エルゴラッソ2006年9月20日発売号に掲載された、高木琢也に関する文章です。その後、監督高木琢也が見事なJ1昇格を実現させ、さらに翌年のJ1で苦杯を喫し、不可解なタイミングで解雇されたのも、今ではもう歴史になりつつあります。
ともあれ、横浜FCをJ1昇格させた高木氏の手腕は疑いないものです。次はどのクラブの監督を務めるのか、興味深く見守りたいと思います。
(2007年10月7日)
日本がアジア屈指のサッカー強国となったのは、それほど昔の事ではない。そして、その分水嶺となったのは、92年半ばに韓国、中国、北朝鮮、日本の4カ国が出場して行われたダイナスティカップの優勝だった。この年半ばに代表監督に就任したハンス・オフト氏率いる、日本は決勝で韓国をPKで下し歓喜の初優勝を遂げた。そしてこの大会で得点王に輝く活躍を見せたのが、高木琢也だった。
続く広島アジアカップも日本は優勝する。高木へのマークは厳重を極め、中々得点こそ決められなかったが、高木が敵CBを引き連れる事でできたスペースを他の選手が突く作戦が有効だった。そして、決勝のサウジアラビア戦ではカズのセンタリングを、高木は胸で止めた後に冷静なシュートを決め決勝点を挙げている。
翌93年行われた合衆国W杯予選。1次予選で最も大事な試合となったホームのUAE戦。1−0のリードで迎えた終盤、カズのCKを二アサイドに飛び込んだ高木が完璧なヘディングを決め勝負をつけた。
ドーハでの2次予選、警告累積で出場停止になった高木の代わりに出場した中山の出来がよかったため、大会後半は出場機会を失ってしまう。もっとも、前線で身体をつぶしながらボールを落ち着けられる高木が、最終戦のイラク戦の終盤に投入されていれば「歴史は変わっていたかもしれない」などと今でも思うのだが。
このあたりまでの高木は、大きな身体を巧く使って、最前線で持ちこたえ、後方の選手にボールを落とす能力、いわゆるターゲットマンとしてのプレイが抜群だった。大柄ゆえ空中戦の名手と言われる事が多いが、むしろ本領は、全身を駆使して愚直にボールを自軍のものにするところにあった。
その高木のプレイぶりが、明らかに一段上がったのは94年シーズンのJリーグ。第1ステージの優勝を争う大一番となった清水との直接対決。高木は、敵守備陣に正対し技術とスピードで突破し、強烈なシュートを2発叩き込んだ。高木の活躍でこの試合を2−0に完勝した広島は歓喜の優勝を決める。大柄でポストプレイが完璧な高木が、足技でも点を取れる程に成長したのだ。
けれども、その94年シーズンのチャンピオンズシップでアキレス腱を切断した重症以降、高木は度重なる負傷に悩まされる事になる。それでも96年初頭には、久々に代表に復帰し豪州やポーランドなどを相手に2得点するなど、体調さえ戻れば頼りになるストライカ振りを発揮。しかし、97年フランスW杯2次予選でも、直前の負傷の影響でも高木はメンバから外れていた。そして、勝てばイランとのプレイオフに臨める国立でのカザフスタン戦、カズと呂比須が警告累積で出場停止になった事により、岡田監督は長らく代表を外れていた中山と高木を呼び戻す。試合そのものは開始早々に秋田の空中戦で先制した日本が次々に加点する快勝、高木も終盤に起用されて5点目を決めている。しかし、この空中のボールをアウトサイドキックでねじ込む得点が、高木の代表チームでの最後の輝きとなった。その後、高木は代表での出場機会は訪れなかった。
高木琢也氏が横浜FCの監督に抜擢されたのは、今シーズン開始直後の事だった。高木氏の監督就任については、開幕直後だった事、監督経験が無かった事等から、時期尚早との声が多かった。けれども、高木氏はこれらの否定的な評価に、堂々たる実績を上げる事で打ち勝った。第4クール入りの時点でJ1昇格圏内にチームを付ける事に成功しているのだ。運動能力の高いGK菅野を軸にした安定した守備、知的で運動量豊富な中盤のエース内田を軸にした速攻、シーズン途中に加わったアレモン、崔成勇を含め柔軟にメンバを切り換えながら、チーム力を落とさないバランス。これらの手腕は、現役時代同様よい意味での愚直さが奏効しているように思える。
そして、この愚直さは高木氏の恩師の小嶺忠敏氏に鍛えられたものではないかと思えるのだ。高木は、小嶺氏が島原商業から異動となった(まだ名門ではなかった)国見高に、小嶺氏を慕って進学している、正に小嶺門下生。小嶺門下では、小林伸二氏(元C大阪、大分)、山田耕介氏(前橋育英高)など、国内最高レベルの指導者も生まれている。選手として最高レベルの実績を残した高木氏が、監督としても栄光の道を歩むのだろうか。
J1昇格争いは佳境に入っている。ベテランが多いチーム事情、菅野と内田が高額の移籍金でJ1の金満クラブから狙われるリスクなどを考慮すれば、横浜FCにとっては、今シーズンこそがビッグチャンスのはず。若き愚直な知将、高木氏の手腕が問われる終盤戦である。
2006年09月20日
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