2016年12月31日

大魚を逸したアントラーズ

 後半半ばに、クリスチャン・ロナウドのドリブル突破を、昌子が冷静な対応で止めたとき、「これは、もしかしたら」と思い始めた。そして、アディショナルタイム、左サイドからのクロスが裏に抜け、遠藤がフリーでシュートした瞬間。もしかしたら、あれは「私達日本人が世界一に最も近づいた」と後世に語られる瞬間だったのかもしれない。もちろん、そうならないことを望んではいるのだが。
 いや待て。俺たちはもう世界一の経験があるのだったっけな。

 アントラーズの奮闘は、単にアジアのクラブ、日本のクラブが決勝に進出し、欧州のトップクラブをあと一歩まで追い込んだことに止まらない。
 ビッグゲームで、延長戦となり、歴史的なスーパースタアが圧倒的な個人能力を見せて勝負を決める決勝戦など、そう滅多にお目にかかれるものではないのだ。クリスチャン・ロナウドの3点目は、まだ植田が昌子に合わせてラインをそろえられなかったと言う守備側のミスもあった。けれども、4点目はあり得ない、味方のシュートが偶然に自分の前に飛んできて、それをとっさに完璧な場所にトラップし、落ち着いてシュートを決めるなんて。この選手のストライカとしての能力は一体どう考えたらよいのだろうか。クリスチャン・ロナウドは、いわゆるストライカとして、ゲルト・ミュラー、ファン・バステン、ロナウド(ブラジルのね)の域に達する名手に至ったと、考えるべきだろう。そして、その名手に延長でやられる経験が味わえるなんて。

 クラブワールドカップで日本勢が準決勝まで進んだのは5回目となる。。
 07年、レッズがミランに0対1、よく守り、ワシントンを軸に逆襲を成功させかけた場面もあったが、きっちりと0対1でやられた試合。戦闘能力差は明らかだったが、最後まで1点差で戦い抜いたのは見事だった。サッカーと言う競技は、とにかく1点差でとどめておけば、何が起こるかわからないのだから。ただ、この時のレッズは負傷でポンテと田中達也を欠いており、さらにACLを含めたシーズン終盤の過密日程でボロボロだった。もう少しよいコンディションで戦えばもっと健闘できた可能性もあったと思う。
 08年、ガンバがユナイテッドに3対5、終盤攻め合いとなり、遠藤を起点とした攻撃でユナイテッドから複数点をとったこともあり検討した雰囲気もあった。けれども、前半ギグスのCKからヴィディッチとクリスティアン・ロナウドに決められ、2点差とされてしまったので、勝負と言う意味ではどうしようもなかった。ただ、この年のガンバも、ACL制覇を含めた過密日程で、二川や佐々木も使えず、ボロボロだった。
 11年、レイソルはJリーグチャンピオンとして地元枠での登場。苦戦しながらも準決勝に進出したものの、準決勝の相手サントスには、ネイマールと言う化物がいた。1対3の完敗。化物の存在が、いかにサッカーにとって重要かを認識する試合だった。
 そして昨年、サンフレッチェがリーベルプレートに0対1、互角の攻防でサンフレッチェにも好機があったものの、GK林のミスから失点(これはベガルタサポータからすると、「ああ、またやっちゃった!」と微妙な感動もあったのだが)。その後の20分間、しっかりとボールを回してきたリーベルに抵抗できなかったのが印象的だった。ちなみに、サンフレッチェは3位決定戦で広州恒大を破ったが、広州恒大の各選手の疲労振りが顕著だった。上記のレッズやガンバも同様だったが、ACLを制した直後のクラブが、このクラブワールドカップを戦うのは、日程的に非常に厳しい挑戦と言うことなのだろう。

 そして、アントラーズは、準決勝でナショナル・メデジンを振り切り、決勝でレアル・マドリードに最大限の抵抗を見せてくれた。

 ナシオナル・メデジンは非常に戦闘能力の高いチームだった。
 驚いたのはメデジンの攻撃的姿勢。よほどのスタア軍団だった場合を除き、南米のトップチームは「まず守ってくる」と言う先入観がくつがえされた。中盤で速いパスで左右に揺さぶり、短く低く強いパスをトップにぶつけ、FWがしっかりキープし起点を作り、そこから再三ペナルティエリア内に進出してくる。中盤でのパスコースは多彩、前線でのキープは格段で、アントラーズは幾度も好機を許した。
 一方で、攻撃に多くの選手をかけてくるので、一度アントラーズがボールを奪い、第一波のプレスをかわすのに成功すると、 中盤は薄い。その結果、結構アントラーズも好機を作ることに成功した。ただし、中盤は薄いが、最終ラインの強さと判断力は見事。アントラーズのラストパスをギリギリのところで押さえ込む。一度、後方から走り込んだ柴崎が鮮やかな技巧でDFラインの裏を突いたが、GKの見事な飛び出しに防がれた。
 勝負を分けたのは、ほんの少しアントラーズが幸運だったこと。全盛期の好調ぶりを思い出したかのような曽ヶ端と、大会に入り成長し続ける昌子を軸に、幸運も手伝って丹念に守り続けたアントラーズ。ビデオ判定によるPK奪取と、終盤攻め疲れたメデジンのプレスが甘くなったところでの速攻からの2発。
 繰り返すが相当幸運だったことは間違いない。特に前半終盤、後半半ば、メデジンがいわゆる強度を上げてきた時間帯は、アントラーズは最終ラインから持ち出すことができず、幾度も決定機を許してしまったのだから。また、現実的に戦闘能力差があったのは間違いないから、メデジンに厚く守備を引かれ、ロースコアで上回る試合を狙われたら、一層難しい試合になっていたことだろう。現に、ブラジルワールドカップでも、リオ五輪でも、そのようなスタイルのコロンビアの速攻にやられたのは記憶に新しい。おそらくメデジンは、決勝のレアル戦を見据え、90分で勝負をつけてしまう展開を狙ったのだろう。上記2試合の日本はどうしても勝ち点3が欲しかったが、アントラーズは我慢して120分勝負に持ち込む選択肢もあったところが違ったから。もちろん、メデジンが見て愉しい攻撃的サッカーを展開し、それで日本のチームの勝つ確率が高まったのだから、文句を言う筋合いはないのだが。

