2020年02月10日

32/32@2020

 11年ぶりの少年団県大会。我が少年団は、奮戦むなしく1回戦で砕け散った。相手は昨夏の県大会で準優勝、中盤の真ん中にはナショナルトレセンU12選手がいる強豪。非常に難しい試合となったが、我らが勇士たちは敢然と立ち向かってくれた。完敗は残念だが、本当によくやってくれた。
 選手個々については、こちらを参照ください。

 立ち上がり2分に失点。左サイドから攻めかけてきた相手に対し、当方もしっかり対応するも、ボールは取り切れず。逆サイドに展開されるが、右MFのセパタクローの守備範囲。普段の彼ならばグッと相手に寄せられる距離だが、寄せを躊躇してしまった。結果、相手選手は余裕をもってコントロール、ウェイティングしようとするセパタクローに対しワンフェイントかけて縦突破、強シュートを打たれる。元気GKがすばらしい反応で防ぐが止めきれず、こぼれ球を押し込まれた。「強豪」と言う意識が、安全策の選択を呼び、その選択が裏目に出てしまったのか。
 それでも、子供達は顔をあげて、丁寧につなぎ、素早く押上げ、幾度か好機を作る。特に右サイドのポケットティッシュとセパタクローが深めにロングボールを入れて、不運大柄がからみ畳屋孫息子の突破力を活かす攻めは存分に通用した。また、中盤の選手へのプレッシャはきついが、最終ラインの出足とハイエナには若干余裕があるから、この2人から速いグラウンダのフィードを入れると、不運大柄が何とかキープするからネッツアと畳屋孫息子が飛び出せる。幾度か敵陣に攻め込み、獲得したCK。ネッツアが相手GKの取れない絶妙な地域を狙い、バーに当たったのは惜しかった。もうほんの少し、ピッチ内側に入っていれば。
 そうこうして迎えた14分、ペナルティエリアに分厚く攻め込んだことで、相手DFがかろうじてクリア。ルーズボールとなり、ポケットティッシュがルックアップしながら寄せる。ところが、相手ナショナルトレセンの出足の速さとファーストタッチの精度が格段だった。ナショナルトレセンは、見事な加速で前進し一気に抜け出し、当方出足の追走を振り切り2点目を決める。相手を褒めるしかない失点。
 さらに直後、相手が右オープンに展開してくるも、当方最終ラインの押上がよく、元気GKがタッチ沿いで的確にカバー、タッチ沿いにロングボールを蹴り返す。ところが、それを拾われ、ハーフラインあたりから無人のゴールに蹴り込まれてしまい、0-3に。事実上勝負はついてしまった。さすがに気落ちしたか、プレスがちょっと甘くなったところで、ナショナルトレセンの個人技からもう1点奪われ前半終了。

 後半を迎えるにあたり、監督の畳屋倅は、やり方を変えた。
 ネッツアを最終ラインに下げ、4-2-1のような形にして、中央を固め、出足のボールを取る強さを活かし、速攻に活路を見出そうとしたのだ。かなり変則的なやり方だが、選手達は新しい要求を丹念にこなし、崩される場面はほとんどなくなった。ただ、この配置では押し上げが遅くなると、どうしても中盤に空きが出てしまう。32分、ちょっと押し上げが遅れたところで、フリーのMFに精度高いロングボールを入れられて裏を突かれ0-5にされてしまった。
それでも、選手達は崩れない。散発ながら、不運大柄に収めて、畳屋孫息子と(セパタクローに代わって入った)箱根駅伝がシャドーのように絡み、幾度か敵DFを破りかける。少人数の攻撃ながら、能力高い相手DFに臆せず、幾度か少人数速攻を成功しかけたのだが、どうしてもネットを揺らすことはできなかった。

 0-5の完敗。試合終了後、監督はサポータ席の我々コーチ仲間に「最後の公式戦、前半で事実上敗戦が決まっていたので、無理に1点取りに行くことも考えた。しかし、やり方を変えて、この強敵と互角に戦えた経験を積ませたかった」と語っていた。完敗は残念だったけれども、後半は監督の狙い通り、彼らは「やれた」と言う実感はつかみ、最後の試合を終えた。
 3点目までの各失点、直前の場面の「ほんのちょっと」の判断が的確に行えていれば防げていたかもしれない。そうすれば、もう少し試合をもつれさせることはできたはずだ。けれども、その「ほんのちょっと」が実力なのだ。そして、その「ほんのちょっと」と言った試合を、県大会と言う場で、この強敵相手にできたこと。その「ほんのちょっと」を実感できたこと。それらを誇りに思ってほしい。努力を積み上げても、上には上がいると言う経験は、人生にとってとても貴重なものになるはずだ。

 彼らとの6年間の冒険が終わった。
 私は、月曜から金曜まで、それなりにストレスのある本業をこなし、それで食わせてもらっている。私にとっての土曜と日曜は、身体と精神を休ませる貴重な時間だ。そして、私はサッカーが何より好きだ。そして、子供に遊んでもらうのも好きだ。土日に、バカガキどもに遊んでもらう時間は何より貴重なものなのだ。
 毎年のことなのだが。何というのだろうか、6年生を送り出すときは「みな立派になったなあ」と思うのが常だ。そりゃそうだ。まだ人間と言うよりは猿に近いのではないかと感じるw幼稚園を出たばかりのバカガキが、段々育ってきて、3、4年生くらいからちゃんと会話が成立するようになり、6年目にはちゃんとしたサッカー選手見習いくらいにはなってくれるのだ。
 そして、今年の6年生は、みな本当にサッカーが好きで、よくがんばってくれた。目標とする県大会出場を果たし、その歓喜のお相伴をあずかることができた。何回でも繰り返します。
 君たちとの6年間を満喫させてもらいました。みな、本当にありがとう。
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(0) | 底辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月02日

32/487、我が少年団の歓喜@2020年

 毎年1月に行われる日産カップ、神奈川県少年サッカー選手権大会(全神奈川県のトーナメント)。サッカー少年団にとっては、1年間の総決算の大会となる。神奈川全県の487チームをを十数チームごとの32ブロックに分け、勝ち抜き戦を行う。ブロックで優勝できれば(4試合の勝ち抜きが必要)、ベスト32から始まる県大会に出場できる。
 そして、我が少年団の6年生を主体とした高学年チームが、堂々と勝ち抜き、県大会出場を決めてくれた。この少年団で指導にかかわって、19年となるが、2度目の快挙となる。いや、11年前も嬉しかったけど、今回も最高です。本当に幸せですわ。

 県大会への道は険しい。
 まず同じブロックに、マリノスとかバディとかあざみ野とか、本当の強豪が来たら、絶対に勝ち抜けないw。これらの超強豪と同じブロックにならない確率が50%くらいか。
 そもそも、勝ち抜き戦である。たとえ同じブロックに強豪がおらず、同じレベルの相手と戦うにしても、4チームに対し勝利確率が70%、60%、50%、そして40%だとしたら(これって、結構高い勝利確率なことは、わかる人にはわかりますよね)、4試合勝ち抜ける確率は0.7×0.6×0.5×0.4=0.084。そうするとさっきの50%を考慮して、0.5×0.084=0.042、つまりブロックを勝ち抜き、県大会に出場できる確率は、それなりに強力なチームが作れたとしても、僅か4.2%、20回試みて1回足らず程度なのだ(そう考えると、昔の帝京や国見が当然のように正月高校選手権を勝ち進んだノウハウはとんでもないことがわかるが、まあそれはそれ)。単一小学校をベースにした、父親及び父親OBの酔っ払いが指導する少年団が、19年間に2回と言うのは、堂々たる快挙なのです。うん。

