2007年01月13日

さらば友よ2

 今日は朝6時起きで少年団の大会。朝から会場準備、審判、コーチなどで慌しく過ごした。このような大会は年に数回あるので、特別な事ではない。しかし、今日の大会は私にとっては特別だった。何故ならば1年生の時からずっと指導を継続してきた坊主の同級生たちは早くも6年生、そしてその連中が小学生として戦う、最後の公式戦だったのだから。



 大会のレギュレーションの詳細はややこしいので省略するが、出場各チームが2試合を戦い勝ち点がよい上位2チームが決勝に進出する。初戦、我がクラブは常にライバルとして戦ってきた隣の学区のクラブと対戦。前半に、こぼれ球を拾われミドルシュートを決められ先制を許す。前半のうちに同点に追いつき、後半中盤を制覇して圧倒的に押し込み、幾度と無く決定機を掴むが、どうしても勝ち越し弾を決められない。逆に終了間際に、敵に決定機を許すなど冷や汗をかく場面もあり、1−1の引き分けに終わる。



 結果として、次の2試合目は何があっても勝たなければ決勝に出られない事になった。相手は隣町のスキルフルな選手を多数抱えるクラブ、これまた何度も戦った事のある敵だった。入場する彼らの後姿を見ながら何とも言えない思いにふけった。もしかしたら、この試合が彼らを指導する最後の試合になるかもしれない。最後にしたくはないのは当然だけれども、むしょうに寂しさがこみあげてきた。

 けれども、子ども達はコーチの不安を簡単に一掃してくれた。「勝たなければならない」我がクラブは、全員が厳しい状況をよく認識し、開始早々から全員がよく動き前線からプレスをかけて、ボールを奪うやひたむきに攻め込む。レベルは果てしないほど異なるが、その攻撃姿勢と意欲は78年のアルゼンチン代表チームを思い起こさせてくれる程だった。そして、開始5分で速攻から左右に揺さぶる分厚い攻めから先制。さらに10分には、FW2人が巧くパスをつなぎ敵DFを引きつけ、ボランチから長躯した坊主が完全に抜け出す。が、坊主は親譲りのボールコントロールの悪さから、シュート直前にボールを長く出し過ぎる。「ああ、決定機を逃した」とベンチでがっかりしていたら、敵DFが焦ったのだろうか、直後に坊主を後方から押し倒しPK。ラッキー。2−0で早々にリードし、そのまま押し切って決勝進出を決めた。



 そして決勝戦。今度は本当に彼らが戦ってくれる最後の公式戦。色々経緯は錯綜するが、敵の戦闘能力は今日の3試合では一番落ちる相手となった。この相手ならば、落ち着いて戦えばよほどの不運がなければやられない。この決勝戦での選手入場は、先程とは異なる思いを感じられた。ここまで残ってくれれば、寂しさではなく、何とも言えない喜びにふける事ができたのだ。「ああ、この子たちと6年間愉しく遊んで来られたのだな」と。

 試合前に子ども達は3つの事を伝えた。(1)相手より一歩でも早くボールに触れ(2)(いつも言っている事だが)急いで蹴らずに落ち着いてつなげ(3)敵陣に向かう体勢でボールをもらったならば自分がシュートを打つイメージを持て。

 子ども達は、この3つの指示をよく理解してくれて戦った。前半から圧倒的攻勢に立つものの、敵GKの好セーブをなかなか破れない。ここで坊主が再び機能する。ハーフウェイライン近傍からドリブルをスタート、2度ほどパスを出す振りをして敵DFを撹乱しそのまま強引に前進、敵DFは動き回る我がFWに引きずられ結果的に坊主の前にスペースが開く。坊主はそのまま前進し、落ち着いてボールを持ちかえシュート、が、そのシュートは完全に当たり損ねる。ところが、その当たり損ねが逆に幸いしてボールは敵ゴールに転々。勝てば官軍だな。以降も圧倒的に押し込む我がクラブ。後半に入り、分厚い攻めからから2点目。この得点を決めたのが、最近よく練習を頑張って頻繁に試合に出られるようになってきた5年生の公式戦初得点だっただけに、これまた本当に嬉しかった。この2点目で勝負あり。その後2点を追加し完勝した。