 そしてレアル・マドリード。
 欧州チャンピオンズカップ黎明期のディ・ステファノ、プスカシュ時代から、この純白の衣をまとう名門クラブは、各ポジションに絢爛豪華なタレントを並べ、他を圧するのを得意としている。そして、今回もクリスチャン・ロナウド、モドリッチ、セルヒオ・ラモスらがズラリ。過密日程の欧州トップクラブゆえ、各選手の体調は今一歩で、それがアントラーズの健闘につながったわけだが。
 このレアルに対し、なぜアントラーズがあそこまで健闘できたのか。答えは比較的簡単で、アントラーズにいくばくかの幸運が訪れれば、接戦になる程度の差しかなかったからだ。言い換えると、Jリーグのトップクラブの戦闘能力は、世界の超トップレベルとそのくらいの差だと言うことだ。上記で振り返った過去のクラブワールドカップの敗戦も、相応には接戦に持ち込んでいたの。また、ワールドカップでも、コンディション調整に失敗した06年と14年を除けば、98年のアルゼンチン戦や10年のオランダ戦で代表されるように、それなりの試合はできてきた。
 一方で、今回のアントラーズを含めて、毎回毎回近づけば近づくほど、その差が具体的に見えてきて、道が遠いことも痛感させられる。そして、その決定的な差とは、「スーパースタアの得点能力」と言う見も蓋もない結論になってしまうのだが。クリスチャン・ロナウドのようなスーパースタアを日本から輩出するにはどうしたらよういのか。これを語り出すとキリがない。
 ただ、今回のアントラーズは、レアルのような世界最強級クラブに対し、とにかくリードを奪ったこと、幸運ではなく能動的な崩しで2得点したことがすばらしかった。特に柴崎の2点目は、技巧で複数の敵選手を打ち破った見事なものだった。いわゆるインテンシティとかデュエルを発揮した一撃だったが、これらを支えるのは単なるフィジカルではなく、技巧そして的確な判断力であることを示してくれたも痛快だった。柴崎は日本のエリート選手で、代表にも選ばれるほどのタレントだが、欧州でのプレイ経験はない。そのような選手でも、あれだけのプレイができることが、Jリーグの充実を示している。少なくともこの日、柴崎はモドリッチより輝いたプレイを見せてくれた。果たして、柴崎は、どのような厳しい試合でもモドリッチのようなプレイができる選手に育ってくれるだろうか。
 柴崎だけではない。昌子のプレイは、ロシア五輪に向けた守備の中核となることを存分に期待させるものだったし、曽ヶ端と小笠原の両ベテランはさすがだったし、金崎、永木、西、山本、遠藤と言った中堅どころも試合ごとに成長を見せレアルの選手と対等近くわたりあった。
 そして、選手の能力を存分に引き出した石井監督の采配を評価しないわけにはいかない。石井氏は、Jリーグ終盤戦から、プレイオフそれに勝利のクラブワールドカップまで視野に入れ周到に準備をしたのだろう。さらに、プレイオフ以降の連戦を考慮し、ローテーション的な選手起用も見事だった。与えられた環境で最善の成績を目指すと言う監督の使命をほぼ完璧に果たしたのだ。そして、もし冒頭に述べたあの遠藤のシュートが入っていれば、「ほぼ」が必要ないところだったのだが。

 アントラーズ選手たちの、試合終了直後の大魚を逸した悔しさにあふれた表情は、すばらしかった。そう、彼らは大魚を逸したのだ。そして、このような機会をまた確保することの難しさを想像すると...


 余談を2つ。

 アントラーズには東北出身選手が多い。小笠原は岩手県出身、柴崎は青森県出身。そして遠藤は塩釜FC、宮城県出身だ。元々、アントラーズの前身の住友金属の中軸だった鈴木満(現GM)、80年代エースとして得点力あるウィングとして活躍した茂木一浩も宮城県出身だ(ちなみに、茂木は自分と同世代 で、高校時代散々痛い目にあったのです)。さらに、遠藤を育てた塩釜FCは、言うまでもなくあの加藤久が育ったクラブ。宮城県育ちの私としては、やはり嬉しい。

 ナシオナルメデジンが、トヨタカップで来日したのは89年。敵はACミラン、フランコ・バレーシ、アンチェロッティ、ドナドニ、若きマルディニと言ったイタリア代表選手に、ファン・バステン、ライカールトのオランダのトッププレイヤが加わった強力メンバだった。しかし、メデジンは知性あふれるCBエスコバル(故人、USAワールドカップ後に非業の死)、怪GKイギータを軸に、見事な守備を見せる。延長終盤まで0対0で進んだ試合は、ミランのエヴァニが直接FKを沈め決着。メデジンは惜敗した。長きに渡るトヨタカップでも、このメデジンの抵抗振りは歴史に残るもの。そのメデジンが、もしかしたら最後の日本開催となるクラブワールドカップに再臨し、日本のクラブと手合わせしたことの感慨は大きかった。
posted by 武藤文雄 at 12:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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