一方で、イチローが日本でプレイしていた時は当然のように毎年首位打者だったにも関わらず、さすがに大リーグに行くと毎シーズン首位打者を取るのは叶わないのは、大リーグと日本のプロ野球のレベル差を表しているのだろう。
などと他人の事を考えながら、ふと思った。では、日本のサッカーと他国の差はいかほどなのだろうかと。以前こんな事を考えた事があったが、今日は異なる観点から考えてみた。
先日も採り上げた「日本人よ」で、オシム爺さんは
高原が所属しているフランクフルトは、ヨーロッパでも上位150チームのうちの1つと言った程度だろう。中村がプレーするセルティックだって、上位30チームのうちの1つくらいだろう。と述べている。両チームのサポータは「もっと強い」と怒るかもしれないが結構鋭い評価だと思う。我らが誇るトップスターも、現実的にはそう言ったチームのエースに過ぎない。過去の日本サッカー界の事を考えればこの2人がこのランクまで来た事は大変な事だし、何よりもこの2人が素晴らしい選手である事は間違いない。確かにロナウジーニョやカカやリケルメやアイマールに比べては厳しいかもしれないが、中村は世界屈指の攻撃創造主だ。ロナウドやドロクバやシェフチェンコのランクにはいかないだろうが、高原はもう少し経験を積めばブンデスリーガの得点王を争う可能性もあるかもしれない。
しかし、この2人とても、イチローのように「世界最高峰」とは言えないのは確かなのだ。
こう言ってしまっては身も蓋も無いが、我々が世界屈指のサッカー強国になるためには、あるいは近づくためには、やはりトッププレイヤがいかにワールドクラス、それも世界最高峰の選手に近づいているかが重要なのだろう。と、随分高邁な事を考える事ができる時代になった事を素直に喜ぶ事にしよう。
野球は長いプロの歴史で日本独自のスタイルを確立しているから強いのでしょう。歴史は重要ですね。
彼らが大成できなかった(国内ですらトップランクの活躍を持続できなかった)のは、当人たちのメンタルを含めた資質の問題だけでしょうか、この国のサッカーの状況に原因の一端があるでしょうか。
サッカーで日本人がトップ取れたら、これほど価値のあることはないでしょう。
ヨーロッパの上位10チームのひとつ、ローマであのトッティのポジションを脅かしていた中田英寿がいたわけですから、越えるのはあと一山二山くらいかなと考えるのは楽観的でしょうか。
>一般的な呼び名がベースボールではなく野球……
最近驚いているのが、(長谷川滋利氏の本もそうだったが)15年位前には「ベースボール」と比して、さんざんネガティブなイメージを刷り込まれた「野球」という単語が、ポジティブなイメージを持つようになっていること。日本サッカーもこうありたいものです。
>蹴球ではなくサッカーの違いでしょうね。
「蹴球」の痔が使えなくなったのは、戦後すぐの「当用漢字」による漢字制限によるもんだと牛木さんあたりが書いていたと思う。
当用漢字は今の「常用漢字」と違って、とかく融通の利かないもので、大手新聞の漢字表記に時々変なものがあるのはこの名残り。
>野球や柔道は強いですけど、日本の専売特許みたいな側面もありますからね。
ラグビーは強いですけど、我が国の専売特許みたいな側面もありますからね……というニュージーランド人ってどれくらいいるのだろう?
敷島の 大和心を 人問わば 勝っても悦さず かえって卑下する
逆に言えば、このクラスの選手をコンスタントに産出する力のある国なら、たまに本物の「最高峰」が出現することもあるし、そういう時期にはチームとしても世界最高峰を狙うことができる、ということなのかなと思います。
豪州のサッカーファンは、ドイツW杯に出場するまでは似たようなこと言ってたと思うなぁw
ラグビーのW杯参加国がサッカーの半分にも満たないのは事実。野球は最近まで世界大会自体が存在しなかったわけだし。
まぁ他球技を引き合いに日本のレベルを卑下してもしょうがないんで、中田超え中村超えから一歩づつ始めましょうよと。
松坂が投げて勝つと放送、負けると結果だけ、
あんだけあおりまくっても、もはや数字は取れないスポーツ
意味あんのか?
2chの視スレの方が的を得ているね
谷亮子や浅田真央なんて、その競技の世界では化け物でしょうね。
イチローや中田、また谷は、他の選手と考え方からして全く違いますね。それが日々の練習への取り組み、試合への向き合い方に表れている。
他の競技も含めて、世界最高峰の選手がどのような考え方をしていて、どのように育成されたを研究するのはおもしろいかもしれません。
マリナーズのチームとしての成績はイマイチ続きな気がして・・・
サブながら大事な試合で活躍し続けてセリエA優勝とか、レギュラーでリーグ優勝&CLベスト16とかの方に価値があるような気がするのはサッカー贔屓だからでしょうかねぇ。。。
こういうのは水掛け論にしかならないので、みんな凄い、でいいんじゃないかと常々思っております。