引き続き、様々な意見を述べてくださる方々が多数来訪され、改めて感謝。それにしても、岡田氏を評価しない人って多いのだな。確かにバーレーン戦は本当に酷かったからね。まあ、痛恨の1敗をネタに皆で上を下への大騒ぎができるのだから、我が国も着実にサッカー大国への道を歩んでいると、前向きに捉えておこう。
今日は全く異なる視点から日本代表を考えてみた。バーレーン戦のあまりの情けなさに、ついつい近視眼的になりがちな昨今、少しは志を高く持たねばと考えた事なのだが。南アフリカに向けて、日本は乱暴に分けて4種類のサッカーをする国と公式戦で戦う可能性があると思うのだ。
まず、日本より総合的かつ圧倒的に戦闘力が高く、かつ攻撃的なサッカーを指向する国。具体的にはブラジル、アルゼンチン、ポルトガル、オランダ、イングランド、スペインあたり。これらの国と戦う場合(あるいは「戦うラウンドまで進めた場合」と言う表現が妥当か)どうするか。まあ、組織的な守備を固め、早く短いパスをつなぎ、押し込まれる時間帯を少なくし、勝負どころを見極めて揺さぶると言う、常識的な抵抗をとる事になるのだろう。ただし、本大会の1次リーグでは、かなりの確率でこれらの国と同じグループになり、できれば引き分けるあるいは最小失点でしのぐ、と言うのはシビアな目標になるのだが。
これがある程度機能したのが、98年のアルゼンチン戦や05年コンフェデのブラジル戦と言う事になる、いずれも負けたけれど。親善試合だが、04年に久保の一撃で快勝したチェコ戦は典型的な成功例か。
次に引いてきて中盤である程度持たせてくれる国。これは強いところでは、イタリアあたり、東欧や南米のチームもそのような狙いで来る可能性がある。また、アジアのライバル達がこの策で来る可能性も高い。もちろんリードされた場合に、敵が引きこもるケースも含まれる。
この場合、相手がイタリアだろうがアジアのチームだろうが、日本の狙いはほぼ同じになる。サイドチェンジを有効に使い、できるだけ早くサイドを崩す。また、悪い場所でボールを取られない事、あるいは攻撃で無理をした直後に敵にボールを奪われた時に、判断よく攻撃から守備に切り替える事などが必要になる。もちろん、相手がイタリアを筆頭にする強豪国ならば、サイドを崩してからもう一工夫ないと点は取れないだろうし、攻撃の僅かなずれから速攻→失点と言うリスクはより高いのだが。
98年のクロアチア戦では、攻め切れないうちに中盤のミスからの速攻にやられた。リードされた後に守備を固められたのが、02年のトルコ戦、04年五輪のイタリア戦。退場者が出たためだが、昨年のアジアカップ韓国戦も同じ展開。いずれも、敵の分厚い守備を破れなかった。逆に00年五輪のスロバキア戦や02年のチュニジア戦のように、日本のボール回しからの攻撃が敵の厚い守備を破るのに成功した事例もある。
3番目に考えられるのが、とにかく強引に前進してくる国。先日のバーレーンが1つの典型だが、豪州や北欧、さらに中東の国がその策を取るケースが多い。また、日本選手の体格を考慮し、ブラックアフリカや欧州のチームがこの狙いで戦ってくる場合もある。日本がリードしている際の無理攻めもこの範疇に含まれよう。
これに対抗するのは、我慢をしつつ、時にラインを浅くして、蹴られても丁寧につないで試合をスローテンポに落とす事が重要。同時に持久力で上回り、最後に技術で打ち破るのが有力な手段となる。
昨年のアジアカップの豪州戦ではPK戦に持ち込まれたが、このやり方が見事に機能。逆に06年の豪州戦では、後半途中まで巧く戦い、再三シャープな逆襲も見せていたのが、ああ悔しい。その他、やはり勝ちきれなかったが、02年のベルギー戦もこのような試合、サイドプレイヤの押し上げの遅れから2失点したのが痛かった。00五輪の合衆国戦も似た展開だったが疑惑のPKで追いつかれ、最後PK戦でやられてしまった。
そして4番目が、いわゆる互角の展開。同等前後の戦闘能力の相手と、技巧、判断、運動量などで中盤戦を競う試合だ。韓国や中南米との試合はこうなる事例が多い。このような試合は、お互いのゴール前での駆け引き、あるいは相互のスター選手の活躍などで勝敗が分かれる。
おおむね韓国とは中盤でちょっとこっち有利、ゴール前でちょっとあっち有利で、いつももつれる。昨年のスイス戦は名サイドバックのマニンがいる間は劣勢、いなくなったら中村のパスがビシバシ通り逆転と、わかりやすい展開。06年のクロアチア戦は98年と異なり中盤戦、川口がPKを止め、柳沢がナニして、最後は双方スタミナ切れで引き分けに終わった。05年コンフェデのメキシコ戦は、ジリジリと攻勢を取られ、最終ラインの弱さをつかれた。02年のロシア戦は超満員の大観衆と共に戦い抜く勝利。
で、何が言いたいかと言うと、日本代表には、このような多様性が必要なのだなと言う事。足元をなおざりにしてはいけないけれど、目標を高く持つ事も忘れてはいけないのだ。
2008年04月04日
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ここに今のイングランドは来ない気がします。ただ最強クラスの相手とアウェ−で戦う経験が今の日本に欲しいもんです。
強豪と互角以上の戦いをした時、中堅国に完勝に近い戦いをした時、格下に圧勝した時・・・etc
長短緩急織り交ぜた中盤の構成力で勝負して、ポゼッションを高めることで守備機会そのものを減らして
失点リスクを軽減する
監督の個性・選手選考によるブレはあったけど、この10年はおおむね(いい時の)スタイルは一貫していました
しかし、どうやら日本サッカー協会には「ロングボール教」が存在します
謎の15秒ルールに基づいた放り込みサッカー
一時、ジュニアユース年代ですら人材に乏しい長身FWを嵌め込んでそれを徹底させ、日本のスタイルとしようとしていました
しかし日本の強みは中盤支配パスワークのはずです
選手自身が試合の中で考えてパスをつないで走る
トルシエ風に言えば「規律・オートマティズム」
ジーコ風にいえば「自由」
オシム風にいえば「考えて走るサッカー」
これらは相反するようでいてそうではありません
監督交替のたびに「ロングボール教」が頭をもたげるのが協会です
この協会的ロングボール教から代表を守る、という点でトルシエ・ジーコ・オシムの思想は同じでした
岡田監督就任以降、代表は徐々にこのロングボール教に汚染されて行っているように見えます
まるでアテネ五輪代表のように
「俺流宣言」をした岡田ジャパンの今後がどうなって行くかは分かりませんが、日本の長所と短所を忘れないで欲しいものです
間違ってもかつての韓国のように予選は無敵でも本戦ではお話にならないアジア限定放り込みサッカーにはなりませんように・・・
監督が変わっても、いつもよい試合は同じパターンという上のコメントから考えると、個々の選手の行動パターンが状況に対応して変化しないので、チームの多様性が得られない、というのが正解なような気がします。
それに関連して。
外国のコーチから、日本人選手は敵がいるとテクニックを発揮できない、とよく言われます。単に慌てやすい性格というような心理的な原因ではなくて、局所の状況にあったプレーを選択できないという能力的な原因かもしれないと思いました。
どうしてかというと、意外にも「言葉が通じすぎる」からなんだそうです。
オーケストラのレベルがある程度高いと、演奏者はスキルも経験もありますから、自分がオーケストラというグループ内で何をすればいいかわかっているわけで、そうなると、どう演奏しなければならないなんてことを「教えてもらう」よりは、自分を刺激してほしいわけです。
そうなると、それにはカリスマが必要なわけですが、外国人だと、「言葉が通じない」というだけでそれがカリスマとして働いてしまうと。つまり「自分とは違う何かを持っている」という意識が、ある種カリスマを見るように働いて、その指揮者の考え方を理解しようとか、自分の演奏を見つめなおそうとか、そういう化学変化が起こるというんですね。
同国人指揮者では、わかりすぎてしまって、逆に余計なことを考えてしまう。軽視するわけではないが、初心に帰って新しい自分を発見したり、指揮者や音楽に対してリスペクトしようという気分が盛り上がらない、と。
なにが言いたいかというと、事は岡田の実力や実績云々ではないということです。選手のサッカーに対する理解度や経験値、技術も98年大会当時より相当高くなっています。底辺も選手層の厚さも拡大して、選手を集めればすぐにチームになるくらいスキルが上がってきている状況で、必要なのは、選手を前向きにして、実力以上のものを発揮させるカリスマだと、その岩城宏之氏の言葉は示唆していないかということです。
ジーコは監督として未熟ながら、カリスマだけでオール日本人の日本代表をあそこまで持っていった。カリスマだけですからチームを段階的に強くすることはできませんでしたが、たまに実力以上のものを出させることには成功しました。
岡田のようなコーチタイプはチームの底上げのために悪くないですが、Jで疲弊して、あるいはヨーロッパから長いフライトの末にチームに集まってきて、しかも勝つことを求められている選手に「活」を与え、一戦に集中して勝利を信じさせて送り出すというような心理マネジメントは、「同国人」の岡田には荷が重いかもしれません(彼がどのような実績ある監督であったとしてもも)。