ただ「Jリーグの勝利など、世界においては実績ではない」と言う意見は(全否定できないから悔しいのだが)相当寂しい。見解の相違だが、私はJリーグを誇りに思っているから。大体、ベンゲル氏がピクシーを抱えても優勝できなかったほどのリーグなのだが。
また「(マリノス監督後期の岡田氏は)劣化というか混乱してるように見えましたね」と言うコメントは非常に示唆に富んでいる。このようなコメントは本当に嬉しい。
ともあれ、あのバーレーン戦は酷い試合だったし、その責が岡田氏にあるのは言うまでもない。
ただ、まだ突っ込みきれていない議論もいくつかあるのだが。
たとえば、阿部は何故にあのように腰が引けていたのか。
阿部と今野が守備ラインに揃って入ったのは初めてではない。あの見事なサッカーを見せた札幌サウジ戦もそうだった(しかもあの試合は遠藤は病欠で不在で、啓太、憲剛、アレックスの中盤だった)。あの試合では、阿部も今野も闘莉王も次々と押し上げ、見事なサッカーを見せてくれた(もっとも終盤はガス欠になってしまったが)。しかもバーレーンの2トップは、頑健大柄なタイプではなかった。そう考えると、阿部と今野を最終ラインに置くやり方が愚策とは思えないのだが。
もちろん、バーレーン戦では今野はよく前に出ていたが、阿部は完全に腰が引けたのみならず、持ち味の長い高精度のボールを蹴る事すらなく、ただ逃げのロングキックばかりしていた(さらに無様な失点につながるミスをしてしまうのだが)。あれだけ思うような展開ができなかった責務の多くは阿部にあったのだ。最後の無様な失点は論外にせよ、阿部がもう少し辛抱強いキープを試みるだけで、試合展開は全く違うものになったのではないかと思う。最近の日本代表を振り返ると、ドイツ予選では、埼玉オマーン戦の山田(発熱していたそうだが)、テヘランイラン戦の高原と、「永久追放!」と叫びたくなる不出来の選手がいたが、大変遺憾ではあるが、今回のマナマバーレーン戦の阿部も同列で議論されるべき出来だった。
で、気になるが、あの阿部の消極性は、岡田氏の指示が悪かったのか、阿部がダメだったのか、一体どちらなのだろうか(両方かもしれないな)。
さらに1日発売のサッカーマガジンを読んで唖然とした。凄い評論が掲載されているのだ。川口のミスについて。
(前略)名手川口は自分の責を認めたが、失点は彼だけの責任ではないだろう何を言いたいのか全く理解できない文章だ。もちろん、試合の悪い流れ、疲労したバーレーンを押し込めないチームの統一感のなさ、簡単にセンタリングを上げさせた阿部など、あの場面に至る伏線はいくらでもあった。
しかし、だからと言ってあのプレイに対して、何故川口をかばう必要があるのだろうか。確かにチーム全体の出来は非常に悪い試合だった。そして誤解しないで欲しいが、川口と阿部の論外のプレイはあったが、それらの責は全て岡田氏に帰するのは言うまでもない。しかし、あのプレイを持って「失点は彼だけの責任ではないだろう」と言われたら、もう評論ではないな。
岡田氏の采配も、阿部の出来も酷かった。しかし、川口がミスをしなければあの失点はなかったのだ。今野はA・フバイルをちゃんとマークしていた。中澤はニアを抑えていた。あの失点については川口に言い訳の余地はないのだ。
まあいいでしょう。早々にキリンカップの日程も発表になった。もう岡田氏も後はない。繰り返すが、バーレーン戦は飛び切り不快ではあったが、改めて岡田采配に期待したい。
で、今日の帰りの電車。となりのオヤジが東スポを読んでいた。さすが東スポ、一面はこう来たよ。
速報!欧州CLチェルシーに先勝で浮上! ジーコ 日本代表監督復帰こう来たか。
で、帰宅してフジテレビのニュースを見る。ジーコ、格好いいな。
「前半を見たら誰もフェネルバフチェが勝つとは思わなかったろう」世界での実績について、これほどわかりやすい事例もない。
あと個人的に、いつまで阿部とか今野とかをCBに使うのかと思いますよ。
ライン割ると気を抜いたんでしょうね。二人とも。
Jリーグで実績を残した監督が世界で結果を出してはいないので(特に日本人)、
残念には違いないですが、俺は実績とは見れてないです。
ベンゲルもタイトルは取る等、ある程度の結果は残してますし。
つーか、ジーコは代表監督時代と今とでは何が違うから結果を残せてるのか…。
単純に選手の質の違いなのかな?と思います。
やってる事は同じぽいですしね。
こうしてみると、
日本代表監督になった時のタイミングも悪かったのかな。
