2022年01月15日

2022年サッカーはどこまで正常化するか

 遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。最近筆が重くなって、なかなか更新できませんが、ゆるゆると講釈を垂れていこうと思います。

 約2年間、疫病禍に襲われたこの世界。国内外、関係者の多大な努力で何とかサッカーを楽しむことができていた。幾度も語ってきたが、関係者の丹念な努力の賜物、改めて感謝したいと思う。
 残念ながら、年が明け新変異したオミクロン株により、状況が再び悪化したようだ。高校選手権準決勝関東一高の出場辞退、ラグビーリーグワンの開幕戦中止。日本国内での陽性者増加も悩ましいが、欧州主要国では10万人オーダの日次新規陽性者増加とのこと、「だったらマスクぐらいしろよ」とも言いたいが。声を出して応援できる環境に羨望しているだけかな。
 そもそもCOVID-19対応は科学的に何が正しいのかよくわからないのが厄介。ここ最近の陽性者増加が、我々の正常な生活に対してどのくらい深刻なリスクなのか、それを客観的に示してくれるマスコミ報道がどれなのか判別し難いのが大きな悩みとなっている。

 先ほど「関係者の努力」と簡単に述べたけれど、すべてのサッカー人の「努力」には感謝の言葉もない。
 国内の若年層の公式戦、Jリーグを頂点とする国内のトップレベルの試合、各種国際試合、それぞれのレベルで、それぞれのリソースを駆使しながら異なる対策が行われてきた。
 国際試合での帰国時の「バブル対応」、ACL奮闘直後にJの各クラブが相当な苦労をしていたのは記憶に新しい。また月末に行われるワールドカップ予選のバブル対応について、先日ヴィッセル神戸の実質オーナの三木谷氏が噛み付いたのもごもっとも。
 国内トップレベルの試合で陽性者が出た場合の適正対応、何か起こる度にマスコミがおもしろおかしく語る中での難しい対応だった。Jリーグ当局が早々に立ち上げたプロトコル。プロ野球との連係を早々に立ち上げた政治的手腕もすばらしかったが、早々に明確なルールを作り、丸々2年運用継続をおこなった手腕は尊敬に値する。もっとも、その延長で湘南対浦和を無効試合にしてしまった痛恨時も表裏一体なのかもしれない。賞賛するしかない業績と、非難するしかない業績。
 上記した今年の高校選手権の準決勝の悲劇ほどではないが、約1年前の高校選手権でチームメートが競技場ではなく学校での応援を余儀なくされたのも残念だった。いや、それ以上に大きな大会でもやむを得ず中止の判断が行われたケースも多かった。それでもサッカーは、相応の組織力があり、多くの人々の献身的努力により、他競技よりは中止の悲劇を防ぐことはできた。
 グッとレベルは下がるが、底辺の少年団でも本当に大変だった。中でも大事な少年団最後の大会が中止になった時の子供たち、そしてずっと自分の子供とその大会に向けて準備を進めてきた父親コーチの失望を見るのは、それぞれつらかった。それでも子供たちは小学校を卒業した以降も無限のサッカーライフが待っているが、父親コーチには次はない。14年前とは異なり、彼らは人生の歓喜を味わえなかったのだ。

 また幾度か語ったことがあるが交代人数が増えた新ルールは、サッカーを大きく変えた。活動量が激しいポジションは交代を行うのが前提の戦い方が当たり前になっている。長期のリーグ戦でも、短期決戦一発勝負でも、監督の作戦と駆け引きがやたら複雑になったこのルール変更。年寄りとしては抵抗感もあるが、サッカーの新しい側面を見せてくれている。もっとも、このルール変更にまったく対応することができてない代表監督を抱えているスリルも中々なのだが。
 
 そして、サッカー観戦で声を出せないつらさは格段だ。

 そうこうしながら2年近い月日が流れた。
 冨安健洋、遠藤航、田中碧、伊東純也らがいるだけに、どんなに代表監督が愚行を重ねても出場権獲得はまったく問題ないと思っている。
 しかし、俺はカタールに観客として行けるのだろうか。我々は、あと約10ヶ月でノンビリと観光旅行を楽しめる世界を取り戻すことができるのだろうか。
posted by 武藤文雄 at 00:39| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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