2005年12月28日

池田と三田

 J各クラブは来期の補強に忙しい。いずれのクラブも補強の主体となるのは、トレードと言う事になるのだが、少しベガルタからみのトレードについて考えてみたい。



 ベガルタは、元エスパルス(サンフレッチェにレンタルされていた)の池田のレンタルによる獲得を発表した。このDFは、アルゼンチンワールドユースでもレギュラ格のタレント。またアテネ五輪チームでも初期は完全にレギュラーだった。

 一方、ベガルタはアルビレックスからレンタルしていた三田の返却も発表した。三田は池田と同じくアジア大会でレギュラーを獲得していたセンタバックだった(ただし、三田はユース時代は代表にほとんど選考されず、FC東京からアルビレックスに移籍して頭角を表した存在だった)。

 今思い出してみると、このアジア大会のチームは中々よかった。序盤戦こそ不安定でパレスチナに苦戦などしていたが、2次トーナメント進出後は、中国、タイに完勝、決勝もイランに押し気味に進めながらDF青木の決定的ミスで敗れたもの。山本氏が率いたアテネ五輪チームは、1年半ものの壮大な時間とコストをかけて無様な結果に終わるわけだが、このチームの黎明期にあたるアジア大会の時は相当強力だったのだ。

 池田と三田は、阿部(または青木)をセンタにした3DFを組んでいた。三田の粘着力あふれる1対1の守備は、大会を通じてほとんど抜かれる事はなかった。私はこの三田の独特の守備の巧さを見て感心し、A代表も近いのではないかと思ったのだが。池田の空中戦も大会中ほとんど勝利を収めていたし、重要なところで自ら得点もした。つまり、ほんの3年前、この2人は新進気鋭の守備者として、国際試合でも存分に活躍していたのだ。

 ところが2人とも、その後伸び悩んだと言うか、山本氏に見捨てられたと言うか、五輪代表にも定着できず、自チームでもレギュラを確保できず、トレードで他チームに移り(池田はエスパルスからサンフレッチェ、三田はアルビレックスからベガルタ)、さらに今シーズンを終えて、再び別チームに移ることになった訳だ(三田は原籍のアルビレックスへの復帰だが)。期待されたタレントの伸び悩みを見るのはつらい、是非に巻き返しを期待したい。



 池田と三田の同世代の守備者を考えてみよう。

 現状一番の出世頭はA代表に定着しつつある茂庭。茂庭はワールドユースの候補選手だったが負傷でアルゼンチンを棒に振り、釜山アジア大会では三田、池田の控えに甘んじた。しかし、五輪1次予選のミャンマー戦で得点を決めるなど、チャンスを活かし、レギュラーを獲得。FC東京でも中心選手として活躍しているうちに、ジーコ氏のお眼鏡にも叶いA代表まで昇格した。

 那須は五輪代表の守備者としては最も安定した存在だったが、主将まで任された本大会初戦のパラグアイ戦で信じられないミスを演じた以降、何かしら影の薄い存在に。すさまじいほどの選手層の厚さを誇るマリノスで、準レギュラ格に降格してしまった。

 闘莉王はレッズの文字通り大黒柱。身体の強さを活かした守備、しっかりとしたカバーリング能力、強引な攻撃参加が魅力。けれども、時にすべてを自分で解決しようとする悪癖があり、シーズン終盤の重要なガンバ戦は闘莉王が攻撃ばかりを考えた事が直接の敗因となった。このままではとてもではないがA代表には使えそうもない。

 角田も不思議な選手だ。安定した守備力と強い精神力を考えると、アテネ行きは当然と思われていたが、かなり早い段階で五輪代表候補から外される不思議な事態。その後も、グランパスで当然中心的存在となる事が予想されたが、必ずしもレギュラを確保できないでいる。

 こう見てくると改めて、若い選手の成長は予期しがたいものがあると言う事がわかる。池田も三田も、まだまだ若い。慌てずに目の前の環境で最善の努力を尽くし、成長して欲しいものだ。
posted by 武藤文雄 at 23:36| Comment(1) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月10日

40年目の歓喜

 さすがに今日は、こちらでありましょう。おめどとう、ヴァンフォーレ甲府、あるいは甲府クラブ。この日本屈指の歴史ある偉大なクラブ関係者の全てに、最大限のお祝いと羨望の意をお伝えしたい。本当にうらやましい。



 ヴァンフォーレの前身である甲府クラブの創設は1965年、設立40年目の節目の歓喜と言う事になる。(全くの偶然だが、ヴァンフォーレと入れ替わるように2部に落ちる)日本のクラブサッカーの老舗であるヴェルディの創設が「1969」年だから、歴史はヴェルディよりも古い。日本リーグ(JSL)の2部ができるのは1972年だが、その創設時からのメンバ。73年には2位に入り1部との入替戦にも出場し、日本鋼管(後のNKK)に敗れている。さらに遡れば、JSL2部ができる前の、69年、70年にも全国社会人選手権で上位に入り(当時1部しかなかった)JSLとの入替戦に出場、70年は73年と同じ日本鋼管、そして69年には、何とレイソルの前身である日立に負けている(つまり、今日の勝利は36年目の復讐劇と言う事になるな)。