ギチギチ管理のトルシエの後よりも、オシムの後で監督になっていれば、おもしろかったんじゃないかと。
まあ あまり変わらないかw
アレックスは中盤で溜められるので、遠藤の代役にはなると思います。
最も、あの頃は、アジアカップやエジプト戦ほど、憲剛-遠藤(もしくはその代役や俊輔を加えた3人)ラインが意識されて(出来て)いなかったと。
バーレーン戦では、
山瀬(あるいは大久保)が中盤からアッタキングサードまでの組立に寄与出来ていない事が、ロングボールを蹴らせる要因と分析できるんですよね。
DFライン→中盤(憲剛ー遠藤etc.)→アッタキングサードとなっていたはずが、人数が足りない等の理由から、中盤が機能不全(溜められない、パスミス)になっていたので、DFラインから中盤へ怖くてパスを出せない。だから、ロングパス。
もう一つは、中盤に人数がいない代わりに、
DFラインと中盤の前方に人が集まっていたので、
人の多い所から多い所というのも自然な流れです。
だから、遠藤、山瀬、憲剛(、大久保)の役割と起用意図が重要だと思えるんです。
戦術的なのか、コンディションの問題なのかで、これからのサッカーのコンセプトが違ってくるので。
結局、大木さんの攻撃戦術と岡田監督の守備戦術のすりあわせがまだ不完全で、そのあおりを中盤がくらっちゃっていて、しかもまだ、オシムのエッセンスが影響を与えている。という、3者の意図が悪い混ざり方をして出てきたという感じなのかなぁ。
失点場面直前でえぐられたのは阿部だけの責任なんでしょうか?
守備は数的優位を作って守るんだと思ってましたが、
なぜ一対一になってたのでしょうか?
駒野や鈴木啓太や憲剛はどこにいたのでしょうか?
まあ岡田氏を支持する支持しないの話はほとんど結果論に終始せざるを得ないですから(両論とも未だその根拠が乏しい)、沸々とこみ上げてくる怒りを抑えつつまたそれも含めて、気長に楽しむのが吉かと。
岡田氏の劣化、ということでいえば2006年W杯直前に甲府で観た惨敗劇を思い出します。結果的にはロスタイム、DFの一瞬のポカだった訳ですが、その場にいたものとしては至極当然の結末だなと率直に思ったものです。
また、岡田氏のよいイメージとしては97年のソウルに触れざるを得ないのですが(この点、呂比須をあまり悪く言わないで頂きたい)、一方で札幌の昇格を言われると、99年の苦労を何試合か観た身からすると、ちょっと違和感があります。
私はオシムでアジアを苦労して突破、という思いできていたので、岡田氏になった時点で代表についてはまだ思考が停止したままです。
確かにかなり不思議ですよね。実は名将だったのかw
普通に考えると、やり方と選手の能力の相性が悪かったということになるのか?
武藤さんの分析を読みたいです、とリクエストしてみる。
「黒い笑い」とはこういうものなのだ、と
お見事です
失点場面は、えぐられたというよりも、オフサイドだと思ったロングボールがラインを割らなかったことによって出遅れて、更に、追いついた際のチェックも甘かったという点が阿部の責任なのでしょう。
個人的には、阿部よりも川口に不満です。
失点時はいわずもがな、あの試合においては、終始不安定であったと思います。
オフトから(ファルカン、加茂は別として)
加茂更迭、W杯初出場での岡田
自国開催、黄金世代の台頭という時期のトルシエ
黄金世代成熟期のジーコ
ジーコの方針に対するアンチテーゼとしてのオシム
それぞれに肯定できる部分もあり、否定できる部分がある
成績で言えばトルシエがもっとも成功したわけだが、
自国開催であったことが有利に働いたことは否めない
今トルシエかといえば、今はもう彼の流儀では通用しないだろう
ドイツでの結果から拒否感を示す人が多いが
客観的に道程をみればジーコの成績はオシムより良いことも現実
指導方針とキャリアがよりサッカージャーナリズム好みであることから
ジーコを必要以上に貶め、オシムを必要以上に奉ったのは
監督というものに対するリテラシーに欠ける日本人の価値観に
いかにもオシムのキャラクターがマッチしたことは否定できない
オシムが日本サッカーに残したもの(改めてスポットしたもの)は大きい
それも現実であり、次回亜杯はノーシードなのも現実
否定部分も肯定部分も混在する歴代監督にあって
二期目に岡田政権に対して私は肯定部分を見つけられる自信がない
否定的箇所はすでに鮮明だけど…
サウジ戦は中盤がフィルーターとしてある程度機能したからでは…?