 もちろん、当方がそれなりに強くなければ、さっき述べた70%、60%、50%、40%のような高確率は望めない。言い換えれば、日々の練習はこの確率を僅かずつでも高めるのが目的の一つとなる。まあ、過去も何度も述べたが、少年指導で勝つことは本質ではないと思っているが、勝とうとすることはとても重要だと思っている。そして、勝とうとするためには、サッカーが好きで、常に自分のプレイを反省し工夫して改善を継続する意思がある子供がそろう(『そろえる』が指導者の役割のひとつか)必要がある。これは、言い換えると、知性と戦う気持ちを両立して持つ子供と言うのだろうが。
 加えて、「勝つ」と言う観点からは、ある程度「速さ」なり「強さ」の高い子供も欲しい。こう言うと、身もふたもないが最後敵陣でネットを揺らすためには、足が速く裏が突けるとか、強さで相手DFを吹っ飛ばせるタレントがいれば、ありがたいのだ。今年の6年生は知性と戦う気持ちを持つ素材はそろっているのだが、こう言った、速さや強さを持つタレントがいなかった。結果的に、チャンスは多く作るものの決めきれず、中々勝ち運には恵まれないチームだった。
 もう一つ中々勝ち切れなかった要因があった。隣町の似たような少年団に天才肌のテクニシャン(Jクラブ育成コースのスーパークラスにも選ばれている)がいて、その子と共にプレイしたいと考えた能力の高い子供が多数その団に集まったのだ。結果として、そのチームは「普通の少年団」とは思えないような強豪となり、地域大会でそこにどうにも歯が立たなかった。一方で、そのような強いチームが身近にあったことが、刺激のみならず、直截的な強化に役立ったのもかもしれない。正に物事には表裏両面があると言うことか。
 
 今年の高学年の指導陣は、監督を務める地元のサッカー界で育った畳屋の倅(現郡協会会長、息子は両足が使えるエースストライカ)、父親が私と同い歳と言う元高校球児(息子はの約50年前のギュンタ・ネッツアを思い起こさせる長髪の中盤の将軍)、自然食にこだわりある料理人(息子は5年生でスーパーサブ、料理人とスーパーサブは親子でセパタクローもやっている)、T蔭学園で某前ベガルタ監督と同級生だった非サッカー部員(息子は5年生で来年の守備の要、ちなみに某前監督は授業中に幾度も居眠りして先生にどつかれたとのことだがw、これは皆さん秘密にするように)ら。彼らは粘り強く子供達を指導、歓喜を提供してくれた。いや、ありがとうございました(11年前に歓喜のチームを率いたIT社長と私は今年は低学年担当、低学年もよくがんばったのですが早期敗退、なので2人は今回はサポータなのです)。

 今年のチームの基本布陣は、3-3-1 (8人制)。
 GKはとにかく元気がよくて前向き。守備範囲の広さは抜群で、指示の声もよく出してくれる(もっとも、試合中落ち着いて彼の指示を聞いていると、「出足負けるな!」、「遅らせろ!」の2種類しかないw、うん、彼はサッカーの本質を正確に理解しているな)。
 3DFの右サイドは、時々集中が切れることはあるものの運動能力ではチームトップクラス。この子は、すね当てを忘れてしまったことがあり、どうしても試合に出たいので、ポケットティッシュを両ストッキングに入れ、元高校球児(上記ネッツアの親父ね)にバレて滅茶苦茶叱られた逸話も持つ。中央を固めるのは、とにかく出足の速さが絶品な子。前に出る力が強いので、最前線で使えないかなど、あれこれ試したのだが、出足の鋭さをCBで活かすのが最適と落ち着いた感がある。左サイドは、小柄ながら粘り強い守備対応がハイエナのような子。いつも練習最後に、コーチ対6年生で試合をするのだが、この子の守備はとにかくしつこいので、私は彼にマークされるのが一番嫌だ。
 中盤の真ん中は上記のネッツア。左サイドは、これまた上記の畳屋孫息子。右サイドは、父親が箱根駅伝選手だったと言うテクニシャン、おとなしい子で声が小さいのが欠点と言えば欠点だが、足に吸い付くようなボールコントロールが魅力。最前線は、チームで最も大柄な子だが、今年は多々不運に襲われた。約1年前、遊んでいて崖から落ちて骨折の大ケガ、夏以降復帰して活躍していたのだが、今大会前に犬に噛まれて出場が危ぶまれていたが、何とか間に合ってくれた。

 初戦は、立ち上がりから全員が献身的にプレスをかけ、一気にペースを握る。そして、畳屋孫息子が、見事にハットトリックを演じ、4-0で完勝できた。この畳屋孫息子は、裏抜けやシュートへの持ち出しに優れたタレント。サイドで守備を含め再三上下動する難しい仕事をこなしながらのハットトリックは嬉しかった。
 2回戦は、かなりレベルの高い相手だった。相手のプレスが激しく、最終ラインからつなげない。プレスを怖がり、GKへのバックパスや、逃げのクリアを連発することとなり、ペースがつかめない。そうこうしているうちに、バックパスを受けた元気GKのクリアを相手の中盤選手にダイレクトシュートされ、先制を許す。先制して勢いに乗り、さらに攻めかける相手に対し、最終ラインでギリギリ粘る。特にハイエナが俊足の相手エースをよく止めてくれた。そして迎えた前半終了間際、後方からのフィードを箱根駅伝が、持ち前の技巧を発揮して正確に落とし、ネッツアが鋭いシュートを決めて同点に追いつけた(20分ハーフ)。勢い突いた後半立ち上がり、スーパーサブのセパタクロー息子が、右サイドからスローインを受けて強引に縦に飛び出し、ドリブル突破フリーになって見事なシュートを決め、リードを奪う。直後、相手の大柄なエースストライカが、ポケットティッシュと出足の執拗な守備を振り切り、2-2の同点に。PK戦突入かと思われた終了間際、ネッツアが見事な技巧で相手中盤プレスを抜け出し、美しいシュートを決めて勝ち越し。感動の勝利となった。本当に興奮する試合だった(去年のエカテリンブルグのセネガル戦を勝ち切っていたら、こんな感覚となっていたかもしれない)。
 余談。試合終了後にセパタクロー親父から聞いた話。ネッツアが決勝点を決めた際、ベンチにいたネッツア親父は過呼吸状態で、ことばも発せずに興奮していたとのこと。そりゃ嬉しいでしょうな。さらに余談。ネッツアは4年生時練習中に転倒、涙を流して痛がる息子に対し、親父は「このくらいで泣くな!」と叱責。医者に行ったら、鎖骨が折れていたと言う笑えない笑い話を演じている。この親父まだ30代前半と若いのだが、中々の古典的星一徹なのだ。
 1週間後に行われた準決勝。前日の雨により、片方のエンドのコンディションが極端に悪かったが、結果的にそれが当方にとっての幸運となった。3分、不運大柄が、その悪コンディション下で、DFラインでつなぎ損ねた相手のミスを引っ掛け、そのまま突破しGKまで抜いて先制してくれたのだ。トスで勝ったことで、前半悪いエンドに攻めることを選択したのが成功した形となった。さらにその直後、ネッツアが蹴った鋭いCKを相手DFがかろうじてクリア。そのこぼれ球を、出足がダイレクトで強烈なミドルシュートを決め、2点差に。決めた出足が、一番驚いた表情をしたのが可愛かった。その後もペースを渡さず、2-0で押し切り、ついに決勝進出となった。
 そして、同日に迎えた決勝戦。もう1つの準決勝を見た限り、対戦相手は相当レベルの高いチーム。決勝直前、先週の2回戦立ち上がりが悪かった反省を、畳屋息子監督が厳しく注意した。それがよかったのだろう、立ち上がりから当方プレスがよく決まり、ポゼッションよく攻め込む。そして、幾度かの逸機の後、セパタクローが見事な切り返しで右サイドを突破、グラウンダのクロスを不運大柄が見事なボレーでポストに当てながら決めてくれた。その後、大柄で技巧的な相手中盤エースのドリブルから、幾度か攻め込まれるが、当方は出足を軸に丁寧に守り、1-0で前半終了。後半立ち上がり、相手が強度をかけて攻め込んでくるが、3DFが安定してはね返す。そして前掛かりで来た相手の裏を不運大柄が突き、GKと1対1となり、2点差とする。応援している低学年コーチ仲間同士で「あいつ、犬に噛まれて、かえってシュートが正確になったのではないか」と語り合ったのは秘密だ。勢いに乗った我が軍は、さらに畳屋孫息子が見事なボレーを決め、3点差に突き放す。これで相手が、やや精神的に切れてしまった。当方は控え選手を大量に投入し、ペースを維持。小柄だが得点意欲だけは格段の裏エースが追加点を決め、とうとう4-0で完勝。11年ぶりの歓喜とあいなった。
 準決勝、決勝当日は、久々の県大会出場の絶好機とのこともあり、選手たちの父兄、いつも一緒に練習している5年生たち、そして我々低学年コーチ、総計5万人じゃなかった50人の大観衆が声援を送ったのも、勢いを増すことに寄与できた。やはり、サッカーは応援である。

