2021年07月16日

理解できない浦和への懲罰

 まったく理解できない懲罰だ。
 日本サッカー100年の歴史でも、稀に見る愚かな意思決定ではないか。不運な規約解釈のミスがあり、しかし一切実害がなかったにもかかわらず、貴重なリーグ戦の1試合の結果を無理やり変えてしまう、世紀の愚行でないか。さすがに浦和レッズも異議申し立てを行ったとのことだが、当然のことと思う。以下、本件について整理してみた。

 6月20日の浦和対湘南戦(浦和が2-3で敗戦)で、浦和が出場資格の無い選手を不正出場させてことにより、日本協会の懲罰規定により、0-3の敗戦とする懲罰を受けたとのことだ。
 一度決まった試合の結果を覆すと言う国内のトップレベルの試合では、ほとんど聞いたことのない厳しい罰則適用である。しかも、この罰則適用は、浦和だけではなく他のJ1クラブすべてに影響を及ぼす大事件だ。
 この罰則適用を聞いて、最初は浦和がよほどひどい不正を行ったのかと驚いた。しかし、詳細を調べると不正どころか、ルールの解釈を過って認識したとしか思えない手続きミス。そして、重要なことは実害は一切ないことだ。このミスによる被害者はいない。対戦相手の湘南が迷惑を受けたり、当の浦和が有利になったこともない。
 ミスとは言え、ルール違反を犯した浦和に何がしかの罰則が適用されるのは理解できる。けれども、試合結果を覆すと言う適用はどういうことなのか。試合結果が覆ることで、(得点者などの個人成績は残ると言うが)死力を尽くして戦った両軍の試合結果が反故となり、リーグ戦を戦っているすべてのチームに影響を与えることになる。
 およそ、サッカー的見地から理解できない懲罰である。

 まずJリーグのニュースリリースを抜粋する。
(1)指定公式検査において陰性判定を得ていない選手を本件試合に出場させた。なお、当該選手は、エントリー資格認定委員会への申請を行えばエントリー資格の認定を受けることが可能であったことがうかがわれるが、当該申請を行われなかった。
(2) 一方で、以下を考慮すると酌量すべき事情がある。、
  @ 同クラブが自ら今回の事象をJリーグへ報告した
  A 申請を欠いていたことについて悪意はなく、手続き上のミスであった
  B 当該選手はU-24日本代表活動において検査義務を全うしている
(3) 以上より、「JFA懲罰規程〔別紙1〕3-3」により、浦和に対して対象試合を3対0の負け試合扱いの処分を科すとともに、懲罰を一部軽減し、「出場した選手」である当該選手への処分は行わず、「出場させた者」にあたる同クラブに対してけん責処分を科すものとする。

 本懲罰の論拠となった罰則規定「JFA懲罰規程〔別紙1〕3-3」は以下の通り(全文掲載、こちらから閲覧可能)
出場資格の無い選手の公式試合への不正出場(未遂を含む)
出場させた者:処分決定日から1ヶ月間の出場停止
出場した選手(本協会の登録選手の場合のみ):処分決定日から1ヶ月間の出場停止
チーム:得点を3対0として負け試合扱いとする(ただし、すでに獲得された得失点差の方が大きい 場合には、大きい方を有効とする)。なお、得点又は勝ち点の減点又は無効処分については、年度 当初の競技会規程で別途定めることができる。

 大変厳しい罰則である(この罰則の厳しさについては、文末で他の罰則との比較を付録3で述べる)。これは、試合に出てはいけない選手が起用された場合に適用されるので、その試合を「無かったこと」にする罰則なのだ。付随して当該選手が1か月の出場停止。理解が難しいのは「出場させた者」の1か月の出場停止、最初私はこの条文を読んだ時「出場させた者」が具体的にピンと来なかったし、今でもよく理解できていない。これについては、文末の付録1で補足する。
 では、「出てはいけなかった」とは、どのような事態が想定しているのだろうか。具体的には、警告累積や退場などによる出場停止や登録手続き未完了のケースだろう。現実的にプロフェッショナルの世界であり得るかどうかはさておき、万が一このような事態となった場合にこの厳しい(試合を「無かったこと」にする)罰則が準備されているわけだ。確かに出場停止の選手を、(たとえ間違ってでも)出場させてしまったら、試合を「無かったこと」にするのは納得できなくもない。
 ただし、今回のケースは出場停止や登録手続き未完了ではない。疫病禍下での安全性確保のために、厳重な検査を合格した選手でなければプレイできないと言う新ルール「各試合に対して予め指定された検査(指定公式検査)において陰性判定を得ていること」と言う規定への違反なのだ(Jリーグ戦試合実施要項、13条3-1号を武藤が意訳)。
 そして、その指定公式検査を受けられなかった選手のために認定委員会制度と言うのがあり、@陽性判定者の制限解除、A公式検査と別な検査の結果、Bその他特段の事情、の3つのケースの事情を斟酌し、試合出場可能かを検討してもらう救済措置が準備されている(同3条を武藤が意訳)。

 もう1点。規律委員会についても整理しておこう。規律委員会は、日本協会の司法機関組織運営規則で規定されるが、抜粋しておく。
第3条 規律委員会は、本規則等に対する違反行為のうち、競技及び競技会に関するものについて調査、審議し、懲罰を決定する。
(規律委員会の組織及び委員)
第4条 規律委員会は、委員長及び若干名の委員をもって構成する。
2 委員長は法律家(弁護士、検察官、裁判官、法律学の教授・准教授又はそれに準ずる者)でなければならない。
3 委員は、サッカーに関する経験と知識又は学識経験を有する者で、公正な判断をすることができる者とする。
4 委員長及び委員は、評議員会の決議によって選任する。
5 委員長及び委員は、本協会の評議員、理事、監事、職員又は各種委員会、裁定委員会若しくは不服申立委員会の委員長若しくは委員を兼ねることができない。(以下略)
 規律委員会は日本協会やJリーグの諸機関から独立した存在なのだ。現状の規律委員会の詳細については、文末の付録2で述べる。

 以上回りくどく記述してきたが、浦和レッズの指定公式検査を受けていないU24代表帰りの選手(代表で必要な検査実施済みで、COVID-19リスクは指定公式検査で陰性だった選手と同じ)について、上記認定委員会申請を怠った。結果として、当該選手は出場資格のないまま対湘南戦に出場してしまった。
 後日その件に気がついた浦和がJリーグ当局にその件を自己申告。そのため規律委員会で懲罰が決定したと言う流れだ。
 そして、@浦和が自己申告、A悪意はなく手続き上のミス、B当該選手はU-24で検査義務を全うしている、と言う事情を酌量し、選手には罰なし、クラブには譴責、ただし試合は3対0、と言う判断となった、と言うことだ。

 冒頭でも述べたが、私はこの規律委員会の決定は間違っていると思っている。 
 重要なのは、この手続き上のミスにより、疫病を広げてしまうリスクが高まっていないと言うことだ。本質的には当該選手は出てはいけない選手ではなかった。U24で適正な検査受領済みだったのだから。つまり結果論だが、この試合は「無かったこと」にする必要はない。浦和レッズは不適切な試合準備活動を行ってしまったが、相手クラブの湘南にも、第三者にも誰にも迷惑はかけなかったのだ。
 そもそも、ルールや規定とは何のためにあるのか。サッカーと言う競技が公正に行われるためだろう。そして、今回のケースでは試合が公正に行われた。
 もう1つ。今回については、ミスがあったが幸運や偶然の助けにより、リスクが高まらなかったわけではない。手続き上のミスはあったが、浦和は疫病を広げることはないことを理解したうえで、試合の準備を進めていた。
 それなのに、どうして厳しい処罰をしなければならないのか。規律委員会は酌量すべき事情があったと言いながら、一番肝心なサッカーの試合に手を付ける処罰を選択しているのだ。そして、得失点差に手をつけた以上、この懲罰は浦和、湘南と言う2クラブのみではなく、すべてのJクラブに影響するものとなってしまっている。浦和が誰にも迷惑をかけないミスをした結果、すべてのクラブに迷惑がかかってしまっているのだ。正に本末転倒。

 もちろん、「ルールがあるのだから、それに乗っ取って処罰されるべき、ルール上無効試合やむなし」と言う意見があるかもしれない。確かに、上記した通り、「出場資格の無い選手の公式試合への不正出場させたチームは、得点を3対0として負け試合扱いとする」と言うルールがあるのだから。
 しかし、一方でJリーグ当局は「@自己申告、A悪意なく手続き上のミス、BU24検査で実害なし、から酌量する事情あり」と明言している。したがって、ルールよりは軽減された罰則適用されることになった。罰則が軽減されるならば、試合結果をいじると言う他クラブへの影響を与える重い懲罰も軽減すればよいではないか。
 さらに極端なことを言えば、試合を「無かったこと」にする必要はないのだから、どうしても浦和レッズに厳しい懲罰を与えたいならば、試合結果は尊重し、シーズンを通しての勝ち点や得失点差をマイナスするとか、多額の罰金を請求するとかならば、まだ理解できなくはない。ただし、誤解しないでほしいが、以下述べるように、私は今回のケースでは浦和に対し厳しい罰則適用は不要と考えている。

 そもそも、浦和の「手続き上のミス」は、どのくらい問題があったのだろうか。同時期に、A代表とU24代表で、Jリーグから多くの選手が招集された。また、約3か月前にもW杯予選、韓国、アルゼンチンとの強化試合のために招集が行われた。おそらく、浦和以外のすべてのクラブは、これらの国際試合後のJの試合で適切な対応を行っていたのだろう。そう言う意味で、浦和の今回のミスは稚拙と言わざるを得ない。ただし、あくまでも稚拙なのであり、悪質ではない。
 一方で、代表チームに呼ばれ、クラブの指定公式検査を受けなかった場合への対応は、素人目には非常にややこしい(そもそも今回の懲罰で、酌量している段階で、ややこしいことを当局側が認めていることになる)。そもそも、選手を招集する立場の日本協会は、各クラブに適切なJリーグ試合への対処方法を伝達していたのか、と問いたくなるではないか。
 また、今回のケースは浦和の自己申告とのことだが、言い換えれば試合前にJリーグ当局は、試合を「無かったこと」にするクラスの違反に気がつかなかったわけだ。これはこれで、Jリーグ当局は猛省すべきだし、再発防止を考えるべきではないのか。それらへの言及がまったくないと、うがった見方をしたくなる。もしかして、浦和が自己申告しなければ、Jリーグ当局は気がつく仕組みを持っておらず、未来永劫気がつかなったのではないかと。

