2025年10月26日

40年前の10月26日を振り返って

 今から40年前のこの日、1985年10月26日は、私にとって生涯忘れられない日だ。この日、メキシコW杯最終予選、H&Aの韓国との決戦の初戦(於国立競技場)が行われた日だからだ。この試合、本当に久しぶりに満員となった国立競技場。無数に振られた日の丸の下、日本は本当によく戦った。しかし、前半40分過ぎまでに韓国に0-2とリードを許す。前半終了間際、伝説的に語り継がれている木村和司の直接フリーキックで追いすがり、後半猛攻をかけながら主将の加藤久のヘディングがバーを叩くなど、どうしても追いつけず1-2で敗れた。翌週、私はソウルに飛んだ。ソウルでは韓国に圧倒的にボールを支配され、0-1の完敗。夢は叶わなかった。改めて当時、韓国との戦闘能力差に大いなる衝撃を受けた。この韓国に勝ち切るのは簡単なことではないと痛感した。
 今思えば、このメキシコW杯予選は、日本サッカーが強くなる前ぶれだった。60年代にメキシコ五輪銅メダルをピークに好成績を収めた日本サッカーだが、70年代から80年代前半までは、アジアの強い代表チームには、ほとんど勝てなかった。しかし、少年サッカーの普及もあり、加藤久や木村和司など、個人能力の高い選手を少しずつ輩出できるようになった日本。この予選は、1次ラウンドで北朝鮮とシンガポールを振り切り、準決勝で香港にH&Aで完勝。韓国との一騎打ちまで持ち込むことができた。最後に最強韓国に完敗したものの、ようやく何とかアジアで勝てる実感をつかんだ大会でもあった。
 40年前、社会に出たばかりの私は、当時いわゆる独身貴族(今では死語かもしれないが、当時独身寮で暮らしていた私は金銭的余裕があった)、上記メキシコW杯予選の準決勝にあたるアウェイゲームの香港戦、そして上記のソウルの韓国戦に向かった。
 この2試合は素敵な経験だった。サッカーはアジア中に広がっており、香港も韓国も多くの人々がサッカーを愛している。香港戦の翌日、英字新聞は「Sayonara Mexico!」と言うタイトルで、苦杯を報道していた。そして、香港の街の人々は、私たちを見ると「Congratulations」と称えてくれた。ソウル韓国戦の余日、韓国の新聞は「この予選では韓国全土が韓国代表を応援していた。来年、メキシコではアジア中が韓国代表を応援するはず」と報道していた。そして、ソウルの人々は、私たちをみると皆が「カムサハムニダ」と語ってくれた。
 少々書生論、理想論めくが、25歳の私は心底感動した。「ああ、サッカーはすばらしい、世界中の人々がサッカーを楽しんでいるのだ」と。そして、一生に1回でよいから、W杯に出場できないだろうかと思ったものだった。
 ソウルから帰国した翌々週だったか。私はいつも通り、国立競技場に日本リーグ古河対三菱戦をを観に行った。しかし、国立競技場は閑散としていた。観客は下手をしたら1000人ちょっとくらいだったのではないか。3週間前の満員の大観衆の余韻すらなかった。当時サッカーは、まだ私たちのような好事家の玩具に過ぎなかったのだ。加藤久や木村和司や原博実が崔淳鍋や朴昌善や趙広来に負けたのではなく、国民の関心そのものがサッカーを支えていなかったのだ。

 しかし、当時何とかアジアで戦えるようになった日本代表は上下動を繰り返しながら、少しずつ強くなっていった。ソウル五輪予選は、守備的に過ぎる策をとったのが裏目に出て、2年後1987年同じ10月26日に国立競技場で中国に苦杯。イタリアW杯予選は、監督選考の誤りで1次ラウンド敗退。しかし、ハンスオフト監督を招聘し、1992年に地元アジア大会を制し、翌1993年のドーハの悲劇を経験することになる。前後してJリーグが開幕、当時は僅か10クラブ、首都圏、名古屋、近畿圏、広島にしかなかったクラブは次々と広がっていった。そして、私たちは1997年ジョホールバルの歓喜を体験する。
 その後、当たり前のように7回連続してW杯出場を遂げる。Jリーグもフリューゲルス消滅のような悲劇を経験しながらも、少しずつ拡大。日本中津々浦々で、サッカーを楽しむ環境が広がってきた。そして、カタールW杯、ドイツやスペインに本大会で勝っても、世界中の誰も驚かないところまで、私たちは到達した。
 先日のブラジル戦。序盤互角の展開に持ち込みながら、いかにもブラジルらしい鮮やかな中央突破にやられて0-2。しかし、後半からの猛攻で日本は難敵相手に、圧倒的攻勢をとり、伊東純也、堂安律、中村敬斗、上田綺世らの妙技で3-2の大逆転。とうとう、このサッカー大国にまで勝つことができた。
 あの木村和司のフリーキックから40年目の今日、私の愛する故郷のクラブ、ベガルタ仙台はサガン鳥栖と対戦。0-2の劣勢から、審判の個性的判定により退場者が出て10対11の戦いを余儀なくされた。けれども、14,000大観衆の熱狂的応援の下、3-2の大逆転勝利。滅多に見ることのできない逆転劇を演じてくれた。大事なことは、W杯予選の日韓戦直後の日本リーグの時代とは全く異なることだ。ユアテックスタジアムはベガルタ仙台の応援のために熱狂、いや日本中津々浦々の競技場で今日だけではなく毎週毎週、Jリーグが開催され、多くの人々が自分の愛するクラブに熱狂しているのだ。それが40年前と決定的に違うことだ。

 話は変わる。私は今月いっぱいで40年間奉職していた会社を退職する。40年前、初めて自分で稼いだカネで香港戦を観に行って以来、こうやって身を持ち崩しつつ、何とか40年間サラリーマン生活を勤め上げることができた。まずはこのいい加減なサッカー狂を支えてくれたすべての方々に感謝したい。
 そして、私たちは、ここまで、たったの40年で到達できたのだ。うまい日本語にならなくて、ごめんなさい。でも、ブラジル戦も鳥栖戦も、2-0からの大逆転敵を堪能できました。この2試合はただの偶然かもしれないが、東京スタジアム(味の素スタジアム)、ユアテックスタジアムそれぞれに、いや日本中津々浦々に、サッカーを共に歓喜する仲間が百万人、いや千万人の単位でいるのだ。そう考えて、信じられないほど友人の数が増えたこの40年間に、改めて感謝したくなる。楽しい40年間を支えてくれたすべての人々、友人たちに感謝。
posted by 武藤文雄 at 23:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
匠なプレスで先制ゴールを奪った南野拓実にも触れてあげて…
Posted by at 2025年10月27日 00:29
あの日、私も国立におりました、学生なって岩手の片田舎から上京後初めてのサッカー観戦でした。
韓国との戦力差に愕然としましたが、なにより国立を埋めた大観衆に感動しました。競技場までの道のりワクワク感は今でも忘れられません。
サッカー界にとってこの40年はまさに豊饒の40年ですね、ほんとに楽しませてくれて私の人生にも彩を与えてくれました。
還暦過ぎたばかりですが、代表がW杯で決勝に行くまでは長生きしたいですなあ。

いつも記事をのアップを楽しみにしております。
末永くよろしくお願いいたします。



Posted by at 2025年10月27日 07:36
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