 いや、まことにめでたい。昼から、コーチ仲間、皆で浴びるほど飲みまくった。改めて、サッカーのすばらしさを堪能した一日だった。
 興奮は続く。例の隣町の強豪も県大会出場を決めた。我が地域から2チームが県大会に出場するのは史上初めての快挙。地域のタウン誌にも、この快挙が報道された。
 そして、県大会初戦は、小田原の強豪チーム。過去、1度も勝ったことの相手だ。難しい戦いになることだろう。しかし、このチームならば、十分に番狂わせを起こす可能性はあるはずだ。子供達は自らの努力で、県大会で戦う権利を獲得し、公式戦での強豪への挑戦権を得た。がんばれ。
 いつも語っていることだが、サッカーと言う人類が発明した最高の玩具で、毎週末子供達に遊んでもらっているだけで、これだけの幸せを味わうことができる。本当に、サッカーとは究極の娯楽だと堪能させていただいた。何と幸せなことだろう。
posted by 武藤文雄 at 21:01| Comment(0) | 底辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月27日

サッカーは愉しい

 24日、高校OBチームの試合に参加した。OBチームと言っても、構成員は皆50代から70代。齢54歳の不肖講釈師が最年少と言うチーム構成だった。仙台の高校だが、首都圏に勤務しているおじさん(と言うか、おじいさんも多数いらした)だけで、結構な人数が揃い、このような試合が可能となっている。不定期に休日に活動しているチーム。できるだけ顔を出したいのは山々なのだが、土日は少年団の指導やら、Jリーグの応援やらがバッティング、中々参加できずにいたので、久々の参加となった。

 やはり、サッカーは愉しい。

 久々の参加で、サッカーの愉しさを堪能させていただいた。
 毎週末の少年団の練習でも、子供チームと試合はする。6年生くらいになると、もう俊敏さではかなわないが、小学生相手だと体重差は決定的。ガキのスピードについていけなくとも、身体を当てる事で、それなりに圧倒できる。
 しかし、おじさん(おじいさん)どうしでは、そうはいかない。双方とも、スピードは劣化しているから、振り切られはしないが(それでも、「あなた、本当に50代ですか?」と確認したくなる、スリムで俊敏なおじさんもいたけれど)、身体は当ててくる。大人同士の身体の当て合いは当然互角となるから、重要なのは、以下の優先順位を考慮して、適切なプレイを選択する事となる。
1)相手のプレッシャ前にダイレクトパスをする(それがシュートだったりドリブルだったら、なお素晴らしい)
2)相手のプレッシャをよく見て、相手の届かないところにトラップし、よりよい位置によるチームメートにパスをする。
3)相手のプレッシャがきつければ、スクリーンしてキープする。
 お互い、スピードがなくなったどうしが、ヨタヨタとこれらのプレイを連続するのが何とも愉しいのだ。そして、この優先順位は、毎週末ガキどもをからかいながら、教えている事そのもの。最前の選択肢を目指すが、敵の抵抗があればそうは行かない。それでも、事前の駆け引きをしながら、瞬時の判断で最前が叶わないならば、次善、三善を目指す。この駆け引きが堪らなく愉しい。
 どんなにスピードが劣化していても、ボールを受ける前に極力敵陣に正対し、フェイントをかましてからボールを受ける。敵のプレッシャが厳しく、前を向ききれないと判断した瞬間に方針を変更、ターンしてボールをキープ、所謂「回る動き」で、逆サイドに展開を図る。このような駆け引きが継続される。持久力も、瞬発力も、すっかり劣化してしまい、若い頃ならば届いていた30mのパスが通らない。特に利き足でない左足のパスの精度は情けない。

 それでもなじんでくると、敵の意表を突くべくノールックパスを狙えた(受け手の味方が私を信頼していないから通らない)。わざと引いてスペースを作っておいて、飛び出しダイレクトシュートを狙う(筋力が落ちていて、押さえが利かず宇宙開発)。敵DFの隙を突き、スローインからドリブルで抜け出せた(落ち着いてGKを外すシュートを狙ったつもりが、GK正面を突いてしまい悲しい)。

 うん、サッカーは愉しい。

 余談ながら、チームメートには、某J1トップチームの社長であるT先輩もいらっしゃる。高校時代の合宿、我々の練習に来て下さるT先輩の指導は、本当に厳しかった。いや、怖かった。私より十歳ちょっと年上の彼は、守備ラインでボールを持つと、中盤でウロウロしている私に対し、「こら武藤!ボール、呼びに来い!」と。いや、怖いから必死に受けに行くのだけど、17子の魂54まで。気分はちょっと、中村憲剛。

 つらいのは心肺機能の劣化。うまく後方からのパスを受け、前をしっかりと向いて、前線に相応に精度の高いパスを出す。「やれやれ」と思って休むと「ハッ」と気が付く。前線で孤立しているチームメートをサポートしなければ。慌てて、サポートに寄り、リターンを受ける。しかし、その前進で息が完全に切れてしまい、ボール扱いがおろそかになりミスをする。
 せめて、15m程度の疾走は繰り返せるようにならなければ。と、深く反省し、「夜中でも走り込みをしよう」と、心に決めた。と、思っていたら、階段を満足に上がり下がりできない。久々のサッカー、どうやら軽い肉離れを起こしてしまったみたいだ。
 いや、難しいものだ。でも、難しかろうが、間違いなく言える事がある。

