2008年02月02日

幻の2トップ

 小倉隆史を初めて見たのは、91−92年シーズンの高校選手権だった。小倉率いる四日市中央工は、決勝で帝京と相見えた。試合前は四中工優位と予想されたが、前半CKから松波正信に決められ先制を許す。後半半ばに追いつくも、その後阿部敏之のパスから再び松波に決められる。それでも終了間際に中田一三のFKから小倉がダイビングヘッドを決め延長戦に。延長は後方から攻め上がる中西永輔と小倉の強引なドリブル突破を軸に、四中工が猛攻を仕掛けるが、帝京は丸山良明、小峯隆幸らを軸に守り切り、両校優勝となった。試合後、喜ぶ帝京の選手達と対照的に、単独優勝を逸した悔しさからブスッとした表情の小倉が印象的だった(全くの余談だが、この決勝戦には随分ベガルタ所属の選手が出ていたな)。
 180cmを超える長身ながら、技巧的なドリブル、強く精度の高い左足キック、パスのタイミングの良さ、ゴール前でのアプローチの巧さ、過去の日本サッカー界にないスケールの大きな選手として、多いに期待される逸材だった。
 グランパスに加入した小倉は、Jリーグ開幕に半年先駆けたナビスコカップの初戦でいきなり得点を決めるなど、堂々たる活躍。その後、オランダ2部リーグにレンタル移籍して活躍後、グランパスに復帰。94年キリンカップではファルカン氏の下でA代表に選考され、1−4で日本が完敗したフランス戦では、デザイイ、ブランのCBから得点を決め将来を多いに嘱望された(しかし、その得点が小倉の最初で最後のA代表戦の得点となってしまったのだが)。

 城彰二を初めて見たのは、同じ年の高校選手権、3回戦の鹿児島実対清水商戦、城はまだ1年生だった。この試合は凄い試合だった。両軍が強烈なプレッシャを掛け合う隙間のない試合。清商が平野孝の悪魔のように曲がるCKからの自殺点で先制する。その後の前園真聖、藤山竜仁、遠藤拓哉(遠藤3兄弟の長兄)を軸にした鹿実の猛攻。前半終了間際、こぼれ球を前園が強烈なグラウンダのシュートで、城と同じ1年生の川口能活を破る。後半もやや鹿実が押し気味の展開。そして後半30分過ぎに、再び前園の弾丸シュートが川口を破る。2−1。苦しい状況に陥った清商は、中盤の将軍の望月重良を軸に粘りに粘る。CKを平野がGK仁田尾博幸に向かって曲がるボールを蹴り、そこに数人が飛び込み、仁田尾を削りに行く。単純極まりない肉弾戦。そして、鹿実は守り切った。で、この試合の城彰二。鹿実のセンタフォワードとして、最前線で大柄な身体でウロウロ(と言うよりオロオロ)していた印象が強いのだが、とにかく最前線でボールは収める事だけはしっかりとできており、前園がキューンと前進する時間だけは稼いでいた。西ケ谷隆之を軸にした清商の守備ラインのプレッシャは相当だったが、1年生ながら最前線でとりあえずボールが収まるのだから大したものだと感心した。
 城は3年では主将として国立に進出。ここで川口が主将を務める清商にPK戦の末、返り討ちにあってしまう。しかし、城の評価は非常に高いものだった。大柄で軟らかな技巧、そしてシュートの正確さ、敵陣前での冷静さ、大型ストライカとしての期待は大きかった。
 卒業後、94年シーズンよりジェフに加入した城は、高校卒の新人ながらデビュー戦となる開幕戦から4試合連続得点を決めるなど、そのプレイはJリーグでも存分に通用した。得点を決める度にバック転のパフォーマンスをするなど、目立ちたがりの性格もストライカ向きと思われた。

 95年より始まったアトランタ五輪代表チーム、西野朗監督は、当然のように最前線にこの2人を並べた。1次予選初戦は敵地タイ戦、当時タイ五輪代表は自称「ドリームチーム」。相当高い戦闘能力を保持しているとの噂だった。しかし、この2人の後方から前園が指揮する攻撃は、完全にタイを粉砕。前園が小倉を使ったワンツーで突破し放ったシュートのこぼれ球を森岡茂(現バンディオンセ神戸)が押し込み先制、前園のクロスから小倉がヘッドで決め2点目、さらに前園のスルーパスで抜け出した小倉の完璧なクロスを城がヘッドで決め、前半で3−0とリードしたのだ。もはや、この2トップに前園を加えた攻撃ラインはそのままアジアを席巻するのではないかと思わせる出来だった。しかし後半、小倉はタイのラフプレイで膝を負傷し退場、何かしら以降の小倉の苦闘の伏線ともなる試合でもあった。

