シュミット・ダニエルが、ベルギー、シントロイデンへ移籍、ベガルタを去ることとなった。シュミットは生まれ育ちが仙台と言う意味でも、ベガルタにとって特別なタレントだ。その惜別の試合が、何とも言えないホームでの0対4での惨敗だったのだから、何とも我が軍らしいか。
シュミットは、森保氏が代表監督に就任して以降、常時代表に選好されるようになり、ここまで5試合に出場。アジアカップこそ定位置を権田修一に譲ったものの、先日のキリンチャレンジではトリニダード・トバゴ戦、エルサルバドル戦とゴールを守り、少しずつ定位置確保に近づいている感もある。
ベガルタにとって、過去A代表に出場したのは、2003年韓国戦の山下芳輝、2010年アルゼンチン戦の関口訓充以来のこと。ただし、2人ともそれぞれフル出場ではなく、その後出場機会も得られなかった。改めてそう考えると、シュミットが代表に定着しかけていることそのものは、まだ四半世紀と言う歴史の浅い私のクラブにとって、着実な積み上げの成果と言っても過言ではないだろう。
簡単にベガルタのゴールキーパの歴史を振り返ってみる。14年シーズンに林卓人が移籍した後、関憲太郎が定位置を確保するが、必ずしもよいプレイを見せられなかった。翌15年シーズンは移籍加入した六反勇治が定位置を奪い、日本代表合宿にも呼ばれるなど活躍した(出場はなかったが)。しかし、翌16年シーズンは関が定位置を奪い返し、ここからは激烈な競争が行われる。一方、14年にベガルタに加入したシュミットは、定位置争いには参画できず、14、5年にはロアッソ、16年には山雅にレンタル移籍し経験を積む。そして、17年にベガルタに復帰したシュミットは、以降関と激しい定位置争いを演じる。シュミットがほぼ定位置を確保したのは、昨18年半ばのこと。そこから、シュミットは一気に代表の定位置争いまで駆け上がったことになる。ここで重要なことは、関と言い、17年にエスパルスに移籍した六反と言い、ここ数年ベガルタのGKの定位置争いが非常にレベルの高い強化が行われていたことだ。
本人が移籍時のコメントとして述べたように、27歳と言う年齢を考えると、欧州で活躍するにはギリギリの年齢と言うことでの、決断なのだろう。日本のトッププレイヤあるいはトッププレイヤを目指そうとするタレントが、欧州でのプレイを望むのは、ここ最近のサッカー界を考えれば、当然のこととなっている。短い現役時代の収入を最大限にすると言う意味でも、己の能力をより厳しい環境で限界まで伸ばし日本代表で中核として活躍すると言う名誉を考慮しても。
ただし、そのためには欧州のクラブに移籍するだけではなく、そこで活躍しステップアップしていく必要があるのだが。そして、シュミットが移籍するクラブはベルギーのシントロイデン。日本企業が出資し、積極的な経営をしつつ、遠藤航、冨安健洋、鎌田大地らの日本代表選手も活躍経験があり(さらに冨安のステップアップもあり)、何か日本人選手の移籍先として安心感のあるクラブではある。
しかし、だからと言って、シュミットの活躍が担保されているわけではないのは言うまでもない。シュミットは197cmのサイズが話題になるが、そのプレイの最大の特長は左右両足のボール扱いのよさと、正確なキックにある。また大柄にもかかわらず、低いボールへの対応がうまく、敵のシュートに対しギリギリまで我慢できるのも見事なものだ。ただ、一方でその大柄な体躯にもかかわらず、時折クロスへの判断を誤ることがあったのは、ご愛敬か。ともあれ、昨シーズン最終盤からはそのようなミスも減ってきて、代表でも出場機会を得ることができてきたわけだ。ここまで、丹念に能力を向上させてきたシュミットの努力と、そのための知性は、すばらしいものがある。
その長所、短所が、欧州でどのように評価されるか。欧州でプレイした日本人ゴールキーパと言えば、川口能活と川島永嗣と言うことになるが、シュミットは川島と異なり語学にも課題があるようで、どうなるだろうか。
楽観も悲観もしていない。しかし、シュミットが努力を重ね、正確なボール扱いとフィード、広い守備範囲、シュートへの的確な対応を誇る、Jでも屈指のGKとなったのは間違いない。そして、この個人能力が、まずはベルギーの中堅クラブでどこまで評価されるのか、期待を持って送り出したい。
もちろん、違約金もそれなりに入るはずだし、ベガルタにとって、決して悪いことばかりではない。昨シーズンの西村拓真に続き、生え抜きのタレントが欧州に旅立ったことそのものが、単純にうれしい。加えて、西村にせよ、シュミットにせよ、ベガルタ加入前に同世代の中で格段に飛び抜けた評価を受けていたタレントではない。彼らは、ベガルタと言うクラブを選んだからこそ、ここまで来られたのだ。
これは、若い逸材にとって、ベガルタと言うクラブが、己の能力を高めるいかによい環境であるかの証左となるだろう。
ベガルタフロントは、シュミットの移籍と前後して、ジュビロのカミンスキーをも上回るとの噂もあり、ポーランド代表経験もある、ヤクブ・スウォビィクを獲得した。これはこれで大いに期待できるタレントだ。もちろん、シュミットと激しい定位置争いを演じていた関憲太郎もいる。また、ここ最近関は負傷離脱していたわけだが、常に安定した第3キーパとして機能していた川浪吾郎にとっては、シュミットの移籍は、定位置確保の大きな好機なのは言うまでもない。
選手の移籍放出は寂しいことだし、戦闘能力的なマイナスも起こる。しかし、サッカークラブは生き物であり、選手の出入りは常なるものだ。愛するクラブのために尽くしてくれた選手のステップアップは何よりもうれしいものだし、それにより新しい選手の活躍機会の拡大もまた楽しみなものだ。
2022年ワールドカップ、世界屈指のゴールキーパとなったシュミットと共に、ベスト8、いやそれ以上を戦えることを祈念してやまない。
2019年07月15日
2019年04月30日
あまりに幸せだった平成の日本サッカー
平成の世が終わろうとしている。
私はサッカーでも本業でも、西暦を使っているし、人生の区切りを毎回のワールドカップで認識しているような人間だから、元号でのカウントはピンと来ない。ともあれ、人生2度目の元号切替と思うと、感慨深い。
平成元年の初日(1989年1月7日)のことは、よく覚えている。年休をとって、高校サッカー選手権の準決勝を観に、駒沢競技場に向かったのだ。そして、競技場で見たのは、「昭和天皇崩御のため、準決勝延期します」とのメッセージだった。
先日からマスコミを中心にお祭り騒ぎだが、国民が元号の切替を楽しむことができるのは、今上陛下の退位の決断の賜物。そもそも80歳を超えた両陛下に今なお活躍いただいたことに感謝。そして、同年代の皇太子殿下が、50代後半のこれから重責を担うことに、何とも複雑な思いを持つ。
日本と言う国のこの約30年間を振り返ると、産業構造転換の不首尾で残念な期間だったとか、少子化が決定的になったとか、自然災害に悩まされた期間だったとか、ネガティブな評価は少なくない。一方で、いわゆる近代以降(明治以降)で、初めて対外戦争がなく平和な時代だったと、ポジティブにとらえる方もいらっしゃる。
ともあれ、日本サッカー界にとって、この平成の30年が、本当に幸せな時代、それも昭和からは、まったく信じられないすてきな時代だったことに、異議を唱える人はいないだろう。
とにかく、昭和と平成の日本サッカー界は、まったく異なるものになった。昭和には、強い日本代表チームも、実り豊かなJリーグも存在しなかったのだから。
私は昭和時代から、日本代表が大好きだった。
そもそも、昭和時代は、ワールドカップ及びその予選に向けて、強いチームを作るための、長期強化をしたことは、実質的にはなかった。これは、1980年代半ば過ぎ(いわば昭和末期)までプロフェッショナリズムの導入が遅れたこともあり、強化の主眼はオリンピック及びその予選が強化の主眼だったためだ。そのような考え方もあり、アジアカップに至っては、予選に出場を見送ったり、B代表を派遣したりしたこともあった。主眼を置いていたオリンピックにしても、1936年(昭和11年)のベルリン五輪、1968年(昭和43年)のメキシコ五輪で、そこそこの成績を収めたことはあったが、出場はその他には1956年(昭和31年)のメルボリン五輪のみ。
もちろんメキシコ五輪の銅メダルは誇らしいものだったが、そこに向けての東京五輪からの集中強化の貯金が途切れたところで、アジア内で勝つのも難しくなっていた。韓国、北朝鮮、中国、イスラエル(当時はアジア協会所属)、中東勢に勝つことはもちろん、フィジカルでやや優位に立てるビルマ(当時、現ミャンマー)、マレーシア、タイと言った東南アジア諸国に対して劣勢の成績しか収められなかった。単純に、70年ごろから80年代前半(昭和40年代半ばから50年代後半あたり)まで、日本代表は弱かったのだ。
いや、勝ち負けだけではなかった。そもそも、定期的な代表試合を他国との間で行う機会も少なかった。これは、経済的な課題と観客動員の乏しさの両面からから来るもの。そう言うものだったのだ。…なのでね、平成に入ってから、あれこれ広告代理店がサッカービジネスで金儲けばかり考えて、成績不首尾を招き、結果的に商売面でも下手を打つのを見ると、複雑な気持ちになるのよ…彼らがいたからこそ、日本サッカー界はここまで大きくなれたのだし。
それでも、私が見た昭和の日本代表は、各選手は、皆が己の限界まで戦ってくれた。今の時代から思えば、コンディション調整も、敵へのスカウティングも、稚拙だったかもしれない。けれども、彼らが堂々と各国と戦ってくれた歴史は色あせるものではない。
私は、昭和時代から、日本リーグが大好きだった。
日本リーグは、1965年(昭和40年)に開幕した。これまで、国内のトップクラスの試合が、勝ち抜き戦で行われているのを見て、デッドマール・クラマー氏の提言で始められたものだ。黎明期こそ、東京、メキシコ両五輪の勢いなどもあり、一定の人気を得ていたが、観客動員は伸び悩んだ。日本リーグは、多くのサッカーファンの興味を集めることができず、20余年間運営されたのだ。サッカーの日本リーグ創設は、バレーボール、バスケットボールなどの他球技への、国内リーグ創設にも、大きな貢献を果たしたのだが。
それでも、毎シーズン、私たちは当時最高レベルのサッカーを、日本リーグを通して楽しませてもらったのだ。東洋工業(現サンフレッチェ)の4連覇、三菱(現レッズ)、ヤンマー(現セレッソ)、日立(現レイソル)の3強時代。古河(現ジェフ)の復権、フジタ(現ベルマーレ)の台頭。そして、読売(現ヴェルディ)、日産(現マリノス)の先駆的プロフェッショナル導入。ヤマハ(現ジュビロ)の強化、全日空(消滅させられたフリューゲルス)の参画。
実際、80年代半ば以降(昭和60年代)、日本リーグの各チームの攻防は本当におもしろかった。読売、日産に、古河、ヤマハ、全日空などが絡む上位争い。もちろん、ラモス・ルイ、ジョージ・与那城、戸塚哲也、木村和司、水沼貴史、マリーニョと言った攻撃のスタアたちのプレイは色鮮やかだった。一方で、加藤久を筆頭に、小見幸隆、岸野靖之、清水秀彦、岡田武史、宮内聡、柳下正明、石神良訓と言った、最終ラインあるいは中盤後方で知性を発揮するタレントが次々に登場し、毎週末を彩ってくれた。
そして、古河、読売が2年続いてアジアチャンピオンズカップを制覇、「もしかしたら、俺たち、結構強いんじゃないの?!」と、思いながら時代は平成を迎えた。
けれども、平成に入った序盤は、正に日本代表の暗黒時代だった。
1989年は、翌90年のイタリアワールドカップ予選の年だった。1次ラウンド、日本は、香港、インドネシア、北朝鮮と同じグループに入り、H&Aの総当たり戦で1位が2次ラウンドに抜けるレギュレーションだった。結果は北朝鮮に1勝1敗、インドネシアに1勝1分、香港に2分で、北朝鮮の後塵を拝し2次ラウンド進出に失敗した。一番痛かったのは、ホームゲームの香港戦、単調な攻撃を繰り返し、有効な交替策もとられないままに0対0で引き分け。翌週、平壌での北朝鮮戦を0対2で落とし、敗退が決まった。
当時、日本リーグで活躍していた、加藤久、木村和司らのベテランスタアを起用しなかったこと、当時欧州ではやっていた3-5-2のフォーメーションを採用したのはよいが両サイドに足は速いが判断力に乏しい選手を起用し、事実上3-3-2で戦ってしまった失態など、残念なことが多々あった。
けれども、このような事態は勝負ごとだから、仕方がない。勝敗は時の運だし、準備が不適切で負けることもある。何がガッカリしたかと言うと、このワールドカップ予選敗退から2週間後に、日本代表が目的不明の南米遠征に向かったことだった。現地ではエスティアンデス、ボカ、インデペンディエンテ、コリチーバと言ったトップレベルのクラブチームに加え、ブラジル代表とも対戦。セレソンは、ハーフタイムで選手を大量に入れ替えたが、ドゥンガ、ロマリオ、ベベットらトップ選手を起用してくれた。試合は、後半あのビスマルクに決勝点を許し敗戦。この時点で、次の五輪は若年層の大会になると報道されており、この南米遠征が何の目的で行われたのか、本当に不思議である。と言うか、腹が立ってならない。
その後も当時の日本代表監督は辞任も退任もせず居座る。そして、90年、91年と低調な活動が続いた後、92年(平成4年)ハンス・オフト氏が代表監督に就任した。以降は平成の歴史である。
大会前誰も予想していなかった広島のアジアカップ初制覇(92年)。ドーハの悲劇(93年、平成5年)、UAEアジアカップクウェート戦の失態(96年、平成8年)、ジョホールバルの歓喜(97年、平成9年)、フランスでのチケット騒動と堂々たる敗戦(98年、平成10年)、トルシェ氏騒動、日韓ワールドカップのベスト16(02年、平成14年)、ジーコさんのアジアカップとワールドカップ(06年、平成18年)オシム氏を襲った病魔、岡田武史の奮戦(南アフリカは10年、平成22年)、ザッケローニ氏のアジアカップの歓喜とブラジルでの失態(ブラジルは14年、平成26年)、幻のアギーレ氏、そして…
日本リーグは、平成に入っても充実していた。88-89年、89-90年シーズン、万年優勝候補と言われていた日産が連覇。木村和司、水沼貴史に加え、セレソンの主将経験あるオスカー、柱谷哲司、井原正巳らが機能し、強力なチームを編成した。それに対し、読売はブラジル屈指の名勝、カルロス・アルベルト・ダシルバ氏(1988年ソウル五輪でブラジル代表を指揮)を招聘、「トップクラスの知将は、ここまで知的なチームを作ってくれるのか」と、我々に強い印象を与えてくれた。もっとも、ラモスがダシルバ氏に反旗をひるがえし、氏が僅か1シーズンで日本を去り、読売首脳がラモスを溺愛するペペ氏を招聘したのは、ご愛敬だった。まあ、キングファーザ、納谷宣雄氏の面目躍如と言うところか。
そしてJリーグが開幕した。
平成に入り、日本リーグは、地域密着を指向したJリーグに発展的解散。当初10クラブからスタートした、この人工的リーグは、次々に仲間を増やした。
そして、我が故郷宮城県も、仲間に加わった。当時の東北電力を主体としたチームをプロフェッショナルクラブ化。ブランメル仙台としてスタートしたクラブは、Jリーグ黎明期のバブル的な強化で経営破綻しかけたこともあった。それでも、鬼才清水秀彦氏を監督に招聘、マルコスと言う偉才を獲得したこともあり、2001年(平成13年)J1に昇格。2年でJ2に降格するも、丁寧な強化を継続。梁勇基、菅井直樹と言ったトップスタアの育成にも成功、2010年(平成22年)にJ1に復帰するや、手倉森誠氏の采配よく、2012年(平成24年)シーズンはJ1で2位になり、翌シーズンACLも体験した。私が宮城県でプレイしていた1970から80年代、宮城県にはまともな芝のグラウンドはなかったことを考えると、隔世の感がある。
平成が終わろうとしている。
この平成時代、30年間の日本サッカーが放った光芒の鮮やかさを、どう説明したらよいのだろうか。いや、どう理解したらよいのだろうか。
2018年(平成30年)、7月2日。ロシア、ロストフ・ナ・ドヌ。我々は、アディショナルタイムに失点し、ベルギーに敗れ、ワールドカップベスト8進出に失敗した。繰り返すが、98年本大会に初出場、02年地元大会、10年南アフリカ、それぞれでベスト16に進出成功していたのだが、ここまで欧州の強豪に粘った試合は初めてだった。ベルギーはその後、セレソンを破り、ベスト4に進出した。
2018年(同じく平成30年)、12月9日。埼玉県、埼玉スタジアム2002。天皇杯決勝。我がベガルタ仙台は、初めての決勝進出を果たし、浦和レッズと対戦した。序盤にセットプレイ崩れから失点したものの、創意工夫を凝らし、幾度もレッズゴールを脅かす。けれども、武運つたなく、どうしてもレッズのゴールネットを揺らすことできず。優勝はできなかった。
平成元年に戻ろうか。
