前橋育英 1(9 PK戦 8)1 流通経済代柏
どなたも賛同してくれるだろうが、今年の高校選手権決勝はおもしろかった。110分間、両軍の若者が死力を尽くして戦い、さらにPK戦でも登場したすべての選手が知性と技術の粋を尽くしていた。
まずはすばらしい試合を見せてくれた両軍の関係者すべてに、感謝の言葉を捧げたい。ありがとうございました。
高校選手権を日本テレビがショーアップを始めてから、半世紀が継続した。初期にそのショーアップの一環として行われた首都圏移転。移転前、最後の関西開催の1975-76年決勝は、前JFA会長の田島幸三の見事な2得点で浦和南が静岡工業を下して優勝。この試合は、後に日本代表になる選手が多数プレイしていた。浦和南には田島(一応後に古河)の他に菅又哲男(後に日立)、静岡工業には吉田弘(後に古河)、石神良訓(後にヤマハ)がいた。その翌年首都圏移転後、準決勝以降を国立で行うレギュレーションになった初年度1976-77年の決勝は、今でも語り草となっている浦和南対静岡学園の死闘、5対4で浦和南が連覇に成功した。この試合は、後に日本代表となる浦和南の水沼貴史(後に日産、マリノスでもプレイしたな、水沼宏太の親父殿ですね)や静岡学園森下申一(後にヤマハ、ジュビロ時代もプレイ)が、高校1年生で登場している。さらには、この大会に前橋育英の山田耕介監督が2年生で島原商業高の中心選手として活躍していた云々…と語り始めるとキリがないなw。
ともあれ、半世紀に渡り、日本テレビはこの年明けの若年層サッカー大会を盛り上げるべく尽力してきてくれた。このお祭り騒ぎが、日本サッカーにどのような貢献をしてきたのかの歴史を振り返るのも中々楽しいことだが、それは別な機会に譲ろう。本稿では、私自身がテレビ桟敷で楽しんだ決勝戦について講釈を垂れて行きたい。
繰り返しとなるが、野次馬にとっては手に汗握るすごい決勝戦だった。ただし、サッカーの質と言う視点からすると、不満はあった。さすがに70分を過ぎたあたりから、両軍ともにガス欠状態。守備ラインの押し上げが効かなくなり、前線の選手が強引に突破をねらう単調なサッカーになってしまったからだ。もう少しやりようがあったのではないかと思うが、それについては後述する。
しかし、単調になろうが、質が低かろうが、敵のゴールネットを揺らすことを狙い、若者たちが強引に前進する姿は美しいものだ。そして、それを阻止すべく献身的に身体を張り、我慢を重ねて縦突破を許さない守備陣の若者たちの献身も、また尊いものだった。そして、その尊さは観る者の心を打つ。
「サッカーの質に不満」とイヤミを述べたが、それは延長戦を含めた後半半ば以降のこと。前半はサッカーの質と言う視点からも、すばらしい試合だった。双方の組織的なフォアチェック、それを丁寧にかわすボール回しの妙。一度ボールを奪うや、素早く切り替え全選手が敵陣を目指す。奪われたチームは、同じく素早く切り替え守備体型を整え直す。
流経の先制点の「早さ」の鮮やかだったこと。中盤で、飯浜空風が鮮やかなインタセプト、そのまま前橋陣に向けて持ち上がり、走り込む亀田歩夢が受けやすいポイントに正確なパス。亀田もトップスピードでそのパスを受け、正確なボール扱いで横に流れながら落ち着いてDFをかわし、落ち着いて狙い済ましたシュートを決めた。亀田はフットサル出身とのことだが、高速で敵陣に向いての技術精度の高さが見事だった。カターレ富山内定とのこと、J2での活躍を期待したい。もちろん、飯浜の知性の冴えは言うまでもない。
しかし、前半のうちに前橋が追いつく。この同点劇の前橋の「個人能力」にも感嘆。左サイドに開いたオノノジュ慶吏がいかにも彼らしいデュエルの強さを活かし、しっかりとボール保持。そこから適切に視野を確保し、逆サイドのオープンに進出した黒沢佑晟へ高精度パスを通す。黒沢は右サイドで鋭い切り返しでDFを抜き去り、後方から進出していたフリーの柴野快仁に正確なクロスを入れ、前橋は同点に追いついた。柴野は失点時に飯浜にボールを奪われる致命的なミスを冒していただけに、見事な挽回とも言えた。そして、オノノジュのボール保持力と黒沢の切れ味の見事なこと。
