2004年03月08日

頂点監督批判者の底辺監督振り

 昨日は5チームで争われる地域の少年大会が行われた。私が担当するのは従来3、4年生だったが、今回は新人戦と言う事で、4年生は上級生チームに昇格し、2、3年生の担当となった。結論から言えば、昨年4年生が少なかったため試合経験が豊富な3年生が多い我がチームの優勝。

 「少年サッカーは勝つ事が目標ではない」ので日々目先の勝利を目指す指導はしていないつもりだが、「常に勝利を目指して創意工夫する」のはサッカーはもちろん、人生全てにおいてとても重要なはず。そう考えると、優勝した時の子供達の喜びを見るとやはり嬉しい。



 ただいつもいつもの悩みだが、できるだけ多くの子供に出場機会を与え、しかも勝利を目指す矛盾の解決は悩ましい問題だ。この日も3試合中、最初の2試合は全員を出しながら勝つ事に無事成功したが、最後の決勝は全員出場は叶わなかった。子供達も決勝だけはベストで戦いたいとの意思表示もあった事もある。しかし...

 Sは小柄でお世辞にも運動神経がいいとは言えないが、サッカーが大好きな明朗な子だ。少年団に加入した当初は、飛んでくるボールを逃げているような子だったが、最近は上級生のドリブルにも激しいタックルを見せるなど、ガッツあふれるプレイが持ち味。この日も最初の2試合ファイトを前面に出したプレイを見せてくれた。けれども、決勝はSを中々使う事ができなかった。Sの得意ポジションは右バックなのだが、敵の左ウィングが俊足巧技、正直言って足が速いとは言えないSを使ったら再三突破を許しそうだったから。試合がもつれているだけに、他のポジションでの起用もはばかられる。

 しかしSは粘る。前半最中から私の横に来て「ねえ、僕も試合出たいよ、出してよ。」さらにハーフタイムに交替と作戦を指示されるも、後半からの出場者に自分の名前がない。すると、私に対して「ねえ、どうして僕は出れないの?」と聞いてくるから辛い。フィールド内でも外でも、中々のファイタなのだ。

 試合終了まであと3分程度のところで、我がチームは3点差にする事に成功、私はSをフィールドに送り出した。Sは本当に嬉しそうに走り出した。優勝の瞬間、Sの飛び上がっての大喜び振りに私もやれやれ。

 ごめんよ、S。私も悩んでいるのだよ。

 

 選手から見たよい監督の条件とは「自分を使ってくれる事」だと言われる。いや、本当にその通りです。よくわかりました。頂点をからかうためにも、底辺の監督経験はとても重要だと改めて理解した。そして頂点でも底辺でも、勝利監督のコメントは決まっている。

「私は選手達を本当に誇りに思う。」

 みんな、本当にありがとう。私も嬉しかったよ。
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2004年02月28日

家族旅行

 仙台から両親が出てきて、家族で伊豆の温泉(会社の保養所)に来ている。
 保養所の庭で坊主とパターゴルフを行った。私は会社勤めの割には非常識人なので、一切ゴルフをしない事もあり、素人と子供のパターゴルフはおよそ緊張感のない遊びになってしまう。そのうち、2人ともつまらなくなって、足でパターゴルフを始めた。ところが、これが案外と面白い。
 最初はインサイドキックを使おうとした。ところが、あの小さなボールを正確に捉えるのはほとんど難しい。それで、結局トーキックを使う事になる。少しでもボールを蹴った事がある方ならばわかるだろうが、トーキックと言うのは、強いボールも蹴る事ができるし、ボールを蹴る前の立ち足の調整があまり必要ないので、とっさのプレイに非常に有効。もちろん正確さには課題が残るが、非常に実践的なキックだ。
 さてトーキックと言えば、一昨年のワールドカップ準決勝、ブラジル−トルコ戦につきる。ロナウドがカウンタアタックから(ブラジルから見て左サイドに)ドリブルで抜け出した場面。私は2つのオプションを想像した。ドリブルのコースから考えてロナウドはさらに前進し角度の無いところから(必ずしも得意ではない)左足で打つか、得意の右足で打つために切り替えるのか。ただし、いずれもこの日大当たりのGKリシュトゥを破るのは難しいように思えた。ところがその瞬間、ロナウドはドリブルの勢いを一切殺さずにトーキックでシュート。意表をつかれたリシュトゥは全く反応できず、ブラジルが決勝進出を決めた。トーキックと言う、言わば傍流の技術が、世界サッカーのトップで評価された、非常に示唆に富む場面だったと思う。
 とは言え、こちらは世界最高峰には及びもつかぬ底辺でのトーキック練習。幸い、パターゴルフでのトーキックは、全てセットプレイ状態なので、簡単な助走と足の振りの方向などは、かなり丁寧に確認できる。子供にとって、キックへのアプローチを丁寧にやらせる1つの練習法なのではないかと思った。ドリブルでもボールコントロールでもキックでもトラップでも、子供に教えていて一番の悩みは、一つ一つの技術練習を、飽きさせずにしかも丁寧にやらせるかどうか。こうやって練習方法(と言うか、練習の組立)を工夫していこう。

 全くの余談。伊豆には「ぐらんぱる公園」と言う、ちょっとした遊園地がある。しかし妻が何回直しても、坊主は「ぐらんぱす公園」としか呼ばない。もちろん、私が誘導したわけではありません。いや、ただそれだけ。
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2003年12月11日

子は親の鏡

 愚息の振る舞いを見ていると、身につまされる事が多い。
 これには2つの側面がある。1つは血統的なもの。妙に理屈っぽいとか、叱られるのが判っていてもいたずらするとか、すぐに周りから笑いを取ろうとするとか、基本的な性格が鏡を映しているように似ていると言う側面。愚息が馬鹿をして、叱る時など、「ああ子供の時(いや、今でも)自分は周りからこう見られていた(いる)のか」と、自己嫌悪に陥る。
 もう1つの側面は、親が提供している環境的なもの。親の振る舞いを想像以上に子供は見ていて、真似をするものだ。特にその振る舞いが劇的だと、子供への影響は甚大である。

 と言う事で、昨晩の日韓戦のような「血沸き肉踊る」試合を愚息と一緒に観戦すると、当方の愚かなる言動を当然ながら、真似されてしまう。帰りの電車の中で、愚息は「大久保許せないよね、死んでしまえばいいのに」などと平気な顔をして言うのだ。当方は「『人に死ね』などとは言うもんじゃない」と叱るが、あまりに説得力がない。試合中に「死んでしまえ!」「この馬鹿たれ」「2度と俺の前に顔見せるな」などと、あらん限りの声で父親が絶叫しているからだ(余談ながら、昨晩は我々の目の前で韓国から来たとおぼしき赤い集団が応援していたが、私の歌や野次をあきれて見ていた)。
 不思議な事に真似されるのは否定的な絶叫ばかり。肯定的なものは、不思議に真似しない。つまり「アレック!いい加減に真面目に守らんかい」、「アレック、もういい、お前は悪くない、使うジーコが悪い」のようなヤツは結構真似するが、「お〜、そこを通すか、小笠原ぁぁ〜〜」とか「よっしゃ、久保ぉぉぉ〜」などのようなのは覚えないのだ。
 まあいいや。かくして、しょうもない子供が育つのだろう。親の責任である。
 
 先日、愚息の試合で。敵チームの子がラフプレイで警告を食らった。すると、愚息が「や〜い、ざま見ろ」と言った。審判が苦笑いして「そんな事はいうものじゃない」と言っていたが、愚息は「どうしていけないのだ」と言う表情をしていた。ベンチで指揮をとる監督兼父親が、トップレベルのサッカーを見に行く度に、その種の態度を取り、その種の野次を飛ばすのだから、「いけない事だ」とは思える訳はないな。
 でも、不満そうな表情はしたが、不満は口にしなかった。これは教育の成果だ。審判には絶対文句言ってはいけない事も、日頃の親子観戦で学習しているからだろう。小3の愚息は大久保を越えているのである。
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2003年11月02日

少年団あれこれ

 秋の少年団シーズンが継続している。地域には5つのチームがあり総当りのリーグ戦を行っている。私は、4年チーム、3年チームのコーチ(実質的監督)を担当している。
 昨日は3年チーム、4年チームともに、リーグ最終戦があったのだが、結構愉しい事態が多数出来した。

