2018年07月15日

決勝戦を前に

 決勝戦はフランス対クロアチア。
 ワールドカップを堪能し始めてから、12回目のロシア大会。決勝戦を直前に控え、過去の大会とは異なる思いを抱いている。それは、参加したと言う当事者意識、言い換えると悔しさと言うか心の重さが、過去の大会以上なのだ。言うまでもなく、今大会の我々は、従来以上純粋に列強の一角として戦うことに成功したからだ。

 10年南アフリカ大会も悪くはなかった。けれども、1次ラウンドで当たった(後に準優勝する)オランダには0対1の完敗、パラグアイの死闘は中々のものだったが、試合内容で他国の方々に決定的な印象を与えることはできなかった。 02年日韓大会では、地元大会ゆえ1次ラウンドの相手に恵まれた感があり(いま、思うとベルギーとロシアと同じグループだったのは、今大会を考えると感慨深いが)、敗退したトルコ戦も、何か消化不良感のある試合だった。
 けれども、今回は違う。戦闘能力差を見せつけられたのは事実だが、ベルギーに対しできる限りの抵抗を行い、日本独自のサッカーは、世界の人に大きな印象を与えたはずだ。だからこそ、準々決勝以降を観戦する際は、常に悔しさを感じながらのテレビ桟敷となった。もちろんね、もしあれ以上の幸運に恵まれ、アザール達に絶望感を味合わせることができたとしても、その後セレソン、レブルーと、新たな高い壁が次々に襲いかかってきたのだけれどもね。
 でも、こんな思いを持ちながら、堪能できる決勝戦は初めてだ。私は素直にその感情を楽しみたいと思っている。

 フランス。
 98年に地元大会で初優勝して以降、3回目の決勝進出。言うまでもないサッカー大国の1つだが、この国は70年代までは、サッカー界で大きな地位は占めていなかった。もっとも、58年大会でコパやフォンティーヌの活躍で準決勝で若きペレがいたブラジルに粉砕されるも、攻撃的なサッカーで3位となっていたと言うが、さすがに映像も何も見たことがないので。
 けれども、78年大会、若きプラティニ将軍を軸に久々に本大会出場(イタリアと地元アルゼンチンに惜敗し1次ラウンド敗退)すると、欧州屈指の強豪となる。そして、84年圧倒的な強さで欧州選手権を制覇、前後の82年、86年ワールドカップは、2回とも準決勝で西ドイツに踏みつぶされ、どうしても決勝に出ることができなかったが、特に86年の準々決勝ブラジル戦(PK戦でフランスが勝利)は、今なお史上最高の試合とも言われている。
 プラティニ以降も、90年代前半には、パパン、カントナとスーパースタアを輩出しながらも、代表はよい成績を収められない。プラティニ監督が率いた92年欧州選手権は大会前本命の一角と言われるも1次ラウンド敗退、94年USAワールドカップ予選は、最後の2試合で勝ち点1を奪えず、出場権獲得を失敗。当時の我々のドーハの悲劇が霞むような、大悲劇を演じる。余談ながら、94年のキリンカップはフランスを招待。世界25位決定戦(当時のワールドカップ出場国は24だった)と盛り上がったらが、パパンとカントナに1対4と粉砕されたのは懐かしい。
 そして98年地元大会では、カントナなどのベテランを外し、テュラム、デザイイ、ブラン、リザラスと言った歴史的な強力4DFの前に、闘将デシャン(現監督を並べる守備ラインが秀逸。その前に、若きジダンを配する布陣。サッカー的には地味で堅実なチームだったが、各種の幸運をしっかり手にして世界チャンピオンに。ただ、このチームは2年後の欧州選手権の方が強かった。98年には最前線でウロウロしているだけだったアンリが、大化けしたからだ。翌01年春先、親善試合で手合わせいただいたところ、重馬場に加え、開始早々の楢崎と松田直樹のミスで、0対5とボロボロにされてしまった。当時はアジアカップを圧倒的に制覇した直後だっただけに、試合前にユーラシア王者決定戦などとはしゃいでいたのが懐かしいな。もっとも、その前後のモロッコでのハッサン2世杯(2対2からPK負け)やコンフェデ決勝(0対1の負けでは、それなりの試合を演じたのだが。
 大会前は優勝候補筆頭とも騒がれた02年はジダンの負傷で早期敗退。、06年は大会当初不振を伝えられていたジダンが、大会途中から輝きを放ち、ブラジル、ポルトガルを撃破して決勝に。ジダン対カンナバーロと言う、サッカー史に残る矛盾対決を演じ、あの延長戦で…
 ジダン以降は若干低落傾向があったが、それは無理なきこと。12年10月にはパリの親善試合で、押されっぱなしながら粘り強く守り、終盤の逆襲から虎の子の1点を奪い勝ち切ったこともあったな。ザッケローニ氏采配が冴え渡っていた頃だ。その後、グリーズマンと言う新しいスタアを軸に、16年の地元開催欧州選手権では準優勝。そこに、エンバペが加わり、バランスのとれた強チームで優勝をねらえるところまできた。実際、ロリス、ヴァラン、ウムティティ、ボクバ、カンテで固める守備、グリースマンの才気に加えてエンバペの個人能力、そしてジルーの献身。00年に欧州を制覇したとき以来の強チームができあがりつつあるようにも思えてくる。
 フランスは強い。
 