 やはり、サッカーは愉しい。
posted by 武藤文雄 at 00:53| Comment(1) | TrackBack(0) | 底辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月06日

8人制少年サッカーの是非

 最近、多忙を言い訳にベガルタの苦闘を嘆き愉しむ文章ばかりになっているな。もうちょっと様々なサッカーネタに関しても、できるだけ講釈を垂れたいと思てってはいます。と、言う事で、今日は少年サッカーの8人制定着に対するイヤミを。

 少年サッカーにすっかり8人制が定着してきた。神奈川県はチーム数に対してグラウンドの数が少ないため、他県と比較して8人制の導入が遅れていたと聞いているが、今シーズン(2014年シーズン)からは、ほとんどの公式戦が8人制に代わろうとしている。
 本件については、過去幾度か述べたが「総論賛成、各論反対」的な意見だ。それは変わっていない。特に「総論賛成」と言い切るのは、ここで述べたように少人数ボールタッチの利点を評価しているからだ(本件については後述するが)。しかしながら、「現場への落とし込み」が結構進んだ現況において、弱小サッカー少年団指導者の私は「各論反対」を強く唱えたい。


 上述したが、8人制のよさは、出場している選手がボールに触る機会が増える事。人数が少なければ、1人1人がボールを触る頻度は高まるのは自明だ。だから、11人制に比べて、全選手がプレイに関与する事ができる。

 ただし、試合に出場できればだが。

 当たり前の事だが、同じ試合時間で11人制だった試合が、8人制になれば選手の出場機会は8÷11=0.72、つまり72%に減ってしまう。日本協会は「だから試合数を増やせ、審判は3人揃える必要ない」と主張しているようだが、同じ試合時間で試合数を増やすためには、チームの拘束時間とグラウンドの使用時間を増やさなければならない。いずれにしても、相当難しい事は、少年サッカーの現場をちょっと考えればわかる事だ。
 多くの公式戦で8人制が定着し、間違いなく子供達の試合出場時間は減ってしまった。どんなに美辞麗句を重ねても、数字は冷徹なのだ。繰り返すが、8人制導入により、子供達は公式戦の出場機会が少なくなってしまった。



 8人制のメリットはもう1つある。いずれの選手も前進後退を執拗に継続する必要がある事だ。人数をかけて一斉に攻撃を仕掛けたものの、ボールを奪われ敵の速攻にさらされる。そうなると、人数が少ないため、前進していた選手は必死に戻らなければならない。攻め込まれたところで、うまくボールを奪えれば、その瞬間いかに前線に勇気をもって飛び出せるか。それが、攻撃の成功を左右する。かくして、「各選手達は攻守の切り替えに敏感となる」とは思う。
 実際、レベルの高いチーム同士での8人制の試合は、僅かなミスからの攻守の切り替えが頻繁に起こる。そのため、各選手には相当な集中が求められ、オールラウンドな能力向上が期待できる。

 ただし、選手がそのようなレベルにまで到達していればなのだが。

 攻守両面で機能し、常に集中を切らさない選手の選手育成と言うと聞こえはよい。しかし、現場でサッカーを愉しむ少年の多くは、6年生になってもそこまでのレベルに至っていない。多くの少年は、サッカーと言う「とにかくやれば愉しいが、上達するには長年の努力が必要な競技」の一端に触れたレベルに留まっているのだ。
 例えば、利き足でボールを強く蹴る事だけは得意な子がいる。敵のボールを厳しいタックルで奪い取るのだけは得意な子がいる。このような得意技を持っているが、オールラウンドな能力に欠ける子は、8人制では中々活躍できない。これが11人制ならば状況は一変する。利き足キック力は、11人制のウィングに起用すれば、守備の負担に悩まされる事なく、前線で一発を狙ったり、セットプレイのキッカーでチームに貢献できる。タックル屋は、チームのエース格の中盤選手と並べてボランチにおけば、「殺し屋」として敵の中盤からの攻撃を刈り取る役目でチームに貢献できる。ところが、彼らは8人制だと思うような働き場がない(もちろん、働き場がなくとも、8人制でも彼らを試合には使いますよ、練習にちゃんと来ている子供は全員)。
 そして、そう言った得意技少年達は、11人制の時代ならば起用すれば相応にチームの勝利に貢献してくれてきた。そして、そのような貢献から自信をつけ、必ずしも得意ではないプレイも段々と身につけ、バランスのとれた選手に成長してくれるのだ。完成するのは高校生くらいになってからかもしれないが。
 私は真剣に心配しているのだ。活躍しづらい環境の公式戦しかない状況で、得意技少年達がその特長を活かしながら順調に成長してくれるのかどうかと。



 まあ、いいでしょう。日本協会の8人制推進の目的は、我々がやっている底辺の選手育成ではなく、超エリートの育成なのだろうから。
 
 でも、8人制で「ボールタッチを増やし、攻守の切り替えの早い選手を多数作る事」が、本当の超エリートの育成につながるのだろうか。
 今の日本代表選手を考えてみよう。中核選手のほとんどは、オールラウンドの能力を持ちながら、一芸あるいは二芸に超越するほど秀でている選手ばかりだ。今野、長友、内田、酒井宏樹、遠藤爺、蛍、細貝、岡崎、本田、香川、柿谷...一芸タイプでないレギュラクラスは、大迫と長谷部くらいではないか。でも、大迫はすべての能力に卓越しているストライカだし、長谷部の鋼の精神力はみなさんご存じの通り。
 そして、日本代表に選ばれるような選手は、幼少時から「神童」のレベルで「チームの大黒柱」だったはずだ。そう言った日本代表の定位置を狙うような逸材は、小学生時代には8人制だろうが11人制だろうがチームの大エースとして、ピッチ中すべてに君臨していたはずだ。さらに言えば、彼らが小学生時代に、8人制の大会で育っていれば、現状より格段の選手になったとはとても思えない。
 そうこう考えると、8人制の推進により、新しいスーパーな日本代表選手が登場するのは、全くイメージがわかないのだ。超エリートの育成を目指すと言いながら、結果的に国体などの県選抜に引っかかる選手よりも、もう1つランクが下のそこそこ上手な選手達に、オールラウンドな能力をつける事しか意味がないように思えてくるのだ。

 私の杞憂ならばよいのですが。
posted by 武藤文雄 at 01:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 底辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月12日

