2019年01月06日

そこに菅井直樹がいた

 菅井直樹が引退を発表した。
 ベガルタのレジェンド、そしてJリーグを代表する得点力あふれるサイドバックは、ベガルタゴールド以外を身にまとうことなく、プロ生活を終えた。今までの色鮮やかなプレイに、ただただ感謝の言葉を捧げるのみである。ありがとうございました。

 そう、色鮮やかだったのだ。菅井のプレイは。
 その神出鬼没の右サイドからの得点に、幾度歓喜させられたことだろうか。特に、逆サイドの左バックに朴柱成がいた頃は、朴の無骨な前進からの独特のクロスが上がる度に、いずこから現れたのかはわからない菅井の飛び出しに胸を躍らせたものだった。いや、もちろん朴柱成だけではなかった。梁勇基も、関口訓充も、ウイルソンも、蜂須賀孝治も、そして奥埜博亮も、右サイドからいつの間にかゴール前に飛び出してくる菅井へのラストパスを、常にねらっていた。
 攻撃がうまいサイドバックはたくさんいる。しかし、菅井はただ攻撃がうまいのではなく、得点をとるのがうまいサイドバックだったのだ。
 いわゆる嗅覚に優れた、鼻が利くと言われるストライカがいる。古くは、ゲルト・ミュラー、パオロ・ロッシ、そしてフィリッポ・インザーギ。日本では、佐藤寿人や大黒将志がその系譜に連なる点取り屋だ。ここで言う得点機の匂いとは何か。敵守備陣と味方攻撃陣相互の全体的相対位置関係、自分を注視する相手DFとの駆け引き、チームメートの持ち出し、これら全体を把握し続ける。その上で、マーカと自分の相対能力差を考慮し、己のどこでシュートをすればネットを揺らし得るかの判断。嗅覚に優れたストライカ達は、この判断力が格段なのだ。
 そして、菅井もこれらのストライカ同様、その判断力が格段の選手だった。ただし菅井はフォワードではなくディフェンダだった。ディフェンダなのだから、守備が甘いのは論外だ。そして、重要なことは、菅井は格段の得点力を誇りながら、守備能力も高かったこと。より正確に言えば、攻撃参加の隙を突かれてピンチを招くことが、とても少なかったことだ。これは、菅井が得点をとるための判断力のみならず、チーム全体のバランスを考慮した判断力にも優れていたことの証左となる。もちろん、そのための正確なボール扱い、長短のパスを繰り出せる右足の精度、とっさに足を出せる瞬発力、上下動をいとわないスタミナ、それぞれいずれもすばらしかった。けれども、菅井が最も優れていたのは、攻守それぞれにおける判断力だった。
 40余年サッカーに浸り続けた私だが、得点をとるのが巧みなディフェンダとしての菅井の能力は、ジャチント・ファケッティ、ダニエル・パサレラ、マティアス・ザマーに、匹敵するものがあったのではないかと思っている。まあ、ちょっとした戯言として。
 とにかく、菅井のプレイを見るのは楽しかった。普段はしっかりと自軍の右サイドを抑えている菅井。その菅井が、ピッチの上から俯瞰する私たちでさえ意表を突かれるような前進を行い、得点と言う最大の歓喜を提供してくれたからだ。それも幾度も幾度も。これを、色鮮やかと言わずして、何と言おうか。

 2003年シーズン、菅井は山形中央高校からベガルタに加入した。同期には中原貴之がいた。90年代後半には事実上経営破綻の状況にあった我がクラブが、このレベルの若者を獲得できるようになった感慨は忘れられない。ただし、その年ベガルタは清水監督の自転車操業の努力むなしく、J2に陥落してしまった。
 2005年シーズン終盤、菅井は、当時の大黒柱シルビーニョと中盤後方でコンビを組むことで定位置をつかんだ。さらに、翌2006年シーズン、当時の監督ジョエル・サンタナ氏は、菅井を右サイドバックにコンバートする。あまり愉快な思い出のないこの監督だったが、我々に何ともすてきなお土産を残してくれたわけだ。そして、2006年を含む4シーズン、J2屈指の右サイドバック菅井は、他クラブからのオファーに動じずベガルタに残留し、2010年にはとうとうJ1に復帰する。
 そして、以降菅井はJ1屈指の右サイドバックとなり、我々に色鮮やかなプレイを見せ続けてくれた。菅井のリーグ戦出場記録を見直すと、J2は186試合、J1は203試合、あの永遠に続くのかと思ったJ2時代は、はるかかなた昔のこととなったのだ。ここ数シーズン、菅井は負傷の多さもあり、試合出場の機会が少しずつ減ってきていた。しかし、菅井は他クラブへ移る選択肢はとらず、ベガルタで現役生活を全うしてくれた。
 たった一つ残念だったことは、日本代表の声がかからなかったこと。同じポジションに、より若い内田篤人と言う格段のタレントがいたのが不運だったか。その結果、プロになった以降、とうとう菅井は公式には黄金色のユニフォーム以外は、まとわなかった事になる。
 それにしても、引退の言はすてき過ぎはしませんか。「心残りはエンブレムの上に星を付けることができなかったこと、今後、実現できても選手ではないことです。」とか「選手としてオーバーヒートするまで走り切りました。」なんて。

 引退については、覚悟はしていた。
 そうでなければ、こんな文章は書かない。ただ、いくら何でも発表されるならば、年内だろうと思い込んでおり、ここまで発表がないから「大丈夫だろう」と思い込んでいた。こちらはこちらで、油断していたのだ。
 昨日、散々と奥埜の去就について愚痴を垂れたが、菅井への惜別の情は、やはり奥埜へのそれとは、かなり違う。
 もちろん、寂しさも大きい。もっと、菅井を楽しみたかった。けれども、それは贅沢と言うものなのだろう。これだけの期間、あの色鮮やかな菅井直樹のプレイを心底楽しむことができたのだから。そして、それを歓喜と共に、味わい尽くせたのだから。改めて、菅井直樹の色鮮やかなプレイに感謝したい。繰り返します、ありがとうございました。

 そこに菅井直樹がいた。改めて、ベガルタサポータでよかった。
posted by 武藤文雄 at 22:21| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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