もちろん、大迫敬介は少々高いボールへの安定感に欠けたが落ち着いた処理を見せた。事実上2アシストの菅原由勢は守備の安定感も申し分なく、酒井宏樹不在の不安を払拭してくれた。板倉滉は失点時に前進対応に課題はあったが、1対1の強さを存分に見せた上、フィードの鋭さも相変わらずだった。伊藤洋輝は、さすがにレロイ・サネと正体すると苦戦していたが、総合能力の高さを見せてくれた。遠藤航は相変わらず圧巻の存在で、当たり前のように中盤を封鎖してくれた(一瞬PKを取られるかと心配させられたが)。守田英正も的確に中盤で奪い、落ち着いて持ち出し、隙を見て敵陣への進出を果たしてくれた。鎌田大地は前半の2得点で伊東との絶妙なポジションチェンジと菅原との連係が見事だったが、それ以外の場面でも気の利いた展開を見せてくれた。伊東純也は特別の存在、26年W杯で33歳になる伊東が、この俊足、献身、そして格段の得点力をあと3年間維持してくれるのかは心配だけれども。上田綺世については、とりあえず代表でのPK以外の初得点を祝福しようか。三笘薫は、長駆後の美しいうなぎドリブルは相変わらずだし、短い時間帯最終ラインに入った時を含め守備も安定していた(もうこの選手は直接得点にからまないと、不満に思ってしまう)。谷口彰悟はカタール移籍後も一切衰えていないことを再証明、後半序盤からのDFライン加入と言う難しいタスクをこなしたくれた。浅野拓磨は70分の決定機を外したのはご愛嬌だったが、相変わらず精力的に最前線の数的不利状態での守備をこなし、得点も決めた。田中碧は、得点そのもののヘディングは鮮やかだったが、クローズに起用されたと考えると不満が多いが、別途語りたい。久保建英も2アシストは見事だし、明らかな成長を感じさせてくれたが、クローズと言う視点での不満は同じ、これも別途語りたい。
お互いがコンパクトなサッカーで中盤を抜け出すのに苦労していた序盤。日本はドイツの前線プレスを巧みに外し、遠藤(だと思った)が左サイド三笘に通す(以下左右はすべて日本から見て)。三笘はうなぎドリブルから、ペナルティエリアに進出した守田を使おうとするも、かろうじてドイツDFがつかまえクリア。そのクリアを、冨安が身体を開き、無理な体勢をとりながら、右サイドの鎌田にダイレクトパス(最初、私は冨安のミスキックかと思った)。鎌田は絶妙な溜めの後菅原へ、菅原は見事なスピードで縦抜けして好クロス、ニアで(鎌田とポジションチェンジしていた)伊東がアントニオ・リュディガーの鼻先で見事に合わせ先制。
同点に追いつかれた直後、ドイツの前線プレスが少し緩んだところで、冨安が左足で右サイドの伊東に40m級のフィードをピタリと合わせる。伊東は中央の鎌田につなぎ中央へ、鎌田は再度絶妙な溜めの後右外を疾走する菅原へ、菅原は中央に進出した伊東に、伊東はジャストミートできなかったが、上田が素早い反応からサイドキックでキッチリと合わせネットを揺らした。
2得点とも、冨安の視野の広さと技術の高さが起点となり、鎌田や伊東が受けたところで勝負あり。その時点で右サイドに数的優位確立。菅原はトップスピードで切り込むスペースを獲得できた。さらにドイツCBの視点が左右に大きく移らざるを得ない状況で、上田と三笘のみならず、守田も伊東も敵視野から外れた状態でペナルティエリアに進出する時間を獲得できた。このようなロングパスを通すことができれば、世界中のどんなチームからも得点できる。
複数回、サネを止めたプレイについては、再三VTRがテレビニュースでも流れたが、冨安の守備貢献はもちろんそれにとどまらない。反転の速さ、単純な足の速さ、上半身を当てる強さ、タックルの鋭さに加え、味方DFと敵FWの相対位置をよく考慮した適切な読みが再三冴え渡った。
森保氏は、サネが右側で遊弋し、再三好機を許したのを嫌い、後半から5DFに切り替えた。必然的に、後半は日本が引く展開となった。しかし、危ない場面は皆無、と言っても過言ではないほど守備は安定。これは、冨安の圧倒的な存在感があってのことだった。
この日の冨安を見ていると、なぜアーセナルでフル出場していないのかまったく理解ができない。言葉のコミュニケーションの問題、負傷が多いこと、今シーズンはアジアカップで長期離脱が確定していることなどが、要因なのだろうか。もっと格上のクラブ(そんなクラブは世界にほんの少ししかないのだがw)でも中心選手として君臨するのが当たり前にも思うのだが。
もちろん、過去も冨安は代表では圧倒的存在感だった。しかし、昨年のカタールW杯、一昨年の東京五輪、いずれも負傷がちでフル出場は叶わず。1人の優秀なDF程度の活躍しかできなかった。冨安も11月には25歳となる、もう決して若手DFではなく、全軍指揮官になってもらわなければならない年齢だ。このドイツ戦は、W杯4回優勝国に完勝したと言う意味でも、日本サッカー史に記憶される試合となるだろう。しかし、後年この試合は以下のように記憶されるのではないか。
冨安が日本代表で遅まきながらも圧倒的個人能力を発揮し強国を叩きのめした試合、と。