私が観ることが叶わなかった、高校サッカー選手権準決勝、決勝は2日順延して行われた。決勝は、三浦文丈、藤田俊哉、山田隆裕らがいた清水商が、野口幸司、小川誠一らがいた市立船橋を破って優勝した。また、準決勝で清水商に敗れた前橋商が米倉誠、服部浩紀、鳥居塚伸人らで演じた攻撃的サッカーは印象深かった。余談ながら、同日決勝する予定だった高校ラグビーの決勝戦は、延期ではなく中止となり、両校優勝となった。
これらを思い起こすと、繰り返すが、ご自身で退位と言う選択をされた今上陛下には感謝の言葉しかない。30年前は、昭和天皇が9月に体調を崩され(楽しみにされていた大相撲観戦を直前に闘病生活に入った、せめて最後の相撲観戦を楽しまれていればと思ったのは私だけか)、以降は自粛、自粛の重苦しい元号の切替だったのだから。
日本サッカーにとって、平成は、本当にすてきな時代だった。
新しい時代を明日から迎える。サッカーと言う究極の娯楽を得た幸せを感じつつ、令和の新時代を生きていきたい。
私はサッカーでも本業でも、西暦を使っているし、人生の区切りを毎回のワールドカップで認識しているような人間だから、元号でのカウントはピンと来ない。ともあれ、人生2度目の元号切替と思うと、感慨深い。
平成元年の初日(1989年1月7日)のことは、よく覚えている。年休をとって、高校サッカー選手権の準決勝を観に、駒沢競技場に向かったのだ。そして、競技場で見たのは、「昭和天皇崩御のため、準決勝延期します」とのメッセージだった。
先日からマスコミを中心にお祭り騒ぎだが、国民が元号の切替を楽しむことができるのは、今上陛下の退位の決断の賜物。そもそも80歳を超えた両陛下に今なお活躍いただいたことに感謝。そして、同年代の皇太子殿下が、50代後半のこれから重責を担うことに、何とも複雑な思いを持つ。
日本と言う国のこの約30年間を振り返ると、産業構造転換の不首尾で残念な期間だったとか、少子化が決定的になったとか、自然災害に悩まされた期間だったとか、ネガティブな評価は少なくない。一方で、いわゆる近代以降(明治以降)で、初めて対外戦争がなく平和な時代だったと、ポジティブにとらえる方もいらっしゃる。
ともあれ、日本サッカー界にとって、この平成の30年が、本当に幸せな時代、それも昭和からは、まったく信じられないすてきな時代だったことに、異議を唱える人はいないだろう。
とにかく、昭和と平成の日本サッカー界は、まったく異なるものになった。昭和には、強い日本代表チームも、実り豊かなJリーグも存在しなかったのだから。
私は昭和時代から、日本代表が大好きだった。
そもそも、昭和時代は、ワールドカップ及びその予選に向けて、強いチームを作るための、長期強化をしたことは、実質的にはなかった。これは、1980年代半ば過ぎ(いわば昭和末期)までプロフェッショナリズムの導入が遅れたこともあり、強化の主眼はオリンピック及びその予選が強化の主眼だったためだ。そのような考え方もあり、アジアカップに至っては、予選に出場を見送ったり、B代表を派遣したりしたこともあった。主眼を置いていたオリンピックにしても、1936年(昭和11年)のベルリン五輪、1968年(昭和43年)のメキシコ五輪で、そこそこの成績を収めたことはあったが、出場はその他には1956年(昭和31年)のメルボリン五輪のみ。
もちろんメキシコ五輪の銅メダルは誇らしいものだったが、そこに向けての東京五輪からの集中強化の貯金が途切れたところで、アジア内で勝つのも難しくなっていた。韓国、北朝鮮、中国、イスラエル(当時はアジア協会所属)、中東勢に勝つことはもちろん、フィジカルでやや優位に立てるビルマ(当時、現ミャンマー)、マレーシア、タイと言った東南アジア諸国に対して劣勢の成績しか収められなかった。単純に、70年ごろから80年代前半(昭和40年代半ばから50年代後半あたり)まで、日本代表は弱かったのだ。
いや、勝ち負けだけではなかった。そもそも、定期的な代表試合を他国との間で行う機会も少なかった。これは、経済的な課題と観客動員の乏しさの両面からから来るもの。そう言うものだったのだ。…なのでね、平成に入ってから、あれこれ広告代理店がサッカービジネスで金儲けばかり考えて、成績不首尾を招き、結果的に商売面でも下手を打つのを見ると、複雑な気持ちになるのよ…彼らがいたからこそ、日本サッカー界はここまで大きくなれたのだし。
それでも、私が見た昭和の日本代表は、各選手は、皆が己の限界まで戦ってくれた。今の時代から思えば、コンディション調整も、敵へのスカウティングも、稚拙だったかもしれない。けれども、彼らが堂々と各国と戦ってくれた歴史は色あせるものではない。
私は、昭和時代から、日本リーグが大好きだった。
日本リーグは、1965年(昭和40年)に開幕した。これまで、国内のトップクラスの試合が、勝ち抜き戦で行われているのを見て、デッドマール・クラマー氏の提言で始められたものだ。黎明期こそ、東京、メキシコ両五輪の勢いなどもあり、一定の人気を得ていたが、観客動員は伸び悩んだ。日本リーグは、多くのサッカーファンの興味を集めることができず、20余年間運営されたのだ。サッカーの日本リーグ創設は、バレーボール、バスケットボールなどの他球技への、国内リーグ創設にも、大きな貢献を果たしたのだが。
それでも、毎シーズン、私たちは当時最高レベルのサッカーを、日本リーグを通して楽しませてもらったのだ。東洋工業(現サンフレッチェ)の4連覇、三菱(現レッズ)、ヤンマー(現セレッソ)、日立(現レイソル)の3強時代。古河(現ジェフ)の復権、フジタ(現ベルマーレ)の台頭。そして、読売(現ヴェルディ)、日産(現マリノス)の先駆的プロフェッショナル導入。ヤマハ(現ジュビロ)の強化、全日空(消滅させられたフリューゲルス)の参画。
実際、80年代半ば以降(昭和60年代)、日本リーグの各チームの攻防は本当におもしろかった。読売、日産に、古河、ヤマハ、全日空などが絡む上位争い。もちろん、ラモス・ルイ、ジョージ・与那城、戸塚哲也、木村和司、水沼貴史、マリーニョと言った攻撃のスタアたちのプレイは色鮮やかだった。一方で、加藤久を筆頭に、小見幸隆、岸野靖之、清水秀彦、岡田武史、宮内聡、柳下正明、石神良訓と言った、最終ラインあるいは中盤後方で知性を発揮するタレントが次々に登場し、毎週末を彩ってくれた。
そして、古河、読売が2年続いてアジアチャンピオンズカップを制覇、「もしかしたら、俺たち、結構強いんじゃないの?!」と、思いながら時代は平成を迎えた。
けれども、平成に入った序盤は、正に日本代表の暗黒時代だった。
1989年は、翌90年のイタリアワールドカップ予選の年だった。1次ラウンド、日本は、香港、インドネシア、北朝鮮と同じグループに入り、H&Aの総当たり戦で1位が2次ラウンドに抜けるレギュレーションだった。結果は北朝鮮に1勝1敗、インドネシアに1勝1分、香港に2分で、北朝鮮の後塵を拝し2次ラウンド進出に失敗した。一番痛かったのは、ホームゲームの香港戦、単調な攻撃を繰り返し、有効な交替策もとられないままに0対0で引き分け。翌週、平壌での北朝鮮戦を0対2で落とし、敗退が決まった。
当時、日本リーグで活躍していた、加藤久、木村和司らのベテランスタアを起用しなかったこと、当時欧州ではやっていた3-5-2のフォーメーションを採用したのはよいが両サイドに足は速いが判断力に乏しい選手を起用し、事実上3-3-2で戦ってしまった失態など、残念なことが多々あった。
けれども、このような事態は勝負ごとだから、仕方がない。勝敗は時の運だし、準備が不適切で負けることもある。何がガッカリしたかと言うと、このワールドカップ予選敗退から2週間後に、日本代表が目的不明の南米遠征に向かったことだった。現地ではエスティアンデス、ボカ、インデペンディエンテ、コリチーバと言ったトップレベルのクラブチームに加え、ブラジル代表とも対戦。セレソンは、ハーフタイムで選手を大量に入れ替えたが、ドゥンガ、ロマリオ、ベベットらトップ選手を起用してくれた。試合は、後半あのビスマルクに決勝点を許し敗戦。この時点で、次の五輪は若年層の大会になると報道されており、この南米遠征が何の目的で行われたのか、本当に不思議である。と言うか、腹が立ってならない。
その後も当時の日本代表監督は辞任も退任もせず居座る。そして、90年、91年と低調な活動が続いた後、92年(平成4年)ハンス・オフト氏が代表監督に就任した。以降は平成の歴史である。
大会前誰も予想していなかった広島のアジアカップ初制覇(92年)。ドーハの悲劇(93年、平成5年)、UAEアジアカップクウェート戦の失態(96年、平成8年)、ジョホールバルの歓喜(97年、平成9年)、フランスでのチケット騒動と堂々たる敗戦(98年、平成10年)、トルシェ氏騒動、日韓ワールドカップのベスト16(02年、平成14年)、ジーコさんのアジアカップとワールドカップ(06年、平成18年)オシム氏を襲った病魔、岡田武史の奮戦(南アフリカは10年、平成22年)、ザッケローニ氏のアジアカップの歓喜とブラジルでの失態(ブラジルは14年、平成26年)、幻のアギーレ氏、そして…
日本リーグは、平成に入っても充実していた。88-89年、89-90年シーズン、万年優勝候補と言われていた日産が連覇。木村和司、水沼貴史に加え、セレソンの主将経験あるオスカー、柱谷哲司、井原正巳らが機能し、強力なチームを編成した。それに対し、読売はブラジル屈指の名勝、カルロス・アルベルト・ダシルバ氏(1988年ソウル五輪でブラジル代表を指揮)を招聘、「トップクラスの知将は、ここまで知的なチームを作ってくれるのか」と、我々に強い印象を与えてくれた。もっとも、ラモスがダシルバ氏に反旗をひるがえし、氏が僅か1シーズンで日本を去り、読売首脳がラモスを溺愛するペペ氏を招聘したのは、ご愛敬だった。まあ、キングファーザ、納谷宣雄氏の面目躍如と言うところか。
そしてJリーグが開幕した。
平成に入り、日本リーグは、地域密着を指向したJリーグに発展的解散。当初10クラブからスタートした、この人工的リーグは、次々に仲間を増やした。
そして、我が故郷宮城県も、仲間に加わった。当時の東北電力を主体としたチームをプロフェッショナルクラブ化。ブランメル仙台としてスタートしたクラブは、Jリーグ黎明期のバブル的な強化で経営破綻しかけたこともあった。それでも、鬼才清水秀彦氏を監督に招聘、マルコスと言う偉才を獲得したこともあり、2001年(平成13年)J1に昇格。2年でJ2に降格するも、丁寧な強化を継続。梁勇基、菅井直樹と言ったトップスタアの育成にも成功、2010年(平成22年)にJ1に復帰するや、手倉森誠氏の采配よく、2012年(平成24年)シーズンはJ1で2位になり、翌シーズンACLも体験した。私が宮城県でプレイしていた1970から80年代、宮城県にはまともな芝のグラウンドはなかったことを考えると、隔世の感がある。
平成が終わろうとしている。
この平成時代、30年間の日本サッカーが放った光芒の鮮やかさを、どう説明したらよいのだろうか。いや、どう理解したらよいのだろうか。
2018年(平成30年)、7月2日。ロシア、ロストフ・ナ・ドヌ。我々は、アディショナルタイムに失点し、ベルギーに敗れ、ワールドカップベスト8進出に失敗した。繰り返すが、98年本大会に初出場、02年地元大会、10年南アフリカ、それぞれでベスト16に進出成功していたのだが、ここまで欧州の強豪に粘った試合は初めてだった。ベルギーはその後、セレソンを破り、ベスト4に進出した。
2018年(同じく平成30年)、12月9日。埼玉県、埼玉スタジアム2002。天皇杯決勝。我がベガルタ仙台は、初めての決勝進出を果たし、浦和レッズと対戦した。序盤にセットプレイ崩れから失点したものの、創意工夫を凝らし、幾度もレッズゴールを脅かす。けれども、武運つたなく、どうしてもレッズのゴールネットを揺らすことできず。優勝はできなかった。
平成元年に戻ろうか。
私が観ることが叶わなかった、高校サッカー選手権準決勝、決勝は2日順延して行われた。決勝は、三浦文丈、藤田俊哉、山田隆裕らがいた清水商が、野口幸司、小川誠一らがいた市立船橋を破って優勝した。また、準決勝で清水商に敗れた前橋商が米倉誠、服部浩紀、鳥居塚伸人らで演じた攻撃的サッカーは印象深かった。余談ながら、同日決勝する予定だった高校ラグビーの決勝戦は、延期ではなく中止となり、両校優勝となった。
これらを思い起こすと、繰り返すが、ご自身で退位と言う選択をされた今上陛下には感謝の言葉しかない。30年前は、昭和天皇が9月に体調を崩され(楽しみにされていた大相撲観戦を直前に闘病生活に入った、せめて最後の相撲観戦を楽しまれていればと思ったのは私だけか)、以降は自粛、自粛の重苦しい元号の切替だったのだから。
日本サッカーにとって、平成は、本当にすてきな時代だった。
新しい時代を明日から迎える。サッカーと言う究極の娯楽を得た幸せを感じつつ、令和の新時代を生きていきたい。
2019年04月27日
2019年シーズン、ベガルタ、ようやく楽観できた
ベガルタは、8試合を終えて、1勝1分6敗、勝ち点4、得失点差マイナス6、17位。何とも冴えない成績に苦しんでいる。
そろそろ「J1残留は大丈夫か?」的な議論も出てくるし、敗戦時の選手たちの重苦しい表情もやりきれない。まあ、このように思うに任せない事態があるから、サポータ稼業は、堪えられないのだが。
それにしても、一昨シーズンはルヴァンカップベスト4、昨シーズンは、天皇杯準優勝を筆頭に、うまい試合を見せればトップクラスのチームに勝ち切る機会も多かった。当然ながら、今シーズンは、さらなる上積みを期待したいところで、この苦境。いや、最高です。
と嘆き悲しむ今シーズンだが、先日の敵地アントラーズ戦も、0-1での苦杯。悔しい敗戦だった。けれども、私は安堵したのだ。この試合を見て、私は「今シーズンはもう大丈夫だ、これから反転できる。」と確信を持つことができた。
理由は明白、攻守両面でようやく合理的な試合を見せてくれた、つまり内容がよかったからだ。言い換えると、ここまでのリーグ戦、ほとんどの試合が負けて当然、ひどい内容だったのだのだが。
試合内容が改善されたのもよろしかったが、もう一つ嬉しかったことがある。負けが込んでいることに加え、前節のトリニータ戦で、ひどい試合をしてしまい、チームとしては精神的にも追い込まれた状況だったはずだ。それなのに、このアントラーズ戦は、内容を大きく引き上げることができていた。トリニータ戦は、後半半ばから完全に組織崩壊してしまい、よくぞ2点差で食い止めた、と言う内容だったのだから。
簡単にアントラーズ戦を振り返ろう。敵地の試合で、組織的な守備が機能、何度か好機は許したものの、最終ラインもよく粘り、完全に崩されることはなかった。一方で、幾度も逆襲速攻から好機をつかんだ。後半も同様の展開が続いたものの、セットプレイから失点。その後、分厚く守備を固めるアントラーズに対し、丁寧なパスワークで攻めこむ。そして、両翼から何回か好機をつかみかけたが得点を奪うことはできず、0対1での敗戦となった。
こう言っては身も蓋もないが、所詮サッカーは運不運。このアントラーズ戦のような、合理的な戦いを続けていれば、よいこと、悪いことは錯綜するだろうが、勝ち点はついてくるはずだ。
今シーズンのベガルタを見て、感じた大きな課題がある。
それは、毎試合のように、見ていて信じられないような非組織的なプレスを強引にかけ、スルッと外されて、簡単に数的優位の速攻をされて失点することだ。ミスを引っ掛けられて速攻を許すのは、褒められた事態ではないが、ある意味では仕方がない。しかし、ベガルタの一連の失点はそうではない。自ら、強引に手中守備をねらい、敵に外されて数的優位を許し、アッと言う間に失点を重ねたのだ。このような失点は、マリノス戦、ヴィッセル戦、ベルマーレ戦、トリニータ戦、枚挙に暇ない。しかも、そのような不首尾にかかわる選手が、若い経験不足の選手ではなく、富田晋伍、関口訓充、蜂須賀孝治と言った相当な経験豊富な選手だっただけに、悩みは深かった。
おそらくだが、渡邉監督は昨シーズン、それなりに好成績を収めたチームをブラッシュアップすることを狙い、集中守備からの速攻を狙ったのではないか。しかし、残念ながら、その組織作りはまだ未成熟。結果的には、上記の通り、幾多の失敗を重ねてしまっている。選手たちに能力以上の要求をしてしまった、と言う事ではなかろうか。
さらに言えば、開幕から渡邉氏は、相当守備に重きを置いた戦い方をしている。これは昨シーズン終盤、思うようにボールを握れない時間帯に、主に左サイドを執拗に狙われ失点を重ねたことの反省から来ているように思える。そのような守備的なやり方で、一気の速攻を目指す集中守備が、どうしても機能しないと言うことだろう。
一方で、昨シーズンオフから議論されていたのが、今シーズンの編成の問題だ。