 負傷癒えた小倉は、アルセーヌ・ベンゲル氏率いるグランパスで充実したプレイを見せ、94−95年シーズン、ピクシーのリードの下、同世代の岡山哲也、平野孝らと攻撃ラインを形成、天皇杯を制覇する。しかし、その後の五輪代表の合宿で膝を大怪我し、一気に経歴は暗転する。
 以降、小倉は膝の負傷に悩まされ続ける。アトランタ本大会を棒に降った小倉は、体調が整った際は、抜群のプレイを見せたが、多くのチームを転々とする事になる。

 一方の城は以降順風満帆に経歴を重ねた。アトランタ2次予選、本大会で順調に活躍。97年にはマリノスに移籍し、相応に得点を決め活躍、フランスW杯を目指すA代表でもレギュラ格の扱い。あの2次予選、初戦の国立ウズベク戦は再三決定期を外したものの、前半終了間際には見事な得点を決め面目躍如。以降、帰化した呂比須にレギュラを奪われたが、肝心のジョホールバルでは2−2にする同点弾を決めるなど、W杯初出場に貢献する。
 私は、フランスW杯の城もそう悪くなかったと思う。確かに得点の意欲と言う意味では不満がない訳ではなかったが、あのアルゼンチンやクロアチア相手に、守備を固める必要があった日本としては、前線で城が「ボールを取られない事」は非常に重要だった。例えば、城の代わりに(得点への意欲は高いが、ボールを保持する意欲は非常に淡白な)呂比須を起用していれば、日本はもっと苦境に立った可能性が高い(呂比須がこの相手に相当な確率で得点を決められるならば話は別なのだが)。それなのに、どうしてあそこまで非難されなければならなかったのか。テレビ中継で、(見かけのファイトは凄かったがサボる事で定評のあった)かつての人気代表選手に非難された事が、世論に影響したのだろうか。
 98年、99年シーズン、マリノスで順調に得点を重ねた城は、スペインのバリャドリードに移籍、そこそこの活躍を見せる。ところが、00年神戸で行われた中国戦。スペインから帰国して出場した城は、試合中に膝を負傷。交代すればよいのに無理をした城は、以降負傷に悩まされる事になり、バリャドリードとの再契約も叶わなくなった。そして以降、マリノスに復帰するも、かつての得点力は戻らなかった。

 2003年シーズン、苦闘を続けていた小倉と城は、それぞれ2部リーグのヴァンフォーレと横浜FCに移籍する。かつての栄光からは考えられないチーム選択だった。
 それでも小倉はヴァンフォーレでチームリーダとして機能。膝をかばいながらではあったが、時折見せるプレイは美しかった。一方の城は移籍当初からそれなりに得点を取ってはいたが、必ずしも褒められたプレイ振りではなかった。念仏の鉄氏のこのエントリは、J2に職場を移した当初の2人のプレイ振りを的確に描写している。しかし、カズが加入するなどした06年シーズン、城は過去の経験の全てを振り絞るようなプレイを見せた。

 先週の城の引退試合。あの国立ウズベク戦のキックオフ前のカズと城のパフォーマンスの再現も悪くなかった。しかし、むしろ私は小倉と城の2トップに目頭が熱くなった。
 2人とも日本のトッププレイヤとして存分な活躍をしてくれた。特に上記のアトランタ予選の敵地タイ戦の前半で、前園と共にこの2人が見せてくれた美しい連携は忘れる事ができない。しかし、2人が若かった頃に、私が期待した程の活躍はしてくれなかった。2人とも、不運な膝の負傷がなければ...
 けれども数年前に、彼らが引退前に所属していた2つのクラブがJ1に所属する事を予想した人がいただろうか。いや、いなかったろう。そして、両クラブがJ1に昇格した事に、この2人が多大な貢献をした事を否定する人はいないだろう。この2人は、経済規模の小さなクラブでも、適切な強化を行えばトップリーグに昇格できる事を証明してくれた。この事の意義は、日本サッカーの発展にとっては、極めて重要な事のはずだ(両クラブとの昨シーズンJ2に陥落したが、それは瑣末な結果に過ぎない)。
 これは偶然とは思えないのだ。不運な膝の負傷により、天性の素質を完全に開花させきる事ができなかった、この2人の幻のストライカは、ある意味で強豪国のゴールネットを揺らす事以上の実績を、日本サッカー界に残してくれたのだ。

