何回か紹介したネタだが、広島大会決勝前夜幾人かの仲間と一杯やった時に、皆で
「今後アジアのベスト2に残れる時があるだろうか。そういう意味では『ベスト2に残れる運』はワールドカップ予選にとっておくべきだったのではないか」
と語り合った事がある。皆様ご存知の通り、当時はアジアのワールドカップ出場枠は2カ国だけだったのだから。我々がいかに先見性がなかった事かはさておき、あの時代「アジアで勝つ」と言うのは、それだけ至難の事だったのだ。
しかし、以降日本はアジアで圧倒的な強国の1つとなった。
92年以降、4回のアジアカップ本大会での成績は16勝4分1敗、3回優勝、1度のベスト8(3年前のヨルダン戦のPK勝ちは、引き分けでなく勝利に算定している)。うち2つの引き分けは、1次リーグで2連勝した最終戦で無理に勝ちを狙いに行かなかったものだ。これは恐るべき成績と言っても過言ではないだろう。予選ではなく本大会、つまり敵国はいずれもアジアの列強国なのだから。
これだけの成績が残るからには、「奇跡の勝利」がいくつかある。92年大会準決勝の中国戦、GK松永の愚行による退場後、代わったGK前川のミスにより同点にされ、終了間際に若き中山隊長のヘディングによる勝ち越し。00年大会決勝のサウジ戦、1点差でリードしながらサウジの猛攻を許したものの守り切った川口の奇跡的なセービング。04年の準々決勝ヨルダン戦の「神が舞い降りた」川口によるPK戦の信じ難い大逆転劇。さらに同大会の準決勝バーレーン戦、アレックスが「エースストライカ」中澤に合わせたロスタイムの同点劇、そして延長の玉田の芸術、死ぬ直前まで走りぬいた鈴木の奮闘。特に前大会の異様なアウェイ状態での「奇跡の連続」は、今なお忘れ難い劇的な思い出だ。私はジーコが嫌いだし、彼を代表監督にしたのは失敗だと思っている。けれども、あの信じられない「奇跡の連続」を見せてくれた事(演出してくれた事)を、忘れてはいけないとも思っている。
余談ながら、不思議な事にこの4大会いずれもライバル韓国とは手合わせがないのだが、いずれの大会でも韓国が日本とやる前に他国に苦杯を喫しているのだから仕方がない。大体92年大会は、タイに広島に来る前にやられているくらいだ。
また93年以降のワールドカップの2次予選(プレイオフ含む)の成績は、11勝6分け3敗。アジアカップほどの好成績ではない。アジアカップ以上に各国が執念を持って臨んでくるためだろうか。また、アジアカップほど、「奇跡の勝利」がないのも興味深い。もっとも「奇跡」ではないが、史上最高の「感動」を提供してくれた「ジョホールバル」があるのだが。
ちなみに、上記した一連のアジアカップ、W杯予選で日本に勝った国は、イラン(2回)、クウェート、韓国、昨年のアジアカップ1次予選でサウジに敗れたのを含めても、この15年間日本がアジアで、アジアカップ、ワールドカップ予選で敗れたのはこれだけなのだ。
過去を懐かしんでもしかたがないのは確かだ。豪州と言う難敵も参入してきた。オシム爺さんに与えられた準備期間の短さは嘆かわしいばかりだ。3連覇をして欲しい気持は強いが、決して楽な道のりでない事もよく理解している。
しかし、これだけの成績を改めて見つめなおしてみると、他国がいかに日本を怖れているかも、よくわかるではないか。










やはりオシム監督と呼ぶべきだ。
う〜ん。そう感じられるでしょうか。
おっしゃる事はわかります。1人の人間としても、サッカー人としても、物凄く尊敬しています。会った事は、先日の1回だけです(笑)。
でも、おっしゃる通り失礼なのかもしれないけれど、「親しみ」を感じるのですよ。う〜ん。
「爺さん」呼ばわりしても違和感ないですけどねえ、私は。
・1997年の最終予選、アウェイのウズベキスタン戦。
終了間際の呂北須のゴールで引き分け。
・2004年の一次予選、ホームのオマーン戦。
終了間際の久保のゴールで勝利。
・2005年の最終予選、ホームの北朝鮮戦。
終了間際の大黒のゴールで勝利。
1997年のやつは、運命論者ではない私でもなにかの運命を感じずにはいられない、特別に大きなゴールだったように感じてしまっています。
オシム監督と呼べよ。
日本語がわからない外国人だから特別扱い?
ペットに対する愛のようにしか感じられないな。
あなたにはその自由があるよね。
もちろん、自分のblogに異論反論を書いてトラバ送る自由とかもあると思うよ。
いずれにせよ、blogの書き手には自分が表現したいとおりに表現する自由があるのと同じことだろ。
そんな当たり前のこともわからないで他人のblogの枝葉末節に文句つけてるヤツが他にもいるけど、まったく理解できんな。