さらば友よ2012

 当たり前の事だが、3月は別れの月。サッカー少年団においても、毎週末いっしょに遊んでくれた子供達が巣立っていく季節だ。少々遅くなったが、今日はそんな講釈を。

 T2を最初に認識したのは小学校3年生の時だった。パルマの7番のユニフォームを着た姿を見てビックリした。(当時中学2年になっていた)坊主の同級生のT1の数年前と、姿かたちがソックリだったから。「おい、お前T1の弟か?」と問う私に「うん、T1はお兄ちゃんだよ」と答えてくれた。
 T1は運動神経もよく、まじめに練習に取り組む子だった。しかし、気持ちがやさしいと言うのだろうか、いわゆる1対1でちょっと腰が引けてしまうタイプで、どうしても試合では決定的な活躍はできないでいた。それでも5年生くらいまで熱心に活動してくれたのだが、結局少年団をやめてしまった。あれだけ熱心に取り組んでくれたのに、うまく成長させる事ができなかったので、自分としては申し訳なさもあった。
 T1は中学に入り卓球部の主将として活躍、高校でも卓球を熱心にやっていると聞く。もしかしたら、T1のような子は、接触がない競技に適正があったのかもしれない。ただ、他の競技に転向したとしても、幼少時にボールを蹴った経験は、アスリートとしての基盤作りには、少しは役に立ったのかもしれないとは、自惚れているのだが。
 その弟が、同じ少年団に加入してくれたのだから、嬉しかった。「T1はやめてしまったけれど、きっと相応に少年団生活も愉しんでくれたのだろう」と思えたから。
 そして、T2は、兄同様運動神経もよかった。さらには、負けず嫌いが全面に出る子で、3年生ながら低学年チーム(3,4年で構成)で定位置を確保。その後もずっと中心選手として活躍してくれた。T2のおかげもあり、昨シーズンは我がチームは上々の成績を収める事もできた。ただ、ベンチから騒ぐ際に「いいぞ!T1!」とついつい兄の名前を叫ぶ癖はとうとう直らなかったが。だって、顔つき身体つきのみならず、ボールの止め方や身体の寄せ方もそっくりだったのだもの。すまん、T2。
 早いもので、そのT2を送り出すことになった。T2は中学校のサッカー部でもエースを務めてくれるだろう、いや高校に行っても。

 Mは我が少年団に私が関与しはじめて最初に送り出す女の子だ。
 Mの入団も、お兄ちゃんの影響。兄のFは坊主の1年下、いわゆるサッカーセンスと言うのだろうか、パスを出すタイミングに魅力のある選手だった。そして、Mも兄同様のセンスを引き継いでいた。
 ただ、M及びそのチームメートへの指導はちょっと悩んだ。サッカーは勝ち負けを争う競技だが、小学校のうちは結果はどうでもよい事だ。けれども、勝ちを目指して工夫する事、勝ったら本当にうれしい事、負けたら本当に悔しい事、それぞれに真剣に取り組む事はとても重要だ。とすらば、試合直前、あるいはハーフタイムに選手を励ます時には、ついつい「腰を引くな、身体を張れ、お前、男だろう!」くらい言いたくなる。でも、Mがいる時は、異なる表現をとらなければいかんのだよね。こうやって、自分も成長できた。
 ワールドカップ予選の翌日、子供たちから問われる。「武藤さん、昨日試合観に行ったんでしょ、誰がよかった?俺は遠藤がよかったと思う。」私が答える前にMが言った。「遠藤もいいけど、宮間もいいよね。」そうだ、宮間は最高だよ、M。
 ある日の試合会場。試合と試合の合間。サブのユニフォームはチーム管理、大きな箱に入れる事になっている。何やら、Mがゴソゴソやっている。何をやっているのかと思ったら、ひとつひとつのユニフォームを丁寧にたたみ直してくれていた。
 地元の中学校には女子サッカー部はない。でも、Mは近隣の女の子が集まるサッカークラブでサッカーを続ける。

 毎年、毎年、新しい子供との出会いがある。お母さん達とも新たな交流がはじまる。
 T2のお母さん、Mのお母さんは、坊主の友達のお母さんだ。先方から見れば、私はご子息の友達の親父だ。だから、お二人とは、何かしら対等の立場で会話ができた。この2人が卒団すると、もうそのようなお母さんはいない。皆、世代が下がったお母さん達となり、何となく私は目上の存在になってしまう。今後、お母さんと対等に会話する機会は来ないのだろう。
 こうやって、年をとっていくのだな。

 当たり前だが、子供たちは育っていく。ただの鼻たれ小僧が、私よりも大柄になり、立派な青年になっていく。見違えるほど立派になった若者に、突然声をかけられた時の嬉しさは格段だ。
 サッカーと言う人類が創り上げた最高の玩具を通して、他人様の子供の成長に関与できるのだから、こんなありがたい遊びはない。
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2012年01月27日

そんなに8人制を導入したかったら、審判を増やす努力しろ!

 日本協会が、小学生世代に8人制サッカーの導入を推進している。以前より、私は総論賛成、各論反対と述べて来た。要は「一応賛成している」と言う玉虫色的態度なのですがね。

 賛成、反対いくつも詳細論はあるのだが、究極的には、賛成、反対それぞれの理由はシンプルだ。

 賛成については、正に日本協会の情宣ビラの7ページから9ページに書かれている事が理由となる。実際、うちの子供達が、8人制でガップリ四つの試合をしてくれているのを見た時は、嬉しかった。ゴールキーパを含んだ全員が、ボールに呼応して常に動き、一生懸命ボールにアプローチし、技巧の粋を尽くして敵陣に迫る。人数が少ない分、ボールへの関与、プレイへの関与が一人一人多い。これはよいですよ。

 余談ながら、上記情宣ビラの「グリーンカード」、「リスペクト」、「フェアプレイ」と言うキーワードには、物悲しさを覚える。「グリーンカード」は論外だが、「リスペクト」、「フェアプレイ」は大事な概念だ。それらの大事な概念を、空虚な(現場を何も知らない人の指示で広告代理店が作った)言葉で語られても...そこまでして、皆で出し合ったキャッシュを、誰かさんの勲章獲得に費やさねばならないのだろうか。まあ、いいや。いや、よくないな。

 一方、反対について。とにかく、試合に出られる人数が少ないのは困るのですよ。11人制で何がいいかと言うと、「現状で下手な子供を出しやすい」事。11人制ならば、1人や2人、足を引っ張る子供がいても、時間帯を工夫して起用すれば、極端な破綻は少なかった。しかし、8人制ではそうは行かない。人数が少ない分ごまかしが利かないのだ。
 もちろん、逆に言えば「ごまかしが利かない分」だけ、「現状で下手な子」のプレイ機会が多いのだから、それはそれでよい事と言う解釈も成立する。しかし、事はそう単純ではない。ここで「現状で下手な子」って簡単に言ってしまったけれども、色々なタイプがいるのだ。
 身体を動かす事が大好きで、ちゃんと練習に休まず来て、一生懸命練習に取り組むけれど、足が遅いとか、反応が鈍い子もいる。運動能力は高いが、いわゆる「闘争心」が少ないと言うか、接触プレイが苦手な子もいる。やはり運動能力は悪くないが、人の話を集中して聞き続ける事ができず、さらにプレイそのものにも集中できないので、技術が向上しない子もいる。そして、全然練習には来ないが、試合の日だけは来る子もいる。
 チームメートは正直なのだ。1番目、2番目のタイプの子を起用しても不満は言わない、でも3番目、4番目のタイプの子を起用すると、露骨に嫌な顔をする。11人制では、まだまだ十分にごまかせていたのだが。8人制となると厳しいのだよ(もちろん、それならばそれで、相応に対処して何とかしているけどさ)。
 小学生年代で試合結果がどのようになろうが、つまり勝とうが負けようが、ある意味ではどうでもよい事だ。でも、「勝とうとする事」、「何とか負けないようにする事」、「勝ったら本当に嬉しい事」、「負けたら本当に悔しい事」は、とてもとても大事な事だ。しかし、その「大事な事」に対して、上記3番目、4番目の子供を、しかも8人制大会で起用するのは、真剣に戦っている子供達に、「相矛盾する事を指導者がしているのを見せる」と言う意味で、結構苦しいのだよね(もちろん、それならばそれで、相応に対処して何とかしているけどさ)。
 はっきり言おう。8人制になると、現場は「全員プレイさせるのが難しくなる」のだよ。