 ただし、甲府クラブには、読売クラブのように確固としたスポンサ企業はなかったので(80年代後半まで一篤志家の出資で経営が成立していたはず)、クラブの維持運営の苦労は並のものではなかった。それでも常にトップリーグに所属していのだから、(韮崎を含む)甲府地域の「サッカー力」が並々ならぬものだった事がわかる。そして、その「サッカー力」ある地域は、我々に「中田英寿」と言う存在を提供してくれた訳だ。

 そのヴァンフォーレ甲府が経営破綻に近い状態になったのは、つい最近の事だった。しかし、サポータを含むヴァンフォーレ関係者は、必死の努力でその危機を乗り切った。あの経営危機以降にヴァンフォーレが獲得したスポンサの数を見るだけでも、その努力が理解できようと言うもの。



 来シーズン、我々はかつてない熱狂的な「甲府」を見ることになるのだろう。J1で「川中島決戦」を見る事ができるとは。

 イベント屋さんに提案。来年ワールドカップ後に、ヴァンフォーレ対ボルトンを是非小瀬にて。

 さらに無責任な提案を野次馬から山梨の皆様へ。皆様にとって「小瀬」は聖地であろう。でも、でも、できれば、この勢いに乗って、もっと駅から近い場所に、見やすい専用競技場を作る訳にはいかないでしょうか。その名も「Hide Stadium」。



 この日は偉大な歴史が絶たれた日でもあった。72年に全国リーグのの2部リーグが設立されて以来、常に所属していた唯一のクラブであるヴァンフォーレ甲府(甲府クラブ)が、ついにその場から去るという意味で。

 

補足

 10月30日のエントリにおいて、ヴァンフォーレの歴史について、誤って、「前身の甲府クラブが1度も日本リーグ1部との入替戦に出場していない」と言う記載をしてしまいました。コメント欄で「甲府サポ 」殿から、指摘があり気がついたものです。当該エントリも修正させていただきました。

 それにしても「甲府サポ」様、おめでとうございます...悔しい...
posted by 武藤文雄 at 23:41| Comment(14) | TrackBack(4) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月08日

過去は取り返せない

「都並氏との契約を延長しない」と意思決定したベガルタの監督人事が、ベガルタサポータの枠を超えて話題になっているようだ。最初は都並氏が選手として人気があり、マスコミが興味を持ちやすいためかとも思っていた。けれどもどうも違うようだ。マスコミにせよ、各種のblogやWEBサイトにせよ、ベガルタフロントのチーム作りのコンセプト(その象徴としての監督人事)がフラフラしていると言う叱責が多い。



 全く仰せの通りである。ここ3シーズンのベガルタフロントの監督人事を振り返ってみよう。

 03年シーズン後半戦に入ったあたりで、J1陥落を阻止するがため、奮闘を続けていた当時の清水監督を突然更迭。代わりに契約したのが、理論派しかも育成型としての実績があるベルデニック氏。しかし、就任当初から不安視されたように、氏は短期決戦での丁々発止は必ずしも得意でなく、そのままJ2陥落。

 J2に陥落はしたが、大量の前途有為な若手選手を補強し、理論派育成型ベルデニック氏にじっくりと鍛えてもらおうと言う姿勢は悪くなかった。しかし、04年シーズンは、冒頭から連戦連敗を繰り返し、中盤戦で上位を伺うところまで行くも、終盤は再度連敗を繰り返し、第4クール早々にJ1昇格の可能性を無くしてしまう。さらに、複数年契約だったにも関わらず、「過大な選手補強を要求するベルデニック監督はダメ」と言う理由で、多額の違約金を払いながらベルデニック氏を更迭(この違約金が確定したのは、更迭後数ヶ月経ってからだったから、更迭時には支払わなくて済むと考えていた可能性もあるが)。

 そこで後任として契約したのが、かつての日本代表の名手都並氏、ただし指導者としての実績は全くない状態での抜擢となった。つまり、この時点では「(多額の違約金+実績のある理論派監督)<監督経験のない日本代表OB」と言う判断があった訳だ。しかし現実は厳しかった。周囲の懸念通り、リーグ序盤はまたも勝てない。しかし、その後紆余曲折があり、チームは立ち直り、上下動を繰り返しながら、後一歩で入れ替え戦と言うところまで行く。そこで最後の試合で言い難い謎の監督采配でドボーン。そして、「Jリーグ昇格に失敗した以上は責任を取らせる」として、都並しとの再契約は行わないと発表。



 このようにまとめてみると、改めて03年以降、ベガルタフロントは監督人事について、フラついて来た事がよくわかる。各方面で言い尽くされているが、「新人監督を抜擢しJ1昇格が果たせないからクビにする」のならば、最初から新人の抜擢などせずに、「もっと経験ある監督でJ1昇格を目指す」べきだったのだ。そう、少なくとも1年前のベガルタフロントは間違えていたのだ。いや、その前に遡り、清水氏をクビにして、ベルデニック氏を招聘したところで間違っていたのかもしれない。



 けれども、ちょっと待て。

 

