高校選手権の1回戦、日章学園ー水戸短大附属高戦。日章学園の早稲田監督のそっくりのご子息がプレイしていた。試合はPK戦になったが、31年前の準決勝の帝京高ー浦和南高戦で、選手早稲田(もちろん父親の方、大柄ではなかったが技巧に優れたCFだった、帝京高卒業後古河に進み、A代表入りも取沙汰された事もあったが、若くしてトッププレイヤを断念し、故郷宮崎に戻り指導者の道を歩み、今日に至っている)がPKをポストに当てて失敗したのを思い出した。もっとも、ご子息はしっかりとPKを決め、次ラウンド出場に貢献したのだが。ちなみに水戸短大附属高の巻田監督もずっと若い(あの本田泰人、森山泰行、礒貝洋光らの1年先輩のはず)が帝京高出身だな。などと早稲田監督の思い出に浸っていて思い出した事がある。先日女子代表の新監督に就任した佐々木氏についてだ。佐々木氏はあまり知られていないが、帝京高で早稲田らの1年先輩で主将を務めていたのだ。
高校選手権が首都圏に移転した最初の76−77年大会の決勝戦が、浦和南と静岡学園の5対4の試合であり、水沼貴史や田中真二や森下申一が1年生ながら活躍していたのは、多くの方がご存知だと思う。そして、上記のように準決勝で帝京高は浦和南にPK戦で敗れた。しかし、むしろ大会前に優勝候補と評価されていたのは帝京高の方だった。この年のインタハイ、帝京は圧倒的な強さで優勝していたからだ。そして、その帝京の主将を務めていたのが、佐々木則夫だった訳だ。
帝京の高校選手権初制覇は、それから2年遡る74−75年シーズンだった。主将の広瀬龍(元フジタ、現帝京高監督)をCFにした帝京は、決勝で長澤和明(元ヤマハ、現常葉学園橘高監督、お嬢さんの方が有名)、内山勝(元ヤマハ、現ジュビロ監督内山篤の実兄)率いる清水東高を3−1で破り、念願の全国制覇を上げる。後年、勝利しても悠然とベンチで試合を見守る事が多かった古沼先生だが、この頃はまだ若く、帝京が1点取るたびにジーコばりに飛び上がって喜んでいたのが懐かしい。そして後知恵だが、80年代のユース世代の名勝負と言われる古沼対勝沢の先駆けとなる対決でもあった。
この全国優勝で飛躍的に知名度が上がった帝京は、以降全国から選手を集めるようになる。そして、75年の4月に全国から若き逸材を大量に入学する。具体的には、早稲田の他には、宮内聡(元古河、女子代表監督、現成立学園総監督、日本サッカー史に残る名ボランチ)、金子久(元古河、巨漢で空中戦も足技も巧みだったCB)、高橋貞洋(元フジタ、高校時代にA代表に選考された俊足ウィング)らがいた。そして、上記したように翌年の76年インタハイを、当時2年生だった彼らを中軸に帝京高は圧倒的な強さで制覇していたのだ。
そう言ったスター選手ぞろいの下級生をリードする立場だった佐々木は非常に落ち着いた球さばきを見せるMFだった。帝京高卒業後は明治大でプレイ、その後電電関東(NTT関東)でプレイを続けた。選手引退後はNTT関東を基盤にしたアルディージャの監督を務めるなどして、指導者の経歴を積み、今回の女子代表監督就任に至った訳だ。改めて帝京高が輩出している人材の豊富さに関心する。
そして、佐々木氏がその豊富な経歴を活かし、北京で見事な采配を振るう事を期待したい。
2008年01月07日
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なつかしいなあ。
今思えば、日本テレビに
洗脳されてたのかなぁとも思いますが(笑)
年代的には、
磯貝・森山の3年生
米原・遠藤の2年生
つまり、沢登率いる東海大一と
死闘を繰り広げたときですね。
なつかしいなぁ。。。
年齢的には辻谷世代ですが・・・
龍さん則夫さんとOBが指導者として
活躍していることがすごく嬉しいです