開幕から、渡邉監督は、富田(32歳)、関口(33歳)、移籍で獲得した兵藤慎剛(33歳)、そして梁勇基(37歳)を軸に、中盤を組んできた。誤解しないで欲しいが、この4人のプレイが悪いわけではない、いや、皆すばらしいプレイを見せてくれている。富田は相変わらず的確な守備力で中盤の一角を封鎖してくれる。関口は、常にアグレッシブなドリブル、衰えない運動量でチームに貢献する。今シーズン移籍してきた兵藤は、豊富な上下動で攻守に機能、中盤を支えてくれる。先日のサガン戦での得点はその典型例。そして、梁勇基、落ち着いたボールキープは、やはり格段。運動量が落ちてきた終盤、再三梁だけはよく周りを見た位置取りと落ち着いたキープでチームを支えてくれている。けれども、彼らをスタメンに並べるのは、どう考えても得策ではない。4人とも、90分のフル稼働は厳しい年齢になり、特に試合終盤は、いわゆるガス切れ状態となってしまっている。
こう言った大ベテランに頼る布陣となっている要因の1つは、言うまでもなく、今シーズンの大黒柱と期待された椎橋慧也が、開幕直前に負傷離脱をしたことにある。
ただ、それだけではなく、このオフ、奥埜博亮、野津田岳人の2人の中盤中央のタレントの放出を余儀なくされたことも関係しているだろう。レンタルでサンフレッチェが保有権を持っていた野津田はさておき、ユース育ちで仙台大、Vファーレンレンタルと、丹念に育成を重ねた奥埜の放出は誤算だったように思える。一方で、庄司悦大、藤村慶太、茂木駿佑と言ったJ2クラブにレンタルしていたタレントを完全移籍で放出し、ユース育ちの至宝である佐々木匠、小島雅也のレンタルを延長している。そして、石原崇兆、飯尾竜太朗、松下佳貴、道渕諒平、そしてシマオ・マテと言った、いかにも実効的なタレントの獲得している。このような補強政策を見ると、必ずしも中心選手を札束で奪われてしまい、オロオロしているようには見えないのだ。
しかし、こう言った移籍選手へ戦術の徹底をすることに、計画以上の時間がかかってしまったと言うことではないかと思うのだ。なので、渡邉氏は上記のベテランを並べ、当面の試合をしのごうとしたのではないか。けれども、J1は甘くはなく、勝ち点の積み重ねに失敗したと言う事だろう。
気が付いてみれば、アントラーズ戦では、石原崇と松下がスタメン起用され、相当な活躍を見せてくれた。終盤の勝負どころで道渕も起用され機能した。加えて、ここ最近の試合では、最終ラインに若い常田克人が抜擢され、(トリニータ戦で決定的なミスもあったが)堂々たるプレイを見せている。最前線ではジャーメイン良が、鋭い突破を再三見せている(シュートミスも再三見られるけれども)。そして、椎橋も負傷から回復し、ルヴァンでは活躍してくれている。
そう、ようやく、反攻する材料がそろったのだ。
確かに、勝ち点勘定から見れば、苦しい状況なのは間違いない。また、負けが続くと、選手たちも自信を失い、いかにも重苦しい雰囲気となってしまう。
しかし、元々今シーズン、いわゆるBチームで戦っているルヴァンカップは好調で、早々に次ラウンドへの進出を決めている。そして、当初Bチームでプレイしていた移籍獲得選手や若手選手が、定位置を確保しつつある。
そして、ここ数シーズンで築き上げた、チームとして基本的な戦い方は、少々の不調があっても消え去るものではない。勝ち点が積めず、難しい状況下でも、選手がしっかりそろってくれば、アントラーズ戦のような合理的なサッカーができるのだ。
苦しい状況から始まった今シーズンではあるが、終わってみれば、「いやあ、最初は大変だったちゃねや」と笑えると、私は確信している。
そろそろ「J1残留は大丈夫か?」的な議論も出てくるし、敗戦時の選手たちの重苦しい表情もやりきれない。まあ、このように思うに任せない事態があるから、サポータ稼業は、堪えられないのだが。
それにしても、一昨シーズンはルヴァンカップベスト4、昨シーズンは、天皇杯準優勝を筆頭に、うまい試合を見せればトップクラスのチームに勝ち切る機会も多かった。当然ながら、今シーズンは、さらなる上積みを期待したいところで、この苦境。いや、最高です。
と嘆き悲しむ今シーズンだが、先日の敵地アントラーズ戦も、0-1での苦杯。悔しい敗戦だった。けれども、私は安堵したのだ。この試合を見て、私は「今シーズンはもう大丈夫だ、これから反転できる。」と確信を持つことができた。
理由は明白、攻守両面でようやく合理的な試合を見せてくれた、つまり内容がよかったからだ。言い換えると、ここまでのリーグ戦、ほとんどの試合が負けて当然、ひどい内容だったのだのだが。
試合内容が改善されたのもよろしかったが、もう一つ嬉しかったことがある。負けが込んでいることに加え、前節のトリニータ戦で、ひどい試合をしてしまい、チームとしては精神的にも追い込まれた状況だったはずだ。それなのに、このアントラーズ戦は、内容を大きく引き上げることができていた。トリニータ戦は、後半半ばから完全に組織崩壊してしまい、よくぞ2点差で食い止めた、と言う内容だったのだから。
簡単にアントラーズ戦を振り返ろう。敵地の試合で、組織的な守備が機能、何度か好機は許したものの、最終ラインもよく粘り、完全に崩されることはなかった。一方で、幾度も逆襲速攻から好機をつかんだ。後半も同様の展開が続いたものの、セットプレイから失点。その後、分厚く守備を固めるアントラーズに対し、丁寧なパスワークで攻めこむ。そして、両翼から何回か好機をつかみかけたが得点を奪うことはできず、0対1での敗戦となった。
こう言っては身も蓋もないが、所詮サッカーは運不運。このアントラーズ戦のような、合理的な戦いを続けていれば、よいこと、悪いことは錯綜するだろうが、勝ち点はついてくるはずだ。
今シーズンのベガルタを見て、感じた大きな課題がある。
それは、毎試合のように、見ていて信じられないような非組織的なプレスを強引にかけ、スルッと外されて、簡単に数的優位の速攻をされて失点することだ。ミスを引っ掛けられて速攻を許すのは、褒められた事態ではないが、ある意味では仕方がない。しかし、ベガルタの一連の失点はそうではない。自ら、強引に手中守備をねらい、敵に外されて数的優位を許し、アッと言う間に失点を重ねたのだ。このような失点は、マリノス戦、ヴィッセル戦、ベルマーレ戦、トリニータ戦、枚挙に暇ない。しかも、そのような不首尾にかかわる選手が、若い経験不足の選手ではなく、富田晋伍、関口訓充、蜂須賀孝治と言った相当な経験豊富な選手だっただけに、悩みは深かった。
おそらくだが、渡邉監督は昨シーズン、それなりに好成績を収めたチームをブラッシュアップすることを狙い、集中守備からの速攻を狙ったのではないか。しかし、残念ながら、その組織作りはまだ未成熟。結果的には、上記の通り、幾多の失敗を重ねてしまっている。選手たちに能力以上の要求をしてしまった、と言う事ではなかろうか。
さらに言えば、開幕から渡邉氏は、相当守備に重きを置いた戦い方をしている。これは昨シーズン終盤、思うようにボールを握れない時間帯に、主に左サイドを執拗に狙われ失点を重ねたことの反省から来ているように思える。そのような守備的なやり方で、一気の速攻を目指す集中守備が、どうしても機能しないと言うことだろう。
一方で、昨シーズンオフから議論されていたのが、今シーズンの編成の問題だ。
開幕から、渡邉監督は、富田(32歳)、関口(33歳)、移籍で獲得した兵藤慎剛(33歳)、そして梁勇基(37歳)を軸に、中盤を組んできた。誤解しないで欲しいが、この4人のプレイが悪いわけではない、いや、皆すばらしいプレイを見せてくれている。富田は相変わらず的確な守備力で中盤の一角を封鎖してくれる。関口は、常にアグレッシブなドリブル、衰えない運動量でチームに貢献する。今シーズン移籍してきた兵藤は、豊富な上下動で攻守に機能、中盤を支えてくれる。先日のサガン戦での得点はその典型例。そして、梁勇基、落ち着いたボールキープは、やはり格段。運動量が落ちてきた終盤、再三梁だけはよく周りを見た位置取りと落ち着いたキープでチームを支えてくれている。けれども、彼らをスタメンに並べるのは、どう考えても得策ではない。4人とも、90分のフル稼働は厳しい年齢になり、特に試合終盤は、いわゆるガス切れ状態となってしまっている。
こう言った大ベテランに頼る布陣となっている要因の1つは、言うまでもなく、今シーズンの大黒柱と期待された椎橋慧也が、開幕直前に負傷離脱をしたことにある。
ただ、それだけではなく、このオフ、奥埜博亮、野津田岳人の2人の中盤中央のタレントの放出を余儀なくされたことも関係しているだろう。レンタルでサンフレッチェが保有権を持っていた野津田はさておき、ユース育ちで仙台大、Vファーレンレンタルと、丹念に育成を重ねた奥埜の放出は誤算だったように思える。一方で、庄司悦大、藤村慶太、茂木駿佑と言ったJ2クラブにレンタルしていたタレントを完全移籍で放出し、ユース育ちの至宝である佐々木匠、小島雅也のレンタルを延長している。そして、石原崇兆、飯尾竜太朗、松下佳貴、道渕諒平、そしてシマオ・マテと言った、いかにも実効的なタレントの獲得している。このような補強政策を見ると、必ずしも中心選手を札束で奪われてしまい、オロオロしているようには見えないのだ。
しかし、こう言った移籍選手へ戦術の徹底をすることに、計画以上の時間がかかってしまったと言うことではないかと思うのだ。なので、渡邉氏は上記のベテランを並べ、当面の試合をしのごうとしたのではないか。けれども、J1は甘くはなく、勝ち点の積み重ねに失敗したと言う事だろう。
気が付いてみれば、アントラーズ戦では、石原崇と松下がスタメン起用され、相当な活躍を見せてくれた。終盤の勝負どころで道渕も起用され機能した。加えて、ここ最近の試合では、最終ラインに若い常田克人が抜擢され、(トリニータ戦で決定的なミスもあったが)堂々たるプレイを見せている。最前線ではジャーメイン良が、鋭い突破を再三見せている(シュートミスも再三見られるけれども)。そして、椎橋も負傷から回復し、ルヴァンでは活躍してくれている。
そう、ようやく、反攻する材料がそろったのだ。
確かに、勝ち点勘定から見れば、苦しい状況なのは間違いない。また、負けが続くと、選手たちも自信を失い、いかにも重苦しい雰囲気となってしまう。
しかし、元々今シーズン、いわゆるBチームで戦っているルヴァンカップは好調で、早々に次ラウンドへの進出を決めている。そして、当初Bチームでプレイしていた移籍獲得選手や若手選手が、定位置を確保しつつある。
そして、ここ数シーズンで築き上げた、チームとして基本的な戦い方は、少々の不調があっても消え去るものではない。勝ち点が積めず、難しい状況下でも、選手がしっかりそろってくれば、アントラーズ戦のような合理的なサッカーができるのだ。
苦しい状況から始まった今シーズンではあるが、終わってみれば、「いやあ、最初は大変だったちゃねや」と笑えると、私は確信している。
2019年03月24日
まだ、後3年あるのですから
日本0-1コロンビア
おもしろい試合だった。
共に、ワールドカップの上位進出を目指す、けれどもベスト4は厳しいかな、と言う地位。当方はホームだが3年後を見据え、吉田麻也、長友佑都、酒井宏樹、原口元気、大迫勇也と言った中心選手を招集せず。先方は、ほぼベストのメンバのようで、コパアメリカに向けた準備の一環。ただし、監督が変わったばかり、それも新監督があのカルロス・ケイロス氏。
キリン殿が支援してくれる国内国際試合は、非常に位置づけが難しくなってしまっている。欧州でW杯やユーロの予選以外に公式国際大会を始まったことで欧州の代表チームの招聘が難しくなっていること、遠路はるばる来日する相手国のコンディションで試合内容が左右されること、日本協会の貴重な強化費用獲得の源泉の一つであること、我々サポータが日本代表の試合を楽しむ貴重な機会であることなどが、錯綜しているためだ。
ともあれ、このコロンビア戦は、戦闘能力が伯仲した、実におもしろい試合となった。先方の真剣度、格段の戦闘能力、ケイロス氏の日本代表への知識、こう言った要素が加わったためだろうか。
前半、コロンビアが中盤で軽率なミスパスを繰り返したこともあり、日本は再三ショートカウンタから好機をつかんだ。そして、南野拓実、堂安律、中島翔哉が強烈なミドルシュートを放ったものの、崩し切れず。
後半に入り、コロンビアが選手交替でうまくペースをつかんできて、ほとんどボールをキープできない時間帯を作られ、微妙なPKで先制される。その後、中盤に起用された小林裕希がよくボールを触り、交代で起用した香川真司のキープ力、乾貴士のドリブルなどを加えて攻め返すが、崩し切れず。好機はそれなりに作れたが、決定機の数は明らかにコロンビアが上。また、失点するまでの後半20分間通して相手ペースを打開できなかったのも残念。ホームと言うことを考えれば、完敗と言うしかない展開だった。
ともあれ、上記した通り、当方にとってはアジアカップを終え、3年半後に向けて、いわゆるラージグループを作る段階。新監督の下、短期的にコパアメリカを目指す先方とは状況が異なる。ホームとは言え、相手は強豪コロンビア。0-1での敗戦と言う結果は悲観するものではないだろう。
ただし、細かい部分では、相変わらず森保氏のやり方には気になる点があった。
鈴木武蔵のワントップへの抜擢。昨シーズン後半長崎でよく点をとり、今シーズン札幌に移籍し開幕以降よく点をとっている。リーグ戦で調子のよい選手を代表の親善試合で起用するのは、乗っているタレントに活躍を期待する納得できる采配だ。しかし、このタレントの特長である、裏抜けの速さや体躯の強さを活をねらう場面は、あまり見受けられなかった。強いて言えば、カットインした中島翔也のクロスをフリーでヘディングでねらった場面くらい。少なくとも、森保氏が周辺の選手に対し、武蔵の活かし方を、明確に指示していたようには見えなかった。それにしても、武蔵には、あのヘディングをしっかりとミートして欲しかったのだけれども。
アジアカップ前の北川航也の起用方法を振り返っても、同じ印象がある。直前のベネズエラ戦やキルギス戦、北川は大迫や南野と並べて使われることはほとんどなかった。そして、アジアカップに入って、大迫の体調不良時に突然スタメンで起用され、ほとんど機能しなかった。
森保氏に対して厳しい言い方をすると、武蔵にしても北川にしても、ぶっつけ本番で使ってみて、うまく結果が出るのを、ただ待っているように見えるのだ。
柴崎岳と中島の使い方も相変わらず微妙なままだった。
選手入場時に、柴崎が腕章を巻いていたのには少々驚いた。この日のスターティングメンバには、東口順昭、昌子源、山口蛍と、柴崎と同等以上の経験を持つ選手が起用されていた中で、森保氏は柴崎に主将を託したわけだ。いかに、氏の期待が大きいかがわかる。実際、この日の柴崎は、前を向いてボールを受けることができれば、再三鋭いパスを繰り出していた。
ただし、この日の柴崎もアジアカップ同様に、曖昧な位置取りで、うまく組み立てられない時間帯も少なくなかった。特にコロンビアに圧倒的に押し込まれた後半立ち上がりから20分までの時間帯は、すっかり「消えて」しまっていた。と言って、ここぞと言う場面で、ロシアワールドカップの時のような信じ難いロングパスを通してくれたわけでもない。これは柴崎本人がチーム内でどのように貢献するかと言う意識、森保氏が柴崎の働き場をどのように設定するかと言う役割分担、それぞれが曖昧なままだからに思える。ここは、アジアカップ決勝での苦杯からの改善を見せて欲しかった。中盤後方は、この日堅実なプレイを見せたベテラン蛍、終盤起用されてよくボールに触り攻勢を支えた小林。さらには、大島僚太、遠藤航、三竿健斗、守田英正と、中堅どころによいタレントが多いだけに、森保氏の采配が問われるところだ。
中島のプレイを見るのは楽しい。コロンビアの屈強なDF2人に囲まれても、切れ味鋭いドリブルで抜け出すことも再三。鋭いミドルシュートや、見事なラストパスも見せてくれた。ただ、相変わらず、周囲との連携は怪しいところがある。中島が敵陣に入ったところでボールを持ったところで、後方から左オープンに佐々木翔が攻め上がったところで、強引に内側に切り返して敵DFにボールを奪われ、2人で置いて行かれる場面があった。また、相手の遅攻時に位置取りの修正が遅れ、佐々木が敵と1対2を作られ、そこから崩されてしまうことが再三あった。一方で、独特のポジションからうまくボールを奪い、一気に速攻を見せる場面もあったのだけれども。
この選手には、ある程度の自由を提供する方がよいのかもしれない。だったら、周囲の選手に対し、中島を活かすためのプレイを要求すべきだと思うが、森保氏は何か成り行きに任せているように見えてしまうのだ。
まあ、ワールドカップ本番まではあと3年ある。まだレギュレーションが決まっていないようだが、日本が予選に本格参戦するのも、来年半ば以降だろうから、これにもまだ1年ある。今年は、コパアメリカと言う格好の経験を積む機会もある。あまり、慌てて細かい話を気にする必要もないのかもしれない。