 決勝終了以降、喜びに湧く子ども達を見て、改めて何とも言えない感慨に浸ることができた。坊主が少年団に加入し、結果的に少年団のコーチを務める事になって6年間が経過した。そして、この子ども達と6年間、毎週末ボールを蹴って遊んできたのだ。

 私は、サッカーを講釈する事と応援する事に関しては世界中のどこの誰にも負けないつもりだ。しかし、サッカーを教える事については、まあ門前の小僧だな。でも、この6年間、拙いながらにも自分の全てを君達に伝授したつもりだ。そして、君達は皆成長し、ただのバカ餓鬼が、サッカー選手見習までにはなってくれた。、俺が君達にサッカーと言う麻薬の魅力のほんの1%しか教えられなかった事はよくわかっている。でも、君達はこの麻薬の魅力から離れられなくなりつつあるようだ。

 君達を直接指導する事ができる時間はもう後ほんの僅かだ。これからも、この世界最高の玩具を堪能して欲しい。そして、何年か経ち、一緒に酒精を飲めるようになった時、サッカー談義をしようではないか。今よりずっと大人になった君達に、俺は本当のサッカーの魅力と魔力を語る事ができるのだから。



 86年のキリンカップ。優勝したベルダー・ブレーメン。試合終了後、この日腕章を巻いていた奥寺康彦と監督のオットー・レーハーゲル氏の抱擁。試合後、レーハーゲル氏は語った。「奥寺とは5年間共に戦った。5年と言う月日は人生にとって、非常に長い年月だ。この長期間、奥寺と共に戦った事を誇りに思う」と。

 私も彼らに言いたい。「6年間と言う月日は人生にとって、非常に長い年月だ。この長期間、君達と毎週末ボールを蹴って遊んだ事を誇りに思う。」
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2006年12月03日

4級審判講習会2006(上)

 毎年恒例の4級審判更新講習会を受講してきた。先般、日本協会が審判登録をWEB化した事があり、少々審判資格認定の現場は混乱気味のようだった。

 まず更新講習会の申し込みがインタネット経由になった。ところが、当初申し込んでいた日に海外出張がずれ込み出席できなくなった。当然キャンセル手続はインタネットでできるのかと思い、海外から当該サイトにアクセスするがキャンセルの画面は見つからない。よくよく調べてみると、県協会宛にメールを発信して、キャンセル依頼を行うらしい。どうやら県協会の事務員の方が代行してキャンセル手続をして下さる仕組みらしい。

 まあ、いいだろう。とにかく別な日時を再びインタネットで予約、今日会場に向かったわけ。受付でパソコンを操作する女性の方に、審判証を提出するとバーコードスキャナで確認してくれて「武藤文雄さんですね」と確認される。「お、IT化されて格好いい」と思うと、おもむろに隣に座っているオジサンが、プリントアウトされている本日の受講者リストを一生懸命探してくれて、私の名前の所に赤鉛筆で丸印をつける(それも「あいうえお」順でないので、検索は大変そう)。それを80名の参加者全員に行う。

 さらに、レフェリーダイアリー(審判をした記録を書き込むノート、年間10試合以上審判をしないと、体力テストを受けなければならない)を渡すと、私の名前やバーコードの紐付けをするでもなく、他の人のレフェリーダイアリーと同じ箱に無造作に入れてしまう(これでダイアリーを開いて、中に入れた審判証で名前を調べないと誰のものかわからなくなってしまう)。つまりIT化最大のメリットの1つである検索の容易化は、現場では一切行われていない事がよくわかる。

 いつも更新講習会の内容は同じ。先生(1級審判員の方)の講義を聞き、ルールテストを受け、採点いただいている間に追加の講義があり、「はい、全員合格ですよ。」と言われて、更新手数料を支払っておしまい。それが今回からはWEB登録になり、支払い処理はオンラインになった。講習会で現金をハンドリングする必要がなくなったのは、現場の方々にとってはメリットだろう。ところが、その決済が開始できるまでに2週間ほどタイムラグがあると言うのだ。どうやら、今日の結果が書いた紙を、日本協会に送り別途インプットが完了した後に、支払い手続が可能になるらしい。「支払い手続画面で『まだ受付可能になっていない人』は、日をおいてアクセスして下さい」と、懇切丁寧に説明いただいた。

 さらにプリントが配られる。従来、県内の各地域ごとに各審判員は所属チームで紐付けがされていたので、各地域ごとに審判名簿を作る事が可能で、大会がある時にはその地域の代表の方に連絡すれば、審判を斡旋できる仕組みが出来上がっていた。ところが、WEB化したために、どの審判がどの地域の所属かどうかを把握できなくなったらしい。そのため、「個人情報提供に同意いただける方には『自己申告』でどの地域に属するか『書いて欲しい』」との事だった。



 はっきり言おう、これはイヤミだよ。

 IT化、それもWEBを利用したWEB化を適切にすれば、情報の共有による格段な利便化、無駄な工数の削減、第三者へのサービス拡大が図れるのは、どなたもご存知な事。しかし、上記の文章をお読みいただきたい。そのいずれもが実現できていない。少なくとも、私は今日の経験から判断するに、IT化のメリット享受は、ほとんど理解できなかった。決定的にシステムの要件定義が間違えているのだ。



 せっかく運動具メーカと酒精メーカが下さった大量のキャッシュを、ドブに捨てているのではないかと懸念するものである。もし、「いや、そうじゃない、日本協会の審判登録システムは『本当に素晴らしいシステム』なのだ、日本協会は上手にお金を使っているのだ」と言う方がいたら、是非反論をお寄せ下さい。その方が嬉しいのですし。
posted by 武藤文雄 at 23:44| Comment(5) | TrackBack(0) | 底辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月11日

勲章を目指して

 先日、日本サッカー協会から郵便が来ていた。私の過去の足跡を評価して、ワールドカップのチケットを送ってくれたのかと思ったが、もちろん違った。更新された審判証の送付が目的だった。ところが審判証と同封して緑色のカードが同封されていた。

 最初は、「何なんだこのカードは?」と考え込んだ。そして、日本協会の示している使い方を読んで絶句した。どうやら少年サッカーにおいて、以下の事態が発生した場合に使うものらしい。
(1)怪我をした選手への思いやり

(2)意図していないファウルプレーの際の謝罪や握手

(3)自己申告(ボールが境界線を出たとき:スローイン、CK 、GK 、ゴール)

(4)問題となる行動を起こしそうな味方選手を制止する行為

(5)チーム(オフィシャルを含む)が試合全体を通し、警告も退場も受けず、ポジティブな態度を示す。(レフェリーは試合終了の笛を吹く際に、チームベンチに向かってカードを提示する)
 とにかく、少年サッカーの現場で右往左往している身としては、非常に違和感を感じざるを得ないのだ。



 まず(1)。敵だろうが味方だろうが、負傷した仲間がいた場合、多くの子どもは心配そうに見守っている。もっとも、主審や周囲にアピールできる子はほとんどおらず、近くでオロオロするだけなのだが。それは思いやりがないからではなくて、どのようにアピールしてよいかわからないからだ。それで褒められたら、仲間が怪我したために褒められたと思って、子どもは困ってしまうのではないか。

 次に(2)。意図しなかったファウルをしてしまった時に謝罪するのも普通の光景。傷つけた敵選手に「ごめん」と言うのは多くの子がする態度だし、主審に「すみません」と謝るのも日常光景。ただ、主審に促されずに握手をするようになれば、美しいがファウルされた方は痛くてそれどころでないケースも多い。

 (3)の自己申告。これを実践する子どもは滅多にいない。グリーンカードをもらった子どもが、試合後にサポータである母親たちに叱られなければよいが。いや、グリーンカード欲しさに、マイボールなのに敵ボールと主張する子どもがいたりして。さらに蛇足を加えると、アルゼンチンやイタリアの指導者に、本件を尋ねた時の反応が知りたい。

 (4)は結構興味深い。これは結構少年サッカーでありがちなパタン。自分のレベルに着いていく事ができないチームメートをなじるエース格の子がよくいるのだ。そのような子どもを諌めた子どもは、なるほど大物だ。その子どもにグリーンカード。う〜ん。これは面白い...かもしれない。

 (5)についても考えてしまう。底辺レベルの少年大会では、警告も退場もないのが普通であり、その結果終了後に褒められたとしたら、子どもは相当戸惑うだろう。

 

 まあ何にせよ、主審に緑のカードをもらって褒められれば、子ども達はうれしいだろう。しかし、上記した通り、もしまともに運用すれば、毎試合グリーンカードの連発と言う事になり、感動も薄れていく。もっとも、カードの色こそ違え、我々審判たちは皆「柏原丈二感覚」を味わえるかもしれないが。

 いっそ、これを導入したいならば、逆に少年の大会ではなく、Jリーグで実行したらよいのではないか。ベガルタが負けている試合の終盤に、ベガルタの選手が「あ、私が出したので敵のボールです」と自己申告してグリーンカード。いくら「逆境を愉しむ事こそサポータ人生」とうそぶく私でも...