その後も全選手の忠実な守備、ボール奪取後の一気に敵陣に迫る攻撃、奪われた直後の忠実な戻りなど、サッカーの質視点でもレベルの高い試合が継続する。すばらしい前半だった。
後半に入り、両軍とも想定外のトラブルに見舞われる。
まず流経。63分に3人の選手の同時交代で勝負を賭ける、驚いたのは中盤の柚木創の交代。柚木は切り返しの巧さで敵DFに囲まれてもしっかりボール保持できる能力を基盤に、敵DFのタイミングを外すパスも出せる。20年前ならば「ファンタジスタ」と絶賛されていたタレントだ。もちろん、今の選手だ。献身性は言うまでもないし、自己満足のために位置取りを勝手に変えて守備に破綻をきたすこともない。流経榎本雅大監督は、その柚木を外すと言う勝負に出たわけだ。ところが、不運にも交代出場した和田哲平が直後に負傷、早々に安藤晃希との交代を余儀なくされる。安藤はスピードのある選手で再三左サイドの縦突破を狙っていたが、柚木も和田も不在の流経は、どうしても単調な攻撃に終始することになってしまった。
そして、交代カードを1枚しか切らず流経の交代による攻勢を我慢を重ね凌ぎ切った前橋。84分に勝負に出る。上記した同点弾を演出したオノノジュと黒沢を交代、2人に代えて脚力のある選手を起用、ピッチに残した佐藤耕太のシュートの巧さを活かそうとしたのだろう。ところが、よりによって交代直後にその佐藤が負傷退場。前橋も当初狙った交代の意図が発揮できない状況に陥った。それでも牧野奨や大岡航未が、執拗に強引な裏狙い突破を試みたが、こちらも変化が不足し流経の守備陣を破ることができなかった。
和田と佐藤が負傷せずにピッチに残っていたら、試合はどうなっていただろうか。榎本、山田両監督の意図は実現せぬまま試合は進行することになった。
個人的には両監督の采配に疑問も残った。延長に入り両軍選手の疲弊が明らかだったのだから、お互い確保していた残り1枠の交代を使うべきではなかったのか。例えば、後方のタレントを投入し、中盤でボールを落ち着けることができて展開力に優れる石井陽(前橋)なり飯浜空風(流経)を1列前に上げるだけで、両軍とも攻撃に変化が生まれたと思うのだが。まあ、野次馬の戯言として。
そんなこんなで偶然と必然が交錯、後半半ば以降は前述したように、両軍ともに押上げもないまま前線の選手が強引に縦をねらう攻撃に終始。それをまた両軍の守備陣がファウルをしないように身体を巧みにいれる守備で対抗。延長含めて、文字通り死闘が継続したが両軍ともにゴールネットを揺らすことはなかった。繰り返すがサッカー的な質はさておき、見ていて興奮させられる見事な戦いだった。
かくして突入したPK戦がまた壮絶だった。
全選手が低い弾道をサイドネットに決めるか、やや浮かしてゴール端に決めるか、GKを動かしてから逆側なり中央に決める。要は皆がしっかりとPKも練習し、自分のスタイルを持ち、自信満々蹴っているだ。それが、5人ずつ全員が決めてサドンデスになった以降も継続するのだから恐れ入る。最後勝負を決めた前橋の10人目柴野もフェイントでGKを動かしてから冷静に蹴り込んだ。フィールドプレイヤの最後のキッカーまで自分のスタイルのPKを準備しているのだから、感心させられた。すごいPK戦だった。
前橋育英山田耕介先生は、故小嶺忠敏先生の最高の弟子と語っても、過言ではないだろう。
半世紀前に選手としてインタハイを制し高校選手権でも活躍、山口素弘・故松田直樹・細貝萌ら幾多の名手を育て、監督として全国制覇も経験、ザスパの経営にも関わる。文字通り日本サッカー界の大巨人。その大巨人が、教え子達のPK戦を正視できない表情が美しかった。ちょっと故イビチャ・オシム氏を思い出したりして。おめでとうございます。
世界最強国を目指すに至った我々。必ずや、この凄絶な決勝戦も、世界最強に向けての一助となることだろう。改めて、両軍関係者に乾杯。
2025年02月09日
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