A代表と五輪代表を同じ監督に任せるやり方を採用するのは、20年振り。20年前と比べると、圧倒的に選手層も厚くなり、経験も積んだ日本サッカー界。当時のトルシェ氏の七転八倒を思い起こしながら、森保氏の強化を楽しむのも悪くないだろう。
おもしろい試合だった。
共に、ワールドカップの上位進出を目指す、けれどもベスト4は厳しいかな、と言う地位。当方はホームだが3年後を見据え、吉田麻也、長友佑都、酒井宏樹、原口元気、大迫勇也と言った中心選手を招集せず。先方は、ほぼベストのメンバのようで、コパアメリカに向けた準備の一環。ただし、監督が変わったばかり、それも新監督があのカルロス・ケイロス氏。
キリン殿が支援してくれる国内国際試合は、非常に位置づけが難しくなってしまっている。欧州でW杯やユーロの予選以外に公式国際大会を始まったことで欧州の代表チームの招聘が難しくなっていること、遠路はるばる来日する相手国のコンディションで試合内容が左右されること、日本協会の貴重な強化費用獲得の源泉の一つであること、我々サポータが日本代表の試合を楽しむ貴重な機会であることなどが、錯綜しているためだ。
ともあれ、このコロンビア戦は、戦闘能力が伯仲した、実におもしろい試合となった。先方の真剣度、格段の戦闘能力、ケイロス氏の日本代表への知識、こう言った要素が加わったためだろうか。
前半、コロンビアが中盤で軽率なミスパスを繰り返したこともあり、日本は再三ショートカウンタから好機をつかんだ。そして、南野拓実、堂安律、中島翔哉が強烈なミドルシュートを放ったものの、崩し切れず。
後半に入り、コロンビアが選手交替でうまくペースをつかんできて、ほとんどボールをキープできない時間帯を作られ、微妙なPKで先制される。その後、中盤に起用された小林裕希がよくボールを触り、交代で起用した香川真司のキープ力、乾貴士のドリブルなどを加えて攻め返すが、崩し切れず。好機はそれなりに作れたが、決定機の数は明らかにコロンビアが上。また、失点するまでの後半20分間通して相手ペースを打開できなかったのも残念。ホームと言うことを考えれば、完敗と言うしかない展開だった。
ともあれ、上記した通り、当方にとってはアジアカップを終え、3年半後に向けて、いわゆるラージグループを作る段階。新監督の下、短期的にコパアメリカを目指す先方とは状況が異なる。ホームとは言え、相手は強豪コロンビア。0-1での敗戦と言う結果は悲観するものではないだろう。
ただし、細かい部分では、相変わらず森保氏のやり方には気になる点があった。
鈴木武蔵のワントップへの抜擢。昨シーズン後半長崎でよく点をとり、今シーズン札幌に移籍し開幕以降よく点をとっている。リーグ戦で調子のよい選手を代表の親善試合で起用するのは、乗っているタレントに活躍を期待する納得できる采配だ。しかし、このタレントの特長である、裏抜けの速さや体躯の強さを活をねらう場面は、あまり見受けられなかった。強いて言えば、カットインした中島翔也のクロスをフリーでヘディングでねらった場面くらい。少なくとも、森保氏が周辺の選手に対し、武蔵の活かし方を、明確に指示していたようには見えなかった。それにしても、武蔵には、あのヘディングをしっかりとミートして欲しかったのだけれども。
アジアカップ前の北川航也の起用方法を振り返っても、同じ印象がある。直前のベネズエラ戦やキルギス戦、北川は大迫や南野と並べて使われることはほとんどなかった。そして、アジアカップに入って、大迫の体調不良時に突然スタメンで起用され、ほとんど機能しなかった。
森保氏に対して厳しい言い方をすると、武蔵にしても北川にしても、ぶっつけ本番で使ってみて、うまく結果が出るのを、ただ待っているように見えるのだ。
柴崎岳と中島の使い方も相変わらず微妙なままだった。
選手入場時に、柴崎が腕章を巻いていたのには少々驚いた。この日のスターティングメンバには、東口順昭、昌子源、山口蛍と、柴崎と同等以上の経験を持つ選手が起用されていた中で、森保氏は柴崎に主将を託したわけだ。いかに、氏の期待が大きいかがわかる。実際、この日の柴崎は、前を向いてボールを受けることができれば、再三鋭いパスを繰り出していた。
ただし、この日の柴崎もアジアカップ同様に、曖昧な位置取りで、うまく組み立てられない時間帯も少なくなかった。特にコロンビアに圧倒的に押し込まれた後半立ち上がりから20分までの時間帯は、すっかり「消えて」しまっていた。と言って、ここぞと言う場面で、ロシアワールドカップの時のような信じ難いロングパスを通してくれたわけでもない。これは柴崎本人がチーム内でどのように貢献するかと言う意識、森保氏が柴崎の働き場をどのように設定するかと言う役割分担、それぞれが曖昧なままだからに思える。ここは、アジアカップ決勝での苦杯からの改善を見せて欲しかった。中盤後方は、この日堅実なプレイを見せたベテラン蛍、終盤起用されてよくボールに触り攻勢を支えた小林。さらには、大島僚太、遠藤航、三竿健斗、守田英正と、中堅どころによいタレントが多いだけに、森保氏の采配が問われるところだ。
中島のプレイを見るのは楽しい。コロンビアの屈強なDF2人に囲まれても、切れ味鋭いドリブルで抜け出すことも再三。鋭いミドルシュートや、見事なラストパスも見せてくれた。ただ、相変わらず、周囲との連携は怪しいところがある。中島が敵陣に入ったところでボールを持ったところで、後方から左オープンに佐々木翔が攻め上がったところで、強引に内側に切り返して敵DFにボールを奪われ、2人で置いて行かれる場面があった。また、相手の遅攻時に位置取りの修正が遅れ、佐々木が敵と1対2を作られ、そこから崩されてしまうことが再三あった。一方で、独特のポジションからうまくボールを奪い、一気に速攻を見せる場面もあったのだけれども。
この選手には、ある程度の自由を提供する方がよいのかもしれない。だったら、周囲の選手に対し、中島を活かすためのプレイを要求すべきだと思うが、森保氏は何か成り行きに任せているように見えてしまうのだ。
まあ、ワールドカップ本番まではあと3年ある。まだレギュレーションが決まっていないようだが、日本が予選に本格参戦するのも、来年半ば以降だろうから、これにもまだ1年ある。今年は、コパアメリカと言う格好の経験を積む機会もある。あまり、慌てて細かい話を気にする必要もないのかもしれない。
A代表と五輪代表を同じ監督に任せるやり方を採用するのは、20年振り。20年前と比べると、圧倒的に選手層も厚くなり、経験も積んだ日本サッカー界。当時のトルシェ氏の七転八倒を思い起こしながら、森保氏の強化を楽しむのも悪くないだろう。
2019年01月06日
そこに菅井直樹がいた
菅井直樹が引退を発表した。
ベガルタのレジェンド、そしてJリーグを代表する得点力あふれるサイドバックは、ベガルタゴールド以外を身にまとうことなく、プロ生活を終えた。今までの色鮮やかなプレイに、ただただ感謝の言葉を捧げるのみである。ありがとうございました。
そう、色鮮やかだったのだ。菅井のプレイは。
その神出鬼没の右サイドからの得点に、幾度歓喜させられたことだろうか。特に、逆サイドの左バックに朴柱成がいた頃は、朴の無骨な前進からの独特のクロスが上がる度に、いずこから現れたのかはわからない菅井の飛び出しに胸を躍らせたものだった。いや、もちろん朴柱成だけではなかった。梁勇基も、関口訓充も、ウイルソンも、蜂須賀孝治も、そして奥埜博亮も、右サイドからいつの間にかゴール前に飛び出してくる菅井へのラストパスを、常にねらっていた。
攻撃がうまいサイドバックはたくさんいる。しかし、菅井はただ攻撃がうまいのではなく、得点をとるのがうまいサイドバックだったのだ。
いわゆる嗅覚に優れた、鼻が利くと言われるストライカがいる。古くは、ゲルト・ミュラー、パオロ・ロッシ、そしてフィリッポ・インザーギ。日本では、佐藤寿人や大黒将志がその系譜に連なる点取り屋だ。ここで言う得点機の匂いとは何か。敵守備陣と味方攻撃陣相互の全体的相対位置関係、自分を注視する相手DFとの駆け引き、チームメートの持ち出し、これら全体を把握し続ける。その上で、マーカと自分の相対能力差を考慮し、己のどこでシュートをすればネットを揺らし得るかの判断。嗅覚に優れたストライカ達は、この判断力が格段なのだ。
そして、菅井もこれらのストライカ同様、その判断力が格段の選手だった。ただし菅井はフォワードではなくディフェンダだった。ディフェンダなのだから、守備が甘いのは論外だ。そして、重要なことは、菅井は格段の得点力を誇りながら、守備能力も高かったこと。より正確に言えば、攻撃参加の隙を突かれてピンチを招くことが、とても少なかったことだ。これは、菅井が得点をとるための判断力のみならず、チーム全体のバランスを考慮した判断力にも優れていたことの証左となる。もちろん、そのための正確なボール扱い、長短のパスを繰り出せる右足の精度、とっさに足を出せる瞬発力、上下動をいとわないスタミナ、それぞれいずれもすばらしかった。けれども、菅井が最も優れていたのは、攻守それぞれにおける判断力だった。
40余年サッカーに浸り続けた私だが、得点をとるのが巧みなディフェンダとしての菅井の能力は、ジャチント・ファケッティ、ダニエル・パサレラ、マティアス・ザマーに、匹敵するものがあったのではないかと思っている。まあ、ちょっとした戯言として。
とにかく、菅井のプレイを見るのは楽しかった。普段はしっかりと自軍の右サイドを抑えている菅井。その菅井が、ピッチの上から俯瞰する私たちでさえ意表を突かれるような前進を行い、得点と言う最大の歓喜を提供してくれたからだ。それも幾度も幾度も。これを、色鮮やかと言わずして、何と言おうか。
2003年シーズン、菅井は山形中央高校からベガルタに加入した。同期には中原貴之がいた。90年代後半には事実上経営破綻の状況にあった我がクラブが、このレベルの若者を獲得できるようになった感慨は忘れられない。ただし、その年ベガルタは清水監督の自転車操業の努力むなしく、J2に陥落してしまった。
2005年シーズン終盤、菅井は、当時の大黒柱シルビーニョと中盤後方でコンビを組むことで定位置をつかんだ。さらに、翌2006年シーズン、当時の監督ジョエル・サンタナ氏は、菅井を右サイドバックにコンバートする。あまり愉快な思い出のないこの監督だったが、我々に何ともすてきなお土産を残してくれたわけだ。そして、2006年を含む4シーズン、J2屈指の右サイドバック菅井は、他クラブからのオファーに動じずベガルタに残留し、2010年にはとうとうJ1に復帰する。
そして、以降菅井はJ1屈指の右サイドバックとなり、我々に色鮮やかなプレイを見せ続けてくれた。菅井のリーグ戦出場記録を見直すと、J2は186試合、J1は203試合、あの永遠に続くのかと思ったJ2時代は、はるかかなた昔のこととなったのだ。ここ数シーズン、菅井は負傷の多さもあり、試合出場の機会が少しずつ減ってきていた。しかし、菅井は他クラブへ移る選択肢はとらず、ベガルタで現役生活を全うしてくれた。
たった一つ残念だったことは、日本代表の声がかからなかったこと。同じポジションに、より若い内田篤人と言う格段のタレントがいたのが不運だったか。その結果、プロになった以降、とうとう菅井は公式には黄金色のユニフォーム以外は、まとわなかった事になる。
それにしても、引退の言はすてき過ぎはしませんか。「心残りはエンブレムの上に星を付けることができなかったこと、今後、実現できても選手ではないことです。」とか「選手としてオーバーヒートするまで走り切りました。」なんて。
引退については、覚悟はしていた。
そうでなければ、こんな文章は書かない。ただ、いくら何でも発表されるならば、年内だろうと思い込んでおり、ここまで発表がないから「大丈夫だろう」と思い込んでいた。こちらはこちらで、油断していたのだ。
昨日、散々と奥埜の去就について愚痴を垂れたが、菅井への惜別の情は、やはり奥埜へのそれとは、かなり違う。
もちろん、寂しさも大きい。もっと、菅井を楽しみたかった。けれども、それは贅沢と言うものなのだろう。これだけの期間、あの色鮮やかな菅井直樹のプレイを心底楽しむことができたのだから。そして、それを歓喜と共に、味わい尽くせたのだから。改めて、菅井直樹の色鮮やかなプレイに感謝したい。繰り返します、ありがとうございました。
そこに菅井直樹がいた。改めて、ベガルタサポータでよかった。
ベガルタのレジェンド、そしてJリーグを代表する得点力あふれるサイドバックは、ベガルタゴールド以外を身にまとうことなく、プロ生活を終えた。今までの色鮮やかなプレイに、ただただ感謝の言葉を捧げるのみである。ありがとうございました。
そう、色鮮やかだったのだ。菅井のプレイは。
その神出鬼没の右サイドからの得点に、幾度歓喜させられたことだろうか。特に、逆サイドの左バックに朴柱成がいた頃は、朴の無骨な前進からの独特のクロスが上がる度に、いずこから現れたのかはわからない菅井の飛び出しに胸を躍らせたものだった。いや、もちろん朴柱成だけではなかった。梁勇基も、関口訓充も、ウイルソンも、蜂須賀孝治も、そして奥埜博亮も、右サイドからいつの間にかゴール前に飛び出してくる菅井へのラストパスを、常にねらっていた。
攻撃がうまいサイドバックはたくさんいる。しかし、菅井はただ攻撃がうまいのではなく、得点をとるのがうまいサイドバックだったのだ。
いわゆる嗅覚に優れた、鼻が利くと言われるストライカがいる。古くは、ゲルト・ミュラー、パオロ・ロッシ、そしてフィリッポ・インザーギ。日本では、佐藤寿人や大黒将志がその系譜に連なる点取り屋だ。ここで言う得点機の匂いとは何か。敵守備陣と味方攻撃陣相互の全体的相対位置関係、自分を注視する相手DFとの駆け引き、チームメートの持ち出し、これら全体を把握し続ける。その上で、マーカと自分の相対能力差を考慮し、己のどこでシュートをすればネットを揺らし得るかの判断。嗅覚に優れたストライカ達は、この判断力が格段なのだ。
そして、菅井もこれらのストライカ同様、その判断力が格段の選手だった。ただし菅井はフォワードではなくディフェンダだった。ディフェンダなのだから、守備が甘いのは論外だ。そして、重要なことは、菅井は格段の得点力を誇りながら、守備能力も高かったこと。より正確に言えば、攻撃参加の隙を突かれてピンチを招くことが、とても少なかったことだ。これは、菅井が得点をとるための判断力のみならず、チーム全体のバランスを考慮した判断力にも優れていたことの証左となる。もちろん、そのための正確なボール扱い、長短のパスを繰り出せる右足の精度、とっさに足を出せる瞬発力、上下動をいとわないスタミナ、それぞれいずれもすばらしかった。けれども、菅井が最も優れていたのは、攻守それぞれにおける判断力だった。
40余年サッカーに浸り続けた私だが、得点をとるのが巧みなディフェンダとしての菅井の能力は、ジャチント・ファケッティ、ダニエル・パサレラ、マティアス・ザマーに、匹敵するものがあったのではないかと思っている。まあ、ちょっとした戯言として。
とにかく、菅井のプレイを見るのは楽しかった。普段はしっかりと自軍の右サイドを抑えている菅井。その菅井が、ピッチの上から俯瞰する私たちでさえ意表を突かれるような前進を行い、得点と言う最大の歓喜を提供してくれたからだ。それも幾度も幾度も。これを、色鮮やかと言わずして、何と言おうか。
2003年シーズン、菅井は山形中央高校からベガルタに加入した。同期には中原貴之がいた。90年代後半には事実上経営破綻の状況にあった我がクラブが、このレベルの若者を獲得できるようになった感慨は忘れられない。ただし、その年ベガルタは清水監督の自転車操業の努力むなしく、J2に陥落してしまった。
2005年シーズン終盤、菅井は、当時の大黒柱シルビーニョと中盤後方でコンビを組むことで定位置をつかんだ。さらに、翌2006年シーズン、当時の監督ジョエル・サンタナ氏は、菅井を右サイドバックにコンバートする。あまり愉快な思い出のないこの監督だったが、我々に何ともすてきなお土産を残してくれたわけだ。そして、2006年を含む4シーズン、J2屈指の右サイドバック菅井は、他クラブからのオファーに動じずベガルタに残留し、2010年にはとうとうJ1に復帰する。
そして、以降菅井はJ1屈指の右サイドバックとなり、我々に色鮮やかなプレイを見せ続けてくれた。菅井のリーグ戦出場記録を見直すと、J2は186試合、J1は203試合、あの永遠に続くのかと思ったJ2時代は、はるかかなた昔のこととなったのだ。ここ数シーズン、菅井は負傷の多さもあり、試合出場の機会が少しずつ減ってきていた。しかし、菅井は他クラブへ移る選択肢はとらず、ベガルタで現役生活を全うしてくれた。
たった一つ残念だったことは、日本代表の声がかからなかったこと。同じポジションに、より若い内田篤人と言う格段のタレントがいたのが不運だったか。その結果、プロになった以降、とうとう菅井は公式には黄金色のユニフォーム以外は、まとわなかった事になる。
それにしても、引退の言はすてき過ぎはしませんか。「心残りはエンブレムの上に星を付けることができなかったこと、今後、実現できても選手ではないことです。」とか「選手としてオーバーヒートするまで走り切りました。」なんて。
引退については、覚悟はしていた。
そうでなければ、こんな文章は書かない。ただ、いくら何でも発表されるならば、年内だろうと思い込んでおり、ここまで発表がないから「大丈夫だろう」と思い込んでいた。こちらはこちらで、油断していたのだ。
昨日、散々と奥埜の去就について愚痴を垂れたが、菅井への惜別の情は、やはり奥埜へのそれとは、かなり違う。
もちろん、寂しさも大きい。もっと、菅井を楽しみたかった。けれども、それは贅沢と言うものなのだろう。これだけの期間、あの色鮮やかな菅井直樹のプレイを心底楽しむことができたのだから。そして、それを歓喜と共に、味わい尽くせたのだから。改めて、菅井直樹の色鮮やかなプレイに感謝したい。繰り返します、ありがとうございました。
そこに菅井直樹がいた。改めて、ベガルタサポータでよかった。
2019年01月05日
奥埜博亮との別れ
昨年末より噂となっていた奥埜博亮のセレッソへの移籍が発表された。
奥埜は、24年に渡るベガルタ仙台の歴史においては特別な選手だ。と言うのは、ベガルタユースから、J1のトップクラスのプレイヤと紛れもなく呼べるまでに成長させることができた、初めてかつ(現状では)唯一、と言ってよいタレントだからだ(他のクラブのサポータからは、「お前ら、それしか成功例がないのかよ?」と笑われるかもしれませんが、事実は事実なのです)。しかも、ユース卒団時にはトップ加入は時期尚早として、提携していた仙台大でプレイさせ、同大を卒業後に入団させた選手。さらにその後、Vファーレンにレンタル移籍させて経験を積ませて、とうとうトップの選手として確立した選手だ。この奥埜の育成方法は、素材的にレベルが高いが高卒段階ではトップには達していないタレントへの対応としては、実に適格なものだったと思う。そのような経歴のタレントなので、ベガルタサポータからすると格段に思い入れがある。
ボールを保持しながらのターンが速く、瞬間的な加速にも優れているので、中盤の小さなスペースで相手を抜き去ることができる。(少々常識的だが)丁寧なパス出しでゲームを作り、粘り強い守備で敵攻撃の第一波を防ぐのもうまいし、スリムな体躯ながら腰を低くした当たりからのボール奪取も中々のものだ。シュートの精度に若干の改善の余地はあるが、ベガルタの中盤の中核として、奥埜は、とても頼りになる存在だった。
正直言って、奥埜が今シーズンオフに他クラブに移ることはないと思い込んでいた(油断していた)。と言うのは、奥埜は89年8月生まれで、2019年シーズンには30歳になる。もうベテランと言ってよい選手なので、経済的に豊かな他クラブの獲得興味対象にはならないと考えていたのだ。奥埜が定位置を確保した15年シーズン以降は、オフになる度に「20台半ばの働き盛りの奥埜が他のクラブから買われたらどうしよう」とオロオロしていたのは確かだが、奥埜は毎シーズンオフにベガルタと契約を継続してくれた。これだけのタレントなので、過去非公式でも他クラブからの打診がなかったとは思えない。しかし、奥埜はベガルタでのプレイを選択し続けてくれた。これは、ベガルタが奥埜にそれなりの誠意(この世界で誠意とは現金以外ない)を見せていたからだろう。そして、30歳を迎えようとする奥埜には、ベガルタを凌駕する誠意を見せるクラブが出てくるとは思っていなかったのだ。
そうこう考えれば、今回のセレッソは奥埜に対して最高級の誠意を提示してくれたのは間違いない。とすれば、違約金を含めてベガルタにもそれなりの実入りはあったはずだし、ユースからの自前育成選手が、この年齢にもかかわらず、経済的に豊かなクラブに購入いただけたのだから、まことめでたいと言う事になる。まずは、素直に喜びを…などと言えるわけないではないか。残念だ、とにかく残念だ。
毎シーズンオフ、選手の他クラブへの流出を懸念して、何とも言えない日々を送るのが常なのだが、上記の通り、奥埜については完全に油断していた。このオフについては大岩一貴、シュミット・ダニエル、椎橋彗也の3人については、本当に心配していた。特に椎橋については、素質がある選手であれば後先なく買い集めるような金満クラブに目をつけられたらどうしようと不安だったのだ。奥埜と異なり、ベガルタがまだ若い椎橋に、他を圧する誠意を見せていたとは思えないし。
奥埜の他も他クラブに場を求めた選手は少なくない。特にこのオフは中盤選手の移籍が目立つ。ベガルタ加入後その潜在能力を発揮するようになった野津田岳人が保有権を持つサンフレッチェに、個性的なドリブラの中野嘉大がコンサドーレに、サイドアタックのスペシャリスト古林将太がベルマーレに、高精度パスが期待された庄司悦大がレンタル先のサンガに、そしてベガルタユース出身で強いキックが持ち味の茂木駿佑がやはりレンタル先のホーリーホックに、それぞれ移籍した。正直言って中盤の核だった奥埜と野津田が2人チームを離れたのは戦闘能力的に大きな痛手かもしれない。ただ、上記の通り、将来性を含め中盤で最も重要な椎橋は確保し、新たに中盤には松下佳貴、石原崇兆、飯尾竜太朗と働き盛りで実力は折り紙付きの中盤選手を3枚補強できたわけだし、痛手は思ったよりは少ないかもしれない。まずは、2019年シーズンの編成の最終確定を待ちたい。
ともあれ、タレントの流出については、悪いのは移籍先のクラブではなく、ベガルタなのだ。奥埜にセレッソ以上の誠意を提供できない経済力しかないベガルタがいけないのだ。天を恨んで人を恨まず、残念なことは極まりないが、快く奥埜を送り出したい。セレッソの新監督のロティーナ氏のヴェルディ時代の采配を見た限りでは、奥埜は氏好みのタレントだと思うし。
奥埜よ、今までのすばらしいプレイをありがとう。君が定位置を確保した2015年シーズン以降、ベガルタは、早々にJ1残留を決め中位を確保、17年シーズンはルヴァンのベスト4、そして昨18年シーズンは天皇杯決勝進出、これらの好成績は君抜きでは、なし得なかった。新しいクラブで頑張ってくれ、ただしベガルタ戦以外で。
奥埜は、24年に渡るベガルタ仙台の歴史においては特別な選手だ。と言うのは、ベガルタユースから、J1のトップクラスのプレイヤと紛れもなく呼べるまでに成長させることができた、初めてかつ(現状では)唯一、と言ってよいタレントだからだ(他のクラブのサポータからは、「お前ら、それしか成功例がないのかよ?」と笑われるかもしれませんが、事実は事実なのです)。しかも、ユース卒団時にはトップ加入は時期尚早として、提携していた仙台大でプレイさせ、同大を卒業後に入団させた選手。さらにその後、Vファーレンにレンタル移籍させて経験を積ませて、とうとうトップの選手として確立した選手だ。この奥埜の育成方法は、素材的にレベルが高いが高卒段階ではトップには達していないタレントへの対応としては、実に適格なものだったと思う。そのような経歴のタレントなので、ベガルタサポータからすると格段に思い入れがある。
ボールを保持しながらのターンが速く、瞬間的な加速にも優れているので、中盤の小さなスペースで相手を抜き去ることができる。(少々常識的だが)丁寧なパス出しでゲームを作り、粘り強い守備で敵攻撃の第一波を防ぐのもうまいし、スリムな体躯ながら腰を低くした当たりからのボール奪取も中々のものだ。シュートの精度に若干の改善の余地はあるが、ベガルタの中盤の中核として、奥埜は、とても頼りになる存在だった。
正直言って、奥埜が今シーズンオフに他クラブに移ることはないと思い込んでいた(油断していた)。と言うのは、奥埜は89年8月生まれで、2019年シーズンには30歳になる。もうベテランと言ってよい選手なので、経済的に豊かな他クラブの獲得興味対象にはならないと考えていたのだ。奥埜が定位置を確保した15年シーズン以降は、オフになる度に「20台半ばの働き盛りの奥埜が他のクラブから買われたらどうしよう」とオロオロしていたのは確かだが、奥埜は毎シーズンオフにベガルタと契約を継続してくれた。これだけのタレントなので、過去非公式でも他クラブからの打診がなかったとは思えない。しかし、奥埜はベガルタでのプレイを選択し続けてくれた。これは、ベガルタが奥埜にそれなりの誠意(この世界で誠意とは現金以外ない)を見せていたからだろう。そして、30歳を迎えようとする奥埜には、ベガルタを凌駕する誠意を見せるクラブが出てくるとは思っていなかったのだ。
そうこう考えれば、今回のセレッソは奥埜に対して最高級の誠意を提示してくれたのは間違いない。とすれば、違約金を含めてベガルタにもそれなりの実入りはあったはずだし、ユースからの自前育成選手が、この年齢にもかかわらず、経済的に豊かなクラブに購入いただけたのだから、まことめでたいと言う事になる。まずは、素直に喜びを…などと言えるわけないではないか。残念だ、とにかく残念だ。
毎シーズンオフ、選手の他クラブへの流出を懸念して、何とも言えない日々を送るのが常なのだが、上記の通り、奥埜については完全に油断していた。このオフについては大岩一貴、シュミット・ダニエル、椎橋彗也の3人については、本当に心配していた。特に椎橋については、素質がある選手であれば後先なく買い集めるような金満クラブに目をつけられたらどうしようと不安だったのだ。奥埜と異なり、ベガルタがまだ若い椎橋に、他を圧する誠意を見せていたとは思えないし。
奥埜の他も他クラブに場を求めた選手は少なくない。特にこのオフは中盤選手の移籍が目立つ。ベガルタ加入後その潜在能力を発揮するようになった野津田岳人が保有権を持つサンフレッチェに、個性的なドリブラの中野嘉大がコンサドーレに、サイドアタックのスペシャリスト古林将太がベルマーレに、高精度パスが期待された庄司悦大がレンタル先のサンガに、そしてベガルタユース出身で強いキックが持ち味の茂木駿佑がやはりレンタル先のホーリーホックに、それぞれ移籍した。正直言って中盤の核だった奥埜と野津田が2人チームを離れたのは戦闘能力的に大きな痛手かもしれない。ただ、上記の通り、将来性を含め中盤で最も重要な椎橋は確保し、新たに中盤には松下佳貴、石原崇兆、飯尾竜太朗と働き盛りで実力は折り紙付きの中盤選手を3枚補強できたわけだし、痛手は思ったよりは少ないかもしれない。まずは、2019年シーズンの編成の最終確定を待ちたい。
ともあれ、タレントの流出については、悪いのは移籍先のクラブではなく、ベガルタなのだ。奥埜にセレッソ以上の誠意を提供できない経済力しかないベガルタがいけないのだ。天を恨んで人を恨まず、残念なことは極まりないが、快く奥埜を送り出したい。セレッソの新監督のロティーナ氏のヴェルディ時代の采配を見た限りでは、奥埜は氏好みのタレントだと思うし。
奥埜よ、今までのすばらしいプレイをありがとう。君が定位置を確保した2015年シーズン以降、ベガルタは、早々にJ1残留を決め中位を確保、17年シーズンはルヴァンのベスト4、そして昨18年シーズンは天皇杯決勝進出、これらの好成績は君抜きでは、なし得なかった。新しいクラブで頑張ってくれ、ただしベガルタ戦以外で。
2018年12月31日
2018年10大ニュース
1位.ベルギー戦
幾度も書いたけれど、「世界屈指の強豪とワールドカップで丁々発止することは、中学生時代からの夢だった。そして、夢は叶った。それは、あまりに甘美で絶望的な体験だったけれど。改めて、その場にいられたこと、その場にいられることを許してくれた方々に感謝したい。
毎回毎回負ける度に確信するが、近づけば近づくほど、その差は明確となり具現化される。あのアディショナルタイムの惨劇、コンマ数秒の切り替える能力差を、クルトワとデ・ブライネに突き付けられた。我々が、将来に渡り、それに追いつき、ひっくり返すことができるかどうかはわからない。けれども、その差をここまで具体的にすることができたのだ。
2位.鹿島アントラーズアジア王者
日本のトップクラブ鹿島アントラーズが悲願のアジア制覇。JSL2部の住友金属時代からの、長きに渡る強化が、1つのピークを迎えたと言うことだろうか。しかも、リーグ3位、天皇杯、ルヴァンカップベスト4と、国内の大会でも上々の成績を収めたことも特筆すべきだろう。
少なくとも、クラブワールドカップでも、レアル・マドリードに本気で勝ちに行っていたのも、頼もしかった。最後、リーベル相手にボロボロになった試合も、年間60試合の末の結論。お見事な戦いでした。でも、UAEに三竿健斗と鈴木優磨は連れて行きたかったですね。
3位.レッズ、日程がクルクル変わる天皇杯を制覇
自分にとって初めての天皇杯決勝。それはそれで究極の体験でした。それにしても、決勝のレッズの勝負強さ、阿部勇樹の老獪な守備には恐れ入りました。
一方で、破綻する日程を放置する日本協会の無策ぶりが出た大会でもあった。アントラーズの大奮闘に伴う、信じ難い日程修正案のひどさ。Jの年マタギ開催など寝ぼけたこと言うのはやめて、真剣にアジア協会とも調整し、全うな日程案を作らなければいけない。
4位.川崎フロンターレ連覇
ベスト11でも記述したが、「中村憲剛がいなくなったらどうなってしまうのか」と思われたクラブは、憲剛がいるうちに大クラブになってしまった。
Jリーグは、当然ながら経済的に豊かなクラブに優秀な選手が集まるわけだが、トップ選手の多くが欧州に移籍してしまうため、どうしても戦闘能力差がつきづらい。その結果、今シーズンは未曾有の混戦となった。けれども、フロンターレは、他クラブを圧倒する戦闘能力を発揮し、終盤戦で飛び出し圧倒的強さで優勝した。
中村憲剛が次に目指すのはACL。
5位.湘南ベルマーレ、ルヴァンカップ制覇
ベルマーレが約20年ぶりにタイトルを獲得した。90年代メインスポンサだったフジタ工業が撤退した以降、経済的面で苦労に苦労を重ねたきたクラブが、゙貴裁氏と言う格段の監督を擁し、ついにタイトルを奪還。これは、明確な親会社を持たず、経済的に潤沢でないクラブすべてを勇気づける快挙だ。おめでとうございます。
前身のフジタ工業時代に、70年代から80年代にかけて古前田充、今井敬三、カルバリオ、マリーニョらを擁し、複数回JSLと天皇杯を制した。そして、90年代、洪 明甫、ベッチーニョ、名良橋晃、岩本テル、中田英寿らを擁し天皇杯、アジアカップウィナーズカップを獲得したこの名門の復活劇はすばらしい。
本音、天皇杯制覇をし損ねたベガルタサポータからすると、嫉妬の対象でしかないけれどね。
6位.冨安健洋と堂安律、欧州で着実にランクを上げる
日本がワールドカップに初出場した1998年に生まれた、2人の若者は欧州で着実に地位を築いており、当然のようにアジアカップ代表にも選考された。この2人は、井原正巳や中田英寿が代表で地位を確立したのと、ほぼ同じタイミングで代表の経歴を積んでいることになる。この2人ならば、欧州で着実に経歴を積みメガクラブの中心選手まで駆け上がってくれて、我々をワールドカップベスト8以上に導いてくれるのではないかと期待も高まるのだが。たとえば、中村俊輔と長友佑都は総合能力と言う意味でそのレベルまで行ききれなかった。酒井宏樹はその域に達していると思うが、そのレベルに達した時は歳をとり過ぎていた。
一方で、逸材はこの年齢で欧州に出る方がよいと言う、身も蓋もない現実に突き当たる。Jリーグの発展に対する明らかな背反。悩みは深いが、結構な悩みと前向きと捉えることにしようか。
7位.田島会長の絶望的政治センスのなさ
ハリルホジッチ氏を解任しようと決断したのは、(私は賛同しないが)1つの理屈があったのだろう。しかし、解任するならば、しっかりと外部に説明する義務がある。もし、それが発表できないと言うならば、できる理屈を作ってからにしてほしい。その理屈を、自分で考えられないのは仕方がない。しかし、動かせる大枚があるのだから、広告代理店なり誰かに考えさせることはできるはずだ。そもそも、そのような理屈を準備しなければまずいと言う発想が出ないこと、あるいは周囲がそう助言しないことが、あまりに情けない。
飽きもせずJの年マタギ開催を主張し、その結果現状の破綻する日程問題を完全に放置するのも、むべなるかな。
8位.アジア大会、五輪代表、決勝で韓国の前に散る
他国はU23なのに当方は東京五輪向けチーム。Jリーグ開催中の開催ゆえ、1クラブから1人の選考限定。選手も直前のJを戦って疲労困憊。当然オーバエージもなし。明らかに他国と比較して不利なチーム構成。しかも、チーム数が多いため、中1日を含む狂的な日程。
大会序盤は、「どうなることか」と言う低調なチームだったが、試合を続けるうちに、チーム力が向上。ベトナム、マレーシアのような、俊敏で技巧的なタレントを擁する東南アジア勢には苦戦したものの、逆にサウジ、UAEと言った中東勢は、戦術眼の高さで圧倒。