 では、現時点でベガルタフロントは間違えているか。それは違う話なのだ。

 1年前、あるいは03年のシーズン中。いくつか、間違いがあった。しかし、過去は取り返せないのだ。選択できるのは現在だけなのだ。

 つまり、過去間違えたとしても、現在は現在で最適な選択をしなければならない。1年前チームの目標は「J1復帰」と社長以下名言していた。その目標に対し新人監督を起用したのは間違いだったかもしれない。しかし、1年経った今、議論されるべきは、「J1昇格に向けて、このまま都並監督を継続するのがよいか、他の監督にするのがよいか」と言う問題だけなのだ。

 もっとも、判断基準は目標や対価によるのは言うまでもない。例えば目標を「J1昇格」でなく「若手育成」とするならば、「若手育成」のために都並氏は最適かと「現在」を考えればよい。同様に都並氏の契約が複数年契約の場合だったならば、「現在」の「違約金と監督の適正」を比較して判断すればよい。

 

 繰り返そう。過去の失敗の批判は重要である。しかし、本質的な問題は「『現在』の課題を考えたとき、どうすべきなのか」なのである。

 その「現在問題」として、都並氏をどう捉えるべきか?これについては、改めて述べる事にする。
posted by 武藤文雄 at 23:26| Comment(13) | TrackBack(1) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月06日

都並氏との別れ

 さすがに、あのような負け方(負けた訳ではなかったが)をした後だけに、最終戦について書いた後、ドッと疲労感が出てサボっていた。そろそろ、入替戦の展望くらい書いて、復帰しようかと思っていたのだが、ベガルタが公式に監督交代を発表したのだから、何か書かない訳には行かないか。と言って、都並氏について、「ああクビですか(正確には契約更新をしないだけで、クビではないのだが)」と言いながら、簡単に論評するには余りに想いが深すぎる。したがって、今日のところは雑駁な想いを語るのみとさせていただく(なお、以下の文章は「ベガルタの方から都並氏の契約更新を拒絶した」と言う仮定に基づいている、「都並氏の方から拒絶した」場合は、論点が大分違ってくる)。



 それにしても、都並氏との1年を振り返ると、何とも言えない「濃密な」上下動を味あわせてもらったものだと思う。

 序盤戦、負傷者が相次いだものの、およそ非組織的な無様なサッカーによる連敗。昨シーズンの欠点である「ボールの取られ方の悪さ」はそのまま継続し、さらに「ペナルティエリア外の守備の大穴」と言う欠点を加え、再三いとも簡単に失点を許したサッカーは感動的ですらあった。

 それでも、第2クールはシルビーニョの復帰もあり、何とか立て直し上位に付いて行く。ところが、第3クール前半でのでの低迷。さらに、サポータの感情を全く考慮していないかのような、他人事のような発言。

 しかし、第3クール後半からの追い上げは実に見事。ボランチに菅井を起用した以降、前線からのプレスを時間帯によって使い分け、8人の守備ブロックでしっかり守る4−4−2の安定したチームが出来上がった。さらに、終盤戦では両サイドを再三見事なパスワークで崩す事もできるようになった。加えて、いずれのポジションもバックアップを抱える分厚い選手層。

 そうは言っても、最後の2試合でサンガとアビスパに勝てなかったのだが(この問題については別途詳細に検討したい)、内容と選手の戦う姿勢は素晴らしいものがあった。あの第3クール以降の苦しい状況でチームを一本にまとめ、入替戦まで後一歩まで粘ったのだから大したものだ。

 一方で、最終戦の前代未聞とも言うべき迷采配。



 来シーズンベガルタの目標がJ1昇格だとして、このような上下動を見せてくれた単年度契約の新人監督との契約を更新すべきか否か、これはとても難しい問題だ。

 結論から言えば、私は(過去の「選手都並への想い」は別として)「契約更新せず」は正しいのではないかと考えている。しかし、その理由はとても簡単には述べられないので、何回かに分けて今シーズンのベガルタを振り返りながら詳説していきたい。



 なお、私は都並監督に対するベガルタフロントの姿勢は評価されていいと思っている。シーズン中、不振が続いた状態でも、社長を中心に「都並氏を信頼している」と発言を繰り返し、監督の立場を守った(もっとも、不振に怒って抗議するサポータの矢面に、都並氏を立たせるような失態が複数回あったのも事実だが)。そして、シーズン終了後に「何がしかの判断」で、契約更新をしない事を発表した。発表後の都並氏の発言も穏当なもので、フロントと監督の間で、落ち着いた話し合いがあった事が推測される。

 当たり前の事と言えば、当たり前の事だが、その当たり前の事を、前の2人の監督を代える時はできなかったのだから。
posted by 武藤文雄 at 23:37| Comment(34) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月03日

もう君をかばえない

 妻と坊主に「このような悲しみを味わうために、俺はサッカーを見ているのだろうな」とつぶやいたら、坊主に「もし入替戦に出ていたら『入替戦のような興奮を味わうために俺はサッカーを見ている』と言うくせに」と指摘された。



 過去、幾多の悲しみを味わってきた。けれども、今日のベガルタの入替戦進出失敗のように、もやもやとした爽快感の無い悲しさを味わった事は、あまり経験がない。理由は明白で、ベガルタ都並監督の采配振りが余りに理に叶っていなかったからだ。