 クロアチア。
 98年に我々が初出場した折に、1次ラウンドで同じグループになったとろで、「初出場同士」との少々残念な表現を目にすることがあった。もちろん、クロアチアと言う国で出るのは初めてだったが、この国(と言うか地域)の前身のユーゴスラビアは東欧のサッカー強国だったのは言うまでもない。ただ、いわゆる旧ユーゴスラビアと日本のチームはあまり交流はなかった。ただし、64年東京五輪の準々決勝敗退国同士の大会で対戦、1対6で完敗している。うち2失点を決めたのは、イビチャ・オシムと言う選手だった。
 70年代以降、ユーゴスラビアは常に東欧の強豪と言われ、74年、82年のワールドカップ、76年、84年の欧州選手権それぞれに出場、本大会前に上位進出が予想されながら勝ち切れない位置どころだった。その流れを打ち破ったのが、90年イタリアワールドカップ。イビチャ・オシム監督に率いられたユーゴスラビアは、準々決勝で退場者を出し10人になりながら、再三アルゼンチンゴールを脅かし、最後はPK戦で散る。攻撃の中心は若きピクシー、ストイコビッチ。そして、プロシネツキ、ヤルニ、シュケルと言った、後日クロアチア代表として活躍する選手もメンバに入っていた。そして、92年欧州選手権は優勝候補と言われながら、始まった内戦により出場停止処分。そして、ユーゴスラビアと言う国は、いくつかの小国に分離されていく。
 そして98年フランス。初出場の我々はアルゼンチンに0対1で敗れた後に、クロアチアと対戦する。灼熱のナントで行われた試合は、予想外にクロアチアが守備を固め速攻を狙ってきた。クロアチアは大エースのシュケルにいかに点を取らせるか、一方我々は全盛期を迎えていた井原正巳が最終ラインでいかに敵の攻撃を止めるかが、それぞれテーマのチームだった。この2人を軸にした両国の壮大な対決は、シュケルに軍配が上がる。77分、中盤で中田と山口の軽いプレイからボールを奪われ、その第一波を井原が防ぐもまた拾われ、さらにシュケルをマークしていた中西が敵にアプローチを妨害されたところで、シュケルに反転シュートを決められたのだ。当時レアル・マドリードで試合出場機会を減らしていたシュケルは、この一撃で調子を取り戻し得点王に、そしてクロアチアもベスト4に駆け上がっていく。前半日本は、相馬や中山が決定機をつかむなど、それなりの抵抗はできていたのだが、チームとしての戦闘能力には格段の差があったのも確かだった。
 06年ドイツでも、1次ラウンドで日本はクロアチアと同じグループとなる。両国とも初戦を落としての戦いとなったが、前半主将宮本がブルゾのドリブルに対応しきれずPKを提供するが、スルナのキックを川口が防ぐ。後半、加地の突破から柳沢が決定機をつかむものの決められず、0対0の同点に終わってしまう。その後クロアチアは最終戦で豪州に勝てば2次ラウンド進出だったが、2回リードを奪うも追いつかれ敗退する。最終戦ブラジルに完敗した日本と合わせ、両国とも不完全燃焼気味の敗退劇となった。
 その後世代交代で今一歩の成績だったクロアチアだが、モドリッチ、ラキティッチ、マンジュキッチらが台頭、16年の欧州選手権では上位進出も期待されたが、2次ラウンド1回戦、ポルトガル相手に圧倒的攻勢をとりながら、どうしても1点が奪えない。延長終了間際、勝負どころで猛攻をしかけたところで、クリスティアーノ・ロナウドを起点とする逆襲速攻を許し失点。またも上位進出はならなかった。
 そして、迎えた本大会。正に全盛期、世界最高のMFと言っても過言ではないモドリッチを軸に、戦闘能力では大会屈指であることは、誰もがわかっていたが、勝利の経験に欠ける点のみが不安視されていた。しかし、いきなり1次ラウンドはアルゼンチンへの完勝を含む3連勝。そして、2次ラウンドに入ってからは、毎試合のように前半序盤に失点しながら、モドリッチを軸に慌てずに両翼から攻め込み、驚異的な勝負強さを発揮し、とうとう決勝まで駆け上がってきた。
 クロアチアは粘る。

 この決勝戦。常識的に考えればフランスが優位だろう。フランスは2次ラウンドの3試合をすべて90分で終え、さらに準決勝から中4日。、クロアチアは3試合すべて延長120分を戦い、準決勝からは中3日。クロアチアはモスクワからの移動がなかったところだけは有利だが、コンデイション面ではフランスが有利としか思えない。
 ただし、フランスの最大の強みは、ボクバ、カンテの強力な中盤にあり、アルゼンチンもウルグアイも、そしてアザールを擁するベルギーも、そのプレッシャから円滑に抜け出し、攻撃を組み立てるのに苦労していた。しかし、クロアチアにはモドリッチがいる。モドリッチならば、ボクバやカンテが中盤で寄せてくる前に、左右に展開することが可能にも思える。もちろん両翼から崩されても、ヴァランを軸とする守備はそう簡単に崩れないだろう。しかし、クロアチアは両翼から執拗に攻め込んで最後崩し切って、ここまで来たチーム。グリーズマンを軸とする攻撃が、クロアチアの堅陣を崩せないまま時計が回ると、試合は相当もつれていくことだろう。
 デシャン氏は、そのことがわかっているだろうから、カンテのポジションを前に上げ、モドリッチを止めようとする選択肢もあり得る。けれども、ここまでうまく行ってきたチームのバランスを崩巣と言うリスクを冒そうとするだろうか。デシャン氏にとっては、試合前から優位を伝えられているだけに、難しい試合となりそうだ。
 おもしろい決勝戦を期待したい。

 私は、クロアチアを応援する。理由は簡単、ワールドカップを見始めたころのアイドルだったクライフに、ちょっと風貌が似ているモドリッチが大好きなので。
 冒頭述べた通り、44年間のワールドカップ体験で初めての、悔しい思いを抱きながら臨む決勝戦だ。どのような体験ができるだろうか。
posted by 武藤文雄 at 23:47| Comment(1) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
日本代表の健闘で当事者意識が高まった大会でしたね。
「あわよくば」というifで妄想しまくる体験もなかなかないでしょう。

本ポストを読んで懐かしい想いが蘇って来ました。
フランス・クロアチア・ベルギー。
折にふれ邂逅し、そのたびに良質なレッスンを施され貴重な経験を賜った相手でした。
イングランドとも少ないとはいえ、接触経験はあり、柱谷兄の「失点したくない」というアマチュアリズム溢れるハンドも脳裏に蘇ってまいりました。大会緒戦で同様なものを見た気もしますが今はよい夢です。

最後はデシャンさすがとしか言いようがないものの、とにかく酒が旨いが大会でした。
それでは乾杯
Posted by まくら at 2018年07月16日 06:12
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