 いや、Jリーグの場合は逆か、赤も黄色も出さずに試合を終えた主審に、オシムのお爺ちゃんがグリーンカード。
posted by 武藤文雄 at 23:38| Comment(6) | TrackBack(1) | 底辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月05日

疲労困憊です

 今日は、終日少年団の新人戦への帯同があり、Jリーグどころでは無い1日だった。自チームのコーチのみならず、会場作り(水溜りの補修やライン引き)、審判など、「自分が他者のために役に立っている無償奉仕喜び」をたっぷり味わう事ができた。とは言え「Jリーグ?何それ?」と語れるくらい、子ども達の奮闘は愉しかった。でも、朝から1日肉体労働をしていたので疲労困憊。

 と言う事で、Jリーグについては試合結果とスポーツニュースのフォローのみ。 



 柳沢のハットトリック。2点目がよかった。小笠原の仕掛けから、全くフリーになったところで、実に冷静に流し込んだ。よい得点だった。ここ最近、「シュートの入らない柳沢」は、あのような場面で強くコースを狙ったシュートを打っては敵GKにぶつけたり、空振りをしていたのだから。

 しかし、あの2点目の場面は、柳沢が若い頃よく点を取っていた頃の冷静さを思い出させてくれた。これを継続してくれれば。 

 私の記憶が間違っていなければ、この素質豊かなフォワードプレイヤ(現状ではストライカと言えないのが悲しいのだが)は、2年間のイタリア滞在で1点も上げる事ができなかったはず。その柳沢が1試合で3点取ったのだから、めでたいと言えばこれほどめでたい事はあるまい。このままボコボコ柳沢が点を取り続けてくれれば、いやこの2点目のようなプレイを継続してくれれば、ドイツに向けてとても明るい事態となるではないか。皮肉を語る筋合いではないな。

 柳沢のみならず、久保(2得点)、寿人、巻と、代表のストライカが皆、得点を上げたのも結構な話題。もちろん、サンフレッチェやジェフのサポータたちからすれば、「エースが点を取ろうとも、負けたらツマラン」なのだろうけれど。

 そう言えば昨晩見たバイエルン−ハンブルガーSVで、高原がまた決定機を外していたのだが...いや待て、身勝手な代表サポータと言う立場からすれば、バイエルン相手に点を取るよりは、ボスニア・ヘルツェゴビナから点を取る方がずっといいから、文句を言う筋合いではないな。



 ところで余談です。

 明日(3月6日)発売のエル・ゴラッソに、BLOGとは異なる切り口の、J開幕に関する講釈を書いています。是非購入の上、お読みください。



 少年団の話に戻ります。

 決勝戦。1点リードされていた我がチーム。終了1分前、中盤のリーダが強引なドリブル突破から2人を抜き去り強シュート。敵キーパがファインセーブ、しかしボールはこぼれる。そこを忠実に詰めていた我が坊主。ゴール前1m、シュート。

 けれども枠を外れた。この馬鹿野郎。準優勝。

 でも皆よくやった。と言う事で今日は愉しい自棄酒さ。
posted by 武藤文雄 at 22:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 底辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月26日

テレビ購入

 大枚をはたいて32インチ液晶テレビを購入した。

 

 あれは中国のアジアカップ当時の事だから、早くも1年半が経った事になる。当時29インチのブラウン管テレビが突然寿命を迎え、急遽14インチの1万円テレビで、アジアカップ対応を行ってから。この14インチ君を購入した時点では、あくまでも「ショートリリーフ」のつもりだった。