 でも、あの敵地タイ戦のような2人の連動を、もっともっと見たかった。
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(15) | TrackBack(1) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
読んでいたら目頭が熱くなってきました。
Posted by at 2008年02月03日 10:12
自分もあの場にいて、何度となく、ピッチが見えなくなりそうになりました。
祭りの後とはいえ、いい夢を見せてくれた井原監督に賛辞を惜しまないです。
FK合戦、オグにも出て欲しかった。
Posted by とんちゃん at 2008年02月03日 10:38
相変わらず熱い文章に引き込まれます。
ノンフィクションドラマだからこそ感動します。
Posted by たけぼう at 2008年02月03日 17:43
三ツ沢にお見えでしたか。(当然といえば当然でしょうが)
こっちサイド(横浜Fー横浜FC)からいえば、山口ー後藤の本当に幻のダブルボランチ、というのも見物でした。といっても、2人とも張り切りすぎでボランチの位置にはほとんどいませんでしたが
アトランターフランス代表組、横浜FC組ともども、懐かしい顔がズラリと並んで目頭が熱くなるやら、頬が緩むやら……。
前園うめえなあ、というのが多くの仲間の見解ですね。
久しぶりに肩が凝らずに楽しくサッカーを観ることができました。そして、いつもながら見事な蘊蓄ありがとうございます。
Posted by Dortmund06 at 2008年02月03日 17:48
こんな講釈なら何度でも聴きたいです。ありがとうございました。
Posted by ジョルジュゆなぐしく at 2008年02月03日 20:55
確かに拝読していて目頭が熱くなりました。
自分もいつのまにか年をとったのかな(笑)。
Posted by とおりすがり at 2008年02月03日 21:18
ひょっとしてJO−DREAMS側ゴール裏でカズにゲキとばしてたのは...

「まるで武藤さんみたいに熱いおじさんがいるなあ...」と思ってたのですが。ひょっとしてご本人?
Posted by ロビン at 2008年02月03日 21:28
やられました、このエントリー。最高です。
ジョホールバル、あの城の一撃がなかったら・・・。
マイアミに小倉が立っていたら・・・。

両氏の益々の活躍を祈念したいものです。
Posted by とし at 2008年02月03日 21:36
やっと書いていただきした。
小倉の引退発表時に、「コメントお願いします。」とリクエストさせていただきましたが、その時の期待値以上に我々の心に届く文章でした。
本日はよい夜となりました。ありがとうございました。
Posted by Born in 1973 at 2008年02月03日 23:13
すばらしいものを読ませていただきました。
自分もブログでサッカーについて書くことが多いので、このようなすばらしい文章を書けたらと思います。
Posted by たっくん at 2008年02月04日 13:08
私も感激しました。

と、無粋な指摘で申し訳ないのですが、
城のはバック転ではなく前転宙返りですよね (^^)
(バック転宙返りといえば中西)

引退試合ではでんぐり返しでしたね(笑)。

そういえば、2002 年にスペインのカンプノウでバルセロナダービーを見ることができたのですが、
試合前にオーロラビジョンに映されたリーガの宣伝映像の中に
城がバジャドリッドで決めた前転宙返りのシーンが使用されていました。
思わず「おおっ!」と声を上げてしまい、前の席のおっちゃんをびっくりさせてしまいました(笑)。
Posted by けんご at 2008年02月04日 13:31
私も、身震いするぐらいの感動を覚えました。
同世代だけに、思い入れもありますし。
Posted by Teddy at 2008年02月05日 11:34
いままでの代表のなかで、どこか飢餓感が漂っていた98年組が一番好きなので、ほんとうに見ていて楽しかったです。
ヒデ、名波、素さんのトライアングルを見られなかったのだけが残念でしたが…。ヒデはきっと気を遣ったのでしょう。
Posted by pollock at 2008年02月05日 23:21
アトランタ組が参加すると知って私も城の引退試合に駆けつけました。
なんとも胸が熱くなるメンバーでしたね。
楽しい試合でした。
小倉が日本代表のフランス戦で得点した試合、ワクワクしながら観ていたのを今更ながら思い出します。
フランス組もそうですが、やっぱりあの年代の選手に対する思い入れは人一倍ですね…
Posted by ルイレオ at 2008年02月06日 00:03
城がW杯で非難された理由

城がカズの分まで背負わされたから
背負わせたのは現代表監督

小倉がヴェルディにいた頃のインタヴューで、
もし怪我をしてなかったらと思いませんか?と聞かれた時に
『怪我をしたのが小倉という選手です』と答えていました。
もちろん後悔はあるでしょうが、それを堪えてそう答えた小倉に人間を感じました。

人を知るということは、とても難しいことだとは思いますが、あの時、小倉のような深みがあればと残念に思います。
Posted by 広サポ at 2008年02月10日 12:08
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Excerpt: #あの頃、夢だけで突き進めた時代があった。 「幻の2トップ」 from 武藤文雄...
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Tracked: 2008-02-04 11:49