 押し気味に試合を進め、決定機も複数回掴みながら得点できず0−0で前半終了。後半開始早々の決定機も生かせず。この日アビスパのGK水谷は、開始早々のシュウェンクのFKを見事な読みで止めてからは絶好調で、少し嫌な雰囲気が漂う。そして、逆襲から許したFKをアビスパ古賀誠に見事に決められて先制される。守りを固めるアビスパに対し、必死の猛攻をしかける。そして65分、30mほどの距離のFKから、村上が強烈に決め同点に追いつく。ここまでは、内容も良く、的確な試合運びだった。

 ところが同点に追いついたあたりで、前半から飛ばしていたためだろうか、ベガルタMF陣の疲労が顕著になり、あまり攻め込めなくなる。この時点で西京極でサンガと試合しているヴァンフォーレは1−1。確かに両方の試合がこのまま終わればベガルタの入替戦出場となる。しかし、もしヴァンフォーレがリードすれば状況は一変する。とすれば、ベガルタは攻撃を仕掛けリードを狙うべきだろう。さらに言えば、さらに失点を重ねもし負けたとしても、ヴァンフォーレが同点のままならば、勝点で双方は並ぶが得失点差でベガルタは優位にある。つまり、ベガルタはリスクを負いやすい状態にあった。逆に考えれば、ヴァンフォーレは同点のままでは何が起こってもどうしようもないから、相当な無理攻めを仕掛けるのが当然の状況。しかも、アビスパは早め早めの交代をしてきているので、敵の様子を見る必要もない。あれやこれや確率を考えても、無理攻めを仕掛ける時間帯では無いが、攻めを重視してよい状態だった。

 しかし、都並氏は動かない。ベンチには変化あるパスが持ち味の財前もいる。もし、財前の守備力に不安があり中盤のバランスを崩したくないならば、(そもそも控えにいる理由が不明だが)展開力も運動量もボール奪取も期待できる菅井もいる。カードは3枚残っている。ああ、それなのに。

 このような合理的に説明できない采配を継続されたので、非常に悪い予感、落ち着かない予感がしていた。ベガルタの各選手はそれでもよく動き、ほとんどピンチを招かない。しかし、攻めも有効に機能しない。同点のまま時計は進む。

 ここで恐ろしい一報が届く。ヴァンフォーレがとうとう逆転したと言う。ベガルタはこのままではダメになった。残り時間は10分を切っている。都並氏は慌てて、財前、富田を投入し、再び攻撃に出る。幾度か好機を掴むものの、ベガルタに水谷が立ち塞がる。さらに、大柴に代えて熊谷を投入し、シルビーニョを前に出すが、熊谷に往年の展開力が無いのは幾度も確認されていた事。それにしても、第3クール半ばに起用されて以降、完全にチームの中核となっていた菅井を全く起用しないとは...

 しかし、それでも選手たちは素晴らしい戦いを見せてくれた。幾度か無理攻めから好機を掴んだのだが...



 1−1のまま、試合終了。藁をも掴む想いで、チャンネルを西京極に切替える。ロスタイム、ヴァンフォーレゴール前での直接FK。サンガ鈴木悟の見事なシュートがポストを叩いた。

 1年間の冒険が終わった。

 

 過去、いくらでも監督の采配ミスで涙した試合を体験してきた。采配ミスには、監督の判断のミス、考え過ぎて策を弄し過ぎるミス、過緊張で動けずに采配の機を逸するミス、逆に興奮し過ぎて動き過ぎてバランスを崩してしまうミスなど、様々なミスがある。それらもまたサッカーである。

 しかし、今日体験させられたミスは、勝点勘定において、およその合理性すら見られないミス。つまり、判断ミスとか、精神的なものによるミスではない。理解力不足によるミスとでも言おうか。選手が素晴らしいプレイを見せてくれただけに、あまりに、あまりに悔しい。

 44試合最後の最後まで可能性を見せてくれたベガルタ。あと2試合は夢と消えたが、最後の最後まで愉しませてくれた事に不満はない。そして、30年以上に渡るサッカー体験において、初めての種類の失望感すら味わえたのだから。



 サッカーは奥深い。

 

 西野監督、俺の負けだよ、おめでとう。

 宮本の涙は美しかったよ。でも、それにしても、サッカーの神よ。あなたは何としても森島と言う稀代の英雄に歓喜を提供したくないのだろうか。
posted by 武藤文雄 at 22:54| Comment(19) | TrackBack(2) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月02日

人生にそうはない幸せ

 愛するクラブが、かつての名選手を監督に迎え、思うに任せぬ強化でドタバタしながら、少しづつチーム力を積上げ、とうとう昇格入替戦を賭けた最終戦に臨む。そして入替戦。

 これほど夢のような体験をできる事は、人生にそうはない。情けない事に諸事情で福岡に行かれないヘタレサポータの私だが、この状況そのものをたっぷり堪能したいと思う。アビスパに敵地で勝つのは容易ではない。しかし、前節のサンガ戦にあれだけ組織的で集中した戦いができたベガルタである、相当な質のサッカーが展開できるはず。ヴァンフォーレの結果云々でなく、しっかりと勝点3を獲得し、入替戦出場権を獲得する事を信じている。