 上記のエントリでも愚痴を述べたのだけれども、前々任者の29インチ君が私に見せてくれた最後の輝きは、あのアジアカップ初戦のオマーン戦のグダグダサッカーと中村の芸術的な得点。前任の14インチ君導入時点では、あのアジアカップがあそこまで実りあるものになるとは思いもしなかった。あのヨルダンとのPK戦の川口の精悍さ(と宮本の抗議と、今にも死んでしまいそうなジーコ氏の表情)。あのバーレーン戦の中澤の同点ゴール、玉田の決勝点、その後の七転八倒の守備、試合終了と同時に倒れこんで既に吊っていた足をケアする鈴木。無抵抗な弱者を弄んだ決勝戦。これらの試合を1万円の14インチ君が堪能させてくれた。そのためか、(新しい高額なテレビの購入を検討する事そのものが面倒くさかった事もあるが)妙な愛着がわいてきてズルズルと14インチ君を引っ張ってきた。

 

 さすがに妻も娘も坊主も「そろそろ大きくて新しいテレビが欲しい」とうるさくなってきた。と言う事で先週末に液晶32インチ君をついに導入したというわけ。

 いや、実際にハイビジョン放送を自宅で観ると凄いね。世界遺産とか、日曜美術館とか、世界動物紀行とか、そのようなハイビジョン番組の美しい事。これはいい(もっとも14インチブラウン管との落差に感動しているだけかもしれないが)。

 もちろんハイビジョンではないものの、サッカー番組もいい。ちょうどテレビが納品された日に観たのが、NHKBSがやっていたあの70年ブラジル代表の特別番組。この番組については、別途講釈を垂れるが、いやペレは当然として、リベリーノ、ジャイルジーニョ、トスタン、カルロス・アルベルト、クロドアウド、皆すごい。どうでもいいが、ジェルソンの頭の上がり方が、12年後のファルカンと同じなのには笑った。いや、その後方からの進出振りも、お2人とも凄いところも共通しているのですが。



 何はともあれ、私はこの液晶32インチ君の導入に関して勝利宣言を上げる。このドサクサに紛れて、とうとうCSのアンテナとチューナの購入許可を妻から取り付けたのだから。
posted by 武藤文雄 at 23:34| Comment(7) | TrackBack(0) | 底辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月19日

他人事ではない惨事

 京都で少年サッカーの審判をしていた方が熱中症で亡くなったと言う。何と言う事だ。あってはならない事故が起こってしまった。亡くなった方のご冥福を心から祈らせていただきたい。



 報道だけでは、今回の事故がどのような状況で発生したのかは推定できない。とは言え、真夏の猛暑の中、汗をかきながら審判をする身としては、とても他人事とは思えない。私のみならず、日本中の少年サッカーのコーチたちがそう思ったのではないか。

 多くの場合熱中症を引き起こすのは、体調があまり良くない状態で、水分補給を怠った場合だといわれる。現実に自分が審判をする時の事を考えてみても、結構そのような危ない状況はあり得る。

 少年サッカーでは、多くの大会は同一会場で何試合も行われるのが通例。そして、前の試合のコーチが審判を務めることが多い。そのような場合、しばしば自分の教えるチームの試合終了間際、バタバタと審判着に着替え、急いで集合し、落ち着かぬまま選手のメンバチェックや道具の確認を済ませる。そして、すぐに試合開始。すると、慌しさに押されて試合前の給水をうっかり忘れる事もある。

 子ども達の健康維持のために、猛暑の試合では試合途中に給水の時間を取る(20分ハーフで、前後半とも10分あたりに)のが通例。しかし、子ども達は給水しても、審判はそのまま待機する事が多く、水は飲まない事がしばしば。さらにハーフタイムも、自分用の水を準備する事はまれで、試合をしているチームが気を利かせて水を提供してくれないと、ここでも給水し損ねる事態が十分あり得る。

 結果的に1時間程度は、一切給水なしで、猛暑の中走り回るリスクがあるのだ。こう考えると、熱射病のリスクは随分高い。加えて、前日寝不足だったり、アルコールを取りすぎたりしていて、体調が悪い場合は、実に恐ろしい。



 当たり前の事だが、猛暑の中少年サッカーの審判を行う場合は、本当に気をつけなければならない事を、今回の惨事で改めて確認させられた。今後は、自分のみならず、お互いに声を掛け合う事で、自分周辺のリスクを減らしていく、いや無くして行く事が重要だと再認識。さらに、日本協会も今回の惨事の周辺調査をよく行い、再発防止のための的確な情報提示に努めていただきたい。



 そうは言っても、亡くなった方は帰って来ない。あまりにも残念。
posted by 武藤文雄 at 22:20| Comment(3) | TrackBack(1) | 底辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月05日

なぜマナマに行かなかったのか

 未明の快勝で日本中が安堵感に包まれていた昨日、ベガルタはホームで久々の快勝。ベガルタサポータが、「日本最高のスタジアム」で歓喜していた時に、私はどこにいたか。何と、同じ宮城県、「世界最低のスタジアム」とまで呼称されている、あの宮城スタジアムにいたのだ(あのトルコ戦以来の訪問となった訳)。



 実は母校のサッカー部の部長を長年務めてくださった教授の定年退官の祝賀パーティが行われ、その前座として昼間宮城スタジアムを借り切り、現役の学生、OB入り混じっての交換試合が行われたのだ(無論、前座の方が「本番」と言う風情があったのだが)。マナマ行きとの選択については正直迷ったのだが、あの宮城スタジアムでボールを蹴る事ができると言う魅力を優先させたと言う事(旧友との再会と言う肴で飲む酒の美味さはもちろんとして)。

 以前も述べたが、あのスタジアムは、年間維持費と使い勝手の酷さを考えると、「いつまでも存在する」とは思えない。その事を含めて「フィリップと別れた故郷のあの場所で、自分が蹴る」のは私にとってはとても重要な事だった。

 若者言葉でこのような選択をする輩は「ヘタレ」と言うらしいが、そうなんです、ヘタレサポータなのですよ。



 ともあれ、宮城スタジアム。

 あれだけでかい競技場でスタンドが無人だと、独特の雰囲気がある。数日後バンコクで行われる全くレベルの異なる試合の雰囲気を事前に味わえたと言う事か。

 芝生の状態も素晴らしかった、と思う。「思う」と言うのは、自分で蹴る事で芝生の状態云々を評価するほどのレベルにないから。Jリーガが蹴るのを「観れば」判断は簡単なのだけれども。もっとも、トップレベルの多くの競技場でゴール前などで見受けられる芝生が薄くなっている箇所が、皆無なのにはビックリ。ピッチのいずれの場所でも分厚く稠密な芝生が生えていた。少なくとも、30ウン年のサッカー人生でここまでギッシリした天然芝で試合をしたのは初めてだった。もっとも言い換えると「このピッチがほとんど使われていない」と言う事なのだが。

 無論、ピッチ上で行われた試合は、8日のバンコクでの無観客試合や3年前の同じ場所での雨中の苦杯とは、ほど遠いもの。現役や若手OBの試合はまあ同じスポーツと呼んでもよかろうが、我々のそれは全く異なる競技の感を呈する。トロトロとパスをつなぎ、タラタラと移動し、ヨレヨレと敵陣を目指す。とは言え、私よりも年長の先輩方(70代でも元気に動いている方もいたのだ)がまだまだ元気に蹴っている姿を見ると、自分も少しは節制して少しでも長く蹴りたいものだと思ったりして。



 連れて行った坊主も特別参加させてもらい、実に愉しい1日だった。未明の歓喜により、久々再会の第一声が、いずれも「いやあ、よかった、よかった」だった事を含めて。
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2005年05月15日

全日本少年サッカー大会予選2005年

 第29回を迎える伝統あふれるこの大会(前身の全国少年団大会をカウントすべしとの声もあろうが、そうなるとややこしくなるのでご容赦を)。私が参加するのは3回目だ。ただし、過去2回は、当時自分自身が常時指導しているのが4年生以下のカテゴリだったので、サポートの立場。しかし、今年は担当しているのが5、6年なので、直接指導している子ども達の試合なので、少し異なった気持ちで臨んだ。さらに言えば、自分の坊主も出場したのだから、ちょっと違う感慨も。



 昨日の試合で膝の痛みを訴えていた坊主だが、一晩明けたら無事直っていた。どうやら打撲だったらしい。また、足の不調を訴えていたエース君も、痛みが引いたとの事でやれやれ。と、思っていたらまたハプニング。GKが試合開始30分前に、持病の中耳炎を発病、耳に痛みが走ったとの事でギブアップ。再び、5,6年で11人体制の試合となってしまった。



 対戦相手がまた強かった。

 神奈川県の全出場チーム数は402。これを32ブロックに分けたトーナメントを行い、各ブロックを勝ち抜いたベスト32で中央大会が行われる。つまり今日は神奈川県中32の会場でそのような試合が行われた訳。そして、対戦相手はその会場を担当しているチームだった。会場運営を担当できるのは、組織力、歴史などがしっかりしたチーム。相当強いと予想していたが、その実力は予想以上だった。

 小柄ながら突破のドリブルに優れたCFの横に、俊足の両ウィングを並べ、技巧に長け運動量の多いゲームメーカが巧みに展開、大柄で強いストッパと主将を務める安定したスイーパが後方を固める。5年生主体の我がチームは、俊足のFW陣を追い掛け回すのが精一杯。地域の大会では5年生ながら守備の1対1が得意の我がチーム自慢のCBも再三振り切られる。さらに試合直前のGK交替の影響もあり、5−0の大差で完敗した。



 しかし、完敗したものの子ども達は本当によくやった。「抜かれても諦めずに身体を寄せろ」、「マイボールになったら、慌てずに敵をかわしてつなげ」と励まし続けると、皆が必死に戦ってくれた。序盤は振り切られっ放しだったDF陣も後半はついていけるようになった。我がCFは2人のDFに絡まれながらも、相当時間ボールキープで頑張り、その間に勇気を持って他の子は攻め上がる事もできるようになった。(ただの親バカだが)坊主は、格段に実力差がある敵ゲームメーカに何度もかわされながらも粘って付いて行き、さらにマイボールでは無い技術を駆使して必死にスクリーンしながらボールを散らした。後半はPKと直接FKの失点に押さえたのだから、合格点をやれる内容だった。

 試合終了後、子ども達は本当に悔しそうだった。6年生は3人とも地域では選抜候補に選ばれるほどの能力を持っているのだが、全県のレベルにはまだまだ大きな差がある事を改めて実感した模様。5年生たちは、あと1年で自分があそこまでのレベルまで上がれるのだろうかと強烈な体験になったようだ。

 感心したのは、今までだと負けた後でも「次に頑張れば勝てるんだい」と強がりを言っていた子ども達が、「相当練習しないと勝てない」と冷静に発言した事。こう言うところに子どもの成長を観察できるのだから少年サッカーの指導は面白い。
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2005年05月13日

さらば友よ

 この土日は少年団の試合がビッシリ。ところが、2日間とも中心選手の子が1人家族旅行で欠席、実はこれは大変な事態。と言うのは、先日来我がクラブは諸事情で3名の子が退団し、6年生、5年生合わせて13人しかいない状況。1人でも欠けると、試合をするのがやっとになってしまうのだ。



 3人の退団の経緯がなかなか興味深い。

 1人目。細身で小柄だが、とてもサッカーセンスのある子で、ボランチのポジションで敵からボールを奪取し、散らすのがとても巧かった。今まではフィジカルでやられる事が多かったが、技巧が相当のレベルになってきて、敵の猛チャージを見事にいなすなどできるようになっていた。ところが、お父上が昔相当のレベルで野球をしていたらしい。ここに来て本人に対して「何とか野球をしないか」との説得に成功したとの由で、野球に転向されてしまった。上級生になった以降、いや中学校に進んだ以降の完成を目指して育成したつもりだったのだが。くそぅ。でも、野球をすればしたで、かつての篠塚タイプの選手になるような雰囲気もあるな。

 2人目。少年団中でも相当足は速い方、瞬発力も優れているが、もう1つ伸びない子だった。練習中にしても、試合中にしても集中が続かない。特に練習で集中が続かないから、どうしても技術が身に着かない(そのあたりが指導サイドの力の無さと言う事なのだけれども)。さすがに4年生も後半となると、あまり上手で無かった子でも、スクリーンしてのキープやフリーな状態でのパスなどは、ほとんどできるようになっているのだが、その子だけは今一歩と言う状態だった。練習への取り組みに問題があるのは、他の子も理解しているので、試合でその子がミスをすると、他の子たちも容赦せずに叱責する。そう言った悪循環が続いていた子だった。本人なりに考えたらしく、「野球をやりたい」と言ってクラブを去った。確かに種目を変えて見るのは彼にとって有効な選択なのかもしれないが、やはり残念。



 そして一番ショックでもあり、一方で納得せざるを得なかったのが3人目。本blogにもかつて何度か登場したSあのSが辞めてしまったのだ!

 実はSは大変な鉄道マニア。試合会場のそばを鉄道が走っていると、本当に嬉しそうに「あ、○○系だ」と騒ぎ、夏休みの自由研究も骨太の鉄道の研究をしていた。何やらJRが主催している「鉄道少年団」なる団体があり、月に何度か週末に集まり、鉄道に試乗したり、駅の清掃活動をするらしい。そして、Sはそれへの参加、サッカー少年団との別れを決断したとの事。野球に負けると悔しいが、鉄道に負けるのは悔しいというよりは爽やかな敗北感を味わったりして。

 そして、こうなったからこそ一層、あのSの初ゴールは美しい思い出となった。



 数年間に渡り、週末を一緒に遊んできた友人達との別れは辛いものもある。彼らに幸多からん事を。と、気分はアラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンなのであった(古いか)。
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2005年05月06日

ベルマーレ親子サッカー教室

 一昨日のみちのく決戦当日、不良ベガルタサポータの私は何をしていたか。

 実は「ベルマーレ親子サッカー教室」に参加していたのです。
 この連休は、本業都合、経済面、子どもの学校行事、妻の仕事などの事情が錯綜し、遠出は不可能。その状況下で、坊主と遊べる貴重な機会だと考え、申し込みをしていたもの。プロの少年コーチの指導を勉強しながら、(ワールドカップの時にナイジェリア代表のキャンプ招聘のために準備された)芝生の状態が素晴らしいグラウンドで坊主と球蹴りを愉しむのも悪くないと考えていた。
 ところが、案内を見てビックリ、会場がいつもの芝生グラウンドではなく、平塚競技場横の広場だと言う。そこは一応芝生は植えられているが、あくまでも公園の一角、必ずしも平らでもない、所謂「ただの広場」。どうやら、その日の午後に行われるベルマーレ−ザスパへの宣伝も兼ねてのイベントなのか。観客動員の推進は素晴らしい事であり総論は大賛成、ただ芝生グラウンドでプレイできない失望と言う各論反対と言うワガママ。ちょっとガッカリしながら会場に向かった。

 ところがこのガッカリは大間違い。とんでもなく素晴らしいイベントだったのだ。何とベルマーレの選手達が大量に参加し、我々と一緒にミニサッカーをしてくれたのだ。午後の試合のメンバ外の12人が、たっぷり1時間我々に付き合ってくれた訳(普段のこの手のイベントは、育成部のコーチのみが対応してくれるのが通例)。

 私達親子は時崎選手と同じチームとなった。このファイトあふれる守備者は、なかなかの好漢で「私はどんな試合でも負けるのは嫌いです、頑張りましょう」と、リーダシップを取ってくれる。さらに時崎選手は、坊主のCKと、私の縦パスを、それぞれ手抜きなしの強烈なシュートを決めてくれた。親子そろってJリーガにアシストしたのだから、最高だよね。

 試合の合間には、時崎選手とじっくり会話までできた。結構ホンネを隠さない人なので、とても会話の内容は書けないけれど。イベント終了後、彼から私に近づいてきて握手、「今日は愉しかったです」と言ってもらえた。

 時崎選手以外にも、色々な人と会話できた。望月達也コーチ(昨シーズンには一時代理監督も務める)には「昨シーズンの監督時のサッカーはよかったですよね、反町さん(清水東の同級生)が、あれだけ頑張っているのだから期待しています」と余計な一言を。我々のグループの進行をしてくれたジュニアのコーチをしているチョウ・キジェ氏(かつて日立〜レイソルでプレイ)には「激しいプレイススタイルが好きだったんですよ」とヨイショ。

 でも一番嬉しかったのは、期待の若手、中町選手との会話。図々しい講釈師が直裁的に切り込んだ。
武藤「去年の天皇杯のアルビレックス戦は素晴らしかったですね。」
中町「ありがとうございます。自分でもよかったと思います。」
武藤「ワールドユースは残念でしたね。」
中町「ええ、でもオリンピック目指します。」
(ワールドユースって言っただけなのに、オリンピックと返答してきたのだ!!!)
武藤「大変失礼ですけれど、貴兄にとってこの1、2年は、本当に勝負ですよね。」
中町「わかっています。頑張ります。」
 よっしゃ、頑張れ!!!
posted by 武藤文雄 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 底辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする