2017年02月19日

岡野俊一郎氏逝去

 岡野俊一郎氏が亡くなった。享年85歳。
 ここまで私たちを導いてくれて、我が国を世界屈指とまでは行かないけれど、相当なサッカー国に導いてくれた恩師。
 ご冥福をお祈りいたします。今まで本当にありがとうございました。

 岡野氏の貢献を簡単に振り返ってみる。

 メキシコ五輪銅メダル。
 コーチとしての長沼健監督の参謀としての活躍。釜本を代表する多くの選手が苦しみつつも感謝した言う、厳しい直接指導、特別コーチのクラマー氏の通訳、そして最大の成功要因と言われる周到なコンディショニング準備。
 長沼氏の後を継ぎ、代表監督に就任し、ミュンヘン五輪出場に失敗した以降、現場指揮をとることはなかったが、それはそれでちょっともったいない気がしてならない。

 著作や翻訳。
 今日と異なり、欧州のサッカー書籍を翻訳できる人はほとんどいなかった70〜80年代。トレーニングの方策に模索する私たちにとって、岡野氏の翻訳書籍は、最高の教材だった。
 サッカーマガジンやイレブンに記載された、岡野氏の観戦記、指導方法への提言、日本サッカーの構造的問題への啓示。これらにより、私たちのサッカー感が、いかに研ぎ澄まされたことか。
 例えば、メキシコ五輪直後に「日本サッカーのトップレベル選手の技術は低い、南米や欧州はもちろん、アジア諸国より劣っている」と明言したこと。確かに映像を見ればその通りだった。「だからこそ、小学校時代から子供達に技術を教えなければならない」と、岡野氏は強調した。氏の発言を受けて、70年代初頭より日本中のサッカー屋が少年指導に専心したのが、今日の栄華を生むことになった。

 テレビ解説。
 ダイヤモンドサッカーにおける、金子アナウンサとの、幾多の丁々発止。ご自身が直接観戦されたワールドカップの名勝負にしても、初見の欧州のリーグ戦、ごくたまに映される南米の映像。いずれも、その文化背景を補足する鮮やかな解発の数々。
 日本代表戦やJSLの幾多の辛口解説。「もう少し褒めた方が、盛り上がりませんか」との思いもあったけれど。ただ、岡野氏のリアルタイムのリアリズムあふれる解説は大好きだった。特に、攻め込んでいるチームが点を取り切れないと、「守備のリズムが出て来ている。これは、押し込まれているチームのペースだ」と言うコメント通りになる展開。このような、試合の流れの説明は本当に勉強になった。

 幾度か、直接話をうかがう機会を得た。
 下心ばかりの凡人である不肖講釈師は、大昔の著書にサインをねだって機嫌をとってから、貴重な短い時間に臨んだ。当方の質問や意見をすっと聞いて、鋭く切り返す言葉。中でも忘れ難いのは、Jリーグ黎明期の話。曰く「日本のスポーツ用語は野球界のそれを使う傾向があり、本質的な意味を伝えられないきらいがある。だから『チェアマン』なり『プレシーズンマッチ』と言う言葉を使うよう指導した。今でも悔いが残るのは、『フロント』と言う言葉を使うのを許したことだ。結果的に、クラブの経営の重要さが矮小化されてしまった」とのこと。

 JOC委員なり、IOC委員での功績は、別に任せたい。

 もちろん、その業績のすべてをポジティブに語るつもりはない。
 ほぼタイミングを同じくして逝去された木之元興三氏らがはたらきかけるまで、日本サッカー界へのプロフェッショナリズム導入に消極的だった(あるいは無理をしなかった)のが、適切だったのかどうか。もちろん、「あのタイミングまで待った」からこそ、今日の繁栄があったとの解釈も成立するのだが。
 80年代後半から90年代前半にかけて。プロフェッショナリズム導入に積極的だった森孝慈氏を、強化体制に斬新な手を打とうとした加藤久氏を、それそれ「切った」ことを、どう評価すべきか。この2人が在野に去ったことは、日本協会の弱体化につながったのではないか。

 そうこう語りながら。
 私は岡野氏の最大の功績(と言う表現はあまりに不遜なのだが)は、上記のような具体的なものではないと思っている。
 岡野氏は、格段に先行している欧州のサッカー文化、いや生活文化とその背景を正確に理解していた(もちろん、北米スポーツ界の特殊性や、欧州と比較的類似した南米の制度も)。そして、それを我々に的確な日本語で説明してくれたのは、上記講釈を垂れた内容から理解いただけるだろう。
 そして、岡野氏の偉大さは、それらの理解に基づき、日本サッカー協会の運営を、将来に向けて矛盾がないように行っていたことにある。70年代半ばには、選手登録は、学校単位の登録から、年齢別登録に切り替わっていた。天皇杯は全国の小さなクラブにも開放されており、実力に恵まれて勝ち抜くことができれば、元日の決勝戦にまで残れる道筋があった。同じく小さなクラブでも、常識的な時間をかければ、JSLにも駆け上がれる道筋も準備されていた。国体と言う日本独特の運動会を利用したり、サッカー界独自のトレセン制度から、日本中から素質豊かな若手選手を吸い上げる仕組みも準備されていた。
 繰り返すが、このような制度設計が、70年代半ばには準備されていたのだ。その他の競技が、今なお学校体育や企業スポーツの既得権を脱することに苦労していることと比較して、サッカー界は何十年も進んだ運営が行われていたのだ。
 だから、我々は今、Jリーグと言う最高級の玩具を、じっくり楽しむことができるのだ。

 そのような基礎を構築してくれたこと、その構築のための本質的な理解。それこそが、岡野さんが、我々に残してくれたものだ。

 改めて。
 岡野さんから学んだ我々は、もっともっと素敵なサッカー界を、あるいはスポーツ界を、この国に作っていきたい。そこを目指すことが、岡野さんへのお礼となるはずだ。
 繰り返します。ありがとうございました。 
posted by 武藤文雄 at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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