2016年12月31日

ヨハン・クライフと中村憲剛&大久保嘉人

 今年3月24日に、ヨハン・クライフが逝去。
 来年1月1日に、中村憲剛と大久保嘉人は、同じチームで最後の戦いに挑む。
 今年終盤の戯言として、クライフの偉業を懐かしみながら、本ブログ最後で上記2文を結合させます。

 今年も、世界サッカー界には、色々なことがあった。欧州選手権なりコパアメリカなど大きなタイトルマッチには興奮したし、チャンピオンズリーグ決勝でのマドリードダービーも中々だったし、五輪のネイマールの涙も感動的だったし、いや先日のクラブワールドカップ決勝も悔しかった。ビデオ判定やら、ワールドカップ本大会出場チーム数増など、怪しげな動きもあった。
 そんなこんな色々あった1年だったが、私にとって今年は、クライフが死んだ年として記憶することになる。とにかく、私の世代のサッカー狂にとって、クライフと言う選手は特別な存在なのだ。私が中学校2年生の時に行われた74年のワールドカップで、オランダ代表が見せたサッカーの美しさと、それを率いたクライフのリーダシップは格段のものだったから。これは純粋に年代的なもの、ある意味一番多感な中学生時代に、あこがれたスタアに対する思いは格段のものがある。私にとって、ちょっとペレは早すぎたし、マラドーナは同級生だ。
 クライフが肺ガンで状況が芳しくないとの情報は耳にしていたので、、ある程度覚悟はしていた。また、ちょうどその報せを聞いたのが、ワールドカップ予選のアフガニスタン戦直後、親しいサッカー仲間と一緒の時だったこともあり、様々なことを話すことで、気がまぎれた。帰宅して、深夜の複数のテレビスポーツニュースで流れたのはいくつかの名場面。74年ワールドカップ、決勝の開始早々のPK奪取、2次ラウンドブラジル戦のジャンプボレー、アルゼンチン戦のGKを抜き去るドリブルシュート、そして1次ラウンドスウェーデン戦のクライフターン。40年以上前になるが、これら4場面は今でも鮮明な記憶となっている。悲しい酒だった。

 言うまでもなく、クライフ氏が監督としても絶品だった。そして、監督としてのクライフ氏の評価は、いくつかビッグタイトルを取ったと言うことに止まらない。
 監督としてのクライフ氏の貢献は、第一に、クライフ氏が作り上げた攻撃的サッカーが実に見事だったことだ。判断力がよく技術の高い選手を集め、高速パスを回して敵を崩し切る。80年代以降、世界のトップレベルのサッカーの守備力は格段に向上した。これは、選手のフィジカルトレーニングが充実してきたこと、ビデオ素材などの充実で大柄な選手の育成術が発達したこと、戦術の進歩で(退行とも言うのかもしれないが)中盤を分厚くする守備方式が確立したことなどによるものだ。それでも、80年代はプラティニとかマラドーナとかファン・バステンなどのスーパースタアがいれば、それを突破することはできていた。けれども、90年や94年のワールドカップでは、分厚い中盤に加えて、後方をブロックで固める守備方式が登場し、いよいよ点をとるのが難しい状況となった。それに対する有力な回答の1つが、クライフ氏の「判断力がよく技術の高い選手による高速パス」だったのだ。
 2つ目の貢献は、バルセロナと言うクラブがまったく異なる存在となったことだ。このクライフイズム浸透以降のバルセロナは、常に判断と技巧に優れた高速パスで世界から尊敬される存在となり、幾度もスペイン制覇したのみならず欧州チャンピオンにもなり、00年代には複数回世界一となった。若い方には信じられないかもしれないが、バルセロナと言うクラブは、80年代までは、クライフやマラドーナのようなスーパースタアを高額で買ってきては、レアルやアトレティコのマドリード勢やバスクのクラブの後塵を拝する、まあそのような楽しいクラブだったのだ。大体、60年代から80年代にかけてバルセロナは、2回しかスペインリーグを制覇していなかったのだ(うち1回は選手クライフがいた73-74年シーズン)。
 そして、3番目の貢献、これはバルセロナのいわゆるクライフイズムが、スペイン代表にも広がり、とうとうこの国が欧州選手権はもちろん、ワールドカップまで制したことだ。90年代いや00年代前半までのスペイン代表チームは、レアル・マドリードなりバルセロナの高額スタアが揃い、大会前は「今回こそ優勝候補」と言われながら、本大会に入り勝負どころで確実に負ける存在だった。ワールドカップを制した2010年の決勝の相手が、クライフの母国オランダだったのは皮肉だったが。当時クライフ氏が、スペインを応援したのには笑わせていただいたが。

