを行い、勝利を目指すか。その実践者が目の前にいれば話は早い。つい最近まで、日本のトップレベルには、大酒を食らい、煙草を嗜む選手が何人かいたと言う。ボール扱いなり肉体能力は評価できても、戦術的判断力が全くないとしか思えない選手もいた。Jリーグ開幕後、わずか数年でこれらの事態は飛躍的に改善された。加えて、欧州、南米からフィジカルフィットネスの強化を科学的に行う手法も大量に導入された。Jリーグ開始による、真のプロフェッショナリズムの導入により、日本のトップレベルプレイヤ達は一気に一皮剥けることに成功したのである。
 さらに、これらのプロフェッショナリズムは、高校サッカーなりJユースなりの若年層の強化にも多大な影響を与えることに成功しているように思える。Jリーグ開始後、年を経るごとに10代でリーグでプレイする選手が増えているのは、プロフェッショナリズムが若年層に浸透してきていることの現れと見る(ただし「若さ」の勢いでリーグに登場した後で、定着することが本当に難しいのだが、これについては別な機会に詳しく触れたいと思っている)。例えば柳沢なり山口智なりを見ていると、彼らは高校時代から「俺はプロになりサッカーで食っていくのだ」という意識を持って、トレーニングし普段の生活を律していると言う雰囲気を漂わせている。彼らには目に見える明確な目標があるからではないのか。そして、その目標とはジーコなりジョルジーニョなりドウンガなりブッフバルドなり、そしてカズなり井原なのである。

3. 3.若年プレイヤのトップリーグ進出
Jリーグ開始以降、ユース(高校)のトップレベルの選手が大学に行かず、そのままJリーグ入りするのが当然となった。
つい最近までユースのトップレベルのプレイヤの多くが大学に移籍(サッカー用語では「進学」より「移籍」が適切と思われる)していた。言い換えると、日本サッカー界のエリートの多くが、10代後半から20代前半の伸び盛りの時期に、トップリーグでプレイしていなかった。そして、多くの逸材がトップリーグで経験を積むことができず、その素材を伸ばせなかった。加藤久、木村、堀池、井原などのように大学チーム在籍中から、代表のレギュラーを獲得する選手もいたが、彼らは素材から言って別格と言ってよいだろう。
この問題は、70年代半ばから、日本代表強化の抜本問題として、サッカー関係者ならば誰もが知っていることだった。しかし、そう言われながら、相変わらずユースクラスのトッププレイヤは、次々に大学チームを選択していた。
その理由と事情は、選手それぞれで異なっていただろうが、一点重要な問題が横たわっていたことを無視はできない。それは各選手の将来に渡る経済的事情である。日本リーグは80年代後半からようやくプロ契約が認められたが、選手の収入は現在のJリーグ選手とは比べようのない程の少額だった。その金額は、10代後半の若者に対して、プロスポーツ選手として将来を戦う決心をつけさせるにはあまりに小さかった。一方で、著名な大学からは推薦入学、学費免除で誘いが来ており、4年間何とか努力すれば、学校の教員免許を取得する付録まで付いていた。運動能力を誇る若者たちにとって、この国では体育教諭と言う職業は(将来への安定を含めて)、非常に魅力的であり、しかも彼らの進路を助言する立場の高校チームの監督たちも同様のキャリアを持っていた。
多くの若者たちが大学への道を選ぶのは当然だったのである。Jリーグは、その経済的魅力で、その問題を一瞬のうちに断ち切ってしまったのである。
 
5年目を迎えたJリーグは、観客動員問題が死活問題になりつつある。マスコミは、単純に「選手の給料が高すぎる」と論じている。私も一部の選手に関してはそう思う。しかし、多くの人が横並びで数万ドルの年収を獲得できるこの国において、多くの大衆に支持されるプロスポーツ選手であるJリーガの給料が高すぎると本当に言えるのだろうか。決して単純には結論できない問題だと思う。ただ、はっきり言えることは、プロで実績のほとんどない選手にもそれなりの収入を約束しないと、再びユースのトッププレイヤがトップリーグに進まないと言う悩ましい問題が発生しないとは限らないと言うことだ。この問題に関しては、別途触れる機会もあろうが、繰り返すが「選手の給料は高すぎる」と単純には議論しない方がよい。

4.選手たちが国民的英雄に
本当のJリーグ効果

しかし、Jリーグが本当の意味で、日本代表の強化につながるのは上述した2つの技術的側面ではなく、もっと精神的な側面であると思う。
日本で最も盛んなスポーツが野球であることは言うまでもなかろうが、この国における野球とサッカーの人気の違いは、何よりその歴史の積み上げにあるのではないか。多くの国民が、「神様仏様稲尾様の日本選手権大逆転」、「長島の天覧試合サヨナラホームラン」、「江夏のオールスター連続9三振」などの名場面を覚えている。これらの名場面は、物心つく前の事件でも、両親なり年長者なり雑誌なりから、情報を入手することは容易であり、国民の一般教養レベルになっている。
 一方、よほどの物好き(おそらく本誌の関係者は皆物好きだろうが)でなければ、「85年10月26日の木村のFK」は覚えていないだろう。Jリーグ前の日本サッカーなど、一般国民から見ればその程度のものだったのである。先日のハンドボール世界選手権、フランス戦の信じ難い敗戦は、まさに感動(と取るか間抜けと取るかは人それぞれだろうが)的名場面だったが、一般国民は誰ももう覚えていない。あの名場面より、犠牲フライすらまともに打てない4番打者に数億円の年収を支払う野球チームの方が、この国の一般国民にとってよほど興味の対象となる。
しかし、93年のあの「ドーハの悲劇」は違った。カズたちは国民的英雄だった。多くの国民が夜なべしてサッカーを楽しんだ、勝てばうれしい、負けたらくやしい。日本代表チームは、あの年初めて全国民注視の中で戦ったのである。そして、深夜全国民の眼前で(私たち物好きにとってさえも)未曾有の名場面が展開された。
 将来、(サウジや韓国でなく)ブラジルやイタリアと戦うためには、たとえ、何十年、何百年かかろうとも、この全国民的支援が積み重なる必要がある。(再び余談、オリンピックでトッププロが出場する野球を見てみたいと思うのは私だけだろうか。決勝戦、ありとあらゆる策謀で日本が米国を破って金メダルを取ったりしたときの熱狂たるや...)。

 冒頭で、93年の敗因はJリーグの過密日程に一因があると論じた。もし、あの年にJリーグが始まらなければ、米国へ行けた可能性はもっと高かったと今でも私は思う。
視聴率50%で負けるのと、視聴率1%(Jリーグが始まってなければ生中継なしだったかもしれない)で勝つのとどちらを選ぶかとなると、4年前の私だったら絶対後者と言っていたと思う。やはり、ワールドカップで日の丸を振りたかった。
 しかし、私もこの4年間で成長した(実はドーハからの帰りの飛行機で考えが変わったのだが)。将来ワールドカップで優勝すると言う観点からならば、絶対前者の方がよかったのである。全国民にあの日のあの瞬間は焼き付いたのである。
 と言うことで、改めて感謝の言葉を捧げて、この小文の結びとしたい。

「川淵さん、博報堂さん、ありがとう。」
posted by 武藤文雄 at 23:50| Comment(1) | TrackBack(0) | 旧作 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>日本で最も盛んなスポーツが野球であることは言うまでもなかろうが、この国における野球とサッカーの人気の違いは、何よりその歴史の積み上げにあるのではないか。

この10年における最大の変化は、この部分かも知れませんね。ワールドカップの地元開催と3度の出場の効果は絶大だと痛感することが多いです。
Posted by 念仏の鉄 at 2007年05月20日 09:21
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