 ベガルタのこの1年を振り返る文章を、先日のエルゴラッソに書く機会をいただいた。以下にそのまま転載するが、改めて本当に七転八倒する何とも言えない1年だったと思う。そしてここまで苦しみに苦しみ抜いた1年なのだから、最後の最後に快感を味わう事を期待しても、決して贅沢ではあるまい。



 まずは明日の歓喜を。



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 私が愛するベガルタ仙台。七難八苦を乗り越え、遂にJ1復帰まで後一歩まで到達した。

 昨シーズン終盤に発表された仙台の監督人事は驚きだった。ベルデニック監督を多額の違約金覚悟で更迭し、都並氏を招聘したからだ。選手としての都並は大変な名手だったが、指導者としては未知数。J1昇格が目標の仙台としては、冒険的な抜擢と思われた。

 もっとも、都並は決して順風満帆の選手生活を送った訳ではない。10代から日本代表のレギュラとなったが、20代半ばにはスピード不足もあり読売クラブでも控えとなる時もあった。そして、30歳を過ぎてから、豊富な経験を活かし再度代表の定位置を奪い返した。これほど、日本代表で紆余曲折した選手は少ない。これだけの経験は指導者として、他に無い価値になる可能性は十分にあった。

 しかし、現実は厳しかった。第1クール、大エースのシルビーニョなど中心選手の多くが負傷した事もあり、下位に沈む。第2クールに入り、シルビーニョらの体調が戻り、守備も富沢と木谷を軸に安定し、次第に上位に進出。ところが、第3クールに入ると、サイドバックの攻撃参加を抑えられ苦戦の連続、再び中下位に低迷。

 このあたりまでは、リードを許すと、都並監督は逆転したいあまりに、MFに攻撃的な選手を無理に並べ、かえってバランスを崩す事が多かった。そのため、後方からバロンへ単調なロングボールを当てる事が多くなり、有効な攻撃ができない悪循環が続いた。

 惨敗の連続に怒ったサポータに対し、都並監督は売り言葉に買い言葉とは言え、「素人にプロの問題点はわからない」とか「J1昇格を約束した訳ではない」など、軽率な発言を繰り返した。そのため、結果の悪さと合わせ、多くのサポータが「都並更迭論」を主張する事になった。

 しかし、第3クール後半、ボランチ菅井の起用以降、チームは上向きになる。攻め上がったサイドバック後方を菅井がカバーする事で、敵の逆襲を抑えると共に分厚い攻めが可能になったのだ。今の仙台は3シーズン前のJ1時代を凌駕する戦闘能力を持ちつつある。

 先週末、仙台スタジアムでの京都戦。満員のスタジアムから、とうとう万雷の「都並コール」が流れた。不首尾を厳しく糾弾しながら真摯な応援を続けたサポータ、不手際があっても逃げ出さず死の淵から這い上がるのに成功した都並監督、都並監督の立場を守り抜いたフロント、そして何より厳しい43試合を戦ってきた選手たち。全員が勝者となった。

 いいチームになってきた。守備は計算できる。シルビーニョが展開し、大柴が変化を作り、加えて「ほんの少しの幸運」があれば、どんなチームからも点は取れる。そして、「ほんの少しの幸運」を生み出すのは、我々サポータの熱狂的な応援なのだ。

 残り、あと3試合、必ずや栄冠は我々の手に。
posted by 武藤文雄 at 23:29| Comment(6) | TrackBack(1) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月01日

J1優勝予想シュミレーション

 J1の優勝争いを少し整理するために、玩具を製作してみた。こちらのエクセルファイルを開いてください。

 例えば、セレッソが土曜日にFC東京と戦う訳だが、10回戦うとしたら、セレッソから見て4勝5分け1敗くらいかなと予想しているので、そう入力してある(この予想に対しては後述)。他のクラブについても同様。その結果として出てくる各クラブの優勝確率が自動計算される。計算方法は単純、例えばセレッソならば、優勝条件は、

1.勝利

2.セレッソ引き分け、他全チーム引き分け以下

3.セレッソ負け、ガンバ負け、他3チーム引き分け以下

となるから、そのような事象の発生確率を計算している。多分、計算は合っていると思うのだけれども。



 以下、私の予想。

 セレッソは、相手が好調のFC東京、ブルーノ・クワドロスの出場停止とマイナス要因も大きいが、攻守のバランスの良さ、ここ最近のチーム全体の精神的安定、森島のリーダシップなどを勘案して、勝つ確率が高いと見て、4−5−1(勝ち、分け、負けの順)と予想した(本エントリー最後に、付録としてエルゴラッソに掲載いただいた、セレッソ優勝予想を添付しました)。

 ガンバは、完全にチームのリズムが狂っている。宮本、大黒も本調子とは言えず、フロンターレの充実、アウェイと言う事を考えると、勝ちきるのは相当苦しく、3−4−3と見た。宮本がどこまで踏ん張れるか。

 レッズも、先日のガンバ戦の自滅が気になる。単純に戦闘能力を押し出して堂々と戦えばよいのだが、ブッフバルド氏は重要な試合になると、姑息な策に走り勝ちになる。妙なトリックプレイや闘莉王の独断などは、最後の新潟スタジアムとなる反町氏の好餌となるのではないか。2−5−3と見た。

 アントラーズは、相手に恵まれた。レイソルは完全に入替戦準備モードのはず。相当な確率で勝つと思う。8−1−1−と見た。

 ジェフも、相手のグランパスのモチベーションがそう高くはないと思う。勝つ事はそう難しくないのではないか、7−2−1と見た。

 すると、セレッソの確率が42%、アントラーズが27%、ガンバが18%と言う事になるのだが...