 ただ、考えてみると、最近のバルセロナやスペイン代表チームのプレイ振りが、クライフ全盛時のアヤックスやオランダ代表に似ているかと言うと、ちょっと違う。で、その最大の違いは、結局選手クライフがいない、と言うことに突き当たる。
 よく若い友人に「クライフって、どのような選手だったのだろうか、今で言うと誰に似ているのか」と問われることがある。
 クライフのプレイそのものの説明はそれほど難しくない。一応トップのポジションにいるがバックラインまで引いてきてプレイを開始する。周囲の味方とパスを回していて、隙を見つけると突然加速して、高速ドリブルを開始する。突破のドリブルは、左右の揺さ振りではなく、加減速を用いる。急加速もすばらしいが、急減速による攻撃の変化は非常に効果的。そして、敵のチェックが甘ければ、そのままペナルティエリアに進出する。あるいは、ドリブルした姿勢のまま、長短自在のパスを操る。時に、それは味方へのラストパスとなる。あるいは、そのパスを受けた味方が最前線にラストパスを入れる。そして、それに飛び込んで難易度の高い得点を決める。
 ただ、クライフにスタイルが似ている選手となると、中々難しい。フィニッシュも突破も組み立ても、すべてこなせるスタアはそうは存在しない。特に最近のサッカーは中盤のプレスが非常に厳しくなっているので、シャビやイニエスタやピルロやモドリッチのように中盤後方で組み立ての妙を見せるタレントと、メッシやクリスチャン・ロナウドやネイマールやベイルのように突破し点をとるタレントに分化する傾向がある。
 そうなると、ペレ、マラドーナまでさかのぼることになるが、この2人はゴール前の破壊力が凄すぎて、最前線での魅力が強すぎる。プラティニはややクライフに近いが、「緩」は絶妙だったが、「急」はクライフより落ちるか。まあ、肝心のところで、熱くなって我を忘れてしまい、西ドイツにやられるところは、この2人の共通点かもしれないが。
 話を戻すが、監督としてのクライフ氏は、自分のような万能型攻撃兵器の存在が難しい時代に合わせた美しい攻撃的サッカーを作り上げたと言うことなのではないだろうか。

 と言うことで、クライフを今の選手に喩えるのはとても難しいのだ。クライフの死後、そんなことを考えながら、Jリーグの試合を観ていた時に、ハッとひらめいたことがある。
 もし、中村憲剛と大久保嘉人のプレイを同じ1人の人間が演じることができたら、それがクライフではなかろうかと。憲剛による組み立ての妙、緩急の変化あふれる鮮やかなラストパス。大久保の強引で効果的な突破、そしてきめ細かな得点力。それらが総合されたタレント、クライフとはそのような選手だったのだ。
 
 クライフのような現人神はさておき、私たちは中村憲剛と大久保嘉人を所有している。いつもいつも語っているが、この2人がこの4年間同じクラブで戦うのを見ることができたのは、幸せな事だと思っている。この2人が絡む攻撃を見るのは本当に楽しかった。ベガルタ戦以外では。
 そして、明日は天皇杯決勝。アントラーズ対フロンターレ。中村憲剛と大久保嘉人が同じチームで戦う、おそらく最後の試合となる。そして、憲剛も大久保も輝かしい経歴を誇り、日本サッカー史で燦然と輝く経歴が語られるべきタレントだ。しかし、この2人はタイトルに恵まれた事はない。明日の決勝戦に向けて、2人の思いは格段なものだろう。
 私はフロンターレサポータでも何でもない。けれども、憲剛が最高の笑顔でカップを上げる姿は見てみたい。
posted by 武藤文雄 at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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