1.リーグ優勝を自ら逸する
 自分のチームの試合の合間は、他のチームの試合の審判をする。この日、私が笛を吹いた試合は、4−0。神経を使ったのは、前半、後半とも終了間際ギリギリに好機が訪れ、タイムアップにするか攻撃を継続させるかを迷った事。よい攻撃が継続していた事もあり、私は終了の笛を吹かず、結果的には前後半いずれもロスタイムに入ったあたりで得点が決まった。
 さてこの試合で、3年リーグは全日程を終了。成績を取りまとめて見ると、我がチームは3勝1分けで終了。一方、私が審判した試合で4−0で勝ったチームも、3勝1分け、勝ち点で並んだ。当該成績は当然引き分けで、後は得失点差の計算。何と、我がチームは1差で2位になってしまった。つまり、私が「ロスタイムを取らず、あの2点が入ってなければ」我がチームが優勝した事になるではないか。
 いや、長いサッカー人生こう言うこともあるのだなと思った次第。もっとも、前後半共にプレイを継続させた事の判断は何ら間違ってなかったと思っているので、後悔は全くないけれど。

2.エース対決
 4年リーグの最終戦は、今まで1度も勝っていない強豪(6月22日の日記でPK負け)との直接対決。勝った方が優勝するが、引き分けでは当方はダメ。先方はパスワークから両翼攻撃を狙うよく組織化させたチーム。一方、当方の攻撃は単身ドリブルの横に味方がフォローする、よく言えばアルゼンチン、悪く言えば原始的なサッカー。何となくご理解いただけると思うが、私としては3,4年生のチームだけに、あまり色々な事は教えずに、ボール扱いと瞬時の判断能力を高めて欲しいと思っているので、どうしてもこのようなサッカーになる(いや、気の利いた事を教える能力もないのですが)。
 選手たちはよく戦ってくれた。何回かの決定的ピンチを防いだ後は、互角の展開。そして前半終了間際、見事に先制する。左からのクロスが右に流れ、俊足の右ウィングがよくボールを追い右サイドでキープ後、後方から進出してきたエースのMFにパス、エースが強烈なシュートを決めた。
 後半敵が必死に攻め込むが、「外からの攻め」にこだわり、一番怖い中央突破がないため、当方の両サイドバックが粘る事で、決定機を作らせない。しかし、何とか逃げ切れそうになった終盤、敵のMFのエースが、見事な技巧を発揮して同点ゴールを決め、そのまま終了。4年も優勝を逸する事になった。

 結果として、両チームのエースが1点ずつを決めた引き分けとなった。私としては教え子の強烈なシュートももちろん嬉しかったが、敵のエースの一発にも快感を感じた。彼はそれまで(おそらくコーチの指導を守ってだろう)せっかくフリーでボールを受けても両翼に機械的に展開していた。しかし、試合終了間際、どうしても勝ちたかったのだろう、この日初めて強引な中央突破を狙い、それを成就させた。あの子のサッカー人生にとって、昨日のゴールはとても大きいものになるのではないか。
 しかも、エース同士がお互いを相当意識した言動をしているのが、また愉しかった。どっちも頑張れ!
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2003年09月07日

少年団、秋のシーズン開幕

 愚息の少年団の秋のリーグ戦が始まった。

 子供達の成長を見るのは実に愉しい。私が担当している3,4年チームは4年生の数が少なく、チームのほとんどが愚息を含めた3年生。その3年生たちの半分くらいは、春の試合では試合に出してもフィールドに立っているのが精一杯と言う状態だった。ところが、夏の練習を経て成長したそのような子供達が、まがりなりにも自分のそばに来たボールをトラップして蹴り返す事ができるようになってきた。これは本当に嬉しい。



 少年の指導をしていて一番悩むのは、各種の指導書と現場の落差だ。例えばリフティング、小学校3年生の子供にとって数回継続するのが最大の山場なのである。ところが、書物によると子供がすぐ数十回できて当然と言う書き方になる。しかし現実は厳しく、できない子は全くできない。当方が指導できる事は「肩の力を抜け、ボールをよく見ろ、胸の高さくらいに蹴り上げろ、集中しろ」などと言いながら励ます事くらい。自分がようやく高校時代(笑)にリフティングを数十回できるようになった時のコツの記憶なんてないし(笑)。

 次に厄介なのは個人差。リフティングを例にすると、数回できるようになった子はすぐに10回以上つけるようになるので、できない子との差はドンドン開く。当然ながら餓鬼どもと言うのは皆バカだから、できる子はできない子をバカにする。



 まあ、そうやって悩みながら、愚息を含めたバカ餓鬼たちとサッカーを通じて遊ぶのは実に愉しい。リフティングもままならない子供が、まがりなりにも試合で「止めて蹴る」ができるようになれば、本当に嬉しいよ。さらに、時に思い出したようにフェイントで敵を抜いてくれれば感動的。たとえ、それが自ゴール前でも。



 ついでに余談。4年生のエース格のドリブル上手な子(私からすれば手塩にかけて育てている子だな)を、5,6年チームの試合に抜擢起用する事になった。後半、半ば過ぎにその子が起用された。すると、サポータたち(お母さんたち)もわかっていて、俄然盛り上がった。日本代表の試合で期待の若手(例えば最近で言えば大久保)が起用された時と同じだな、これは。
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2003年08月31日

高いレベルの試合の審判

 この週末は多忙だった。Jリーグはあるは、海外リーグも軒並み始まるは、海外リーグに多数日本のスターは登場するは、少年団のコーチはあるは、世界陸上はあるは、小学校の夏休みの宿題をやらなければならないは手伝わなければならないは。しかし、最も非日常的活動は、通常の年齢層(20代の選手がプレイする)の公式戦の副審を久々に務めた事だった。

 数ヶ月前に、4級審判員の資格を(20年振りに)取得した事は、2月9日の日記で講釈を垂れた。その後、様々な審判を務めたが、小中学校なり四十雀の試合ばかり、つまり通常の年齢層の審判は務めていなかった。諸事情あって、某市の市民大会で旗を振る事になった次第。今日の試合は(プレイした選手には失礼だが)トップレベルにはほど遠いが、コンスタントに練習を積みそれなりに真面目にサッカーに取り組んでいるレベルと見た。思うにこのようなレベルの審判をしたのは、(当時は無資格だったが)自分が20代の頃以来だろう。

 試合前は、脚力のある若者についていけるか、非常に心配だった。しかし、始まってみると案外と対応できた。その理由は、今日担当した試合のようにある程度試合のレベルが高いと、試合の流れが読みやすいためだった。MFやサイドバックがフリーになって、パスを出そうとすれば、よい展開が期待できる。逆にプレスがかかって無理な体勢からのパスは通らないだろうと予想可能。これがレベルの低い試合になると、偶然のパスが通ったりするので、読みづらく、審判としても体力を浪費してしまう。また試合が進むにつて、個々の選手の特徴がわかってくれば、より読みが当たるようになったのは言うまでも無い。



 まあ、考えてみれば、審判にせよ、観戦にせよ、同じと言う事か。いずれの場合も、選手たちとの無言の会話を行っているのだろう。おっと違った、観戦の時は応援し誹謗し激励するな(別にそれにより状況が変わる訳ではないが)。審判の時こそは無言だ。
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2003年08月09日

底辺における審判問題

 今日は、地域の少年団同士の大会運営の打ち合わせがあった。通常は、他の方が出席するのだが、諸事情あり(私としては初めて)代理で出席したもの。各種大会の組み合わせとか、日程調整などの打ち合わせが行われた。



 その会合でなかなか興味深い議論が行われた。今まで我が地域では、5,6年の高学年、3、4年の低学年のリーグ戦を準備していた。しかし、昨年のワールドカップの効果か、各チームとも3年生以下の下級生の子供が増えている。そこで、従来のリーグ戦とは別に、3年生のリーグ戦を増強していくところまでは意見が一致した。小さい子供に公式戦は不要と言う考えもあろうが、子供達にとっては公式な試合があれば格段にモチベーションは高まる。

 ところがここで問題になってきたのは、審判の数だ。各チームとも数名の審判(多くは私のように、コーチ兼父親なのだが)を抱えているが、公式戦の数を増やすと、その実数が不足してくる。では、各チームの子供の父親に依頼して審判をしてもらう(できれば4級審判の資格を取ってもらう)といいのではないかと思うが、結構審判技術について、負けたチームの父兄からのクレームが多いので、ついつい二の足を踏んでしまうと言うのだ。

 たしかに底辺レベルの草サッカーにおいても、審判の技術は大変な問題だ。私がプレイする四十雀のサッカーでさえ、まともに守備ラインを追いかけない副審がいると、試合は大変つまらないものになってしまう事がある。また坊主がプレイする子供のサッカーでも、ラフプレイを取らなかったり、副審が旗を上げているにも関わらず気付かない主審が笛を吹くと、子供たちに説明ができなくなってしまう事もある。

 さらに愕然とするのは、JリーグのジュニアチームのWEBサイトを覗くと、父兄が強硬な審判批判を平気で行っていたりする事だ。三十年以上子供の指導をしている友人は、そのような父兄には、「そんなに不満があるならば、お前が笛を吹け」とはっきりと言うらしい。しかし、凡人はなかなかそのような度胸はないものだ。



 こう考えてみると、底辺レベルの審判問題は以外に深刻なものがある。1人でも多くの人がサッカーを愉しむためには、質の高い審判が必要なのだが、現状は非常に厳しいものがあるのだ。

 具体的な対策は、すぐには思いつかない。少なくとも私にできる事は、少年団でも四十雀でも、真面目に笛を吹き旗を振る事くらい。
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2003年06月22日

遠くの日本代表より、近くの少年団

 コロンビア戦を前に、色々と語りたい事はあるのだが、今日は日本サッカーの頂点とは正反対の底辺行事−坊主のいるチームの地区対抗カップ戦−について。

 大会のレギュレーションが非常にややこしいので割愛するが、とにかく予選グループで2試合行い、その成績がよい2チームが決勝進出できる。決勝で勝って優勝すると、県の地域大会への参加権を獲得できる。今日の我がチームの参加者は3,4年生で22人。予選グループの2試合では、全員を少なくとも、1試合の半分は出場させつつも、勝利を目指すと言う、いつもいつも難しい要求をクリア、2連勝で決勝進出に成功した。

 決勝戦の相手は、先日来、何回か試合をしているが、毎回のように負けている強豪チーム。小学校中学年ながら、技巧的で周りがよく見えるMF2人を軸に、両翼から攻め込むのが特色。この決勝戦、子ども達もどうしても勝ちたいと盛り上がる。私もコーチとしての僅かながらの意地がある。普段から何も教えないコーチだが、若干守備的に戦う術を子ども達に教授して試合に臨んだ。

 子ども達は本当によくやった。序盤に不運なハンドを取られたPKを、GKがよく防いだのが皮切り。終始、押されていた展開だったが、とにかくよくゴール前で粘った。しかも、嬉しかったのは20分ハーフの短い試合時間が進むにつれ、1人1人がカバーリングの感覚を身につけてくれた事。お互いが声を掛け合い、「俺はこっちだ、お前はあっちだ」と、ちゃんと守るのだ。さらに前線に残っている俊足のドリブラを使って再三逆襲速攻。速攻をかける度に、3試合目で疲れ切った身体に全員が鞭打って押し上げる。終盤には何回かチャンスをつかみ、1度は我がFWのシュートがポストに当たる決定機。

 試合は両チーム攻め切れず、0−0のままPK合戦にもつれ込む。PK合戦がまた凄絶な戦いになった。5人ずつが蹴って4−4のサドンデス。6人目の愚息のキックは正視に耐えなかったが、ちゃんと決めてくれた。その後もサドンデスは継続。後蹴の我がチームの8人目が失敗して、勝負はついた。敗れた子ども達はしばらく動けなかった。

 サッカーは子どもを大人にすると言う。今日の試合を通じて、改めてこの格言を確信した。少なくとも、今日戦い抜いた両チームの子ども達は、男に向かって間違いなく成長した。おっと失礼、敵チームには女の子が1人いた。右サイドバックの彼女は終盤の我がチームの執拗な左からの攻めを、巧みに止めた。彼女にとっては淑女への一歩。
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2003年05月26日

坊主の初ゴール

 ただの親馬鹿ネタです。

 

 坊主が昨日、対外試合で初めて得点した。エースの1年上の子が、ドリブルでDFラインを突破しようとたが、ボールコントロールにミス、後方からフォローしていた坊主がそのボールを拾ってドリブルすると、DFラインの裏に抜け出すのに成功、GKと1対1になり、落ち着いてシュートを決めた。

 ベンチでコーチをしているために、立場上そうは大喜びできないが、やはり嬉しかった。ちなみに観戦に来ていたおばあちゃんは、大喜びだったが。

 坊主に限らず、子ども達の成長振りは本当に面白い。中でも、1人1人が、得意技が異なるのが興味深い。後方からのボールを受けて前を向くのが巧い子、敵の攻撃を読むのが巧い子、敵の裏をつくドリブルの巧い子、体格のよさを活かしてボールを持ち出すのが巧い子、下手だがよく動きよくボールに絡む子。

 また吸収の早さも子どもの特長だろう。足は速いがボール扱いがまだ未熟な子に、「敵に当たる時顔を背けるな、真正面から当たれ」と指示した。すると、その子はボールをよく見るようになり、相手に抜かれないだけでなく、キックも正確になった。

 なるほど、子どもの指導と言うものは面白い。自らのサッカー観を広げるのにも役に立つ。

 

 全然関係ない話、試合の前日、TVでベガルタ−アントラーズを見ていたとき。柳沢がフリーでシュートを打ち例によって枠を外す、私が悲鳴を上げた後「よしっ」と声を上げる。横で見ていた坊主が一言「僕と同じだね、簡単なシュートを外すね」。おい柳沢、坊主は決めたぞ、お前も頑張れ。



<岩手県、宮城県の地震について>

 ご承知のように本日18時半頃、我が故郷の宮城県および岩手県が、大きな地震に襲われました。何人かの方からお見舞いの連絡を受けましたが、私の両親を含む親類縁者は皆無事です。どうもありがとうございました。仙台の大地震と言うと、25年前私が高校3年の時(全然関係ないですが、ちょうどアルゼンチンワールドカップの真っ最中)。本当に恐ろしかった記憶があります。被害が最小限に留まる事を祈るのみです。
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2003年05月11日

全日本少年サッカー大会予選

 コーチを務めている少年団チームが、第27回全日本少年サッカー大会の予選に参加した。私はコーチとしてベンチに入るだけでなく、他のチーム同士の試合の副審も行った。言ってみれば、私は齢42にして、初めてこの盛大な大会に参加したわけだ(まさに絵に描いたような完璧な底辺ではあるが)。

 この大会は、77年から始まった大会で、前身だった全日本少年団大会を拡大する形態で始まったはず。第1回の優勝は清水FC。評価、批判双方が議論されるいわゆる選抜フットボールクラブの走りでもあり、またサッカーどころ清水の栄光のはしりでもあった(「エスパルスとJリーグ」をお読み下さい)。第1回の清水FCには大榎、長谷川健太がいたはず(同年の堀池はこの時まだ「選抜」されていなかったと言うエピソードを聞いた事があるが、資料がなく断定できない)。大榎ら以降も、この大会を経験した名選手は列記できないほどだ。一方で、「この年代には勝ちにこだわる事になるトーナメント形式の全国大会は必要ない」と言う批判は77年当初から大きかった。しかし、歴史にやり直しが効かない以上は、この少年大会が無かったときの事を試す訳にはいかない。このいかにも日本らしい壮大な全国大会が、少年サッカー人口を増やす一助になった事を考えれば、日本サッカーにとって非常に貴重な大会と考えていいように思える。

 さすが、全国大会予選であり、今日の末端の試合にまでプロのカメラマンが来ており、写真を撮っていた(後日これらの写真がチームに送られてきて、購入を勧められる仕組み)。それはそれで子ども達のよい記念になるだろう。しかし、そのような商業主義を取り込むならば、この日配布されたプログラムに、この大会出身の名選手のメッセージを載せて欲しいと思ったのは、私だけだろうか。また、出場選手全名鑑などは作れないだろうか。この壮大な大会に出場する数万人のうち、数十人近くはJリーガ、あるいはそれに準ずるランクまで行くのだろう。さらに数人はA代表に引っ掛かるだろう。そうすれば、子ども達はウン十年後に飲みながら友人に自慢できる。「俺はあの代表選手と同じ大会に出たんだぜ」。高校時代のそのような思い出を、今でも自慢をしている男が言うのだから間違いない。そして、そのウン十年後の自慢話こそ、この大会の最大成果ではなかろうか。



 盛夏の全国大会に出場するためには、10試合近く試合を勝ち抜かなければならないが、我がチームはあえなく1回戦で敗退。私の全日本少年サッカー大会経験は1日で終わった。しかし、副審の謝礼金¥300(帰りに先輩の応援に同行した坊主の飲み物代に消えた)以上の経験ができた一日だった。
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