決勝で、兵役解除を目指す孫興慜率いる韓国と対戦。 前半こそ個々の能力差で圧倒されたが、後半に入るやスローテンポにすることに成功、先方の疲労もあり互角の攻防として延長に持ち込む。しかし、延長で李承佑の絶妙な発想にやられた。悔しかったですな。大会後一部選手が「韓国のフィジカルにやられた」と言っていたのが気になる、やられたのは「李承佑の戦術眼」だったのだが。まあ、いいだろう、これからも李承佑は厄介な存在になるのだろう。
余談、孫興慜は現状、日本のどの選手よりもランクの高いクラブの中心選手だ。車範恨と奥寺、朴智星と中村俊輔、正直言って韓国代表の大エースが、我々の英雄より少々だがランクの高いクラブの中心選手であることが残念。
9位.女子の強化が新しいフェースに入った
女子ワールドユース(U20ワールドカップ)で、とうとう初優勝を勝ち取った日本女子代表。
気づいてみれば、なでしこリーグの試合は、10年前よりも格段にレベルが上がっている。ほんの10年前、女子代表の選手には、左足でしっかりボールを蹴ることのできない選手もいた。インステップキックで30mクラスのパスを通せない選手もいた。しかし、ベレーザを軸にした今のなでしこリーグのレベルは格段に高いものになっている。関係者の努力のたまものだろう。
一方で、世界のレベルも上がった。特に欧州各国はフィジカルに優れたタレントが多数登場している。だからこそ、日本は技巧を意識したサッカーにこだわるべきだろう。少なくともU20はそれに成功した。
シニアなでしこの女神高倉麻子監督の下、短期的な強化の成功に期待したい。
のだけれども、澤穂希が格段だったのは忘れてはいけない。そう簡単に世界一の奪還はできないとの自覚は忘れずに。
10位.大杉漣U氏逝去と高木美帆の金メダル
2018年2月21日、大杉氏が亡くなった日、高木美帆がパシュートで金メダルを獲得した。その報せを聞いた時、大きな悲しみと、大きな喜びが、同時に訪れ、私は少なからず混乱し、しばらく頭の整理がつかなった。大杉氏は、徳島ヴォルティスの真摯なサポータであることはよく知られている。一方、高木は中学生までサッカーにも本格的に取り組んでおり、若年層代表にも選考される人材だった。
大杉氏は、ご自身がプレイしていた縁からだろうが、生まれ育った徳島のクラブを心底愛し、貴重なプライベートな時間をヴォルティスに捧げていた。これは、Jリーグと言う玩具が、いかに日本の多くの土地に浸透しているかの現れなのだ。大杉氏のような公人ではないが、氏とヴォルティスの関係は、私とベガルタの関係と同じだ。若い頃、創造も及ばなかったJリーグの発展は、我々に最高の玩具を提供してくれている。
高木をはじめとして、幼少の頃サッカーをやったトップアスリートは、鈴木桂治、桐生祥秀など枚挙にいとまない。サッカーと言う競技は、行うためのコストが非常に低く、自然に走り回ることを要求するし、ルールがわかりやすく遊びから入れることもあり、幼児や小学生には最適だ。高木のように素質に恵まれたわけではないが、彼女と同学齢の我が坊主も高校入学時にサッカーからラグビーに転向、それなりのレベルでプレイを続け、親バカを楽しませてくれた。日本中のサッカーおじさんやおばさんがあちらこちらで、子供たちがサッカーを窓口にスポーツを楽しむ環境が準備することが、日本のスポーツの発展に寄与するはずだ。
もし、我々がワールドカップに優勝しようと言うならば、日本中にいっそうサッカーを浸透させるしかない。そのためには、目先の日本代表人気などに気をとらわれず、少しでも多くの方々にJリーグを楽しんでもらう必要がある。いたずらにサッカー少年少女を囲い込もうなどとせず、多数の子供をサッカーに浸らせ、適正を見て他競技で活躍する方がよければそれを勧める。そのような活動、つまり大杉漣氏のようなサポータと、高木美帆のようなアスリートを増やすこと、それらこそがサッカーの隆盛には重要なことではないのか。
幾度も書いたけれど、「世界屈指の強豪とワールドカップで丁々発止することは、中学生時代からの夢だった。そして、夢は叶った。それは、あまりに甘美で絶望的な体験だったけれど。改めて、その場にいられたこと、その場にいられることを許してくれた方々に感謝したい。
毎回毎回負ける度に確信するが、近づけば近づくほど、その差は明確となり具現化される。あのアディショナルタイムの惨劇、コンマ数秒の切り替える能力差を、クルトワとデ・ブライネに突き付けられた。我々が、将来に渡り、それに追いつき、ひっくり返すことができるかどうかはわからない。けれども、その差をここまで具体的にすることができたのだ。
2位.鹿島アントラーズアジア王者
日本のトップクラブ鹿島アントラーズが悲願のアジア制覇。JSL2部の住友金属時代からの、長きに渡る強化が、1つのピークを迎えたと言うことだろうか。しかも、リーグ3位、天皇杯、ルヴァンカップベスト4と、国内の大会でも上々の成績を収めたことも特筆すべきだろう。
少なくとも、クラブワールドカップでも、レアル・マドリードに本気で勝ちに行っていたのも、頼もしかった。最後、リーベル相手にボロボロになった試合も、年間60試合の末の結論。お見事な戦いでした。でも、UAEに三竿健斗と鈴木優磨は連れて行きたかったですね。
3位.レッズ、日程がクルクル変わる天皇杯を制覇
自分にとって初めての天皇杯決勝。それはそれで究極の体験でした。それにしても、決勝のレッズの勝負強さ、阿部勇樹の老獪な守備には恐れ入りました。
一方で、破綻する日程を放置する日本協会の無策ぶりが出た大会でもあった。アントラーズの大奮闘に伴う、信じ難い日程修正案のひどさ。Jの年マタギ開催など寝ぼけたこと言うのはやめて、真剣にアジア協会とも調整し、全うな日程案を作らなければいけない。
4位.川崎フロンターレ連覇
ベスト11でも記述したが、「中村憲剛がいなくなったらどうなってしまうのか」と思われたクラブは、憲剛がいるうちに大クラブになってしまった。
Jリーグは、当然ながら経済的に豊かなクラブに優秀な選手が集まるわけだが、トップ選手の多くが欧州に移籍してしまうため、どうしても戦闘能力差がつきづらい。その結果、今シーズンは未曾有の混戦となった。けれども、フロンターレは、他クラブを圧倒する戦闘能力を発揮し、終盤戦で飛び出し圧倒的強さで優勝した。
中村憲剛が次に目指すのはACL。
5位.湘南ベルマーレ、ルヴァンカップ制覇
ベルマーレが約20年ぶりにタイトルを獲得した。90年代メインスポンサだったフジタ工業が撤退した以降、経済的面で苦労に苦労を重ねたきたクラブが、゙貴裁氏と言う格段の監督を擁し、ついにタイトルを奪還。これは、明確な親会社を持たず、経済的に潤沢でないクラブすべてを勇気づける快挙だ。おめでとうございます。
前身のフジタ工業時代に、70年代から80年代にかけて古前田充、今井敬三、カルバリオ、マリーニョらを擁し、複数回JSLと天皇杯を制した。そして、90年代、洪 明甫、ベッチーニョ、名良橋晃、岩本テル、中田英寿らを擁し天皇杯、アジアカップウィナーズカップを獲得したこの名門の復活劇はすばらしい。
本音、天皇杯制覇をし損ねたベガルタサポータからすると、嫉妬の対象でしかないけれどね。
6位.冨安健洋と堂安律、欧州で着実にランクを上げる
日本がワールドカップに初出場した1998年に生まれた、2人の若者は欧州で着実に地位を築いており、当然のようにアジアカップ代表にも選考された。この2人は、井原正巳や中田英寿が代表で地位を確立したのと、ほぼ同じタイミングで代表の経歴を積んでいることになる。この2人ならば、欧州で着実に経歴を積みメガクラブの中心選手まで駆け上がってくれて、我々をワールドカップベスト8以上に導いてくれるのではないかと期待も高まるのだが。たとえば、中村俊輔と長友佑都は総合能力と言う意味でそのレベルまで行ききれなかった。酒井宏樹はその域に達していると思うが、そのレベルに達した時は歳をとり過ぎていた。
一方で、逸材はこの年齢で欧州に出る方がよいと言う、身も蓋もない現実に突き当たる。Jリーグの発展に対する明らかな背反。悩みは深いが、結構な悩みと前向きと捉えることにしようか。
7位.田島会長の絶望的政治センスのなさ
ハリルホジッチ氏を解任しようと決断したのは、(私は賛同しないが)1つの理屈があったのだろう。しかし、解任するならば、しっかりと外部に説明する義務がある。もし、それが発表できないと言うならば、できる理屈を作ってからにしてほしい。その理屈を、自分で考えられないのは仕方がない。しかし、動かせる大枚があるのだから、広告代理店なり誰かに考えさせることはできるはずだ。そもそも、そのような理屈を準備しなければまずいと言う発想が出ないこと、あるいは周囲がそう助言しないことが、あまりに情けない。
飽きもせずJの年マタギ開催を主張し、その結果現状の破綻する日程問題を完全に放置するのも、むべなるかな。
8位.アジア大会、五輪代表、決勝で韓国の前に散る
他国はU23なのに当方は東京五輪向けチーム。Jリーグ開催中の開催ゆえ、1クラブから1人の選考限定。選手も直前のJを戦って疲労困憊。当然オーバエージもなし。明らかに他国と比較して不利なチーム構成。しかも、チーム数が多いため、中1日を含む狂的な日程。
大会序盤は、「どうなることか」と言う低調なチームだったが、試合を続けるうちに、チーム力が向上。ベトナム、マレーシアのような、俊敏で技巧的なタレントを擁する東南アジア勢には苦戦したものの、逆にサウジ、UAEと言った中東勢は、戦術眼の高さで圧倒。
決勝で、兵役解除を目指す孫興慜率いる韓国と対戦。 前半こそ個々の能力差で圧倒されたが、後半に入るやスローテンポにすることに成功、先方の疲労もあり互角の攻防として延長に持ち込む。しかし、延長で李承佑の絶妙な発想にやられた。悔しかったですな。大会後一部選手が「韓国のフィジカルにやられた」と言っていたのが気になる、やられたのは「李承佑の戦術眼」だったのだが。まあ、いいだろう、これからも李承佑は厄介な存在になるのだろう。
余談、孫興慜は現状、日本のどの選手よりもランクの高いクラブの中心選手だ。車範恨と奥寺、朴智星と中村俊輔、正直言って韓国代表の大エースが、我々の英雄より少々だがランクの高いクラブの中心選手であることが残念。
9位.女子の強化が新しいフェースに入った
女子ワールドユース(U20ワールドカップ)で、とうとう初優勝を勝ち取った日本女子代表。
気づいてみれば、なでしこリーグの試合は、10年前よりも格段にレベルが上がっている。ほんの10年前、女子代表の選手には、左足でしっかりボールを蹴ることのできない選手もいた。インステップキックで30mクラスのパスを通せない選手もいた。しかし、ベレーザを軸にした今のなでしこリーグのレベルは格段に高いものになっている。関係者の努力のたまものだろう。
一方で、世界のレベルも上がった。特に欧州各国はフィジカルに優れたタレントが多数登場している。だからこそ、日本は技巧を意識したサッカーにこだわるべきだろう。少なくともU20はそれに成功した。
シニアなでしこの女神高倉麻子監督の下、短期的な強化の成功に期待したい。
のだけれども、澤穂希が格段だったのは忘れてはいけない。そう簡単に世界一の奪還はできないとの自覚は忘れずに。
10位.大杉漣U氏逝去と高木美帆の金メダル
2018年2月21日、大杉氏が亡くなった日、高木美帆がパシュートで金メダルを獲得した。その報せを聞いた時、大きな悲しみと、大きな喜びが、同時に訪れ、私は少なからず混乱し、しばらく頭の整理がつかなった。大杉氏は、徳島ヴォルティスの真摯なサポータであることはよく知られている。一方、高木は中学生までサッカーにも本格的に取り組んでおり、若年層代表にも選考される人材だった。
大杉氏は、ご自身がプレイしていた縁からだろうが、生まれ育った徳島のクラブを心底愛し、貴重なプライベートな時間をヴォルティスに捧げていた。これは、Jリーグと言う玩具が、いかに日本の多くの土地に浸透しているかの現れなのだ。大杉氏のような公人ではないが、氏とヴォルティスの関係は、私とベガルタの関係と同じだ。若い頃、創造も及ばなかったJリーグの発展は、我々に最高の玩具を提供してくれている。
高木をはじめとして、幼少の頃サッカーをやったトップアスリートは、鈴木桂治、桐生祥秀など枚挙にいとまない。サッカーと言う競技は、行うためのコストが非常に低く、自然に走り回ることを要求するし、ルールがわかりやすく遊びから入れることもあり、幼児や小学生には最適だ。高木のように素質に恵まれたわけではないが、彼女と同学齢の我が坊主も高校入学時にサッカーからラグビーに転向、それなりのレベルでプレイを続け、親バカを楽しませてくれた。日本中のサッカーおじさんやおばさんがあちらこちらで、子供たちがサッカーを窓口にスポーツを楽しむ環境が準備することが、日本のスポーツの発展に寄与するはずだ。
もし、我々がワールドカップに優勝しようと言うならば、日本中にいっそうサッカーを浸透させるしかない。そのためには、目先の日本代表人気などに気をとらわれず、少しでも多くの方々にJリーグを楽しんでもらう必要がある。いたずらにサッカー少年少女を囲い込もうなどとせず、多数の子供をサッカーに浸らせ、適正を見て他競技で活躍する方がよければそれを勧める。そのような活動、つまり大杉漣氏のようなサポータと、高木美帆のようなアスリートを増やすこと、それらこそがサッカーの隆盛には重要なことではないのか。
2018年ベスト11
恒例のベスト11です。ワールドカップで上々の成績を収めた年の選定は楽しい作業ですね。柴崎岳と乾貴士については、本当に迷いました、ワールドカップであれだけ美しいロングパスを2本通してくれて、あれだけ美しいシュートを2本決めてくれたのですから。ただ、あれこれ考えたときに、この2人は今年の11人ではないのかと判断したものです。それについては、近々整理中です。
GK.権田修一
このポジションはいろいろ迷ったのだが、年間を通じて最も安定していたのは権田ではないかと考えた。若いころから日本を代表するGKになるのではないかと期待されていたものの、いくつかの不運に見舞われ続けもう29歳。アジアカップに向けて、定位置を確保できるか。私はベガルタサポータだからシュミットの定位置確保を期待しているが、レベルの高い争いは大歓迎だ。
DF.酒井宏樹
紛れもなく世界屈指の右サイドバックであることを、ワールドカップで見せてくれた。落ち着いた粘り強い守備能力と、効果的で変化あふれる攻め上がり、それに加えてGK川島のパントキックを高さで制圧したのも忘れ難い。この選手は、もう2歳若く欧州に出ていれば、いわゆるメガクラブの定位置まで行かれたのではなかろうか。
DF.冨安健洋
井原正巳、中澤佑二を凌駕する可能性を持つCB。守備能力の高さ、単純に跳ね返す強さと高さ、その能力を活かし自分の担当地域を抑え込む判断の妙、ロングパスの精度、持ち上がって展開する能力。富安(と同世代の堂安律)を見ていると、逸材はこの年齢で欧州に出る方がよいと言う、身も蓋もない現実に突き当たるのだが。まずはアジアカップ制覇を。
DF.昌子源
ワールドカップでの1試合ずつの成長、特にセネガル戦ニャンに苦戦しながもの、どんどんと対応能力が向上していくのには感動した。それがACL制覇時の冷静なプレイにつながったのではないか。そして、とうとう欧州に挑戦、富安とは異なるタイプのCBとして、読みとカバーリングの妙が充実していくことに期待したい。
DF.長友佑都
セネガル戦の1点目につながるトラップは、日本サッカー史に残る絶妙なボールコントロールだったのではないか。ロシアでは、ブラジルで見せられなかった知性の冴えを発揮してくれた。スピードが少しずつ衰えるかもしれないが、ポジションを上げるなどして、まだまだ活躍して欲しい。
MF.長谷部誠
サッカーで最も大事なのは、技巧でもフィジカルでもなく、知性だと言うことを、改めて示してくれたのがワールドカップでの長谷部だった。
MF.三竿健斗
ACL制覇の原動力であり、紛れもなく国内屈指のMF。クラブワールドカップにも三竿がいれば、状況は相当好転したのではなかろうか。短い時間帯ながら、マリ戦、ウクライナ戦で素晴らしいプレイを見せたものの、経験不足?から、ワールドカップの23人に入れなかったこのタレント。不運にも、今度はアジアカップを負傷で棒に振ってしまった。このポジションは同世代に、遠藤航、守田英正、大島僚太らがいるが、三竿の実績は彼らに勝るとも劣らない。
MF.中村憲剛
今なお国内最高峰のMFとしてJに君臨する。「憲剛が引退したら、フロンターレはどうなってしまうのか」との心配は、今は昔、憲剛は愛するクラブを、自らを中心に国内トップレベルの選手がズラリ揃う最強のクラブに成長させた。もはや憲剛の貢献はサッカーにとどまらない。京浜工業地帯、東京のベッドタウンとして発展してきた川崎と言う都市にアイデンティティを提供、サッカークラブがホームタウンにいかに貢献できるかまでを証明してくれた。
MF.原口元気
現在日本最高の選手と思うのだけど、どうして自分のクラブでも代表でも冷遇されているのだろうか。驚異的な上下動後にもう一仕事できる格段の脚力と技術。しかも、ワールドカップでは、本来の左サイドではなく右に起用されてのあの貢献だった。それにしても、森保監督の失礼とも言える控え扱いの中(いや、中島翔哉も素晴らしい選手ですけどね)、アジアカップでどこまでのプレイを見せてくれるか、おそらく一番頼りになる選手だと思うのだけれども。
MF.家長昭博
若いころから将来を嘱望されていた逸材が、とうとう最適な仕事場を見つけた感がある。それが、中村憲剛、大島僚太、小林悠などの豪華絢爛たる選手たちの間で、芸術を発揮しながらバランスをとる仕事だったとは。トリニータでの中盤後方の将軍、アルディージャでの前線で王様は、仮の姿だったのか。
FW.大迫勇也
ロシアワールドカップでの日本の躍進は、コロンビア戦の大迫のターンから始まった。あの1回のプレイで、日本は先制し、コロンビアは1人減り、他国はこのフォワードのマークに神経を使う事になった。最前線で格段のキープ、ターンしては鋭い技巧で前進。このワールドカップの活躍で、間違いなく日本サッカー史上最高のフォワードとなった。ただ、サポータは贅沢なもの、日本サッカー史上最高のストライカになって欲しいのです。50年前の背番号15のように。もう少し、ゴール前で肩の力を抜きさえすれば、大迫にはその地位が、我々にはアジア王者再臨が、それぞれ勝手についてくる。
ちなみに、吉田麻也は最後にクルトワの邪魔をしなかった年なので、選ぶのは麻也に失礼と考えたものです。
GK.権田修一
このポジションはいろいろ迷ったのだが、年間を通じて最も安定していたのは権田ではないかと考えた。若いころから日本を代表するGKになるのではないかと期待されていたものの、いくつかの不運に見舞われ続けもう29歳。アジアカップに向けて、定位置を確保できるか。私はベガルタサポータだからシュミットの定位置確保を期待しているが、レベルの高い争いは大歓迎だ。
DF.酒井宏樹
紛れもなく世界屈指の右サイドバックであることを、ワールドカップで見せてくれた。落ち着いた粘り強い守備能力と、効果的で変化あふれる攻め上がり、それに加えてGK川島のパントキックを高さで制圧したのも忘れ難い。この選手は、もう2歳若く欧州に出ていれば、いわゆるメガクラブの定位置まで行かれたのではなかろうか。
DF.冨安健洋
井原正巳、中澤佑二を凌駕する可能性を持つCB。守備能力の高さ、単純に跳ね返す強さと高さ、その能力を活かし自分の担当地域を抑え込む判断の妙、ロングパスの精度、持ち上がって展開する能力。富安(と同世代の堂安律)を見ていると、逸材はこの年齢で欧州に出る方がよいと言う、身も蓋もない現実に突き当たるのだが。まずはアジアカップ制覇を。
DF.昌子源
ワールドカップでの1試合ずつの成長、特にセネガル戦ニャンに苦戦しながもの、どんどんと対応能力が向上していくのには感動した。それがACL制覇時の冷静なプレイにつながったのではないか。そして、とうとう欧州に挑戦、富安とは異なるタイプのCBとして、読みとカバーリングの妙が充実していくことに期待したい。
DF.長友佑都
セネガル戦の1点目につながるトラップは、日本サッカー史に残る絶妙なボールコントロールだったのではないか。ロシアでは、ブラジルで見せられなかった知性の冴えを発揮してくれた。スピードが少しずつ衰えるかもしれないが、ポジションを上げるなどして、まだまだ活躍して欲しい。
MF.長谷部誠
サッカーで最も大事なのは、技巧でもフィジカルでもなく、知性だと言うことを、改めて示してくれたのがワールドカップでの長谷部だった。
MF.三竿健斗
ACL制覇の原動力であり、紛れもなく国内屈指のMF。クラブワールドカップにも三竿がいれば、状況は相当好転したのではなかろうか。短い時間帯ながら、マリ戦、ウクライナ戦で素晴らしいプレイを見せたものの、経験不足?から、ワールドカップの23人に入れなかったこのタレント。不運にも、今度はアジアカップを負傷で棒に振ってしまった。このポジションは同世代に、遠藤航、守田英正、大島僚太らがいるが、三竿の実績は彼らに勝るとも劣らない。
MF.中村憲剛
今なお国内最高峰のMFとしてJに君臨する。「憲剛が引退したら、フロンターレはどうなってしまうのか」との心配は、今は昔、憲剛は愛するクラブを、自らを中心に国内トップレベルの選手がズラリ揃う最強のクラブに成長させた。もはや憲剛の貢献はサッカーにとどまらない。京浜工業地帯、東京のベッドタウンとして発展してきた川崎と言う都市にアイデンティティを提供、サッカークラブがホームタウンにいかに貢献できるかまでを証明してくれた。
MF.原口元気
現在日本最高の選手と思うのだけど、どうして自分のクラブでも代表でも冷遇されているのだろうか。驚異的な上下動後にもう一仕事できる格段の脚力と技術。しかも、ワールドカップでは、本来の左サイドではなく右に起用されてのあの貢献だった。それにしても、森保監督の失礼とも言える控え扱いの中(いや、中島翔哉も素晴らしい選手ですけどね)、アジアカップでどこまでのプレイを見せてくれるか、おそらく一番頼りになる選手だと思うのだけれども。
MF.家長昭博
若いころから将来を嘱望されていた逸材が、とうとう最適な仕事場を見つけた感がある。それが、中村憲剛、大島僚太、小林悠などの豪華絢爛たる選手たちの間で、芸術を発揮しながらバランスをとる仕事だったとは。トリニータでの中盤後方の将軍、アルディージャでの前線で王様は、仮の姿だったのか。
FW.大迫勇也
ロシアワールドカップでの日本の躍進は、コロンビア戦の大迫のターンから始まった。あの1回のプレイで、日本は先制し、コロンビアは1人減り、他国はこのフォワードのマークに神経を使う事になった。最前線で格段のキープ、ターンしては鋭い技巧で前進。このワールドカップの活躍で、間違いなく日本サッカー史上最高のフォワードとなった。ただ、サポータは贅沢なもの、日本サッカー史上最高のストライカになって欲しいのです。50年前の背番号15のように。もう少し、ゴール前で肩の力を抜きさえすれば、大迫にはその地位が、我々にはアジア王者再臨が、それぞれ勝手についてくる。
ちなみに、吉田麻也は最後にクルトワの邪魔をしなかった年なので、選ぶのは麻也に失礼と考えたものです。
2018年12月23日
生まれて初めての天皇杯決勝体験
サッカーに浸って40余年。生まれて初めて、自らがかかわる天皇杯決勝を体験させていただきました。ここまで、勝ち残ってくれた渡邉監督を軸とするスタッフたち、大岩一貴とその仲間たち、共に戦ったサポータ仲間たち、すべてのベガルタ関係者に感謝します。そして、すばらしい試合を演じてくれた、レッズ関係者にも感謝の言葉を捧げます。この雑文で、生涯でもそうない悔しさを存分に堪能することができた、夢のような2時間を振り返ります。
敗れた。
呆然としていた。
妻に引きずられるように、スタジアムを出て、浦和美園駅に向かう。
頭が整理できない状況での夜景。ちょっと、5ヶ月前のロストフ・ナ・ドヌを思い出した。
60年近い人生で、たった5ヶ月の間に、ここまで濃密な経験を2回も味わうことができたのだ。
ありがたいことだ。
立ち上がり、ベガルタは左右からゆさぶりやや攻勢をとる。しかし、レッズ長沢に中盤から飛び出すフリーランで、左サイドをえぐられ(以降、左右はベガルタから見て)、興梠に決定機を許した以降、レッズペースに。そして、幾度か左サイドに人数をかける攻撃で崩され、CKを許す。そのCKをショートコーナでつながれてクロスを許し、野津田のヘディングでのクリアを、宇賀神に鮮やかなダイレクトのミドルシュートを決められ失点した。
ベガルタは敵CKを、ゾーンディフェンスで守るが、それを研究している敵は、中央を固めたゾーンの外から狙ってくる。この場面では、宇賀神に「恐れ入りました」と言うしかない。ただ、贅沢を言えば、クリアした野津田は、まったくのフリーでヘディングできたのだから、ダイレクトシュートのリスクを考慮し、中央に返すのではなく、逆サイドのタッチ方向にボールを流してほしかったのだが。
その後、レッズはベガルタの3DF大岩、板倉、平岡に、興梠、武藤、柏木の3人が厳しくフォアチェックをかけ、ベガルタの組み立てを阻止してくる。そのため、ベガルタは下りてきたアンカー椎橋なり、GKのシュミットなりが、前線にロングボールを入れ、トップのジャーメインを走らせることで、レッズを押し下げることを狙う。しかし、若いジャーメインは、挙動開始のタイミングを、老獪な阿部勇樹に完全に読まれ、正に絵に描いたように「完封」されてしまう。そのため、ベガルタは攻め手を失ってしまった。
このようなときに一番常識的な対抗手段は、両サイドのCBが左右後方に引き、DFラインのボール回しにGKが加わって数的優位を作って、遅攻でペースを取り戻すことだ。しかし、このやり方をすると、両サイドMFも挙動点も後方に下がってしまう。これは、両翼を前線に張り出させ、チームとしてボールを握ろうとする、今シーズンのベガルタの狙いとは違う。
そして、渡邉監督は今シーズンのやり方を継続した。平岡と板倉を高い位置に残し、椎橋、大岩、シュミットの3人から、奥埜と野津田に展開して前線で数的優位を作り、両翼の古林と中野をさらに前に展開する、ベガルタ本来のやり方を続けた。このやり方では、椎橋らにミスが出ると、一気に速攻から失点するリスクはある(そして、椎橋は今シーズン時々やらかしたこともあるのだが)。けれども、この日は椎橋が頑張ってくれた。レッズのフォアチェックを外し、中盤でしっかりとつなぎ、前線で石原が拠点を作り、両翼で数的優位を作り始めたのだ。阿部勇樹に完封されていたジャーメインも少しずつ、前を向く機会が増え始める。一方のレッズは、負傷上がりの選手が多いためか、無理な攻めをせず、全軍は引き気味の体勢をとり、決定機を与えてくれない。
後半に入り、ベガルタペースが継続する。そして渡邉氏は、関口、阿部拓馬を相次いで起用し、圧倒的攻勢に出る。両サイドの関口、中野のところに拠点を作り、素早い集散で3対2、4対3を作り、サイドをえぐれるようになる。しかし、ベガルタが崩しかける度に、レッズ守備陣は、阿部勇樹と槙野の2人を中心に声を掛け合い、必死の修正を重ねる。阿部拓馬のミドルシュートはGK西川の正面を突き、フリーで抜け出した野津田はダイビング気味のヘディングをジャストミートできない。どうしても崩し切れない。
崩し切れなかった要因は2つあった。1つは、両翼の攻防でレッズの宇賀神、橋岡の2人を破り切れなかったこと。左サイド中野のドリブル突破には定評があるが、ユース代表の中核でもある橋岡は、中野の得意の間合いを作らせぬように不用意な動きを行わず、瞬発力を活かして中野がはたくパスを狙って再三ボールを奪った。一方、右サイドの関口の変幻自在のフェイントに対し、宇賀神は我慢を重ね、裏だけは突かれないような位置取りを続けた。結果として、ベガルタは両翼を崩すのに時間がかかり、中央の阿部勇樹、槙野、岩波の強力3DFに余裕を与えてしまった。
そして2つ目。この3DFに対して崩し切るだけの変化がなかった。石原も阿部拓馬もすばらしいFWだが、彼らにこの強力DFを破れるような変化を伴うラストパスは供給できなかった。もう1枚前線で変化加えたかったのだが、高さを期待し獲得したハーフナーはとうとう定位置をつかめなかった、ハモン・ロペスは移籍前クラブで天皇杯出場をしていたので出場できなかった。
そして。アディショナルタイムにロシアの首都で奮戦する若者を思い出したのは秘密だ。ジャーメインの成長に期待したい。
かくしてタイムアップ。日本一にはなれなかった。
思い起こせば、今シーズンのベガルタを象徴する試合だったと思う。ゾーンで守るセットプレイの弱点を突かれて失点。以降、両翼を前に出してパスワークで崩すやり方を阻止する守備方式をとる敵に対し、我慢を重ね自分たちのペースにするのに成功。幾度も好機を作りながら、崩し切れなかった。
負けたのは悔しいが、ここまで積み上げてきたサッカーの質は非常に高いもので、存分に誇り得るものだったと思う。だからこそ、勝ちたかった。日本一の座をつかみ、ACLに再度挑戦したかった。悔しい。
とはいえ、渡邉監督には感謝の言葉しかない。氏がチームを引き継いだ時は、手倉森監督の卓越した手腕でACLまで出場したチームはすっかり老齢化していた。そこから、若手選手を育成することを軸に丹念に強化を重ね、ここまでのチームを作り上げたのだ。そして、西村は北の大国に旅立ち、シュミットはA代表に定着しつつある。
ただし、ここまでチームが仕上がってくると、そこからの上積みの強化は容易ではない。選手個々の質の向上など、現場の強化にはとどまらず、チームとしての経営規模拡大がなければ実現できない要素が重要になってくる。いよいよ、ベガルタの経営陣の奮起が必要になる。
決勝戦翌日、ベガルタは早々に渡邉氏との再契約を発表した。翌シーズンに向けて、ベガルタ経営陣は、まず最も重要な仕事から初めてくれた。しかし、勝負はここからである。
すばらしい決勝戦だった。
ピッチ上の両軍の攻防のレベルもすばらしかったは、上記の通り。それに加えて、スタジアムの雰囲気は、また格段のものだった。
一部で、「レッズがホームグラウンドでプレイできたので不公平」と言う報道を目にしたが、まったくピントがずれた見方だ。この日は諸事情で、ゴール裏ではなく、ベガルタ寄りのバックスタンドの2階席で参戦したのだが、私の周囲にはレッズのサポータは、ほとんどいなかった。当然ながら、チケッティングは、非常に公平に行われたからだろう。そして、ベガルタサポータの応援は、声量こそ物量差で劣勢だったかもしれないが、チャントの変化や、次々に繰り出す応援歌の変化は、レッズに何ら遜色のないものだった。あれで、「アウェイで不利だった」などとは、選手たちは決して口にしないだろう。
そもそも、諸事情で現状は、中立の大型スタジアムがないのだから、たまたまそこをホームとするクラブと決勝で戦うことはやむを得ない。豊田や吹田でやるよりは、多くのベガルタサポータが参戦できる埼玉での開催は、むしろ幸運だったと考えるべきだろう。いや、そもそも準決勝のモンテディオ戦が、ユアテック開催だったことだけでも、我々にとっては相当は幸運だった。
そのような状況下でもレッズのサポータたちには感心させられたは否定しない。特に後半半ば、ベガルタが圧倒的にな攻勢に立った時間帯、ゴール裏を中心とした「We are Reds!」は、苦しむレッズ守備陣を、さぞや勇気づけたことだろう。
また、後半、シュミット、大岩、椎橋が後方から丁寧につなぎ持ち出そうとする度に、後方のレッズサポータが、すさまじい音量でブーイングする迫力は中々だった。しかし、シュミットらが、それに一切動じず、丁寧なつなぎから組み立てる姿は感動的だった。そして、反対側のゴール側の声援に引き出されるようにベガルタは猛攻を繰り出したのだが。ベガルタが「ベガルタ、センダイ!」と「センダイ、レッツゴー!」と2種類のチャントを持っているのは、非常に有効なのだと、当たり前のことを再発見したりした。
磐田の夕焼け空の下で茫然としたのは、ほんの10年前のことだ。J1を制覇し損ねて茫然としたたのは、ほんの6年前のことだ。ACLで2次ラウンドに進出し損ねて茫然としたのは、ほんの5年半前のことだ。そして、もう1つ。
ベガルタは、たったの10年間に、私にこんな素敵な体験を4回も積ませてくれた。
ロストフと埼玉。我ながら、おめでたい人生だと思います。ありがとうございました。
敗れた。
呆然としていた。
妻に引きずられるように、スタジアムを出て、浦和美園駅に向かう。
頭が整理できない状況での夜景。ちょっと、5ヶ月前のロストフ・ナ・ドヌを思い出した。
60年近い人生で、たった5ヶ月の間に、ここまで濃密な経験を2回も味わうことができたのだ。
ありがたいことだ。
立ち上がり、ベガルタは左右からゆさぶりやや攻勢をとる。しかし、レッズ長沢に中盤から飛び出すフリーランで、左サイドをえぐられ(以降、左右はベガルタから見て)、興梠に決定機を許した以降、レッズペースに。そして、幾度か左サイドに人数をかける攻撃で崩され、CKを許す。そのCKをショートコーナでつながれてクロスを許し、野津田のヘディングでのクリアを、宇賀神に鮮やかなダイレクトのミドルシュートを決められ失点した。
ベガルタは敵CKを、ゾーンディフェンスで守るが、それを研究している敵は、中央を固めたゾーンの外から狙ってくる。この場面では、宇賀神に「恐れ入りました」と言うしかない。ただ、贅沢を言えば、クリアした野津田は、まったくのフリーでヘディングできたのだから、ダイレクトシュートのリスクを考慮し、中央に返すのではなく、逆サイドのタッチ方向にボールを流してほしかったのだが。
その後、レッズはベガルタの3DF大岩、板倉、平岡に、興梠、武藤、柏木の3人が厳しくフォアチェックをかけ、ベガルタの組み立てを阻止してくる。そのため、ベガルタは下りてきたアンカー椎橋なり、GKのシュミットなりが、前線にロングボールを入れ、トップのジャーメインを走らせることで、レッズを押し下げることを狙う。しかし、若いジャーメインは、挙動開始のタイミングを、老獪な阿部勇樹に完全に読まれ、正に絵に描いたように「完封」されてしまう。そのため、ベガルタは攻め手を失ってしまった。
このようなときに一番常識的な対抗手段は、両サイドのCBが左右後方に引き、DFラインのボール回しにGKが加わって数的優位を作って、遅攻でペースを取り戻すことだ。しかし、このやり方をすると、両サイドMFも挙動点も後方に下がってしまう。これは、両翼を前線に張り出させ、チームとしてボールを握ろうとする、今シーズンのベガルタの狙いとは違う。
そして、渡邉監督は今シーズンのやり方を継続した。平岡と板倉を高い位置に残し、椎橋、大岩、シュミットの3人から、奥埜と野津田に展開して前線で数的優位を作り、両翼の古林と中野をさらに前に展開する、ベガルタ本来のやり方を続けた。このやり方では、椎橋らにミスが出ると、一気に速攻から失点するリスクはある(そして、椎橋は今シーズン時々やらかしたこともあるのだが)。けれども、この日は椎橋が頑張ってくれた。レッズのフォアチェックを外し、中盤でしっかりとつなぎ、前線で石原が拠点を作り、両翼で数的優位を作り始めたのだ。阿部勇樹に完封されていたジャーメインも少しずつ、前を向く機会が増え始める。一方のレッズは、負傷上がりの選手が多いためか、無理な攻めをせず、全軍は引き気味の体勢をとり、決定機を与えてくれない。
後半に入り、ベガルタペースが継続する。そして渡邉氏は、関口、阿部拓馬を相次いで起用し、圧倒的攻勢に出る。両サイドの関口、中野のところに拠点を作り、素早い集散で3対2、4対3を作り、サイドをえぐれるようになる。しかし、ベガルタが崩しかける度に、レッズ守備陣は、阿部勇樹と槙野の2人を中心に声を掛け合い、必死の修正を重ねる。阿部拓馬のミドルシュートはGK西川の正面を突き、フリーで抜け出した野津田はダイビング気味のヘディングをジャストミートできない。どうしても崩し切れない。
崩し切れなかった要因は2つあった。1つは、両翼の攻防でレッズの宇賀神、橋岡の2人を破り切れなかったこと。左サイド中野のドリブル突破には定評があるが、ユース代表の中核でもある橋岡は、中野の得意の間合いを作らせぬように不用意な動きを行わず、瞬発力を活かして中野がはたくパスを狙って再三ボールを奪った。一方、右サイドの関口の変幻自在のフェイントに対し、宇賀神は我慢を重ね、裏だけは突かれないような位置取りを続けた。結果として、ベガルタは両翼を崩すのに時間がかかり、中央の阿部勇樹、槙野、岩波の強力3DFに余裕を与えてしまった。
そして2つ目。この3DFに対して崩し切るだけの変化がなかった。石原も阿部拓馬もすばらしいFWだが、彼らにこの強力DFを破れるような変化を伴うラストパスは供給できなかった。もう1枚前線で変化加えたかったのだが、高さを期待し獲得したハーフナーはとうとう定位置をつかめなかった、ハモン・ロペスは移籍前クラブで天皇杯出場をしていたので出場できなかった。
そして。アディショナルタイムにロシアの首都で奮戦する若者を思い出したのは秘密だ。ジャーメインの成長に期待したい。
かくしてタイムアップ。日本一にはなれなかった。
思い起こせば、今シーズンのベガルタを象徴する試合だったと思う。ゾーンで守るセットプレイの弱点を突かれて失点。以降、両翼を前に出してパスワークで崩すやり方を阻止する守備方式をとる敵に対し、我慢を重ね自分たちのペースにするのに成功。幾度も好機を作りながら、崩し切れなかった。
負けたのは悔しいが、ここまで積み上げてきたサッカーの質は非常に高いもので、存分に誇り得るものだったと思う。だからこそ、勝ちたかった。日本一の座をつかみ、ACLに再度挑戦したかった。悔しい。
とはいえ、渡邉監督には感謝の言葉しかない。氏がチームを引き継いだ時は、手倉森監督の卓越した手腕でACLまで出場したチームはすっかり老齢化していた。そこから、若手選手を育成することを軸に丹念に強化を重ね、ここまでのチームを作り上げたのだ。そして、西村は北の大国に旅立ち、シュミットはA代表に定着しつつある。
ただし、ここまでチームが仕上がってくると、そこからの上積みの強化は容易ではない。選手個々の質の向上など、現場の強化にはとどまらず、チームとしての経営規模拡大がなければ実現できない要素が重要になってくる。いよいよ、ベガルタの経営陣の奮起が必要になる。
決勝戦翌日、ベガルタは早々に渡邉氏との再契約を発表した。翌シーズンに向けて、ベガルタ経営陣は、まず最も重要な仕事から初めてくれた。しかし、勝負はここからである。
すばらしい決勝戦だった。
ピッチ上の両軍の攻防のレベルもすばらしかったは、上記の通り。それに加えて、スタジアムの雰囲気は、また格段のものだった。
一部で、「レッズがホームグラウンドでプレイできたので不公平」と言う報道を目にしたが、まったくピントがずれた見方だ。この日は諸事情で、ゴール裏ではなく、ベガルタ寄りのバックスタンドの2階席で参戦したのだが、私の周囲にはレッズのサポータは、ほとんどいなかった。当然ながら、チケッティングは、非常に公平に行われたからだろう。そして、ベガルタサポータの応援は、声量こそ物量差で劣勢だったかもしれないが、チャントの変化や、次々に繰り出す応援歌の変化は、レッズに何ら遜色のないものだった。あれで、「アウェイで不利だった」などとは、選手たちは決して口にしないだろう。
そもそも、諸事情で現状は、中立の大型スタジアムがないのだから、たまたまそこをホームとするクラブと決勝で戦うことはやむを得ない。豊田や吹田でやるよりは、多くのベガルタサポータが参戦できる埼玉での開催は、むしろ幸運だったと考えるべきだろう。いや、そもそも準決勝のモンテディオ戦が、ユアテック開催だったことだけでも、我々にとっては相当は幸運だった。
そのような状況下でもレッズのサポータたちには感心させられたは否定しない。特に後半半ば、ベガルタが圧倒的にな攻勢に立った時間帯、ゴール裏を中心とした「We are Reds!」は、苦しむレッズ守備陣を、さぞや勇気づけたことだろう。
また、後半、シュミット、大岩、椎橋が後方から丁寧につなぎ持ち出そうとする度に、後方のレッズサポータが、すさまじい音量でブーイングする迫力は中々だった。しかし、シュミットらが、それに一切動じず、丁寧なつなぎから組み立てる姿は感動的だった。そして、反対側のゴール側の声援に引き出されるようにベガルタは猛攻を繰り出したのだが。ベガルタが「ベガルタ、センダイ!」と「センダイ、レッツゴー!」と2種類のチャントを持っているのは、非常に有効なのだと、当たり前のことを再発見したりした。
磐田の夕焼け空の下で茫然としたのは、ほんの10年前のことだ。J1を制覇し損ねて茫然としたたのは、ほんの6年前のことだ。ACLで2次ラウンドに進出し損ねて茫然としたのは、ほんの5年半前のことだ。そして、もう1つ。
ベガルタは、たったの10年間に、私にこんな素敵な体験を4回も積ませてくれた。
ロストフと埼玉。我ながら、おめでたい人生だと思います。ありがとうございました。
2018年11月23日
ベガルタ、来期に向けて
シーズンも終盤に近付いてきた。
ベガルタは一時期の連敗で、リーグ戦上位に入ってのACL出場の可能性は失ったが、残り2試合をキッチリ戦って、シーズン当初の目標である5位に少しでも近づきたいといころ。
そして、言うまでもなく我々は天皇杯を残している。もちろん、宿敵モンテディオを倒し、さらに新旧のアジア王者であるアントラーズとレッズのいずれかがファイナルで待ち構えることを考えれば、決して容易な戦いにはなるまい。けれども、今年の充実したチーム力を考えれば、歓喜の確率は低くなく、この時の25倍くらいはあるように思っている。
一方でだが、シーズンが終わりに近づいてくると気になるのが、来シーズンの編成である。決して経済的に潤沢とは言えないわがクラブ、今シーズンすばらしい実績を残してくれた各選手に、来シーズンいかにその成果の対価を提供するか。
代表に定着しつつあるシュミット・ダニエル、毎年オフには「他クラブが獲得に乗り出す」報道が流れる大岩一貴、今シーズン格段に成長した椎橋慧也、こう言ったタレントをつなぎ止めることができるのか。ベガルタの最も上手な補強手段と言われる、「レンタル選手のいつのまにか保有権移転」は、今シーズンも成功するのか。何にせよ、これらのタレントの確保のために、ベガルタは彼らにしっかりとした誠意を見せる必要がある。そして、この世界での誠意とは、現金以外にはない。
まあ上記については、毎年のシーズンオフの話題なのだが、このオフに関しては、他に結構重要な事柄があるように思っているのだ。以下、講釈を垂れていきたい。
ベガルタサポータの幸せの1つに、梁勇基と菅井直樹と言う2人のレジェンドの所有がある。この2人と共に七転八倒した十数年の歴史は、本当に素敵なものだ。そして、梁は36歳、菅井は34歳になった。
梁は巧みな位置取りや、的確な引き出しで、今でも起用されれば常に見事なプレイを見せてくれる。先日のレッズ戦、前半せめあぐんだベガルタだが、後半に入るや、梁が変幻自在の位置取りを見せる。その結果、後方からの出しどころが増え、我々は攻勢をかけるのに成功した。先日のサガン戦、久々の生観戦の私の眼前で、梁はFKから見事なボールを蹴り、石原の得点を引き出した。この弾道は、精度、タイミング、曲がり具合、いずれも往時のそれらとまったく遜色がない美しいものだった。目頭が熱くなったのは秘密だ。
そして菅井。元々、今のベガルタのやり方のねらいは、各選手の位置取りの約束事を徹底してボールを回しつつ、両翼を前に張り出すリスクを冒し、組織力でそれらがために訪れるリスクを最小することにある。知的なポジショニングで攻守両面で能力を発揮する菅井は、(往時のスピードは失われたものの)このやり方には最適なタレント。サイドMFにせよ、CBにせよ、起用されれば、格段のプレイを見せている。ただ、あまりに負傷が多いこともあり、次第に出場機会が限定されてきている。
この2人は最後までベガルタでの選手人生を全うしたいと思ってくれているに違いない。しかし、問題なのは、ベガルタがこの2人に、彼らが納得してもらえる高給を継続することができるのかだ。限られた金銭という資源を、この2人と、上記した現状の中心選手たちやレンタル選手たちと、どのように配分するのか。さらに、この2人には試合出場への欲求があるはずだ。僅かでもランクを下げれば、この2人に出場機会をもっと提供してくれるチームはいくらでもあるだろう。他のユニフォームを着たこの2人を見ることは耐えられないのだが、それは私のわがままと言うものだろう。彼らの考えと、ベガルタフロントの考えが、錯綜する。
石原直樹は、まごう事なきベガルタの要の選手。今のベガルタの攻撃のほとんどは、後方からのフィードを、石原が妙技を駆使して収めるところが起点となると語っても、過言ではないほどだ。私の見るところ、石原よりもボールを収めるのが巧みな日本人選手は大迫勇也くらいのもの。大迫のバックアップを見出すことができていない森保氏に、「石原をUAEに連れて行ったらどうでしょう」と進言したいくらいだ。
ところが。石原直樹は、同じ名前の菅井直樹の1か月前生まれ、もう34歳なのだ。そして、この34歳の偉才に、今のベガルタのサッカーは大きく依存している。石原はよほどの節制と努力を重ねているのだろう、今シーズンの石原を見る限り、衰えは微塵も感じさせないプレイぶりだ。けれども、来シーズン半ばには35歳を迎えるタレントである、後継者の確保は急務なのは言うまでもない。つい数か月前までは、この候補として西村拓真がいたのだが、彼は野望を胸に北の大国に旅立ってしまった。
などと考えると、ここの補強は、このシーズンオフ最大の課題に思えてくるのだ。もちろん、ハモン・ロペスがもう少し体調を整えれば有力な候補だが、そもそも彼と再契約ができるのかどうかを含め。
まあ、来年のことをどうこう言う前に、残り4試合全勝することだな。うん。
ベガルタは一時期の連敗で、リーグ戦上位に入ってのACL出場の可能性は失ったが、残り2試合をキッチリ戦って、シーズン当初の目標である5位に少しでも近づきたいといころ。
そして、言うまでもなく我々は天皇杯を残している。もちろん、宿敵モンテディオを倒し、さらに新旧のアジア王者であるアントラーズとレッズのいずれかがファイナルで待ち構えることを考えれば、決して容易な戦いにはなるまい。けれども、今年の充実したチーム力を考えれば、歓喜の確率は低くなく、この時の25倍くらいはあるように思っている。
一方でだが、シーズンが終わりに近づいてくると気になるのが、来シーズンの編成である。決して経済的に潤沢とは言えないわがクラブ、今シーズンすばらしい実績を残してくれた各選手に、来シーズンいかにその成果の対価を提供するか。
代表に定着しつつあるシュミット・ダニエル、毎年オフには「他クラブが獲得に乗り出す」報道が流れる大岩一貴、今シーズン格段に成長した椎橋慧也、こう言ったタレントをつなぎ止めることができるのか。ベガルタの最も上手な補強手段と言われる、「レンタル選手のいつのまにか保有権移転」は、今シーズンも成功するのか。何にせよ、これらのタレントの確保のために、ベガルタは彼らにしっかりとした誠意を見せる必要がある。そして、この世界での誠意とは、現金以外にはない。
まあ上記については、毎年のシーズンオフの話題なのだが、このオフに関しては、他に結構重要な事柄があるように思っているのだ。以下、講釈を垂れていきたい。
ベガルタサポータの幸せの1つに、梁勇基と菅井直樹と言う2人のレジェンドの所有がある。この2人と共に七転八倒した十数年の歴史は、本当に素敵なものだ。そして、梁は36歳、菅井は34歳になった。
梁は巧みな位置取りや、的確な引き出しで、今でも起用されれば常に見事なプレイを見せてくれる。先日のレッズ戦、前半せめあぐんだベガルタだが、後半に入るや、梁が変幻自在の位置取りを見せる。その結果、後方からの出しどころが増え、我々は攻勢をかけるのに成功した。先日のサガン戦、久々の生観戦の私の眼前で、梁はFKから見事なボールを蹴り、石原の得点を引き出した。この弾道は、精度、タイミング、曲がり具合、いずれも往時のそれらとまったく遜色がない美しいものだった。目頭が熱くなったのは秘密だ。
そして菅井。元々、今のベガルタのやり方のねらいは、各選手の位置取りの約束事を徹底してボールを回しつつ、両翼を前に張り出すリスクを冒し、組織力でそれらがために訪れるリスクを最小することにある。知的なポジショニングで攻守両面で能力を発揮する菅井は、(往時のスピードは失われたものの)このやり方には最適なタレント。サイドMFにせよ、CBにせよ、起用されれば、格段のプレイを見せている。ただ、あまりに負傷が多いこともあり、次第に出場機会が限定されてきている。
この2人は最後までベガルタでの選手人生を全うしたいと思ってくれているに違いない。しかし、問題なのは、ベガルタがこの2人に、彼らが納得してもらえる高給を継続することができるのかだ。限られた金銭という資源を、この2人と、上記した現状の中心選手たちやレンタル選手たちと、どのように配分するのか。さらに、この2人には試合出場への欲求があるはずだ。僅かでもランクを下げれば、この2人に出場機会をもっと提供してくれるチームはいくらでもあるだろう。他のユニフォームを着たこの2人を見ることは耐えられないのだが、それは私のわがままと言うものだろう。彼らの考えと、ベガルタフロントの考えが、錯綜する。
石原直樹は、まごう事なきベガルタの要の選手。今のベガルタの攻撃のほとんどは、後方からのフィードを、石原が妙技を駆使して収めるところが起点となると語っても、過言ではないほどだ。私の見るところ、石原よりもボールを収めるのが巧みな日本人選手は大迫勇也くらいのもの。大迫のバックアップを見出すことができていない森保氏に、「石原をUAEに連れて行ったらどうでしょう」と進言したいくらいだ。
ところが。石原直樹は、同じ名前の菅井直樹の1か月前生まれ、もう34歳なのだ。そして、この34歳の偉才に、今のベガルタのサッカーは大きく依存している。石原はよほどの節制と努力を重ねているのだろう、今シーズンの石原を見る限り、衰えは微塵も感じさせないプレイぶりだ。けれども、来シーズン半ばには35歳を迎えるタレントである、後継者の確保は急務なのは言うまでもない。つい数か月前までは、この候補として西村拓真がいたのだが、彼は野望を胸に北の大国に旅立ってしまった。
などと考えると、ここの補強は、このシーズンオフ最大の課題に思えてくるのだ。もちろん、ハモン・ロペスがもう少し体調を整えれば有力な候補だが、そもそも彼と再契約ができるのかどうかを含め。
まあ、来年のことをどうこう言う前に、残り4試合全勝することだな。うん。