 まあ、そう言った反論に対しての日本協会のカウンタアタックが上記情宣ビラの9ページ(ハーフピッチで同時にたくさん試合できる)と、19ページ(1人審判制で、審判確保に苦労いらない)なのだろう。
 前者は、「安全のために『固定ゴール』としている小学校で、公式戦が不可能になった」と言う笑えない笑い話が問題となっている。まあ、よいさ。そのうち、どこかの業者が、安価で安全な簡易ゴールを提案してくれるだろうから。日本協会は、これ以上余計な事をしない方がよい(でも、しそうな気がする、「協会公認簡易型ゴールのご紹介」なんて郵便物が...)。

 問題は審判だよ。上記の19ページ、あるいはこちらを,見て欲しい。どんなに、広告代理店に書かせた空虚な言葉を並べてもダメなのだ。「セルフジャッジ」と言う言葉は、「判断力ある子供の育成」、「フェアプレイの精神」とは全く相容れない言葉なのだから。
 サッカーにおける反則は、意図せずとも起こってしまう。ボールを狙ってタックルしても敵の足を蹴ってしまう事がある。身体を入れてうまくボールを奪ったつもりでも、中途で敵を押してしまいファウルになる事もある。自分としてはうまく敵DFの裏を突いたつもりでも、動き出しが早過ぎてオフサイドにかかってしまう事もある。これらの「反則」は、何があっても自分では判断できない。審判と言う第三者の助言を繰り返し聞きながら、身体で覚えて行かなければいけない事なのだ。
 もちろん、練習試合や紅白戦で、少ない審判の下でプレイするのは、それはそれでアリだろう。しかし、「公式戦」と言う、「勝つ必要はないが、勝ちを目指す事が絶対に必要な試合」では、しっかりと副審を揃えて試合をすべきだろう。いや、実際8人制の1人審判は、本当にきついのですよ。体力もそうだが、視野を相当広くとる必要があり、サッカー経験ないお父さんにお願いするのは相当厳しいと言う現実もある。
 上記した通り、会場やゴールの問題があり、8人制にしても、公式戦数が極端に増える事は、現状ないかもしれない(それはそれで、選手のプレイ機会が減っているわけで残念な事だ)。しかし、それが定着すれば、1クラブから複数チーム出場は増えて行くだろう。その場合、審判の数だけは揃えるべきだと思うのだ。だからこそ、日本協会は、小学生世代の副審をできる人を大量に作る工夫をすべきだと思う。1つの回答は約6年前に書いたこれあたりだと真剣に思っているのだが。
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2011年03月20日

日常の幸せ

 先週末は、所要と地震直後の混乱で、少年団には行かれなかった。今日は、自分にとって2週間振りの、しかもあの災禍後初めての練習だった。
 正直言おう。サッカーはいい。バカなガキ共と、全く屈託ない会話ができるのがまずいい。理屈でサッカーを説明すれば、わかってくれるのが愉しい。説明した事を理解してくれて、次のプレイで改善されたのを見ると、本当に嬉しい。そして、そのプレイが実戦で完全に定着しているのを見るのは、もう最高の歓喜だ。

 さらに今日は中学校の卒業生追い出し試合。多くのOB(高校生以上)も、中学校に集結。はな垂れ小僧だったバカガキ共、いずれも私よりも格段に大柄になり、筋骨隆々な堂々とした体躯の若者に成長してくれた。そいつらが、中学校に集まり、愉しそうにボールを蹴っているのを眺める。もちろん、彼らの後に送り出した中学生達のプレイを観察するのもいい。ほんの2ヶ月会ってないだけで、随分と上背が伸びた子が従来よりも格段に広いプレイディスタンスを見せてくれるのを堪能できる。
 冗談抜きで、近くの酒屋から酒精を買って来て、飲みながら彼らの試合を見る事ができれば、最高の酒の肴だっただろう。皆、「俺が育てた」のだから(笑)。

 この「日常の幸せ」。この幸せが、いかに光り輝いたものである事が再認識できた。再認識なんか、したくなかった。この輝きに気がつかないまま、毎週堪能し続けたかった。
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2011年03月10日

ベルマーレの英断

 ベルマーレが大胆な普及策を行おうとしている。ホームタウンの4種登録の選手全員を、無料招待の対象にすると言う事だ。私はこの施策を高く評価する。
 この施策は、ただの小学生無料招待ではない。抜粋するが、
湘南ベルマーレの4種登録チームであった「湘南ベルマーレジュニア」の活動終了に伴い、弊クラブと地域の指導者の方々がお互いに手を取り合って4種年代の選手育成にご協力させていただくための具体的な取り組みのひとつとして本企画を実施します。
と言う点が非常に重要。
 ベルマーレは従前、他のJクラブ同様、小学生段階のプライマリチームを持っていた。それをやめるのは、(私が、ベルマーレのホームタウンで少年を指導している立場から見ても)、非常に勇気あり評価される適切な判断に思える。小学校時代に秀でた選手を選抜して鍛えても、それがトップの強化に直結するとは限らないのだ。むしろ、広域のサッカー少年達を手広く「君たちは、皆ベルマーレなのだ」と、抱え込み、先々に備える方が格段に有効に思う(異論もあろうが)。
 ために、地域の少年選手達を、無料招待すると言う策は、非常に示唆に富むと思う。

 運用面で余計なお世話。チケット引き換え方式に突っ込ませていただく。
◇チケット引き換え
 試合当日、当日券売り場にて、日本サッカー協会登録選手証をご提示ください。
 1つ目。少年団の指導者としては、選手証を選手に渡す事に少々抵抗がある。もし、紛失されたら、再発行するのが面倒なだけだが(笑)。選手証の持参が必要な年に数回の大会のために、指導者がまとめて保管する方が円滑なのだが(笑)。もっとも、子供達に「いいか、この選手証があればベルマーレの試合をタダで見る事ができる。でも、無くしたら、大事な試合に出られなくなるぞ」と言い聞かせて(脅して)、モノを大事にする習慣を付けさせる絶好機と言う気もするが。
 2つ目。登録選手証を持つ選手の比率は、少年サッカーチーム所属選手の僅かに過ぎないと言う事。少年サッカーには幾多の大会、試合があるが、日本協会への登録が必要な大会は、全日本サッカー少年大会(いわゆる全少)予選を含み、数える程。そして、そのためには、それなりの登録費用がかかる。そのため、多くのチームが、6年生を中心にそう言った大会に出場する可能性がある選手しか、登録していないのだ。したがい、ベルマーレの無料招待に呼応できる少年の絶対数が限られてしまう。特に、5年生は、上手で6年の試合に登場する子は選手証を持っているが、そうでもない子はなかったりする。もちろん、4年生以下は、普通選手証はない。
 ついでに、もっと余計なお世話。そのような6年生なり5年生だと、友だち同士で平塚競技場に参戦可能。しかし、金儲けの観点からは、選手証を持たない4年生以下の方が、親がついてくる(そして、往々にして、親の方が「はまる」ものなのだ)分、有効にも思うが。

