そして、両国の「サッカー力」のものすごさを存分に堪能することができた。すごかった。
ここまでの欧州選手権の試合を観ていると、前線からの激しいプレスと、最終ラインの強さに、改めて感心してきた。もちろん、欧州チャンピオンズリーグでも、各国のトップリーグでも、そう言ったことは愉しむことができるし、日本代表やJリーグとの比較を検討できる。
しかし、今回の欧州選手権は、本大会出場国が24と拡大されたこともあり、ウェールズ、アイスランドなど、必ずしも戦闘能力が揃わない国がいくつも登場している。それらの国が、持ち味の強さに組織を加えて強国に抵抗するのが、今大会の特徴。そのような展開では、いわゆる強国が激しいプレッシャのために、蹴り合いに巻き込まれせわしない試合を余儀なくされていた。ベルギーがウェールズに蹴散らかされたのがその典型。フランスがエールに先制されたときも、焦りもあったのだろうが、完全な蹴り合いに巻き込まれていた。
考えてみると、先日我が日本代表が、ボスニアヘルツェゴビナにやられた試合もそうだった。ボスニアの忠実で激しい当たりに、我を忘れ蹴り合いに巻き込まれて、苦杯を喫したのは記憶に新しい。
ところが、さすがドイツでした。
イタリアの、ピッチ上全域の壮絶なプレスを、ドイツはかわすのだ。いや、かわすだけでない。最後尾のノイアーとボアティンクを起点に、組み立てるのだ。また、絶対に慌てて無駄な縦パスに逃げない。丁寧に回しながら(イタリアの猛プレスをかわしながら)、クロースは必死にエジルがフリーとなるのを探す。70年代、「西ドイツだけは技巧は南米勢に対抗できる」と言われた時代(つまりベッケンバウアーの時代)から40年。ドイツは改めて世界最高峰の技巧(と判断力を誇る強国となったのだ。いや、その途中でも世界屈指の強国だったし、世界一や欧州一を、複数回獲得していたけれども。
イタリアもイタリアだった。
ドイツに対し、知的でよく訓練されて厳しいプレスをかける。それでもドイツはかわして組立てくる。イタリアは、そこをまた粘り強く几帳面につぶし直す。そして、ボールを奪うや、毅然として速攻をしかける。速攻できないならば、落ち着いてつないでいく。無謀な攻撃を仕掛けて、ドイツにボールを渡すような愚行はおかさない。
今回のイタリアはリーバやロッシやバッジョのような、単身で逆襲速攻を担えるタレントはいなかった。そのために、中々攻めの形は作れなかったが、それでも攻めるときの「行ききる姿勢」は格段で、ドイツも再三肝を冷やす。せめて、デルピエロやトッティ程度のタレントがいれば、状況は随分と好転したのだろうが。
両軍とも、厳しいプレスで、敵ゴールに近いところでの刈り取りを行い、いわゆるショートカウンタを狙うのは当然のこと。そして、お互い再三その狙いどおりにボールを奪うことには成功した。しかし、そのように「悪い場所」で奪われても、両軍の切り替えがまた早い。崩される前に、奪った選手を囲み、危機を作らない。
的確に強化され、組織化された両国は、やはり他国とは異なる格段の「何か」を持っていると言うことなのだろう。
考えてみると、過去40年を振り返ってみると、両国がここまで充実した戦闘能力を具備して、トップレベルの戦いを演じた試合は記憶がない。どちらかがよいときは、どちらかが冴えない歴史が続いていたように思える。すみません、あの1970年の延長4対3の折は、私はまだ小学生。明確な記憶がないのですが。
もっとも、今回のイタリアは戦闘能力が揃わず、大会前の評価は低かった。評価が低いときのイタリアは強いという伝統はあるな。
いずれにしても。
過去約20年で、我々は世界のトップに近づいた。過去考えられないほど、近づいた。しかし、近づけば近づくほど、差が具体的に見えてきて、悩みも深くなってきている。
我々が考えるべきは、「ドイツやイタリアが、どのようにしてこのようなプレイができるのか。他の欧州列強との差は何なのか。」と言うことのように思える。ここで「ドイツとイタリア」を「ブラジルとアルゼンチン」に置き換えてもよいとは思うけれど。
彼らに追いつく事は容易ではない。いや、叶わないかもしれない。けれども、それを目指そうと考え、努力を重ねることほど、愉しいことはないではないか。
錯覚?と思って、思わず目をこすりました。
連休に遊びすぎて目が疲れてるのかも。早めに寝よう。