マチャラは高さの無い日本の3バックをダイレクトに責めてたけど…
ベンゲルはGMとしてはすこぶる優秀だと思うが
監督としてはスーパーだとは思えないなあ…
Jの戦績はそれなりに評価されてしかるべきだと思うが
タイトルを取った良い時期だけでなく何故クラブを去ったかと
総合的に評価する必要があるのではないか
よってブラジル総監督、鹿島、フェネルバフチェでは結果を残し、日本代表では(以下自粛)。
ブラジル人を集めてブラジルサッカーをやる、という至極真っ当なやり方ですからね、今は
その集めたブラジル人がセレソンクラスともなればそれなりに強力なチームになっているのでしょう
ジーコの失敗は日本人にブラジルサッカーをやらせようとした事ですから、基本的には変わっていないんじゃないかと
それとセレソンから引き抜いたコーチ(本来はフィジコの人)の優秀さもあるんじゃないですか
日本代表の時はエドゥ兄ですからね・・・
一つ気になるのはジーコとオシムの日本代表における成績の比較についてです。直接指揮した重要な公式戦としてアジアカップの結果はよく比較されていると思います。個人的にはこれがフェアなのか疑問に思うのですが、どうでしょうか?
オシムの日本代表におけるキャリアは、2006年7月から2007年11月の1年数ヶ月です。また、引き継いだ状況も、オシムの方が困難な場所からのスタートだったと思います。
ジーコも就任以後、2004年に入るまでは特に目立った成果を上げておりませんし、トルシエも同様です。もちろん3年目以降のジーコ、トルシエの成績は合格に値するものと考えております。
また、ベンゲルについての評価も、GMとしての優秀さと監督としての能力が比例していないのではとの意味で同感です。特に監督としてベストかと問われると疑問です。以下のサイトはかなり昔のベンゲル評ですが、意外なぐらい当時なされた評価と違いは無いような印象です。
http://www.fujix.co.jp/varietyfootball/archive/coach_wenger.html
まぁ、それでも日本代表を率いるには充分すぎる監督なのかもしれませんが。
ジーコについては、フェネルバフチェ2年目で、監督として結構変わったという評価を見ました。事実かどうかは知りません。日本代表や、フェネルバフチェ1年目の苦労を経て、自分の目指すスタイルをチームへのフィットさせる手腕は身につけつつあるのではないでしょうか。
バックアップ体制では?ジーコはマネジメントが全く出来ません。本人が「出来ないからやらない」って言ってますし。となると、支援体制、環境でしょ。
一方、JFAにはマネジメント能力は皆無といわざるを得ない。面子を見ても明らかですが、会長の管理職としての能力が著しく欠けていて、JFAの組織が組織として機能しなくなっておりますので。
あとは監督としての経験もありますね。鹿島でのそれは、カウントしてよいものかどうか(または鹿島のバックアップが機能していたから?)。
その点では西野氏も現時点では同じだと思います
ジーコは日本代表監督時代から、交替選手が機能することが多かった=状況への対処能力が高かった、と思います
世間ではこれを「強運」で片付けてしまう人が多いようですが、オカルトではなくきちんと理由があると思います
戦術眼が優れているんでしょうね
ジーコのできないこと(マネジメント等)をきっちりサポートしてあげればいい監督になれると思います
早大馬鹿トリオではだめでしょうな
視点をそこらへんに移して議論することも必要
それ以前にシステムのオーガナイズや相手の対応に失敗してたのに。
しかもわざわざ公式試合でいきなりシステムを変えた上に
元に戻したら上手く機能するという拙攻っぷり。
失点は結果的にそーなっただけでしょ、入らなかった可能性もあったし。
しかも大木さんもう窓際でしょ。
まったくやり方が違うのは見てりゃわかるし
小野さんもA代表の仕事からは降りるとw
岡田を推薦したのって実は川淵なんじゃないの?
っていう、疑惑がフツフツと湧いてきましたよ。
じゃなきゃ、なんで小野さん降りるの?
結局のところ、監督としての経験、だと思いました。ジーコはヨーロッパで監督をする中で、よく勉強しているようです。
ジーコが日本代表監督時代と何が違うか、ついさっきのスポルトでダバディがインタビューしてましたね。
結局のところ、監督としての経験、だと思いました。ジーコはヨーロッパで監督をする中で、ディフェンスの組織化も含めてよく勉強しているようです。
です。
ことですかね
踏み台にされたこっちはたまらんですが
トルコでも去年は叩かれまくったので、日本でもトルコでも叩かれるなら、やっぱり自分になにか欠けてるんだろうと謙虚に勉強を始めたのではないかと。
そのこと自体は間違ってないと思う。というか非常に正しい。
問題はそういうレベルの人を代表監督にしてしまったことにあるかと。
クラブでブラジル人集めているからだと思います。特に代表とクラブの違いは大きいと思いますよ。代表で要求されるマネージメント力は半端ではないでしょうし、ジーコ流は同じメンバーで毎日練習できるとずいぶん違うでしょう。もちろんジーコの経験アップもあるのでしょうが。
もっと日本代表は出来たはず。」
という、まるでモンスターペアレンツのような幻想を取り払えば見えてくるものもあると思うのですが・・。
だとか
>ありのままの力を発揮させる
だとか
>まるでモンスターペアレンツのような幻想
だとか
頭の悪いコメントが増えましたね、ここも。
結果だけじゃなくて、そこへ至る過程も不満だったわけだが……。
傷口に塩をすり込む……とは、去る高名なサッカージャーナリストが多用した表現なのだが、バーレーン戦で負けたところへ、塩をすり込むようなニュースだ。
だからこそ、武藤さんも腰の据えた議論で扱って欲しかったのだが、やや軽いエントリーだったせいか、かえってサッカーファンの精神があぶりだされちゃったね。
「金子達仁」も「真の名監督」もけして異端ではないのだな。
一番の違いは、「契約上の拘束時間」ではないでしょうか。
試合前にパッと日本に来て、パッと軽く合宿して、試合をしたらすぐ帰る。
こんな馬鹿げた契約(川淵……orz)ではないから、本人もやることぁあるでしょ。
(余談だが、こればらしたの、キャプテンが腕章を巻いた選手だと知らない、川淵派の、プロレス出身のスポーツライターだぜ)
これだけでも、日本代表とフェネルバフチェとイコールではない。
日本時代は「ありのままの力」ですらない。
(「ありのままの力」+アルファがそんなに恥ずかしいのだろうか?)
もうひとつ、トルコのスポーツマスコミは、無策な監督を「自由」とか「個の力」とか「セレクター」とか、誉めそやしたりせずにキチンと批判するだろうから、トルコ語が分からなくても本人も「空気」を感じて少しは考えるでしょうね。
(これも余談だが、「空気」は岡田武史氏の愛用語のひとつだった)
点決めたりしてるみたいですね
才能でしょうなぁ。
1年で急に凡人が聖人に変わるわけはなく、
日本代表時代もそろそろ再評価していいのでは
と思います
ジーコは代表監督時代は単なる自信家でいたが、クラブ監督になってからは多くの監督から学ぶようになったという話し。
現有戦力や拘束時間は元より、協会の方針が定まらず、一部の思いつきで監督を決めている限り日本が強くなる(進歩)はずがない。
監督が変わる度にリセットの歴史。
ドイツ化? ブラジル化? セルビア化? フランス化?
日本の日本化なんて、オシムに言われるまで考えなかったのではないか?
そして、歴史はまた繰り返される。
イタリアは監督が変わってもカテナチオ。
フランスは監督が変わってもシャンパンサッカー。
ジーコに笑われますぞ(←本気で書いていない)。
少し訂正。頭が悪いというより、日本の半可通のサッカーファンの「地」が出ちゃったのでしょう。
では、なぜ、トルコと違って日本は「自信家のジーコ」に学ぶための自省させられなかったのか?
>イタリアは監督が変わってもカテナチオ。
>フランスは監督が変わってもシャンパンサッカー。
よろしい。でも、日本の場合、「だが、しかし……」と続いて迷走する。ジーコに妄想を抱いてしまったのは、そのせいだ。
日本のサッカーにおいて「日本」という概念は、はなはだ厄介で怪しいのですよ。
そこまで分かっていないと、また迷走するな。こりゃ。
>で、帰宅してフジテレビのニュースを見る。ジーコ、格好いいな。
>「前半を見たら誰もフェネルバフチェが勝つとは思わなかったろう」
>世界での実績について、これほどわかりやすい事例もない。
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo3_scr_30&k=2008041000884
>チェルシーに敗れたフェネルバフチェ(トルコ)の
>ジーコ監督は、同時にプレーできる外国籍選手を6人以下とする
>トルコ・リーグの規則が足かせになっていると訴えた。
これ読んでいると、ジーコの本質は変わっていないのではないでしょうか?
武藤さんも幻惑されたのではないですか?
身内や親しい人を呼ぶとダメになる、というか。鹿島でもたまに大ハズレの監督引いてきてたし。