 ともあれ、繰り返すが、私はこの施策を高く評価する。さらに言えば、もし可能ならば、無料招待してくれた彼らに、何か僅かでもよいから「誇りが持てる何か」を提供してくれないか。会員証でもよいし、選手と一緒に写真を撮ってもらえる権利とか、馬入グラウンド(ベルマーレの練習場)で選手達と交流できる機会とか。重要な事は、地域の少年チームでプレイしている事が、一般の小学生よりも格段に高いプレゼンスを持つ事。そして、それが「君たちは、皆ベルマーレなのだ」との誇りを持たせてくれる事(「皆、反町の配下なのだ」でもいいよ)につながる筈だ。

 そうやって、教え子達が「俺たちベルマーレ」と心底思ってくれれば嬉しい。毎週末、子供達と、「ベルマーレだ、ベガルタだ」と罵り合えれば、これ程すばらしい事はないのだから。
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2010年11月15日

友の涙

 我が少年団、今年の6年生は例年よりタレントに恵まれず、苦戦が続いていた。
 彼らの学年が主体となる最初の公式戦(3年生の3月だったから、もう2年半前になる)では、近隣の少年団に0ー20で負けた事もある(20分ハーフの試合での0ー20です)。
 けれども、サッカーに対する取り組みは真面目な子も多く、能力の高い主将とエースを中心に、皆が熱心に練習に取り組んできた。努力は報われるもので、全員が少しずつ力をつけてきた。4年生の時はダントツでビリ(地域の少年団は5チームある)だったが、5年生になって少しずつだが勝てるようにもなってきた。一方で現実が厳しいのもまた確か。足の遅い子は、いくら真面目に練習しても、簡単に足が速くなる訳ではない。敏捷性に欠ける子は、やはりどうやっても反転に時間がかかる。
 逆によい事もある。例年だと中心格の子は往々にして、あまりうまくないチームメートをバカにしたり、ミスに対して露骨にイヤな顔をする事がある。ところが、上記の主将とエースは、そんな余裕すらない。ボール扱いが思うに任せないチームメートをどなる事すらなく、常に励まし皆に声をかけ、とてもチームワークのよいチームとなってきた。
 今年に入ると、いずれのチームとも相応に戦えるようになってきた。5チーム中3位くらいになる事は珍しい事ではなくなってきたのだ。

 今年のチームの監督は、元JSL選手でジーコとも公式戦を戦った事がある男。サッカーどころ出身で名門高校出の彼からすれば、上記の子供たちの能力の低さは、見た事のないものだったと思う。しかし、彼は驚くべき辛抱強さで、皆を指導してきた。
 一方で彼の夏場の指導は厳しかった。この猛暑の中だが、ずいぶんと厳しい要求もした(熱射病にならないようなケアもとても重要だったのだが)。また、上記の主将とエースに対しては、さすがの経験から高みに立った指導で、彼らの自覚と成長を促してきた(まあ補佐役の私は、横でニコニコしながら子供たちを激励するくらいだな)。

 秋になり、リーグ戦は2勝2敗で終了、そしてこの週末5チームで行われる地域での最後のカップ戦を迎えた。抽選で残り4チームのうち2チームと対戦、全チームが2試合を戦った勝ち点数上位2チームが決勝に進出するレギュレーションである。
 ところが抽選が悪かった。秋のリーグ戦で2敗したチームとの対戦となったのだ。地域で最強(今年はこの地域で1度も負けていない)チームと、2年半前に0ー20でやられたチームとの対戦となってしまった。
 まあ、監督ともう1人のコーチ(以前も登場した元ラガーね)とは、「どうせ最後だから、強いところとしっかりした試合をやって欲しい」と言う会話もしていたのだが。
 
 初戦は既に他チームに1勝している「0ー20」との対戦。ただし、戦闘能力差は2年半前とは全く異なる。ここ1年の対戦成績は、ほぼ互角だったし。そして、序盤からよく動いてペースを握った当方、開始早々に5年生の左サイドバックが見事なミドルシュートを決めて先制に成功。以降は、落ち着いてよく守った。
 後半に入っても、やや押され気味だが、丁寧によく守りペースを渡さない。しかし、自陣ゴールキックを拾われた攻撃から、ミドルシュートを許し同点に追いつかれてしまった。この場面までは、ゴールキックはキーパではなくボランチのキック力のある子が蹴っていたのだが、何故か魔が差したようにキーパが蹴ってしまった。子供の試合は、たまにこのような事があるものだ。
 それでも、気を取り直し、終盤は攻勢に立ち、エースと主将を軸に幾度か攻め込んだものの崩しきれず1ー1の同点で試合終了。結果として、決勝進出のためには、やはり既に1勝している「最強」に勝たなければならなくなった。

 「最強」は両ウィングが俊足で運動量が多く、よく頑張る。さらにトップ下の子が夏を過ぎてよく周りが見えるようになり、それを支える中盤の2人も強くてうまい。センタバックも俊足で、GKも安定していて隙がない。春先にやや幸運に引き分けた事はあったものの、どう考えても相当厳しい戦いが予想された。
 案の定両翼から再三攻め込まれ、幾度か危ない場面を作られるが、全員がよく粘り守る。特にサイドをやられるとCBがどうしても逆サイドのケアがしきれなくなる悪癖が、この日は相当に改善されたのが大きかった。このような戦術的能力の成長を見るのは本当に嬉しい事だ。そうこうしながら、何とか前半は0ー0でしのぐ事に成功した。
 ハーフタイム、元JSLは「勝たなければ、決勝進出はない、点が取れると思ったら、勇気を持って上がれ」と指示をした。そして後半立ち上がり、指示通りに人数をかけて攻め込み、主将が巧みなボレーシュートを決めて先制に成功した。
 以降の時計の進みの遅い事。幾度と無く危ない場面を作られる。
 けれども、彼らは本当によく頑張った。足が遅い事、反転に時間がかかる事は、容易に埋まらない。けれども、攻撃から守備への切り替えを早くする事、より足が速い相手に肩を寄せて粘る事、シュートが打たれそうな時に身体を張る事、これらならば誰でもできる。ただし、戦う気持ちを持っている男達だけになのだが。
 異様に進みの遅い時計だが、どうやら進んでくれた。そして歓喜へと。彼らにとっては、初めての決勝戦だ。

 当方は決勝戦まで、僅か10分の休憩、当方は疲労困憊。そして決勝の相手の「0−20」は我々との試合後、丸々2試合分休養していた。
 圧倒的に押し込まれるのを粘る展開。それでも、前半に敵の小柄なエースの巧妙な動きにしてやられ先制される。後半立ち上がり、死力を振り絞って、押し込み好機を作るが攻め切れず。ここまでだった。以降敵の猛攻を止め切れず、終わって見れば0−4の完敗。
 悔しかった。勝たせてやりたかった、いやこれでは不遜過ぎる。勝って欲しかった。
 試合後、全員がボロボロと涙をこぼしていた。もちろん、過去も幾度か彼らの涙を見た事はあった。けれども、今日の涙は違うのだ。何か、心の底から皆泣いていたのだ。ここまでこれた、ここまでこれたからこそ、心の底から泣く事ができたのだろう。