 言うまでも無く、一連の数字が「予想」となる。FC東京の好調を重視する人は、セレッソへの評価が厳しくなるだろうし、ガンバ、レッズの復調を予測する人もいるだろう。それぞれ、適宜入力して遊んでみてください。



<付録>エルゴラッソに書いたセレッソ優勝予想



 C大阪が最終節に勝利し逃げ切ると見る。森島が念願の初タイトルを獲得し、小林監督はC大阪での優勝、大分のJ1昇格と言う実績により日本代表監督有力候補に踊り出る。

 33節C大阪は、前節鹿島に完勝しすっかり上位いじめが板に付いている横浜Mと、敵地で対戦した。前半、やや横浜Mペースで進むが、これはC大阪にとっては敵地ゆえの想定範囲内。そして後半開始早々、敵DFのミスを森島が見逃さず先制。その後は横浜Mの猛攻をB・クワドロスと吉田を軸に我慢し、速攻をしかける展開。若手DFの藤本の対応能力にも驚嘆。終盤、横浜MのDFを減らした無理攻めに幾度か危ない場面を耐えながら、古橋を軸に決定機を掴むも決めきれず。そして運命のロスタイム...

 少々ショッキングな結末。しかし、冷静に考えれば、久保不在とは言え好調の横浜Mに敵地での引き分け。遂に勝点でトップに立てたのだから上々の結果と言えよう。

 最終戦、ホームとは言え好調のFC東京に勝つのは簡単ではない。

 しかし、小林監督が丹念に作り上げた組織守備は中々のもの。今シーズン、江添、前田、藤本と若手DFが次々にデビュー、皆個人的にも組織的にも見事に機能していた。B・クワドロスの出場停止は確かに痛いが、これまでも新たな選手が登場しても組織守備は崩れなかった。絶好調のGK吉田を軸にそう簡単には失点しないはず。

 一方の攻撃ライン。日本協会ご用達のコーチが好んで用い、いつも消化不良に終わる1トップ2シャドー。だが、2シャドーの技巧と判断力が森島、古橋ほど充実していると実に効果的。この攻撃ラインは、どのような敵からでも得点を奪い取れる。

 優勝、降格争いに無関係なチームも、高いモチベーションで戦い、最後の最後まで目を離せないリーグ戦。このような素晴らしいトップリーグを所有できる事を誇りに思う。
posted by 武藤文雄 at 23:27| Comment(3) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月26日

確率の問題

 いよいよ終盤戦を迎えたJ2。ベガルタは非常に痛い敗戦を喫した。しかし、内容は充実しており、今後を多いに楽観できるものだった。

 開始早々、プレッシャのためか、やや固さの残るベガルタDFの隙を突き、サンガのアレモンが2度ほど決定機を掴む。しかし、高桑が落ち着いたプレイで防ぐ。それ以降両チームともドイスボランチの4−4−2が、ガッチンコぶつかり動きの少ない試合となり、前半はそのまま終了。

 後半当然ながら、勝点3の欲しいベガルタは、中田洋、村上の両サイドバックが積極的に上がり、前掛りになる。加えてテ、シュウェンクも精力的にサイドに流れ、シルビーニョウの正確な展開から両翼に拠点を作り、堅固なサンガ守備ラインを崩そうとする。押し上げる両サイドバックの裏を狙うサンガのカウンタに対しても、千葉とシルビーニョがよくカバー。見事なサッカーを見せる。

 しかし、リカルド(いささか微妙な理由で仙台を去った名手、恩を仇で返されたと言うか、恨みを晴らされたと言うか)と鈴木悟のCBは強力で、思うに任せない。逆に点を取りたいばかりに、どうしても攻撃が単調になる。

 そうこうしているうちに、田原の見事なポストプレイから(木谷は厳しいマークで振り向かせないところまでは見事だったのだが)、中払がシュート、ベガルタDFはしっかりコースを押さえていた。ところが、当たり損ねの中払の一撃が、GK高桑とDFラインの中間に見事に流れ、素晴らしい動き出しをしていたアレモンに抜け出されて決められてしまう。マークしていた根引は一瞬挙動開始が遅れた。無念。

 そうなると、サンガはしっかり守る。対するベガルタの攻撃も、丹念にしつこくしつこくパスを回し、何とかサンガ守備ラインに穴を開けようと創意工夫をこらす。しかし、大久保、鈴木和(これが大好きな選手なのだが)の両サイドバック、米田(シーズン前アビスパより強奪したこのボランチは来シーズンJ1で話題を奪うだろう)、斉藤のドイスボランチも、実に安定しており、どうしても隙を見出せない。

 終盤、根引を上げてのパワープレイ。3度ほど決定機を掴むも、GK西村の超ファインプレイなどあり、とうとう崩せなかった。



 幸い、ヴァンフォーレもお付き合いよく敗れたと言う。勝点差は変わらず。

 今日ベガルタが見せた組織力があれば、何も悲観する必要はない。よくぞ、ここまでの完成度まで来たものだ。サッカーは確率なのだ。守備は相当計算できる。後はシルビーニョが展開し、大柴が変化を作り、得点を上げるだけ。ほんの少しの幸運があればよい。そして、ほんの少しの幸運を生み出すのは、我々サポータ。それについても問題ないのは言うまでもない。

 残り、あと3試合、必ずや栄冠は我々の手に。
posted by 武藤文雄 at 23:39| Comment(1) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月25日

凄いリーグ戦

 明日のJリーグ、残すところ後2節。J1、J2合わせて6試合が、いわゆるサバイバルマッチとなる。



 ベガルタサポータとして気になる入替戦のお相手を左右するレイソルとヴェルディの直接対決。戦闘能力を考慮すると、どちらが来ても劣勢なのだから、どちらでも構わないと言えば構わない。ただし、明日レイソルが引き分け以上で自動降格脱出を決めるのだけは巧くない。そうなるとレイソルは、J1最終節をメンバを落とし休養できるから。つまり、極めて身勝手ながら、ヴェルディにはとにかく頑張ってもらい、最終節までもつれ込む死闘を切に期待する。そうすれば、最終節のアントラーズ−レイソル戦も十分な死闘になり、見世物としても面白いし。実際、片方が優勝、片方が自動降格になる可能性のある試合なんて、どんな雰囲気になるのだろう。



 ガンバは、西野氏がマスコミに対して、負傷者続出などの不運の愚痴をこぼしているのが気になる。さらに、結果論だが、先日のレッズ戦に「闘莉王の無謀による自滅」で勝ててしまった事が、チームのリズムの悪さの修正の発見を遅らせてしまったのが痛い。対するジェフは、オシム氏が「電車は行ってしまった」と語ったと言うが、これはいつもの三味線。あのお爺ちゃんが諦めている訳ないではないか。この試合はジェフの勝ちと見る。



 アントラーズは、J1残留をほぼ決めたエスパルスとの戦いゆえ、やや楽な戦いと予想された。しかも小笠原が復帰すると言うし。しかし、エスパルスは最終兵器とも言うべき「澤登引退、最後のホームゲーム」と言う超特大ミサイルをぶつけて来た。小笠原と澤登の美しい攻め合いによる引き分けと見る。



 しつこいようだが、レッズにはガンバ戦の自滅が今なお気になる。さらに続くヴェルディ戦でも、闘莉王が身勝手にPKを(本来のキッカのアレックスから権利を奪って)蹴るというトラブルがあったと聞く。それを容認するブッフバルド氏の指導力を考えるとこれ以上の成績は難しいと思う。本来であれば、サポータを含めた戦闘能力では上位5チームでは最高のものを持っており、残り2試合大差で2連勝して大逆転優勝してもおかしくないのだが。まあ、対するジュビロも山本氏が相変わらず「よい経験」と繰り返しているようで、明日は引き分けか。



 セレッソ、以前も語ったように、私は森島のタイトル獲得を祈っている。そして、セレッソには大きな幸運が訪れた。マリノス久保の離脱である。優勝を争っているアントラーズは、前節久保入りマリノスに苦杯を喫しているだけに、このセレッソの幸運は相当羨ましい事だろう。そして、セレッソは古橋、森島コンビで1試合に最低1点は期待できる。残り2試合とも、悪くとも引き分けには持ち込めるのではないか。ただし、久保不在とは言え、マリノスの粘り強さも相当。引き分けと見る。 

 

 そしてベガルタとヴァンフォーレ。ベガルタサポータの私としては、今更何も言い様がない。入替戦に出るためには、ベガルタもヴァンフォーレも勝ち続けるしかないのだから。

 ベガルタはホームに最強サンガを迎える。J1昇格、J2優勝を決めてからも、着実に勝点を積上げているサンガ、相当厳しい戦いになるだろう。しかし、この難敵を乗り越えなければ夢の実現は無い。戦うのだ。

 無論、ヴァンフォーレも気持ちは同じだろう。前節おそらく己のサッカー人生の中でもそうは無いだろう劇的な逆転劇を演じた事を、ヴァンフォーレイレブンはどう消化しているか。迎えるのは、前節歓喜に打ち震えたアビスパ。精神的コンディショニングについては、圧倒的にヴァンフォーレが優位な状況だが、えてしてこのような状況で迎えるビッグゲームは入り方が難しいものなのだが。

 いずれにせよ、サポータを含めた両クラブの全関係者の戦う意志が問われる後4試合である。 

 え、この2試合の予想?「ベガルタの勝ち、ヴァンフォーレは負け」に決まっているではないか。
posted by 武藤文雄 at 23:04| Comment(3) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月24日

さよなら澤登

 86−87年の高校選手権。私は彼を初めて観た。東海大一高は、大会前から優勝候補筆頭と言われており、後日フリューゲルスやサンガで活躍する主将の大嶽直人、アデマール・サントス(ブラジルからの留学生のはしり、ヤマハ加入後負傷に悩まされ体制できず)、杉山淳一(あの大杉山の息子)などの3年生選手が注目されていた。彼は6番をつけボランチのポジションで抜群の視野の広さで2年生ながらゲームを組み立てていた。「あの6番こそ本当の大物だ、これは期待できる」と私は興奮した。これが私の最初の澤登体験だった。

 澤登はこの2年時に決勝で国見を下し高校選手権優勝。3年になると主将に就任、高校選手権準々決勝で本田(現アントラーズ)、磯貝、森山、遠藤と言った後に日本代表になる選手らを擁する帝京との「歴史的死闘」をPK戦で勝ち抜き決勝へ。決勝では小嶺国見に苦杯を喫する(これが小嶺先生の正月初制覇となる)。

 澤登はその後東海大に進む。そして、91年から92年にかけて行われたバルセロナ五輪チームの主将に任命される。当時赤かったユニフォーム、10番をつけた澤登はトップ下で、正にチームの中核として活躍した。最終予選は6国が集まってのセントラル方式、上位3位に入れば出場権を獲得できる。1勝1分け1敗で迎えた第4戦の相手は韓国。この試合を引き分けで凌げば、3位確保が有力となる勝点勘定だった。日本はこの大会の序盤で負傷欠場した石川康に代わってリベロに起用された相馬を軸に守備を固め奮闘するが、終了直前に得点を奪われ敗戦。24年振りの五輪出場は夢と消える。もし、このバルセロナ五輪に日本が出場していれば、澤登は腕章を巻いて戦っていたのだ。

 92年、翌年開幕を控えたJリーグ。チームとしての実態が無い清水エスパルスが参加を承認されたのは、大きな驚きだった。清水は、堀池(読売)、長谷川(日産)、大榎(ヤマハ)の所謂清水3羽ガラスと契約。さらに続いて、当時東海大の澤登との契約を発表。澤登はプロフェッショナルとなり、早速活躍する。

 93年、日本とUAEのダブルセントラルで行われた米国ワールドカップ1次予選、オフト氏は澤登を代表に選考する。敵地にて行われたUAEとの最終戦、この時点で日本は得失点差の関係で、6点差で負けなければ2次予選への進出が決まる状態。それでも地元の意地があるUAEは後半果敢に圧力を高め、遂に日本は先制を許す。しかし、日本は終盤福田に代わって起用されていた澤登が、見事なミドルシュートを決めて追いつく。若い気鋭のMFの見事な得点は将来に期待を抱かせるものだった。

 残念ながら澤登は「ドーハ」の2次予選は、帯同していたものの出場機会は得られず。しかし、94年に就任したファルカン氏は早々に澤登を招集。ファルカン氏は、澤登を前園と共に中盤の中核として期待して起用する。この年の秋口に広島で行われたアジア大会。澤登と前園の中盤で臨んだ日本、1次リーグでカタール、UAEと引き分けて迎えたミャンマー戦。澤登は中盤のリーダとして君臨。1得点3アシストの大活躍を見せ、いよいよ新しい時代の到来を感じさせてくれた。けれども、事はそうは巧くは運ばなかった。続く準々決勝の韓国戦、澤登は韓国の少々ラフなプレッシャに苦戦、後半半ばで交代を余儀なくされる。日本はこの試合、終盤に不運なPKを取られ敗戦。この試合を最後にファルカン氏は更迭され、加茂氏が代表監督に就任した。

 加茂氏は特に澤登を重視しなかった。さらに、95年には澤登より3歳若い名波、さらに97年には7歳も若い中田が代表に定着する事で、代表選手としての澤登の活躍の機会はどんどん減っていく。それでも、駒場で行われた97年フランスワールドカップ2次予選直前の壮行試合。日本代表対Jリーグ外国人選抜の試合、後半半ばテスト的に起用された澤登のフィールドに入る瞬間の迫力と言うか雰囲気と言うかは凄まじいものがあった。どうしても代表に戻りたかったのだろう。しかし、加茂氏も後任の岡田氏も澤登に声をかける事はなかった。

 その後トルシェ氏も幾度か澤登を代表に招集。しかし、定着する事なく、そのままエスパルスでの活躍に専念する事になる。もちろんエスパルスでの澤登のプレイ振りは存分に輝かしいものだった。中でも、エスパルスがチャンピオンズシップをジュビロと争った99年シーズン、第2戦での直接FKの美しさといったら。



 本当にいい選手だった。そして、幾多の好プレイに感謝したい。

 ただ、1つだけ今でもちょっと考え込んでしまう事がある。彼はトップ下でプレイすべき選手だったのだろうか。高校時代に期待させてくれたあの視野の広さを考えると、もう1つ後方でプレイをしていれば、もっと違う活躍ができたのではなかろうかとつい考えてしまうのだ。確かに10番が良く似合う男だったのだが...
posted by 武藤文雄 at 23:26| Comment(3) | TrackBack(4) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする