日本協会が準備している少年指導ガイダンス各種が話題になった。
普段は偉そうに、日本協会批判をしている面々ではあるが、いざ指導の話になると、皆「学ぶ立場」。私を含めて、結構しおらしいもので、これらの文献は「(いささかキレイ事が多いきらいもあるが)丁寧に読むと、とても勉強になる。」と見解が一致した。各年代の子どもに対して、「このように指導しよう」、「ここまで教えよう」と言うのが、かなり具体的に説明されており、これらのガイダンスに従えば、それなりの少年指導は可能になるのだ。
しかし、一方で一連の映像教材については皆が疑問符を投げかけた。理由は簡単、映像に登場する少年たちが、あまりに巧すぎるのだ。例えば、ボールリフティング、映像に登場する少年たちの巧い事には感心する。比較対象として質が低過ぎるのは否定しないが、過去30年以上に渡るサッカー経験がある私よりも格段に上手な子ども達が、実に見事なボールリフティングをしてくれる。「上手な見本」として、子ども達に参考になる事は否定しない。しかし、現場で指導している立場からすれば。「こんなに上手な子ども達なら苦労しないよ」と言うのが、本音のところ。大体、ボールリフティングは、10回程度確実につけるようになるまでが大変なのだ。我が少年団の精鋭?の多くは、そこに至るまでに数ヶ月、いや下手すれば年単位の歳月を要している。
したがって、日本協会がもし映像教材を作ってくれるのならば、「巧緻性も敏捷性も平衡感覚も足りない子どもに対して、いかに短い期間でボール扱いを教えるかの実例」を望みたいのが、本音なのだ。「巧い子どものボール扱い」は指導の参考にはなり難いのだ。
と、盛り上がっているところで、我が少年団の代表の方(実に40年に渡り、少年サッカーの普及に努めている)が、ニヤリと笑ってコメントを下さった。
「皆さんの言っている事はわかるんですよ。でもねえ、『下手な子どもの実例』については、モデルが見つけられないのですよねえ」
全く、おっしゃる通り。「自分が映っている映像教材」で「下手な実例」と紹介されたりでもしたら、その子のサッカー人生はその瞬間に終わってしまう。
全く、世の中と言うものは難しいものだと、飲みながらも想った次第。