 毎週末、自転車でグラウンドに行って、子供達に遊んでもらう。それだけで、共にここまで悔しい思いを共有できる。俺たちにしかわからない悔しさ。だから、少年団の指導はやめられない。
posted by 武藤文雄 at 22:33| Comment(15) | TrackBack(0) | 底辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月15日

続少年公式戦8人制に移行

 主要な少年大会が来年から8人制になる事は、約4ヶ月前にも述べたし、多くの報道でも採り上げられているので、皆さんご存知だと思う。そして、現場への落とし込みの時期が近づき、いよいよ「総論賛成だが、各論どうする」問題が発生し、混乱が始まっている。本エントリでは8人制をいかに現場に落としこむかに関する現場の労苦を紹介したい。
 ところで、誤解しないで欲しいが、本エントリの目的は8人制と11人制の比較、あるいは是非の議論ではない。私は基本的には8人制化に賛成だが、それについては前回述べた。もちろん、既に決定はなされたものの比較、是非の議論が継続される事自体はおかしい話ではない。
 けれども、日本代表(あるいはベガルタ)サポータとしては「成功か否かの結論は極めて長いレンジでしか評価できない」話であり、底辺少年指導者としては「来年に迫っている制度改変にいかに対応するか」が重要である。したがって「是非は問わない、まずは対応だ」が、現状の本件に関する私の基本的立場である。
 以下、私が地域の少年委員会ルートから聞いた話から、いくつか現実的な問題を要約する。

 まず、全国少年大会(この夏もテレビの都合か何かしらないが、灼熱の昼間に決勝戦が行われた大会の事です)の本大会も予選も、8人制にするのみならず、前後半での交代を義務つける案があった。日本協会筋から出た案らしい。
 この案には、
○11人から8人の人数削減をカバーできる、
○16人と多くの選手の出場が確約される、
○選手の過労を防止できる
などのメリットがあるが、残念ながら致命的な欠点がある。
 日本中ほとんど多くのクラブでは最上学年はおろか、5年生を含めても16人+αの人数をそろえるのは簡単ではないという事だ。もし、この案を採択すると、チーム間の戦闘能力差が広がる一方になる。あまり戦闘能力差が開いた試合は、勝負の面でも強化の面でも意味が薄くなるし、そして何より「やっている少年達の愉しさ」と言う面で問題がある。
 協会からの強制で、このような方策が選択されたら、多くの少年達も父兄も指導者達も不満を感じるだろう(まあ父兄や指導者の不満はどうでもよいか)。結果的に今日までに築き上げられた日本サッカーの広大な底辺を損ねる恐れががある。少なくとも神奈川県では予選大会でこのやり方は不採用にする模様だ。

 1つのクラブから複数のチームを出せるようにすると言う案もある。戦闘能力差が開く可能性は同様だが、これは前後半総とっかえよりは現実的だ。なぜならば、各クラブ側に選択肢があるから。複数チームを出したくなければ1チームだけの出場にすればよい。どうやら神奈川県はこちらを選択する方向を模索している模様だ。
 けれども、現実には問題山積である。まずチーム数が増えれば、それだけ試合数が増え、運営側の負担も増加する。事務側の仕事量も増えるのも大変だが、何よりグラウンド確保が最大の問題となる。実はグラウンド確保については、チーム数贈とは別な問題もある。多くの小学校のグラウンドは安全のために固定式のゴールが装備される場合が多い。当然ゴールは従来の11人制に対応して固定されているから、そのようなグラウンドは、8人制の大会そのものを実施できない可能性もある。すると、今以上に確保できるグラウンドが減るのにかかわらず、チーム数が増えると言う、実に難しい方程式を解く必要がでてきてしまう。
 チーム登録の問題もある。たとえば、あるクラブがAとBと複数のチームを出して予選に出場、チームAが全国大会に出場したとして、全国大会で(予選で敗れた)チームBでプレイした選手は全国大会でチームAとしてメンバ入りできるのか?常識的にはダメだろう。しかし、そのクラブにおいて、予選時点でのチームAが1軍、Bが2軍だったとしよう。そして、全国大会に向けてチームBのエースが大きく成長したとしても、全国大会で一軍には入れなくなってしまう。もちろん、このあたりはルールに従って意思決定を行っていく以外の方法はないのだが、そう言った明文化規定を準備するのは、結構時間がかかるし、難しい。意見が分かれるところも少なくないはずだ。あと半年で、日本協会、地方協会共に納得できる明文化規定を作成しなければならないが、間に合うのか。

 審判の確保が問題なのも言うまでもない。試合数が増えると、審判の確保(具体的に言うと各チームに帯同する審判の確保)が重要になる。日本協会は「主審1人で試合の面倒をみて、選手にセルフジャッジができる自主性を期待したい」的な事を言っている。しかし、私はこのやり方には根本的に疑問を持っている。まずラインに貼り付く副審がいなければ、ラインを割ったかどうかの判定が実質的に不可能なのは言うまでもない。
 さらに、実際に8人制の試行試合で1人審判を行うと、すぐに矛盾に気がつく。と言うのは、現状の3人審判のやり方は主審が(守備陣から見た)右サイド同士を結ぶ直線を対角方向に動き、副審に(守備陣から見た)左サイドの判断を手伝ってもらうもの。ところが、副審がいなければ、(守備陣から見た)左サイドの判定を的確にするため、右サイドに貼付けず中央に寄りがちになる。ところが、そこでサイドチェンジを出された瞬間に、もうオフサイドを見る事は絶対にできない。したがって、かなりタッチ沿いに近い(守備陣から見た)右サイドに貼り付き、攻撃のエンドが変わったら爆走して逆エンドの(守備陣から見た)右サイドに動くと言うやり方を継続しなければならない。そんな芸当、私のようなオッサンならばさておき(要は判定ミスをしても、堂々とした態度を貫く、ふてぶてしさがある)、一般の少年団を率いる(若い)指導者にはかなり厳しい要求だ。
 加えて、「セルフジャッジ」を若いエリートタレントに求める理屈がよくわからない。たとえば、ラインを割ったかギリギリ、オフサイドかどうかギリギリ、と言ったプレイに対して、自分から「相手のボールです」と叫ぶ選手を育成するのは重要なのだろうか?実際にプレイすればわかるが、ラインを割ったか、オフサイドかオンサイドかなどは、ギリギリのプレイと絡まると、わからない。そう言う時に、「ラインギリギリのはずだ」と楽観的に最後までプレイを続け、第3者に必要事を主張する選手の育成の方が、よほど重要ではなかろうか。

 以上「8人制の積極採用」を行おうとした場合の現場での弊害を列記した。現場への落とし込みがいかに厄介なプロジェクトか、理解いただけただろうか。とは言え、「ダメだ、ダメだ」ばかりでは進歩もない。一連の矛盾を乗り越えて、理想に近づくべく、底辺は底辺で活動を推進するのが重要なのだろう。
posted by 武藤文雄 at 23:30| Comment(10) | TrackBack(0) | 底辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする