さて、この3人を並列に論じた理由はわかるかな?その通り。この3人は、トルシェ氏が率いたシドニー五輪代表のFWだったのだ。シドニー五輪直前、こんな文章を書いた事がある。ちょっと引用する。
モロッコ戦、FWの3人は決定機を外し続けた。よく見ると、3人はそれぞれ外し方に「型」を持ち始めている。そう、シドニー五輪直前、中田や中村や本山が次々に作る好機を、3人が仲良く外し続けていたのだ。
平瀬は、シュートポイントに早く入りすぎて、ボールが懐に入ってしまい、ジャストミートできない。
高原は、シュートポイントに遅めに入り、トップスピードの勢いをボールに乗せようとするが、自分のスピードが制御しきれず、ボールコントロールが乱れる。
柳沢は、シュートポイントに入るタイミングは完璧だが、シュートが下手。モロッコ戦のポストに当てたシュートに至っては、「シュートを外す事にも天分があるのか」と思わせるほど。
もっとも高原は、シドニー本大会、続くレバノンアジアカップでもよく点を取り、02年の大エースと期待されるに至る。ところが、好事魔多し。自らも見事な得点を決めた敵地ポーランド戦の帰りの飛行機で、病魔に襲われ、02年大会を棒に振る。ところが、02年大会後ジュビロに復帰するや、凄まじい勢いの得点力を見せつけ、ドイツに移籍。その後も上がり下がりはあったが、06−07年シーズンには見事な活躍。昨夏のアジアカップでも存分にその得点力を見せ付けてくれた。そして、今回のレッズ加入。欧州でも実績を挙げた最高級のストライカとして、釜本、カズ(個人的には往事の久保もこの列に加えたいが)に比肩される存在となっている。
柳沢と言う選手も、何のかのいいながら日本サッカー史に残るFWと言えるだろう。「得点を決める」能力を問わなければ、この選手ほど魅力的なFWは珍しい。正確な技術によるポストプレイ、忠実な守備、時に見せる見事な突破、正確なラストパス。その溢れ出る潜在力で、(得点以外の場面で)日本代表にもアントラーズにも貢献し続けてきた。先日の天皇杯決勝の終了直前の、「見事なボール奪取+シュート拒否+完璧なラストパス」は、正に柳沢の真骨頂と言えるのかもしれない。もっとも、2度のワールドカップの1年前には、日本代表でもよく得点を決めると言う「好調」を見せるのが、不思議な選手なのだが。
そして平瀬。シドニー予選時点の99年には、柳沢よりも高原よりも高い実績を挙げていた。シドニーの2次予選は、カザフスタン、タイとのホーム&アウェイ総当たりでトップ抜けと言うレギュレーション。勝利が必要なホームの2試合(もっとも、初戦の敵地カザフ戦に2−0で勝った日本は余裕綽々の予選突破だったのだが)で、いずれも平瀬は2得点を決めた。中でも、カザフ戦の決勝点は、中村の40mはあろうかと言うスライスのかかったロングパスをトップスピードで受けて敵を振り切って決めたもの。従来の日本のFWには見られなかった、スピードあふれる突破力が何とも魅力的だった。平瀬はこの年の紅白歌合戦にゲストとして登場するのだが、当時の五輪代表において、一般マスコミの注目度は中村よりも稲本よりも明神よりも宮本よりも上だったのである。
ところが、翌年のシドニー本大会で平瀬はほとんど活躍できなかった。多士済々のMF陣を軸にした当時のチームでFWに要求されたのはまずはポストプレイ。しかし、ポスト役が必ずしも得意ではない平瀬は、もう1つ機能しなかった。また得意の「前進力」は発揮するものの、肝心なシュートが(シドニーの)準備試合では思うように決まらなくなってしまった。今でも少し残念なのは、2試合めのスロバキア戦(スロバキアが守備を固めてきたものの、日本の攻撃力が上回り2−1で快勝した試合)で、終盤起用され、逆襲速攻から決定機を掴んだものの決められなかった場面。もし、あの場面で決めていれば、平瀬の後のサッカー人生は大きく変わったものになったように思えてならないのだが。
以降、平瀬はアントラーズでも決定的な活躍ができず、マリノスにレンタルされたり、もう1つハッキリしないプレイぶりが継続。ヴィッセル移籍直後は、楽天が投資を開始した「新興チームに『かつてのスター選手』が移籍」と言う観点から取り上げられた事もあった。しかし、昨期は大久保の獲得などもあり、ヴィッセルでもはっきりした活躍ができず、とうとう解雇されてしまった。
この平瀬のベガルタへの参入は、双方にとって非常によい出会いになり得る。ベガルタからすれば、これ程の経験を積んだ日本人FWはかつての山下以来ではないか。ベガルタの若手選手達への経験伝授が期待できよう。また、もう1つはっきりした活躍ができずに30歳を過ぎた平瀬にとって、熱狂的なサポータが支えるクラブで、今まで以上のモチベーションを持って復活を目指すのは悪くないはず。
平瀬がユアテックスタジアムで「一花咲かす」事を多いに期待したい。
あのシドニー行きを決めた国立カザフ戦、平瀬がスタンドに投げ入れた汗まみれのユニフォームをゲットし、我が家の家宝としました。きっとその後何年も、代表で、鹿島で、大活躍してくれるものと信じ。
ですが残念ながら、貴講釈の通り、その後平瀬は鳴かず飛ばず、移籍を重ね、とうとう神戸も戦力外になり、今年から仙台とのこと。
それでも今だに平瀬の活躍を祈らずににはいられません。
去年の北京予選最終サウジ戦にも、験を担いでそのユニフォームを着ていきました。周りの若い子達には、誰だよHIRASEって、という目で見られましたが。
そう言えば、仙台のFWは中島、田中と元鹿島が揃いましね。是非J1昇格を果たして下さい。来年、鹿スタで彼らにブーイングをする日を楽しみに待ってます。
一昨年は、湘南戦でのゴールで昇格に貢献したとはいえそうです。
今年は怪我もあり、選手層もありでほとんどトップで見ることは出来ませんでしたが、
とりあえず、U-21の選手と混ざって直向に練習する様子は、
ベテランの模範というか、若手には大変良い影響を与えていました。選手会長でしたしね。
仙台での活躍を祈っています。
思っていましたけど、先日の入団会見では一番
大人な印象を受けました(笑)
神戸時代は確かに不遇だったかなーと思います。
怪我もそうですが出場時間が少なすぎました。
僕は平瀬が14番になった事に運命を感じたい
と思っていますが(笑)
現役なのに懐かしいってのが書いてて悲しいかな。
当時は将来どうなっていくのか楽しみだったんですけど、今はTVで全く見ないです。
あの頃、「高くて、速くて、上手い」FWと評されたことがありました。誰のコメントか覚えてませんが。。
「高くて、速くて、上手い」FWは初めて、と言われてたんですが、その頃から「強さ」が抜けてるなぁと思っていました。
今はどういうプレーをしているのかわかりませんが、もう一度活躍をみたいですね。