 以上クドクド述べてきたように、J当局の発表で「悪意はなかった」と断定しているのだから、問題は浦和と言うクラブの事務方の、稚拙具合と言うことになる。そして、その稚拙具合が相当だとしても、試合結果をくつがえすほどのこととは、とても思えない。
 常識的には、クラブに戒告なり譴責をするレベルの話にしか思えないのだが。
 もちろん、我々が知らない何かがあり、どうしても厳しい処罰が必要だった可能性を否定はしない。しかし、もしそのようなことがあったのならば、Jリーグ当局はその旨をリリースで発表すべきだろう。

 さらに言えば、この試合浦和が負けていなかったとしたら、同じ裁定がくだされただろうか。いや、もしいずれかのクラブが同じ手続きミスを犯し、J当局が気がつかず、試合が行われそのクラブが勝つか引き分けるかして、試合後そのクラブがミスに気がつき自己申告したとしよう。同じ裁定(そのクラブの0対3の負け)が下されるのだろうか。
 結果としては3対2で終わった試合を3対0にすると言う一見小さな懲罰に思えるかもしれない。けれども、2つのクラブ、関係者が必死に取り組んだサッカーの試合を反故にするような違反行為だろうか。私にはとてもそうは思えない。
 冒頭にも述べたが、日本サッカー100年の歴史でも、稀に見る愚かな意思決定、およそ、サッカー的見地から理解できない懲罰である。


付録1 「出場させた者」とは誰のことなのか 
 私は上記の通り、最初「出場させた者」とはよくわからず、監督だろうかと思ったりしていた。ところが、冒頭で述べたJ当局のリリースによると、「出場させた者」は当該クラブとのこと。つまり、浦和レッズは1か月の出場停止になるところを、酌量されて譴責処分にとどまったと解釈するしかない。ところが、同じ条文内に「出場させた者」の他に「チーム」対象の処罰があり、チームとしての浦和レッズは0-3の敗戦扱いを受けることになったわけだ。当該クラブとチームは別と言う解釈も成り立たないわけではないが、その場合1か月の出場停止とは、どんな罰なのか。サッカー的にはどう考えても、1か月の出場停止は、1試合を0-3の負けにされるより格段に厳しい罰則となる。
 正直言って、私にこの条文が、よく理解できないのだ(私が法律の素人だから理解できないのかもしれないが)。誰か正しい解釈を教えてください。

付録2 現状の規律委員会 
 現状の規律委員会は下記メンバで構成されている。
委員長  中島肇氏  弁護士
委員  高山崇彦氏  弁護士
委員  大野辰巳氏  元国際審判員
委員  大下国忠氏  一般社団法人山口県サッカー協会 規律委員長
委員  石井茂己氏  Jリーグ規律委員長

 中島氏と高山氏は裁判官出身の弁護士。大野氏は90年代活躍した元国際審判員。大下氏は調べた限りでは、山口県の消防学校の校長経験者とのこと、推定だが教員出身のサッカー関係者だろうか。そして、石井氏は70年代古河(現ジェフ)で活躍した日本代表選手、大柄で粘り強い守備と攻撃参加でが巧みだった(まったく本質ではないが、石井氏は我が故郷仙台出身、私などからすると尊敬する故郷出身の名選手だ)。
 本文でクドクドと講釈を垂れたように、本懲罰は間違っていると思っている。しかし、規律委員会が自信を持って行った決定だと言うならば、大野氏、大下氏、石井氏のサッカー人のいずれかが、中島氏、高山氏の弁護士同席の下、記者会見でも行うべきではないのか。
 故郷の大先輩で、かつての日本代表の名選手にこのような苦言を呈するのは、残念なのだが。

付録3 懲罰の種類について 
 上記した懲罰規定の第4条 〔懲罰の種類〕第2項に、加盟チームに対する懲罰種類がリスト化されている。このように書かれている以上、数字が大きくなるほど、厳しい罰則と言う意味だと思われる。そして、3対0の没収試合と言うのは(9)番目にあたる、(3)罰金や(8)得点または勝ち点の減点または無効より厳しい懲罰である。そして、これより厳しい懲罰は(10)無観客試合、(11)中立地試合開催(ホームゲーム召し上げ)、(12)一定期間出場停止など、すさまじい懲罰が並ぶ。今回の判決はそのくらい厳しいものであることを、付記しておく。
加盟チームに対する懲罰の種類は次のとおりとする。
(1)戒告:書面をもって戒める
(2)譴責:始末書をとり、将来を戒める
(3)罰金:一定の金額を本協会に納付させる(詳細略)
(4)没収:取得した不正な利益を剥奪し、本協会に帰属させる
(5)賞の返還:賞として獲得した全ての利益(賞金、記念品、トロフィー等)を返還させる
(6)再試合
(7)試合結果の無効(事情により再戦を命ずる)
(8)得点又は勝ち点の減点又は無効
(9)得点を3対0として試合を没収(ただし、すでに獲得された得失点差の方が大きい場合には、大きい方を有効とする)
(10)観衆のいない試合の開催
(11)中立地における試合の開催
(12)一定数、一定期間、無期限又は永久的な公式試合の出場停止
(13)一定期間、無期限又は永久的な公的業務の全部又は一部の停止
(14)下位ディビジョンへの降格
(15)競技会への参加資格の剥奪
(16)新たな選手の登録禁止
(17)除名:本協会の登録を抹消する
(なお、戒告や譴責などの内容については道同条1項の「選手に対する懲罰」から武藤が転記している)

posted by 武藤文雄 at 01:08| Comment(1) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月28日

今日はミャンマー戦

今晩から日本代表、五輪代表、女子代表、それぞれの強化試合シリーズが始まる。

 A代表がW杯予選3試合と強化親善試合2試合。五輪男子代表の強化親善試合が2試合、女子代表の五輪に向けての強化親善試合が2試合。合計9試合が、この20日間で行われる。2930日はJ1が行われ、各週にはJ2も継続開催される。贅沢な日々が続くことに感謝しよう。

 さて、この9試合を列記してみた。某WEBサイトを参考に自分用のメモとして整理したものだが、間違ってないといいなw

528日(金)19:20 A W杯 ミャンマー 蘇我

63日(木)19:30    A 親善 ジャマイカ 札幌

65日(土)19:25    五輪 親善 ガーナU-24 博多  

67日(月)19:30 A W杯 タジキスタン 吹田

610日(木) 15:15 女子 親善 ウクライナ女子 広島広域

611日(金) 19:25 A  親善 セルビア 神戸

612日(土) 13:35 五輪 親善 ジャマイカU24  豊田

613日(日) 13:35 女子 親善 メキシコ女子 栃木

615日(火)    19:25 A W杯 キルギス 吹田

 それにしても、3週間足らずの間にA代表戦5試合とはご苦労なことだ。疫病禍下での諸事情での日程消化、負傷者が出ないような適切なマネージメントが行われることを何より望みたい。

 今晩のA代表W杯予選ミャンマー戦について、少し考えてみる。

 私のような老人にとって、大昔70年代のミャンマー(当時ビルマ)は、東南アジア屈指の強豪国。乱暴な言い方になるが、マレーシアとビルマは簡単には勝てない、タイ、インドネシアはそれなりに勝てそう、シンガポールには相性よし、フィリピンは確実に勝てる、そんな印象がある。そして、残念なことに、70年代半ばから、ビルマとは、いわゆる政治的不安定でほとんど試合することはなかった。

 約20年が経過した94年、ミャンマーと名を変えた同国が、広島で行われたアジア大会で来日。日本は1次ラウンド最終戦でこの国と対戦、50で快勝する。この20年で日本はアジア最強国となったいたのだから大差は当然だったが、対戦できるだけで何とも懐かしかった。

 なお、この試合は、私にとっては、澤登正朗が最も光り輝いた代表戦として記憶に残っている。続く準々決勝、日本は韓国に怪しげな判定で敗れるのだが、当時のファルカン監督が勝負どころの後半半ばに、澤登を交代させたのが、今でも残念でならない。そして、この技巧派MFは、同じ静岡県出身の名波浩の台頭もあり、Jでの輝きとは対照的に代表で活躍の機会は減っていった。

 改めて残念なことに、先方は完全な政情不安。常識的に考えて、当方が圧倒する試合になろう。今晩については、かつてベガルタに在籍した板倉が起用され、明確な活躍をすることを期待したい。だって五輪代表オーバーエージに吉田麻也と遠藤航が選考され、板倉は五輪代表に残れるかどうかも怪しくなってきてしまったのだもの。

posted by 武藤文雄 at 09:35| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月27日

赤鬚のフォギーニョ

 正にサポータ冥利に尽きるシーズンを提供してくれている我がベガルタ仙台。。
 勝ち点が思うように積み上がらず、降格リスクを考えざるを得ないシーズンとなっている。半世紀にわたり、サッカーを堪能してきたが、何が楽しいかと言えば、この隔靴掻痒感だ。なぜか我が軍と戦う時だけは格段のプレイを見せる敵選手達、もがくように戦うが空回りする愛する自軍の選手達、常に後手を踏む自軍の指揮官、不愉快なことに常に自軍に不利な判定をする審判団。実際の人生で、こんなことばかりだと堪ったものではないが、サッカーを見ている分には、命を失うわけでも、身体が傷つくわけでも、多くの財産を失うわけでもない。繰り返すが、正にサポータ冥利に尽きるシーズンである。
 実際、リーグ序盤戦の失点はひどいものだった。非組織的な対応であえなく中盤で当方守備者が置いてきぼりにされ、自陣前で数的不利を作られ無防備で失点する。ひとたび敵にボールキープされると、取りどころが曖昧でいいようにボールを回され、幾度も遅攻を重ねられ、最終的に完璧に崩され失点する。毎試合のようにセットプレイからフリーのヘディングシュートを許す。
 
