2007年09月27日

Jリーグ15年の成果

 左サイドの憲剛が、ノールック(としか思えない体勢で)右サイドフリーのジュニーニョに超高精度サイドチェンジ(スタンドから見ていた私よりも、フィールド内の憲剛の方が視野が広いのでないかと思わせる凄いパスだった)。堅牢なセバハンのDF陣が4枚慌ててジュニーニョに近づく。軽率に飛び出す敵DFを抜き去るのは、このブラジル人ストライカが最も得意とするところ。一気に4人を抜き去るスーパー個人技を見せ、強烈なシュート。しかし、セバハンGKモハマディが奇跡的に片手ではじき出した。決まっていれば、正に超アジアレベルの得点だったのだが。

 開始早々、セパハンのロングスローから連続CKのピンチ(ゴールを割られたが、オフサイド?でノーゴール判定)があったが、その後しばらくの時間帯はフロンターレの猛攻。憲剛やジュニーニョのシュートが飛び交った。セパハンの4−1−4−1のフォーメーションで中央の攻撃的MF2人が憲剛と谷口を押えるようになって、やや小康状態となる。そんな状況下、村上の左サイド突破からのジュニーニョのフリーシュートをモハマディが足ではじき出し、さらに冒頭の超アジアレベル決定機。手変え品変え突破しながら、崩し切れないイヤな雰囲気の前半となった。
 後半もフロンターレペース。幾度と無く好機を掴むが決めきれない。それにしてもセパハンのセンタバックとゴールキーパの強い事。これが国際試合なのだ。そんな中で森が負傷する不運、ここまで森は圧倒的な脚力で右サイドを切り裂いていたのだけに、これは痛かった。黒津を左サイドに投入し、村上を右に回す選択肢もあったように思うが、「1点もやれない」アウェイゴール2倍ルール。関塚氏もそこまでのリスクを選択するのは難しかったのだろう。
 後半終盤になると、フロンターレを「1点もやれない」感が襲い始め、無理ができなくなる。結果的に森負傷以降、「ある程度無理に攻める」時間帯を作れなかった。確かに終盤には各選手の疲労が顕著にはなっていた。しかし、疲労が前面に出ていたのはむしろセパハンの方。また、この日は谷口が非常によい出来で、3DFの前のディフェンススクリーンに位置取り、上下左右に動いてセパハンの逆襲の芽を摘み取り続けた。この谷口の献身もあり守備は安定していただけに、どこかの時間帯で強引に攻めに出てもよい気がしたのだが。
 延長開始早々、憲剛が足をつらせてしまう。関塚氏の選択肢は交代。たとえ、足を引きずる状態になっていても、憲剛は残すべきだったと思うのだが。結果的に、延長戦フロンターレは完全に攻めあぐむ事になってしまった。さらに終盤我那覇を投入するも、交代出場の割には運動量が少なく効果は少なかった。「にんにく注射」以降、すっかりこの選手は調子を崩してしまった感がある。
 そしてPK戦へ。

 サポータ達は、ゴール裏から敵のキッカーを少しでも幻惑しようとし、凄まじい音量のブーイングを浴びせた。しかし、サッカーの神は彼らに微笑まなかった。
 さらに、PK戦の約30分前、関塚氏はあろう事か、憲剛を交代させていた。倒れ行くチームメートを憲剛はどのような思いで見守っていたのだろうか。私はこの采配は間違っていたと思う。しかし、このチームをここまで引き上げてきた関塚氏の判断だったのだ。「正しい」か「正しくない」かの議論が無意味なのは間違いない。

 関塚氏がフロンターレの監督に就任したのが2004年シーズン。前年石崎氏に率いられながら後一歩でJ1昇格を逃したフロンターレ。新監督に抜擢された関塚氏は、J1昇格が必須として期待されていた事、既に名将として評価の高かった石崎氏の後任である事、と言った非常に難しい役割を担う事になった。
 ところが関塚氏は見事なチームを作り、圧倒的な強さでJ2を制覇。そのままJ1でも強豪となり、とうとうアジアのベスト8まで駆け上がるチームを作り上げた。箕輪、伊藤、寺田、佐原と言った頑健なDFを3枚並べる強固な守備ライン、抜群の突破力と得点力を誇るジュニーニョを軸とする高速カウンタアタック。この特徴はJ2時代から変わっていない。そして、フィールド上の指揮官である中村憲剛は、03年には「J2屈指の好MF」だったが、07年には「アジア屈指のMF」と呼ぶべき存在にまで成長した。関塚氏のチームは、中村憲剛の成長と同期して、チームの「格」を上げていったのだ。そして、ここでの「格」とは、チームの戦績だけではない。観客動員、地域密着、クラブとサポータの独特の厚い(熱い)関係を含めての「格」である。
 この躍進はフロンターレフロントと関塚氏の手腕と言う「必然」、中村憲剛と言う偉材との出会いと言う「幸運」の組み合わせによるものだった。いや、関東大学の2部のMFを獲得しここまで成長させたと言う意味では、これもフロントと監督の「手腕」と考えるべきかもしらず、「幸運」と呼ぶのは失礼かもしれないが。
 かの党首殿が、このフロンターレの躍進と敗退を
本当に悔しい結果。
浦和レッズなら今年勝てなくても、来年、再来年とチャンスがあるだろう。
しかし川崎はそういうクラブじゃない。
(中略)
アジアのベスト8に進出しただけでも立派には違いない。
川崎フロンターレ、J1のレベルは見事に証明された。
しかし膨らんだ夢が萎むのは切なく、虚しい。
と論じられている。その通り、彼らには来年、再来年はないだろう。屈強なDFたちも、ジュニーニョも、年齢的にギリギリなのだから。そして、だからこそ「圧倒的攻勢にも関わらずの敗退」の絶望感たるやなかった。派手な逆転劇やロスタイムの悲劇があった訳ではない。ただただ真綿で首を絞められるようにフロンターレは掴みかけていた勝利を獲得できなかったのだ。本当に悲しい敗退だった。しかし、これだけの悲しさを体験できるのも、またサッカーなのではないかと。

 息の詰まるような120分間の死闘。無理ができない中での猛攻。サポータの絶叫。強力そのもののセパハンのCBとGK。
 そして、呆然とする憲剛。天を仰ぐジュニーニョ。崩れ落ちる谷口。立ちすくむ関塚氏。

 これだけの絶望感を味わう事ができたフロンターレサポータの方々が本当に羨ましい。そして、この絶望的敗戦こそ、Jリーグ15年の1つの大きな成果と言えるだろう。

 最近ちょくちょく登場してもらっているフロンターレサポータの友人。惜敗に涙しながら後片付けをして、小学校6年生のご子息(この日も父親の指揮の下、ゴール裏で大旗を振って必死に応援していたらしい)と、深夜トボトボと帰宅したそうな。父親があまりにガッカリしているので、ご子息は必死に励ましてくれたとの事。「お父さん、まだナビスコがあるよ。」「天皇杯に優勝したら、またこの大会に出られるよ。」
 さすがに小6では、この日の敗退の無常までは理解できないと言う事か。ご子息は、数年後この晩の悲劇の重要性を理解し、己が参戦できた事を改めて誇りに思う事だろう。
 以前友人は「孫ができたら『昔、フロンターレがアジアチャンピオンになった事があるのだ』と自慢するのだ」と語っていた。友人の夢は破れた。でも、「昔、フロンターレが準々決勝でPK戦で涙を飲んだ」は、やはり相当な自慢話だと思う。


posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(3) | TrackBack(2) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ACLを全力で戦ったフロンターレに対して、あの老害がまた妄言を口走っているようですが、武藤さんのご意見はいかに?
Posted by 774 at 2007年09月28日 12:01
それでも一応杓子定規にベスメン規定守ってたんですよね。川崎批判の意味がわからん。

にんにく注射事件対応のまずさで恥をかかされて、川崎は実はJ幹部に苦々しく思われてたのかもしれない、
と邪推してみたくもなる。
Posted by とし at 2007年09月28日 17:18
帰り道、落胆する父を慰める息子のくだりがなかなか良かった。そういうひとりひとりの想いの積み重なりがクラブの無形の財産となっていくのか、といささか優等生的な感慨を持ちました。
Posted by かわうそさん at 2007年09月29日 14:05
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