 もっとも、5月に入ったあたりから状況は着実に改善している。とにかく、シーズン当初は「負けてばっかり」だったが、今月は「負けたり分けたり勝ったり」になっている。いや、先週水曜以降は「勝ったり勝ったり勝ったり」だな。シメシメ。
 改善の要因はいくつもある。若手選手が経験を積んだこと。(少々遅いのは不満だが)守備組織の約束ごとがようやく確立されてきたこと。サイドに人数をかける攻撃の道筋が整理されたこと等々。それらについては、少しずつシーズンが進むと共に講釈を垂れていきたい。
 不思議なことに、一度調子を取り戻すと、敵選手のプレイはつたなく、自軍の選手達は頼りになり、指揮官の采配は冴え渡り、審判団の判定も適正に思えてくる。繰り返すが半世紀サッカーを楽しんでいても、これはこれで不思議なものだ。再度繰り返すが、正にサポータ冥利に尽きるシーズンである。

 今日語りたいのは、中盤後方に補強された、赤髪、赤鬚のボランチ、フォギーニョの存在感だ。
 中盤後方に位置取り、守備ライン手前で敵の攻撃を刈り取る。敵のボール回しに対応、押し上げてきた敵ボランチにチェックをかけ自由なプレイを許さない。ボールを奪うや、常識的だが丁寧につなぐ。マイボールの攻撃が成立すると見るや、しっかりと押し上げパスを受ける位置に入る。当たり前と言えば当たり前のプレイを、やり続ける。こうやって書くと簡単だが、本当に最後の最後まで堅実に忠実にやり続けるのだ。
 格段の守備能力があるわけでもない。格段の瞬発力があるわけでもない。格段の精度のパスがあるわけでもない。格段の突破力があるわけでもない。しかし、フォギーニョは格段に役に立つ選手なのだ。
 前節の大分戦の先制点は、ボールを奪ったフォギーニョが起点となり、氣田がつなぎ赤アが西村にスルーパス。忠実に上がったフォギーニョが大外に開いていたこともあり、西村はフリーでボールを受けシュート、敵DFに当たったボールが見事にネットを揺らした。さらに今日の名古屋戦の決勝点、名古屋のつなぎをマルチノスがひっかけ西村がつなぎ、ポストに入った皆川の落としをマルチノスがペナルティエリアに向けて再び受ける。その瞬間にクロスするようにフォギーニョもペナルティエリアに進出することで敵DFを引き付けてできたスペース、そこにマルチノスが進出し利き足でない右でグラウンダのシュートを決めた。いずれの得点も、中盤後方から数十m長駆したフォギーニョの前線進出がポイントとなった。
 一方で、時々ビックリするようなミスをする。大分戦では、左サイド敵ペナルティエリアに進出し、まったくのフリーから簡単なクロスを蹴り損ねた。名古屋戦では、ハーフウェイラインを超えたあたりで、簡単な浮き球の目測を誤り、置いてきぼりを食らいピンチを作ってしまった。いずれのプレイも、上記した堅実さ、忠実さから考えると信じ難いものだった。いや、「このレベルの選手が、こんなヘマをするのか?」と言うものだった。
 この2つのプレイを見てわかった。この選手は、1つ1つのプレイを徹底して集中して行わなければならないタイプの選手なのだ。(レベルは大違いだが)自分でサッカーをするときのことを考えればよい。正確なプレイをするために、いかに事前に考え、周りを見て、身体の向きを合わせ、ボールタッチを丁寧に行うか。加えて、丁寧にやろうとし過ぎると身体が固くなるから、それも注意が必要。我々程度のサッカー選手は、そのような集中を繰り返して、サッカーを行っている。そして、フォギーニョと言うタレントも、我々同様常にプレイい集中し丁寧にプレイしなければならない選手なのだ。そしてフォギーニョは、それをトップレベルで90分間継続し、戦い続けることができる。
 今日の名古屋戦、アディショナルタイム直前に交代してピッチを去ったフォギーニョが大映しになった。傍目でもわかるくらい、疲労し切っていた。しかし、その直前まで、フォギーニョはあピッチ内を豊富な運動量で駆け回っていたのだ。何と頼りになる男だろうか。苦しい開幕を迎えたベガルタ仙台だが、すばらしい補強をした強化部門に大いに敬意を表するものである。

 フォギーニョは28歳。ポルトガルでのプレイ経験はあるが、ほとんどの経歴をブラジル国内で過ごしてきたと言う。クルゼイロに短期的に所属していたことがあるが、それ以外の所属クラブは、ブラジルの上位に属するとは言い難い。それでも、このサッカー大国には、このようなすばらしい選手を育んでいる。
 改めて、ブラジルと言うサッカー大国の懐の深さに感嘆する。そして、このすばらしいタレントと共に、シーズンを戦えることに、最高級の喜びを感じる。しつこいが、正にサポータ冥利に尽きるシーズンである。
posted by 武藤文雄 at 00:03| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月28日

心揺さぶられる同点劇

 サンフレッチェ広島1-1ベガルタ仙台。
 2021年シーズン開幕戦、ベガルタは島尾摩天を退場で失い、直後に先制を許し、60分以上を10人で戦う苦しい試合展開。スゥオビィクの再三の神守備を含め丹念に守り、終了間際に血だらけで奮戦した大老関口訓充の抑揚がよく利いたドリブルシュートのこぼれを、直前に起用された赤崎秀平が決め、敵地で貴重な勝ち点1獲得に成功した。
 幸運に恵まれたのは間違いない、また各選手の気迫もすばらしかった。しかし、この苦しい展開の中、同点に追いつけたのは、人数が少ない展開で合理的な作戦を選択し、各選手が工夫と知性の限りを尽くして戦ったからだ。運や精神力でこの試合を語るべきではない。

 序盤、敵地での試合ゆえ、後方に重心を置いて試合に入る。サンフレッチェは相変わらずボールを奪われてからの切り替えが早く、中々抜け出せない。それでも、上原力也と関口訓充の上下関係から次第に両翼から攻め込みの時間帯も増えていく。特に左サイドに起用された秋山陽介と氣田亮平が意欲的で、幾度かおもしろい場面を作りかける。ただ、トップの皆川佑介が広島CBの荒木隼人と佐々木翔の厳しいマークに沈黙。前線で起点を作れないことあり、川辺駿の落ち着いた読みと持ち出しから速攻を幾度か許すイヤな展開。28分の島尾の退場時も類似の流れからだった。ジュニオール・サントスの鋭い技巧からアピアタウィア久が抜かれ、完全に裏を突かれかけたところで、島尾らしい決断力あふれるスライディングを試みたがボールに触り切れず、一発退場となってしまった。
 手倉森監督は、中盤の吉野恭平を最終ラインに下げ、トップ下の関口をボランチに下げる修正で前半を乗り切ろうとした。しかし、33分青山敏弘の好技から、J・サントスが見事なターン、上原が振り切られ、カバーしていた吉野が詰めを躊躇した瞬間、思い切りのよいシュートを打たれ、吉野に当たったボールは、スゥオビィク懸命のセーブも届かないところに飛んでしまった。少しでも長い時間0-0で試合を進めたいベガルタにとっては痛い失点となった。

 後半頭から、松下佳貴を氣田に代えて投入。関口を左サイドに回す。1人足りない状況でリードされている以上は、まずこれ以上点差を広げられないことが重要。突破力ある選手に代えて展開力あるタレント入れる手倉森氏の意図は、よく理解できた。
 1人少ないためブロックを固めれば、それなりに守れる。しかし、ボールキープして敵陣に持ち出すと、前半同様最前線の皆川が持ちこたえることができず、逆に青山と川辺の展開から速攻を許し幾度も危ない場面を作られた。それでもベガルタ各選手は素早い戻りで対抗、ジュニオール・サントスに突破を許しても、スウオビィクが神がかりのセーブを見せる。関口が出血し治療していた時間帯は9対11となり、さすがに危なかったが何とかしのぐ。
 62分、とうとう手倉森氏は皆川をあきらめ石原崇兆を起用し、マルティノスをトップに。この変更はうまくいった。両サイドの石原と関口は巧みにポジションを絞り中盤のボールキープをサポート。マルティノスは前後左右に動きながらとりあえず時間を作ることには成功した。その後も、手倉森氏は79分に秋山→真瀬拓海、87分に吉野→平岡康裕、マルティノス→赤崎とフレッシュな選手を次々に起用する。
 一方で、サンフレッチェ城福監督は選手交替は2枚のみ。これは、幾度も好機をつかみ、佐々木と荒木の2CBの激しい守備で決定機をほとんど許していなかったこともあったのだろうか。さらにサンフレッチェが終盤リードを守ろうとしたのか、重心を後方に置いたこともあり、終盤ベガルタのパス回しが機能する。
 同点劇直前は、平岡→石原→松下と鋭いパスがつながり、左タッチ沿いから中央を向き加速した関口に、松下らしい強さと方向が絶妙なパスが通る。トップの赤崎、右MFの真瀬の2人が右から左に流れ、関口のシュートスペースが空く。こぼれを赤崎が冷静に蹴り込んだ。
 苦しい状態が続く中、全選手が創意工夫と我慢を重ね、とうとう勝ち点1を確保したわけだ。誠にめでたい。

 もちろん、課題も多数見られた。

 皆川がサンフレッチェCBに完封され、ほとんどキープができなかったのは痛かった。このポジションには、同点弾を決めた赤崎と昨年のレンタルから保有権所有となった西村拓真がいるが、皆川が機能するかどうかで、攻撃の選択肢が大きく左右する。もちろん、1試合のプレイの出来で判断すべきではないし、50分過ぎに蜂須賀のクロスからの皆川のジャンプボレーにはワクワクしたのも確かだ。奮闘を期待したい。

 守備面では小さなミスが気になった。
 島尾の退場となった後方からのタックルは、いかにもこの選手らしい素早い決断によるものだったし、本人はボールに行ける自信があったのだろう。まあ、しかたないなと思う。むしろ問題は、その直前にアピアタウィアが、J・サントスのスピードの変化に出し抜かれたこと。ここは猛省してほしい。
 失点時の吉野にも不満。J・サントスが見事なターンでマークしていた上原を振り切った瞬間、もう一歩でも二歩でも寄せられなかったものか。
 86分のスゥオビィクの超美技。ベガルタ左サイドが崩され、柏が冷静にファーサイドに走り込んだ東にピタリとクロスを合わせた場面。左サイドでサンフレッチェが巧みなパス回しを見せたところで、右MFの真瀬は完全にボールウォッチャになってしまい、後方から進出する東に気がつかなかった。ここは一度でよいから首を振り、東の進出に気がついてほしかったのだが。
 もちろん、アピアタウィアも吉野も真瀬もすばらしいプレイを見せてくれたからの同点劇ではあった。ただ、上位進出を目指そうと言うからには、このような小さな判断ミスを極力最小にできるかどうかが重要なのだ。

 次節はホームにチャンピオンのフロンターレを迎える。相当難しい試合にはなるだろう。
 前半半ばの退場劇もあり、チームとしての完成度の評価が難しい。しかし、新加入の選手の多くが機能し、既存の選手たちも特長をよく発揮しての勝ち点1獲得は非常に大きい。
 次節もよい結果を期待したい。
posted by 武藤文雄 at 23:54| Comment(1) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月27日

Jリーグが開幕する、2021年

 Jリーグが開幕する。

 極めて難しいシーズンが始まる。
 J1は、20チーム総当たり、4チームの自動降格と言うレギュレーション、J2は22チーム、2チーム自動昇格、4チーム自動降格。
 昨シーズン開幕早々に疫病禍に襲われたJリーグ、降格なしと言うレギュレーションで何とかシーズンを終えることができた。その結果、今シーズンは格段に過酷なものとなってしまった。チーム数が多いのみならず、開催されるのかされないのか未だ不明な東京五倫、相当の変則日程で集中開催となるであろうACL、さらにはカタールワールドカップ予選が乱入してくる。加えて、各クラブは昨シーズン同様にきめ細かな疫病対策を余儀なくされる。
 過密日程を含め、過去にないスリルを含んだ楽しいリーグ戦になるのかもしれない。戦闘能力の争いに加え、過密日程と疫病対応と言った運不運と言うスパイス。

 さて、私のベガルタ。
 昨シーズン下位に低迷したこともあり、前評判は高いものではない。多くの評論家が顧客候補の一角とみなしているようだ。しかし、私はそれなりに楽観的だ。
 過去3シーズンをちょっと振り返ってみる。
 18年シーズンは、渡邉前監督がじっくりと作り込んだシステマチックなパス回しが奏功、上位進出が期待されたが終盤失速。それでも、天皇杯決勝進出、魅力的なサッカーを楽しむことができた。
 しかし19年シーズン序盤、中心選手の離脱もありチームは低迷。シーズン途中に守備的なシフトに切り替え残留を果たした。シーズン終了時に渡邉氏が「時計を後に戻してしまった」とコメントを残し退任。ただし私の印象は少々異なる。島尾摩天と言う強力な守備者を軸に、理詰めの長駆型逆襲を成功させられるようなチームになっていたからだ。
 J2で格段の実績を誇る木山氏を新監督に迎えた昨シーズン。シーズンを通してあれだけ負傷者が続出してしまってはどうしようもなかった。もちろん、負傷者続出そのものがクラブとしての実力なのだが。それでも、終盤中心選手が復調するや、それなりの戦いができるようになった。木山氏の丹念なチーム作りと、選手達の精神力の強さに感謝するものである。結果はつらいものだったけれど。

 そして、今シーズン前のオフ。疫病禍の影響もあり経営危機が伝えられ、多くの選手の放出を余儀なくされるのではないかと危惧された。実際、オフに入って早々、中核の長沢駿、椎橋慧也の離脱が報道された。しかし結果を見ればヤクブ・スゥオビイク、島尾、松下佳貴、蜂須賀孝治、イザック・クエンカと言った中心選手は残留。CKSAモスクワに所有権があった西村拓真の保有権再確保。さらにクエンテン・マルティノス、上原力也、秋山陽介、氣田亮真と言った相応の実績を積み上げたタレント補強に加え、アピアタウィア久、真瀬拓海、加藤千尋の大卒選手の獲得。
 さらに名将手倉森誠氏の監督復帰。氏の采配により、ベガルタがACL出場できたこと、リオ五輪予選を鮮やかに勝ち抜いたことは、記憶に新しい(もっともリオ五輪本大会では采配に凝り過ぎて墓穴を掘ったが、それはそれで手倉森氏らしいなと)。
 気がついてみれば、ここ数シーズンでは最強ではないかと思える体制が揃っているではないか。最前線やサイドバックの選手層に少々不安はあるが、そんな贅沢を言える立場でないのは皆がわかっている。佐々木新社長を軸とするフロントが、ここまで健闘してくれたことに敬意を表するものである。

 Jリーグが開幕する。

 ただ、世紀近くサッカーを堪能してきた老サポータにとって、疫病禍の影響と昨今の変化は少々飲み込みがたいものあるのは事実だ。
 疫病禍により、現地参戦しても声を出せないつらさを我慢する必要がある。水際ったプレイをした選手を絶叫で声援できないことが、かくもつらいものだとは思いもしなかった。この半世紀、私にとってサッカー参戦は絶叫とともにあったのだ。
 昨シーズンからの疫病禍対応もあり、過密日程のせめてもの緩和に交代可能人数が大幅に増えている。これはこれでなじみがたい。どんな鍛え抜かれた選手でも、90分と言う時間は大変な長丁場。そこに少数のフレッシュな選手が起用されることによる変化がサッカーの妙味だった。終盤、フィールドプレイヤの半分の顔ぶれが変わることが許されるレギュレーションは大きな違和感となっている。
 そしてVAR。FIFAが導入した愚策は枚挙に暇ないが、VARはその中でも最低のものだと思っている。映像を主審が見直すことで公平性が保てるわけがない。そんなに正確な判定をしたいならば、各選手に多数のセンサでもつけて、AIを駆使して、人為的な判定ミスを排除でもしてくれ。
 そうは言っても。サッカーはサッカーなのだ。サッカーがサッカーである以上、これほど楽しい娯楽はない。

 Jリーグが開幕する。

 繰り返すが、半世紀にわたりたっぷりとサッカーを楽しんできた。いつもいつも語っているが、こんなステキなリーグ戦を所有できるなんて、若い頃は夢にも思わなかった。故郷のクラブの七転八倒を毎週堪能できるなんて、若い頃は夢にも思わなかった。
 そして、今シーズン、冒頭で述べた通り、戦闘能力の争いに加え、過密日程と疫病対応と言った運不運と言うスパイス。今シーズンほど、サッカーをサッカーとして楽しめるシーズンは初めてかもしれない。

 とにかく。
 無事にリーグ戦が完了できますように…
posted by 武藤文雄 at 01:12| Comment(1) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月24日

名手たちとの別れ2021

 毎シーズンの常とは言え、愛するクラブを去る選手たちが何人もいる。新たなシーズンを迎える高揚感と共に、去った名手たちを思い起こすのも、シーズンオフの楽しみだ。

 関憲太郎は、ベガルタの歴史上忘れることのできないゴールキーパーだ。
 落ち着いたボールさばきと、距離は出ないが正確なフィード、見ていて安心できるゴールキーパーだった。たしかにキーパとしては小柄で、跳躍力に限界があったためかミドルシュートの処理には不満があった。けれども、よほど鍛錬を重ねたのだろう、高いボールへの判断は絶品で、敵の中途半端なクロスへの対応は実にしっかりしていた。
 明治大からベガルタに加入したのが2008年シーズン、あの磐田の夕暮れのシーズンだ。当時ベガルタには林卓人がいたこともあり、定位置奪取は難しく横浜FCにレンタルとなる。13年にベガルタに復帰、翌14年シーズンに林が移籍したこともあり定位置を獲得。以降、六反勇治、シュミット・ダニエルと言った新加入の選手と、激しく定位置争いを演じた。その激しい定位置争いの中、六反やシュミットは能力を向上させ日本代表候補に選出される。18年にはシュミットはとうとう代表に定着、アジアカップで公式戦にも出場、19年には欧州に旅立つこととなった。昨シーズンは、シュミットと入れ替わるように加入したヤクブ・スウォビイク、さらにユースから昇格した小畑裕馬と、さらに強力なライバルの登場で控えにはいることも少なくなり、ついにベガルタを去ることとなった。
 新たなクラブはレノファ山口、関が激しい定位置争いを演じた際のベガルタ監督渡邉氏が采配を振るクラブだ。関のさらなる活躍を期待したい。
 改めて、関の経歴を振り返り、林、六反、シュミット、スウォビイク、小畑と言った好ゴールキーパを所有できたのは、関がいたからではないかと思う。関がいたからこそ、こう言ったライバル達はその潜在能力を十分に伸ばすことができたのだ。ゴールを守ると言う直接的な貢献と合わせ、チームを支えたという意味では、ブランメル時代を含めたベガルタ仙台の歴史上最高のゴールキーパは関だったと思っている。
 ベガルタは、昨シーズン終了前に関とは再契約しない旨を発表した。ユアテックでの最終節、我々の前で挨拶してくれた関に対し、疫病禍下の我々は感謝の絶叫をすることができなかった。これは大きな悔いとなっている。

 サッカーどころ清水で生まれ育った192cmの大型ストライカ長沢駿は、エスパルスを皮切りに多くのクラブに所属し、30歳でベガルタにたどりついた。独特のボール扱いと、純粋な高さを活かしたこのストライカは、ガンバで点取り屋として確立した感があった。しかし、ベガルタで長沢はさらに成長してくれた。豊富な運動量での忠実な守備を行いながら、しっかりと点をとるスタイルが確立したのだ。
 最近のサッカーでは、最前線の選手を起点とした組織的守備がチームの命運を左右する。戦闘能力が低く、相手チームに主導権を奪われるチームにおいては、最前線の選手の負担は非常に大きなものとなる。
 特に昨シーズンのベガルタは負傷者が続出し、その傾向は強かった。そのような環境下で、長沢はリーグ終盤次々と点を決めてくれた。
 敵陣での献身的な守備と得点。前者に体力を費やしてしまうと、後者で力を発揮できない。前者をサボると、反対側のゴールネットを揺らされてしまい、後者で何をがんばってもむなしい結果しか残らない。昨シーズン終盤、長沢はそのバランスを完璧に演じてくれた。執拗な守備を行いながら、しっかりと得点を決めてくれたのだ。その絶妙なバランス。
 このまま、長沢はベガルタで献身と得点のバランスを極めてくれると期待していた。
 トリニータへの移籍と聞いて「やられた」と思った。ベガルタと同程度の経済規模のクラブならば、長沢は大エースだ。ベガルタよりも良好な経済的条件を提示されれば、そちらを選択するのは当然だろう。
 一方で、トリニータやベガルタよりも経済規模が大きなクラブからのオファーならば、長沢も迷ったと思う。32歳の長沢にとって、バックアッパーとしてのオファーは魅力的ではない。
 ではベガルタの長沢へのオファーが不適切だったのか。これは何とも言えない。スウォビイクと島尾摩天と松下佳貴とクエンカと蜂須賀孝治らへのサラリーとのバランスとなる。
 この2シーズンの長沢のすばらしいプレイに感謝したい。

 ベガルタの中盤を支えてきた椎橋慧也はレイソルに移籍する。
 他のクラブのサポーターからは笑われるかもしれないが、ベガルタと言うクラブは高卒で加入した選手が定位置を確保した事例は少ない。過去10年を振り返っても、椎橋と先般CKSAモスクワから復帰した西村拓真くらい。私たちにとって椎橋は、本当に貴重なタレントだったのだ。
 ただし、椎橋はここまで順調に成長したわけでもない。2018年シーズン、椎橋はアンカーとして3DFを基調にしていたチームの中心選手として、天皇杯決勝進出などに貢献した。ところが2019年シーズンは開幕直前に負傷したこともあり、定位置を失いシーズンを通し控えにとどまった。2020年シーズンは、負傷者が相次ぎ猫の目のように出場選手が入れ替わる展開の中、ほぼシーズンを通して中心選手として活躍してくれた。
 元々、運動量とボール奪取力には定評があったが、ボールの散らしや縦への展開も着実に成長している。もちろん、まだまだ課題もあり、特に相手チームのペースになりチーム全体が落ち着きを失った状況で立て直せるほどの存在感は示せていない。
 常識的に考えれば、それなりの移籍金を残してくれたことだろう。そして、レイソルからは大谷秀和の後継者との期待も感じられる。大成を期待したい。

 その他にも、このシーズンオフ、ベガルタを去る選手は多い。
 キムジョンヤと兵藤慎剛の両ベテランがチームを去るのは、チーム編成上の問題だろうか。この2人は存在感は格段で、起用されれば格段のプレイを見せてくれていた。キムジョンヤの落ち着いた守備と正確なフィード、兵藤の精力的な運動量と展開、いずれもとても魅力的だった。ありがとうございました。
 ジャーメイン良は、縦に出る速さと左利きが魅力のFWだが、3シーズンのベガルタ生活で大成はできなかった。そろそろ河岸を変える選択は妥当かもしれない。

 このオフには、他にも多くの選手がベガルタを去った。多くの選手が新たにやってきた。
 別れと時代を繰返し、時代はめぐるのだ。
 そして新たなシーズンが始まろうとしている。
posted by 武藤文雄 at 23:26| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月15日

佐藤寿人の引退

 佐藤寿人が引退する。
 知的な位置取りと、守備ラインの裏に飛び出す瞬間のボール扱いの正確さと、一瞬のスピードの速さですり抜ける。これらの一連の動作で得点を重ねてきた多産系のストライカ。さすがに30代後半となり、一瞬のスピードが衰えてきたことで、思うように点が取れなくなったと言うことだろうか。引退はしかたがないことなのかもしれない。
 私はこの小柄なストライカが大好きだった。何よりも、いかにも知的な得点の奪い方が好きだったのだ。もちろん、若く伸び盛りの時期にベガルタに在籍、毎週のように成長を重ねてくれたこともあるけれど。
 一方で、敵として迎えるにこれほど恐ろしいストライカもいなかった。守備ラインがきっちり揃っていたとしても、ほんのわずかの隙を見つけて、ささっと点をとってしまうのだから。
 寿人にとっても、サンフレッチェと言うクラブにとっても、そして我々寿人びいきのサッカー狂にとっても、寿人が全盛期にサンフレッチェと言うクラブに在籍できたことは幸せなことだった。東洋工業時代からの伝統を持ち、若年層選手育成の独自方式を立ち上げ、必ずしも潤沢な経済状況でないにもかかわらず常に強いチームを作るサンフレッチェ。このクラブだからこそ、このストライカを軸にチームは作り込まれた。もし寿人が、もっと潤沢な資金を持つクラブに所属していたらどうなっていたことだろうか。おそらく同じポジションにレベルの近いストライカーが補強され、寿人を中心としたチームが作られなかった可能性がある。
 このストライカーが点をとるためには、チーム全体がこのストライカに点を取らせると言う意識を持つことが重要なのだ。

 もちろん。
 ベガルタサポータサポーターとしては今でも思う。サンフレッチェと優勝を争った2012年シーズン、佐藤寿人がいなければ、いや佐藤寿人がもう少し凡庸なストライカーであれば、私たちは夢のタイトルを獲得できたのではないかと。
 思うに任せないから人生もサッカーも楽しいのだけれども。

 寿人の映像を初めて見たのは、ユース代表の頃だった。瞬間的なスピードで一瞬のうちに守備ライン後方に抜け出し、ピタリとボールが止まる。パオロ・ロッシとか、ロマーリオとか。一瞬のうちに抜け出すことができても、とうとうボールが止まらなかった武田修宏を思い出しながら、期待は高まった。過去日本サッカー界で、そのスピードと技術を同時に実現したのは寿人を除けば、70年代に活躍した日立の松永章くらいではなかろうか。もちろん小柄でも、寿人と同年代の田中達也とか大久保嘉人とか、格段の個人技があればまた違うストライカ像が実現できようが。
 ベガルタとともにJ2に落ちた2004年シーズン、寿人を見るのは楽しかった。すり抜けとともに瞬間的なボール扱いがどんどん向上するのを楽しめたからだ。そして、サンフレッチェに移籍し、J1の厳しいプレッシャーの中で鍛えられる中で、敵の複数のディフェンダーの間や裏をうまく突く位置取りもどんどんうまくなっていった。

 当然、私は寿人が代表で活躍するのを夢見ていた。けれども寿人はあまり日本代表では活躍できなかった。要因は2つあると見ている。
 日本代表には、寿人とタイプは異なるが、より若く同じように動き回る岡崎慎司と言う得点力に秀でたストライカがいたこと。正直言って、寿人と岡崎を同じチームにおいても機能するとは思えない。寿人と同年代のFW前田遼一ならば、岡崎にスペースを与えることができたのだが。
 そして、寿人と言う、この異能の点取り屋の特性そのもの。このストライカは、チーム全体が己に得点をとらせるべく機能することで、その才覚を発揮できる選手だったのだ。言い換えると、寿人はスタメンで起用され、他の10人が寿人に点をとるよう尽力することが必要だったのだ。寿人の全盛期の代表監督の岡田氏もザッケローニ氏も、そのようなチーム作りを行わなかった。たまに起用されるとしても、スーパーサブとして試合の終盤に点を取るような仕事を要求した。
 ちょっとほろ苦い思い出もある。南アフリカ大会予選、敵地バーレーン戦。大差でリードしているにもかかわらず、終盤起用された寿人の軽率なプレイ(点をとりに行ってしまった)で、日本代表は苦戦を強いられたこともあった。寿人としては、代表の短い出場時間で結果(つまり自らの得点)を出したかったのだろうが。だからこそ、岡崎が不在の試合で寿人を使ってほしかったこともあった。
 贅沢は言うまい。若い頃大成を期待した素質豊かなFWが、愛するクラブで経験を積み成長の礎をつかみ、トップレベルのストライカとなり多くの美しい得点を見せてくれた。さらに言えば、私たちがたった1回つかみかけたリーグ制覇の夢まで刈り取ってくれた。これほどの愛憎を味合わせてくれた男に、これ以上何を望むと言うのか。
 寿人の得点の一つ一つの得点を思い出し、寿人が積み上げた努力を推測し、反芻する。これからの人生の大いなる楽しみでもある。

 あのトップスピードでの正確なボール扱いを、別な若者でまた見たいと思うのは、年寄りの欲目なのだろうか。
 佐藤寿人氏が、素晴らしい指導者になってくれることを期待するものである。
 ありがとうございました
posted by 武藤文雄 at 00:22| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月05日

‪ルヴァンカップ決勝2020-2021年

 ルヴァンカップ決勝、FC東京2-1柏レイソル。
 多くの関係者が苦労に苦労を重ね、この決勝戦が成立した。
 延期となったこのルヴァン杯決勝だけではない、Jリーグ、天皇杯、そしてACL。この疫病禍の下、よくもまあ、シーズンすべてを無事終えられたものだと思う。すべての関係者の皆さんに感謝したい。
 サポータを含む両軍の関係者、Jリーグ当局、それぞれの方々にとっては、COVID19で延期し苦労を重ねた決勝戦と記憶される試合となるのかもしれない。それはそれで貴重で大切な記憶となるだろう。
 一方で私はこの試合を「レアンドロと森重の決勝戦」と長く記憶することとしたい。
 
 レアンドロの先制点。
 まず左オープンに飛び出すすばらしいオープンへの走り込みから始まった。自軍左サイドに飛んだロビング、左サイドバック小川が競り勝つと信じ、左サイドに開いて、見事に受ける。この受けが格段で、利き足の右でキープに成功、右インサイドでグッと縦に出し、マークしているヒジャルジソン〈だったと思う)を振り切り、ペナルティエリアに進出。応対したCB大南と山下には直前の縦突破の残影があったのだろう。大南は明らかに縦を警戒し、山下も縦をカバーに入る。ところがレアンドロは、今度は右アウトサイドで中に切り返す。この切り返しが絶妙、大南をカバーした山下も一気にはずし、右足で振りが速いグラウンダのシュート。必ずしも強いシュートではなかったが、振りの速さとコースが絶妙、ボールはネットを揺らした。「レアンドロの個人技」と言うのは簡単だが、受けのうまさ、縦突破の精妙なボールタッチ、横突破で2人を外す、正確なグラウンダのシュート、4つ見事なプレイを連続したのだから恐れ入る。
 テレビ桟敷で愉しんでいた立場としては、解説していた内田篤人氏が、「レアンドロは乗ると本当にすばらしい、ただ性格が…」と語ったのが、この美しい得点への一層の彩りとなったわけだが(でも、この内田氏の蘊蓄を聞くことができたことよりも、このレアンドロのシュートを現地で見られて方々への羨望の方が強いな)。

 前半早々にリードした東京は、4-5-1でブロックを組み丁寧に守備を固める。リードした東京は、1トップの永井の高速かつ広範なフォアチェック、アンカーの森重を軸にインサイドハーフの東と安部が何とも気の利いたプレイで、柏のエース江坂への有効ボール提供をさえぎる(長駆の後、しっかり仕事ができる安部は、今シーズンJリーグ最大の発見の1人と言ってもよいかもしれない)。江坂にボールが入った瞬間の森重がまた絶妙、江坂にシュートや突破を許さず、オルンガやクリスティアーノへのパス供給もさえぎる。
 加えて、右ウィングの原大智が機能した。いわゆる4-5-1あるいは今風の4-3-3の右ウィング、守備に回っては数十メートルの疾走を繰り返し、攻撃に入った時はスペースを巧みに活かし、いやらしいところに飛び込みシュートを狙う。大柄で強さのあるフォワードが、献身的に攻守に貢献する。そう言われてみると、30数年前に同じ名字の献身的で得点力あふれるストライカがいたのと言うことを思い出した。ただ、30数年前の原は、今の原ほどボール扱いはうまくなかったし、身長も10cmくらい低かったけれどヘディングはずっと強かった。今の原は、もっとヘディングの鍛錬は必要だな。
 かくして、柏はほとんど好機をつかむことができず前半を終える…はずだったが、試合は予想外の展開となる。

 柏の同点ゴール。
 CK崩れのこぼれ球が浮き球になったところで東京GK波多野に対して、柏主将の大谷が体を寄せる。波多野はこの大谷の狡猾なプレイに惑わされたのだろう。難しいフィスティングではなかったはずだが、目測をあやまったか、ボールに的確に触れず。バーに当たったボールを、瀬川が落ち着いて決めて同点となった。この手のビッグゲームでは、滅多に見られないミス、若いゴールキーパーの経験不足と言うにはあまりにも軽率だった。ベテランGK林の負傷離脱がこういうところに聞いてくるとは。
 もっとも、FC東京が優勝した今となっては、このミスは波多野にとっては最高の失敗経験となったかもしれない。波多野の大成を期待したい。

 同点に追いついた後半、柏は有効な攻撃が増える。
 オルンガが左右に動いて、東京の4DFを揺さぶり、江坂もよく動きボールを引き出す。セットプレイから決定機をつかむなど、攻撃の質は格段に上がった。
 一方で、森重がすばらしかった。特に江坂が巧みにサイドに開いてボールを受けても、無理な追い込みはせずに、丁寧にディレイ。江坂は工夫を重ねるが、オルンガに有効なパスは出せない。
 長谷川監督は65分過ぎに東→三田、原→アダイウトンと交替。これだけの大駒をベンチに残しておけるのは、選手層の暑さの賜物か。
 アダイウトンの決勝点。偶然に上がったロビングが微妙に守備ラインの裏へ飛ぶ。狙いすましたラストパスではなかったことが、東京に幸いした。柏の左サイドバック古賀は的確に対応していたのだが、偶然のボールゆえボールへのアプローチが一瞬遅れた。アダイウトンのすばやいトーキックを褒めるしかあるまい。

 考えてみれば、この日の3得点は、いずれも微妙なDFの対応不首尾によるものだった。J終了後の2週間と言う微妙な間隔が、選手の守備感覚に影響したのかもしれない。

 東京にリードされたところで、ネルシーニョ氏が3枚替え。大谷から三原、瀬川から神谷、この2つは、元気な選手の投入と言う意味で理解できるが、エースの江坂に変えてストライカ呉屋の起用は驚いた。たしかに、森重を軸にした見事な守備に、江坂はここまで沈黙していた。老獪なネルシーニョ氏は「今日は江坂ではない」と考えたのだろうか。このあたりの、果断な決断はいかにもこの老監督らしいなと思った。しかし、あくまでも結果論に過ぎないが、この江坂の交替は失敗だった。結局、柏はオルンガに高いボールを入れるしかなくなり、森重が固める守備を崩すことはできなかった。

 レアンドロの鮮やかな得点と、森重の知的守備を愉しめた決勝戦だった。
 改めて、この決勝戦を実現し、今シーズンの全日程を終えることができたことに感謝したい。そして、来シーズンは、降格もW杯予選も(やれるのかわからんが五輪も)こなさなければならず、もっと厳しくなる。
 などと、今から悩んでもしかたがないな。まずは、皆で休みましょう。
posted by 武藤文雄 at 23:46| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月01日

2021元日、天皇杯決勝

  あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 天皇杯決勝2021年元日、病禍禍下にもかかわらず、幸運にもチケットを入手、天皇杯決勝を堪能した。

 試合そのものは、フロンターレがガンバを圧倒。多彩な攻撃で幾多の決定機をつかみ、後半55分に先制。その後も多くの好機をつかみながら決め切れず。最後の15分にガンバが反攻したものの、鄭成龍、ジェジエウ、谷口の中央は揺るがず。きっちりと、フロンターレが1-0で逃げ切り、堂々と日本一を獲得した。

 フロンターレのすばらしさは、全選手に徹底している勤勉さ。他チームと比較して、技巧に優れた選手たちが皆丹念に動き続け、パスコースを作り丁寧につなぎ続ける。さらに、味方がボールを奪われた瞬間の切り替えの早さが格段、全選手がボール奪取に動き、敵のボールキープを妨害し絡めとる。相手チームからすれば、下手にボールを奪い、味方がキープするために位置取りを変えた瞬間に、フロンターレ選手複数がボール奪取に絡んでくるのは悪夢だろう。真っ当にフロンターレがキープしていてくれた方が安全と思えるほどだ。
 かくして、ほとんどの時間帯、試合内容はフロンターレが圧倒した。
 さらに、ガンバの状況を悪化させたのは、宇佐美の使い方。前半はいわゆる4-4-2の左サイドMFを務めたが、家長、山根、時に田中碧が参画するフロンターレの右サイドの攻撃に対して、長駆の追い込みができないため、ほとんど抵抗ができなかった。後半、ガンバ宮本監督は宇佐美をトップに変更、倉田を左サイドMFに移した。倉田の粘り強い対応により、フロンターレの右サイド攻撃をある程度止めることはできたものの、逆にアンカーに位置する守田へのプレスが弱まり、一層事態は悪化した感もあった。体調が悪いのか、指示が不適切なのか、それ以外の要因があるのかはさておき。
 また今シーズン左DFを務めた登里が負傷したとのことで、フロンターレはこのポジションに新人の技巧派の旗手を起用。旗手は格段の技巧で、変化を演出はしたが、右利きのため攻撃の幅を結果的に狭めてしまった感もある。左ウィングの三苫が右利きの技巧派であることを含め、ここは来シーズンの課題かもしれない。いや、これ以上フロンターレが強くなっても困るのですけれども。
 それでも、終盤まで1点差を維持できたことで、ガンバは反撃を開始。渡辺千真を起用し、パトリックとの2トップで幾度か好機をつかみ、試合を盛り上げてくれた。フロンターレの各選手が75分までの猛攻でやや一息感があったこともあり、ドイスボランチを組んだ矢島と倉田がよくボールを散らし、フロンターレを慌てさせたのだが。
 フロンターレはチーム状態が良すぎることもあり、よいリズムで攻守のバランスがとれていた。そのため、終盤選手が疲弊し始めたところでの交替起用のタイミングが難しかったのかもしれない。あり余る控え選手の適切な起用ができず、終盤慌てることになった感もあった。
 持ち味の美しいボールキープを軸にした変幻自在の攻撃を見せてくれたフロンターレ、粘り強く戦いあと一歩まで持ち込んだガンバ。新年早々、楽しい試合を見せてくれた両軍関係者、それを演出した鬼木、宮本両監督に感謝するものである。

 結果的に、中村憲剛大帝は最後の公式戦に出場せず。ちょっと、いや相当残念なのですが、贅沢を言ってはバチがあたるのだろう。
 でも、もう1回憲剛を見たかった…

 以下余談。
 自分にとっては、はじめての新国立競技場。陸上トラックが邪魔だとか、色々な議論があるようだが、大きな問題を2つ感じた。

 まず1個目は、滅茶苦茶でかいから、自分の席に着くまで最寄り駅到着以降、最低30分くらいを見ておかなきゃいけないこと。その割に、入場口やスタンド入口が少ないように思えた。それでも、今日は入場可能者も少なかったら、何とかなったが疫病問題が解決後、チケットが売り切れ状態時にどのように混乱があるか、ちょっと心配。
 2つ目。噂通りなのだが、前後の隙間がなさすぎる。普通に座ると、前の席の背もたれ後方に足が密着する。なので、移動する人がいると相当難儀する。今日は、1人おきの配席で隣が不在だったこともあり、移動する人がいたとしても、男の私は足を広げて、その人を通すのは問題なかった。しかし、これが満員御礼状態だったとしたら、相当混乱するだろうな。
 他にも、メインから見て右側のバックスタンドが分離されているなど、基本設計で気になることが多々あるが、まあ別途議論するか。
 
 もう1つ。試合前の国歌。さすがに疫病禍下、我々は歌えない。自衛隊の歌の上手いお姉さんが朗々たる独唱、場内アナウンスが「心の中で歌ってください」と言っていたのには少し笑った。それはそれでよいのですが、その独唱下、オーロラビジョンに中村憲剛大帝を大映しにしても、バチはあたらないだろう、と思ったは私だけだろうか。
posted by 武藤文雄 at 22:30| Comment(1) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月31日

2020年10大ニュース

 今年の10大ニュースをどうまとめるべきか。何を語ってもCOVID19の影響を抜きには語れないように思えてくる。ただ、この疫病禍の前に起こったことは、記憶から薄れつつあるし、独立して起こった事件もある。そのあたりを自分なりに整理してみた。1位から6位はこの疫病禍に関するもの。7位は少し疫病禍に関連するもの。8位から10位は疫病禍と直接関係ない事案となっている。


1位 とにかくJリーグ完結
 この難しい疫病禍下でとにもかくにもJリーグが無事日程を終了できたことに関係者に敬意を表したい。中断が決まって早々に下位リーグ陥落がないことを決定、さらに再開に向けて、リーグ戦の成立条件や、試合中止の基準を設けるなどの規定を明示化。これらの規定の具体性や現実性には感心した。そして、下記する他の大会との調整、度々襲ってくる疫病禍にも屈せず、全日程を完了したわけだ。
 加えて、ACL(無茶苦茶な日程だったが、これまたとにかく大会を完了したことを評価するしかないか、ともあれテレビ桟敷で見た試合はいずれもおもしろいものだった、VARを除いては)も曲りなりに3チームが出場。天皇杯も幾多の議論を経ながら、J1から2チーム、J2、J3から1チームと言う奇策で帳尻を合わせた(中村憲剛の最後の公式戦として盛り上がり的にも最高の舞台となった)。さらに、ルヴァンカップも、決勝は疫病の影響で延期を余儀なくされ、片方の決勝進出クラブFC東京がACL出場し日程調整が厳しい中で、1月4日決勝と何とか形をつけた。
 もちろん、「帳尻を合わせた」とか「何とか形をつけた」と言う表現は、創意工夫を凝らして日程調整をした方々(各クラブ都合、会場調整など検討しなければならない事項は無数にあったはず)、厳格な管理下で健康状態維持に努力した選手やスタッフなど現場の方々、いずれに大変失礼かもしれない。しかし、このような表現をとらざるを得ないほど、今シーズンの日程をほぼ完全に消化しつつあることは実に見事な業績だったと思っているのだ。
 ただし、本当に大変なのは来シーズンだ。J1は20チーム総当たりで4チームが降格する過去にないタフなシーズンを迎える。後述するがワールドカップ予選も入ってくる。残念なことにCOVID-19の影響もまだまだ続き、突然の中止などの混乱も起こるだろう。それでも、今年の経験を生かし関係者が知恵を絞り、無事来シーズンもこなせることを期待したい。
 とにかく、皆さん、お疲れ様でした。

2位 縮小経済と日本サッカー
 何とかシーズンを無事終えようとしている日本サッカー界だが、経済的状況が深刻なのは言うまでもない。
 当たり前の話だが、この疫病禍の中、J各クラブの観客動員が大幅に減少している。入場可能観客の人数が制限されているのみならず、試合直前までチケットの発売を待たねばならず、思うような販売促進もかなわない。サッカークラブの支出の多くは固定費(そのほとんどは、現場の選手やサポートスタッフ、フロントの人々の人件費)であり、観客動員が少なくなれば自然と収入が下がり、状況が悪ければ赤字化する。
 今シーズンはその打撃が直接各クラブの経営を襲った。頭が痛いのは、来シーズンも同様の事態が起こることだ。また、これは日本協会も同じことで、貴重な収入源である日本代表の試合が思うように行わなれない。Jクラブにしても、日本協会にしても、出資者やスポンサへの還元や、良好な関係作りを行ってきただろうから、ここからの収入が短期的には減らないかもしれない。これども、疫病禍により世界中の景気が後退している状況。出資、スポンサ企業の経営も苦しいのだ。こう言っては身も蓋もないが、サッカー界に入ってくるカネがしばらく減少傾向となるリスクは高い。
 加えて、気になるのは西欧サッカー界でここ30年来続いていた異常な経営拡大基調だ、バブルと言ってもよいかもしれない。最近ではとうとう選手価値の債権化、若年層選手の人身売買的扱いを皆が隠さなくなっている。建前論からもしれないが、人権確保促進や個人情報保護に特に厳しい欧州で、これらの活動が放置されているからくりは、よく理解できていない。そのような状況で、西欧各国は直接的な疫病被害は甚大なものになっている。この状況下で、西欧のサッカー界はどのように収入を確保し、選手達の高給を維持するのだろうか。もし、それが叶わなくなり経済的縮小を余儀なくされた時、西欧サッカー界はどうなってしまうのだろうか。
 悩んでもしかたがないことかもしれない。日本で私たちができることは、それぞれの立場で知恵を絞り、サッカーを楽しみ、そこでキャッシュが回る工夫をすることしかないのだが。

3位 声が出せない観戦
 50年近くサッカーを堪能してきたわけだが、自分にとっては未曾有のつらいシーズンだった。観戦時に、大声を出せないことが、これほどしんどいこととは、思いもしなかった。
 サッカーを見るという行為はうんうんと黙って首を縦に振ってれば良いものではない。相手チームの素晴らしいプレーに悲鳴をあげ、一方で(あくまで主観的だが)審判の不適切な判定に対し野次を飛ばす。これらはこれで、サッカー観戦には得難い楽しみの1つだが、まあこれらは我慢ができる。しかし、何が我慢できないというかと言えば、自分のチームの選手の素晴らしいプレーに対する、歓喜や賞賛や感嘆の叫び声を出せないことだ。これらを我慢するのは極めて難しい。
 再開以降、ユアテックで2試合だけ観戦をしたが歓声を上げられないのは本当に辛いものだと思った。自宅でDAZNしながら絶叫した方が、どんなに気持ちよいことか。余談ながら、指導しているサッカー少年団の試合ならば、ベンチからの指示は許されているので、このようなストレスはない(もっとも、少年サッカーのベンチでコーチがすることは、子供達に「いいぞ、いいぞ」とひたすら褒め続けることだけなのだが)。
 もちろん私はサッカー狂だから、生観戦に勝る楽しみはない。サッカーが見られるならば、大声を出すのを我慢しよう。けれども、多くのサポーターは声を出して一生懸命チームを応援するのは大きな楽しみになっているはずだ。現実的に声を出せないからユアテックには行かないことにしてるんですと語っている人に何かあった。仕方がないこととは言え、つらいところだ。

4位 ワールドカップ、日本代表チームへの不安
 一方で、ワールドカップはどうなるのだろうか。そもそも、22年に計画通りカタールでワールドカップがやれるのだろうか。
 今回の疫病禍となる前の話だが、もともとカタールと言う国でワールドカップ本大会をすることそのものに多くの疑問が寄せられていた。他地域にない高温多湿から11月開催となったのも異例だが、面積の小さな国で観光資源も乏しく、また宗教的な制約から酒も楽しみづらい。ワールドカップと言うお祭りを通じ、私のようなサッカー狂からキャッシュを巻き上げることを生業としているFIFAらしくない開催国選択なのだw。
 そこに加えてこの疫病禍。何がしか合理的な予選を構築し、2022年の春くらいまでには出場国を確定しなければならない。例えば南米では予選が再開しているが、アジア予選は停止したまま。あまりに多くのキャッシュが動く世界最高のお祭りだが、合理的にも、経済的にも、みなが納得する予選形態を、今から構築できるのだろうか。たとえば、大陸をまたがる所属クラブの選手をどのように集め、どのように選手の体調管理を行えるのか。たとえば、選手の所属クラブが、疫病関連で選手の招集を拒絶した場合、どのようなルールでそれを制御するのか。
 日本代表を例にとってみよう。アジアでのアウェイゲーム、欧州クラブ所属選手とJの選手を当該国で適切に隔離管理して準備と試合を行い、それぞれのクラブに戻す必要がある。少々乱暴な言い方をするが、アジア各国のサッカー協会がこれらの管理を適正に行う見極めがつかなければ、欧州のクラブが選手派遣を認めないのではないか。一方で、そのような混乱で、監督が選ぶベストメンバを選考できなければ、日本はもちろんだが、韓国、豪州など欧州クラブでプレイする選手を多数持つ国は対応できなくなる。
 もう1つ、先日欧州でメキシコやカメルーンなどと親善試合ができたのは、1つの成果だし、日本協会関係者の尽力のたまものだと思う。また、欧州クラブ所属選手だけの招集で、曲りなりにもメンバがそろったのも感慨深かった。ただし、代表チームと言うものは、自国、他国いずれのリーグでもプレイしている選手を、監督が自在に選考できなければベストとは言えない。疫病禍と言うのは、この当たり前のことを実現することを難しくしてしまうものだ。厄介なことだ。

5位 交代制限の緩和
 疫病禍で大きく変わったことに、交代選手の人数がある。
 あくまで暫定措置だが、試合間隔が短くなることによる選手の消耗を考慮して、従来の3人から5人の交代が認められた。これは結構大きな影響を与えることになった。とにかく選手層の厚いチームが圧倒的に有利となる。これだけの過密日程で5名交代となると、よほど特殊な監督でなければ、ローテーション的に選手起用を行う。そして、中心選手は休養試合にも貴重な交代要員として試合終盤に登場してくる。
 (選手層が厚いとは言えない)ベガルタサポータからすると、敵が試合終盤にフレッシュな強力なタレントを起用してくると、「う〜ん、勘弁してください」と言いたくなることが再三あった。まあ、しょうがないのですがね。
 もともと、連戦となれば物を言ってくるのが選手層なのは言うまでもない。サッカーは11人しか同時に使えないので、潤沢に選手を保有していても宝の持ち腐れとなることも多い。さらに言えば、能力は高いが出場機会に恵まれない選手が何人かいると、よほど監督がマネージメントをうまく行わないと、そこからチーム全体の調子が崩れることもあった。弱者としてはw、そこを突くこともできた。
 もっとも、この傾向は西欧では、ここ20年間先行して見てきた光景ともいえる。いわゆる西欧の金満メガクラブは、トップレベルの選手を20名以上集め、自国リーグと欧州チャンピオンズリーグにローテーション的選手起用を行ってきた。結果的に、疫病禍下での交代人数増の今回のルール変更が、Jにも類似の事態を起こした感がある。
 この交代選手数の制限が、どうなっていくかはわからないが、今後のサッカーの変化の1つの要素として注目したい。

6位 若年層の無観客試合の妥当性
 疫病禍下で気になることがある。それは若年層の大会の観戦が極端に制限され、家族ですら観戦が許されないケースが散見されることだ。ここで若年層大会と言っているのが、高校選手権県予選のように比較的メジャーな大会でも、絵に描いたような草サッカーである私が指導している少年団の大会でも、同じような状況となっている。
 大会主催者が、観戦制限をする気持ちも理解できる。万が一陽性者が出た場合、関与した人々を追跡可能とする必要がある。選手、審判、指導者、運営など試合開始に必須の人の関与を最小にすることで、試合前後の管理の手間を小さくしたいのだろう。ただでさえ、衛生管理や上記必須の人々の記録など、通常よりやることが増えるのだから。
 ただ、親御さんの観戦まで制限がかかるのはいかがだろうか。そもそも若年層のサッカーの最大のサポータは親御さん達であり、サッカーを通して子供の成長を親が楽しむと言う文化は、世界中のサッカーの景色である。もちろん、親による過干渉や、日本テレビ風の美談化には気をつけなければならないが。そして、親御さんの観戦ならば、主催者の管理の手間も極端には増えないはずだ。疫病禍がしばらく継続するにしても、善処を期待したい。
 余談ながら、ラグビーやサッカーのように肉体接触系競技でない、屋外競技の開催制限もよく理解できない。野球で感染増のリスクはほとんど感じないし、テニスなどは適切な管理さえ行えれば、感染増のリスクなど一切ないと思うのだが。

7位 フロンターレ強かった
 とにかく今シーズンのフロンターレは強かった。
 もともと、よい選手をバランスよく集めているこのクラブ。17年、18年と連覇し、昨シーズンも開幕前は優勝候補筆頭と言われていたが、調子が上がらず4位でリーグを終えていた。これは、選手層が厚くなりすぎベストメンバが固められないあたりも鍵に思えていた。さらに今シーズンについては、三苫、旗手と言った五輪代表候補を加え、どのような交通整理をするのか、鬼木監督の手腕が注目されていた。
 しかし、今シーズンのレギュレーションでは、この選手層の厚さをフルに活かし、圧倒的な強さを見せた。特に中盤は、守田、田中碧、大島、家長、脇坂、三苫と誰がベスト11に選ばれてもおかしくない布陣に、重症から復帰した中村憲剛大帝が加わる。そして、ワントップは小林悠とレアンドロ・ダミアンを併用。そして特筆すべきは、これらの名手がボールを奪われた瞬間に一斉に切り替えボール奪取に入るところ。
 この素早い攻撃から守備への切替は、相当な脅威だった。敵からすれば自陣ですら思うようにボールキープできないのも厄介だった。加えて、敵陣でこのようなデュエル合戦に巻き込まれるとボールを奪われるや否や、視野の広い田中碧や大島あたりのロングパスからの速攻にさらされるリスクも高い。攻撃面で強みを発揮する中盤選手を多く保有するチームが、組織的な攻撃から守備への切替を身に付けると、いかに強力なチームができあがるかと言うことを見事に示してくれた実例と言えよう。
 このまま中心選手の保持に成功すれば、来シーズンのACLが楽しみである。

8位 静岡学園(決勝の逆転、井田対古沼の準決勝)
 ちょうど1年前のことになるけれども、今年の高校選手権はとても面白かった。
 決勝戦は名門中の名門青森山田大静岡学園。静学が前半早々に0-2でリードされた時は、76-77年シーズンの首都圏移転大会の再来かと思ったりしたw。しかし、当時同様に個人技でヒタヒタと攻め込む個人技で逆襲に転じた静学は、当時とは全く異なるセットプレイのうまさや時折高速化する変化から、山田を押し込み3-2と逆転。終盤、ロングスローの飛び道具を繰り出した山田の猛攻をかわし、初の単独全国制覇に成功した。個人技に長けた選手を多数披露した上記決勝で敗れて以来43年、遂に井田前監督の執念が実ったのは感動的だった。
 ちなみに準決勝の静岡学園対矢板中央戦も忘れ難い。静学の変幻自在の攻撃を、矢板が組織守備で止める。終了間際、変化あるパスワークから、エースの松村優太が抜け出しPKを奪って勝ち切った。正に、井田勝通対古沼貞雄と言う戦いだった(元帝京高監督古沼氏は、矢板ベンチに入り指導を重ねていたとのこと)。昭和世代の老人には堪えられない一戦だった。

9位 五輪代表メンバ不明問題
 残念ながら疫病の影響で東京五倫は中止された。失礼延期された。21年東京五倫が開催されるかどうかは私にはわからないが。ただ、サッカー五輪代表の準備が、まったくうまく進んでいかなかったことを、ご記憶だろうか。
 19年11月に広島で行われたコロンビア戦。堂安と久保をはじめ欧州クラブの選手を冨安以外ほとんど呼んだ試合で完敗。さらに1月にタイで行われたU23選手権では、グループリーグでいきなり2連敗してトーナメント出場失敗。それも、選手に戦う気持ちが見られない残念な試合振りだった。
 予選がなく、多くの選手がJで実績を残す前に欧州に出て行ってしまうという未曾有の状況ではある。また、森保氏も、A代表監督兼任で多忙を極めているのも厳しいところだ。しかし、過程はどうあれ本大会半年前になっても、ここまでチーム作りがほとんど進んでいなかったのは残念だった。
 ただし、森保氏にとって五輪の延期は幸運だったかもしれない。ユース世代と大人の強化が分離しがちの日本サッカー界は、どうしても20歳前後の選手の成長には時間がかかる。この1シーズン、田中碧、三苫、上田らを筆頭に多くの選手が、Jでも定位置をつかむのみならず、中心選手として経験を積んだ。冨安は日本サッカー史上最高の選手への道を着々と歩んでいる。欧州に出た選手も出場機会を増やしている。手段をあやまたなければ、よいチームが作れる材料は十二分にそろっている。

10位 よく理解できないWEリーグ構想
 女子のプロサッカーリーグ構想が発表された。しかし、理解に苦しむことが多い。
 そもそも、女子サッカーの集客にとって最大の競合は男子サッカーがあり、観客動員が容易でないのは言うまでもない。女子サッカーの最強国のUSAでは、独自の観客動員に成功しているとの報道もみかけたこともあるが、それらの工夫を織り込んだリーグ戦運営が準備されているという情報は聞いたことがない。どのような方策でプロフェッショナリズムを導入した収入を得ようとするのだろうか。
 また、秋から春にかけて試合をすると言うが正気だろうか。真冬の厳寒期の観戦が相当な障害になることは、既に議論され尽くされているのだが。
 もう1点気になっていることがある。女子日本代表の試合振りから、過去の颯爽とした情熱をあまり感じられなくなっていることだ。世界一となった前後約10年間、女子代表の戦いぶりからは、常に心揺さぶられる「何か」を感じることができた。具体的に言えば、勝利を渇望した知性の発揮とでも言おうか。しかし、19年のワールドカップは、五輪向けに無理な若手起用を行ったためか、そのような「何か」を感じることができなかった。今日の女子代表の礎を築いた立役者である高倉麻子監督への厳しい批判は、つらいものがあるのだが。今の女子代表が、急ごしらえのプロリーグの支えとなれるだろうか。一方で、先日の皇后杯決勝のベレーザ対浦和や準々決勝のベガルタ対セレッソのような、技巧的、知的、情熱的な試合を見ることができるのだから、心配はいらないのかもしれないけれど。
 余談ながら。そもそも女子サッカーを男子と同じレギュレーションでやることにも疑問がある。筋力の関係でゴールキーパーの高さや、角度のあるキックの強さ、キック前のバックスイングの必要性など、男子との肉体能力の差はいかんともしがたい。ゴールの大きさ(特に高さ)や、人数や、ピッチの広さを工夫すれば、娯楽としてはもちろん、プレイする人々のおもしろさは一層広がるように思うのだが。もう、ここまで男子と同じレギュレーションが定着してしまった今となっては、もうどうしようもないのかもしれないが、

番外 中村憲剛と佐藤寿人引退
 別に作文します。
 1つだけ。この2人は、Jリーグでの輝かしい実績の割に、日本代表ではその実力をフルに発揮する機会を得られなかった。2人のプレイを存分に堪能することはできたが、それがちょっと悔しい。
posted by 武藤文雄 at 23:25| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする