2004年05月16日

全日本少年サッカー大会予選2004年

 毎年盛夏に行われる全日本少年サッカー大会。

 我が少年団は、今日その県大会予選に出場した。私がこの予選に帯同したのは昨年に続き2度目。今年は今年で、様々な新しい経験を積む事ができた。



 この日対戦したチームは、県下屈指の強豪チーム。かなり高いレベルにも出身選手を提供しているチームで、当方の選手たちは一生懸命頑張ったが、大差で敗れた。結果は仕方がない。何より子供たちがトップレベルを肌で感じる事ができただけでも、有効だった。この強敵と戦う事ができたくじ運に感謝したい。

 私としても、トップレベルの小学生チームと言うモノを、じっくりと観察する事ができたのは得難い経験。なるほど皆巧い。そして、1人1人が皆個性的だ。技巧とスピードでウラを取るのが巧い選手、あまり持たずにさばく選手、やや太めだがキックが強く正確な選手、後方から空いたスペースを見つけて高速前進する選手。なるほど、レベルの高いチームは見事な指導をするものだ、と素直に感心した。

 今日お手合わせいただいた子が、将来トッププレイヤにでもなってくれれば、酒の肴としては最高、ちょっと気にしてフォローして言ってみよう(笑)。



 自分のチームが絡まない試合の副審をしたのだが、その試合の主審をされた方は2級審判員。いや、見事なレフェリングだった。笛の吹き方、ハッキリとしたアクション、本当に勉強になった。ハーフタイムでの当方への助言なども適切。審判同士も選手同士と同じで、的確なコミュニケーションが重要なのだ。

 さらに面白かったのは、優れた主審のコントロール下で副審をすると、自分も巧く旗を触れる事。我ながら、とかく判断の難しい「戻りオフサイド」などを、適切に判定する事ができたと満足している次第。



 そして、この日の悪天候。通常、少年の試合は雨などの悪天候の場合中止し、別な日に延期するのだが、今日の試合は全国大会に向けて(全国大会に出るまでには、8勝または9勝が必要と言う、過酷なトーナメントが続くのだ)のものだけに、延期したくても日程や会場の問題があり、そう簡単に決断できない事情がある。この日の会場当番チームの方に伺ったが、他の試合との兼ね合いで「延期は事実上困難」と言う状況だったとの事。幸いに水はけのよいグラウンドで、何とか試合はできたのでやれやれ。しかし、このような悪天候下では試合前後に子供たちを濡らさないようにするだけでも、神経を使う。また、交通事情により電車で会場へ往復したのだが、雨の中で更衣する環境だけに、帰りは泥だらけの服で電車に乗らざるを得ない子供も出てしまった。

 適切な解決策などはないし、現場の我々が何とか運用でカバーするしかない事柄。結局、神様にお祈りして雨を止めてもらうしかないのか。
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2004年04月11日

今期初得点

 サガン3−0ベガルタ。

 実は今節は映像を見る算段がない。各種のWEBサイトを見る限り、まごう事なき完敗だったようだが。とりあえず、今日のところは現実逃避と行く事にしよう。それにしても、前節、前々節の、何とか組織的に近づいてきた守備ラインはどうなってしまったのか、と言うより、圧倒的に中盤を支配されたようだが、何がどうなってしまったのか。次節は大宮でのアルディージャ戦、う〜ん、距離的には比較的行きやすい場所だが、少年団の都合もあり行かないつもりだったのだが、ここまで悲惨なチーム状態を見ると、俺が直接応援しないとまずいか....エーイ、とにかく今日は現実逃避だ。



 雲上のJ1について2点。

 グランパスに移籍した大野がいかにも彼らしいラストパスを通した事は嬉しかった。この選手のパスの精度とタイミングは相当なものがあるが、前後の世代に中田、中村、小野、小笠原と、創造的なパスの名手が多数いるために、その存在意義が軽視されてしまっている。この日の活躍で定着すればよいのだが。

 前節絶賛した原氏の跳躍を今節は見る事ができなかった。その最大要因は原氏の采配にあると見た。終盤、前節のヒーロー馬場を投入した際に、石川を外した事だ。この交替直前、石川の高速ドリブルと鋭角に身体を曲げるセンタリングは、再三決定機を作っていた。エスパルスはこれで楽になったのではないか。



 と言う事で一気に話題を底辺に。今日は私のプレイしているチームのリーグ初戦。

 私のチームは神奈川県四十雀リーグに加入している。その四十雀には4部までリーグ戦がある。それぞれに約10チームがあり、25人程度選手登録してあるとすると、神奈川県内の40歳以上の約1000人のおじさんが定期的にサッカーを愉しもうとしている訳だ。さらに言うと五十雀リーグにも10チームある。考えてみると、この事は大変すごい事ではないか。そして、キャプテン翼世代である今の30代の人々が参入してくる近い将来は、もっと中年サッカーの競技人口は増えてくる事だろう。

 過去の常識では、40過ぎた中年のスポーツは、ゴルフ、テニス、水泳、ジョギングなど、激しい肉体接触がないものが主流。しかし、ここに来てサッカーの「全世代化」がますます推進されようとしているのだ。この「全世代化」は、我が国がサッカー強国になるために絶対に必要な事だと思う。

 

 さて試合だが、私がマークした選手は「お前、本当に40過ぎか」と言いたくなるような、大柄、頑健で足の速い選手だった。しかも、本質には何ら関係ないが、顔が秋田に似ている。肉体能力ではとても勝ち目のない難敵に、当方は謀略の限りを尽くしてマークする事になった。ちょっと手で進行方向を押さえると、睨むんだよね秋田が、ちょっと怖かった。試合結果は1−1で引き分け。押され気味だっただけに悪くない結果だった。

 なお、私は見事な得点を決めた。ただし自陣に向けてだっただが(泣)。
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2004年03月08日

頂点監督批判者の底辺監督振り

 昨日は5チームで争われる地域の少年大会が行われた。私が担当するのは従来3、4年生だったが、今回は新人戦と言う事で、4年生は上級生チームに昇格し、2、3年生の担当となった。結論から言えば、昨年4年生が少なかったため試合経験が豊富な3年生が多い我がチームの優勝。

 「少年サッカーは勝つ事が目標ではない」ので日々目先の勝利を目指す指導はしていないつもりだが、「常に勝利を目指して創意工夫する」のはサッカーはもちろん、人生全てにおいてとても重要なはず。そう考えると、優勝した時の子供達の喜びを見るとやはり嬉しい。



 ただいつもいつもの悩みだが、できるだけ多くの子供に出場機会を与え、しかも勝利を目指す矛盾の解決は悩ましい問題だ。この日も3試合中、最初の2試合は全員を出しながら勝つ事に無事成功したが、最後の決勝は全員出場は叶わなかった。子供達も決勝だけはベストで戦いたいとの意思表示もあった事もある。しかし...

 Sは小柄でお世辞にも運動神経がいいとは言えないが、サッカーが大好きな明朗な子だ。少年団に加入した当初は、飛んでくるボールを逃げているような子だったが、最近は上級生のドリブルにも激しいタックルを見せるなど、ガッツあふれるプレイが持ち味。この日も最初の2試合ファイトを前面に出したプレイを見せてくれた。けれども、決勝はSを中々使う事ができなかった。Sの得意ポジションは右バックなのだが、敵の左ウィングが俊足巧技、正直言って足が速いとは言えないSを使ったら再三突破を許しそうだったから。試合がもつれているだけに、他のポジションでの起用もはばかられる。

 しかしSは粘る。前半最中から私の横に来て「ねえ、僕も試合出たいよ、出してよ。」さらにハーフタイムに交替と作戦を指示されるも、後半からの出場者に自分の名前がない。すると、私に対して「ねえ、どうして僕は出れないの?」と聞いてくるから辛い。フィールド内でも外でも、中々のファイタなのだ。

 試合終了まであと3分程度のところで、我がチームは3点差にする事に成功、私はSをフィールドに送り出した。Sは本当に嬉しそうに走り出した。優勝の瞬間、Sの飛び上がっての大喜び振りに私もやれやれ。

 ごめんよ、S。私も悩んでいるのだよ。

 

 選手から見たよい監督の条件とは「自分を使ってくれる事」だと言われる。いや、本当にその通りです。よくわかりました。頂点をからかうためにも、底辺の監督経験はとても重要だと改めて理解した。そして頂点でも底辺でも、勝利監督のコメントは決まっている。

「私は選手達を本当に誇りに思う。」

 みんな、本当にありがとう。私も嬉しかったよ。
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2004年02月28日

家族旅行

 仙台から両親が出てきて、家族で伊豆の温泉(会社の保養所)に来ている。
 保養所の庭で坊主とパターゴルフを行った。私は会社勤めの割には非常識人なので、一切ゴルフをしない事もあり、素人と子供のパターゴルフはおよそ緊張感のない遊びになってしまう。そのうち、2人ともつまらなくなって、足でパターゴルフを始めた。ところが、これが案外と面白い。
 最初はインサイドキックを使おうとした。ところが、あの小さなボールを正確に捉えるのはほとんど難しい。それで、結局トーキックを使う事になる。少しでもボールを蹴った事がある方ならばわかるだろうが、トーキックと言うのは、強いボールも蹴る事ができるし、ボールを蹴る前の立ち足の調整があまり必要ないので、とっさのプレイに非常に有効。もちろん正確さには課題が残るが、非常に実践的なキックだ。
 さてトーキックと言えば、一昨年のワールドカップ準決勝、ブラジル−トルコ戦につきる。ロナウドがカウンタアタックから(ブラジルから見て左サイドに)ドリブルで抜け出した場面。私は2つのオプションを想像した。ドリブルのコースから考えてロナウドはさらに前進し角度の無いところから(必ずしも得意ではない)左足で打つか、得意の右足で打つために切り替えるのか。ただし、いずれもこの日大当たりのGKリシュトゥを破るのは難しいように思えた。ところがその瞬間、ロナウドはドリブルの勢いを一切殺さずにトーキックでシュート。意表をつかれたリシュトゥは全く反応できず、ブラジルが決勝進出を決めた。トーキックと言う、言わば傍流の技術が、世界サッカーのトップで評価された、非常に示唆に富む場面だったと思う。
 とは言え、こちらは世界最高峰には及びもつかぬ底辺でのトーキック練習。幸い、パターゴルフでのトーキックは、全てセットプレイ状態なので、簡単な助走と足の振りの方向などは、かなり丁寧に確認できる。子供にとって、キックへのアプローチを丁寧にやらせる1つの練習法なのではないかと思った。ドリブルでもボールコントロールでもキックでもトラップでも、子供に教えていて一番の悩みは、一つ一つの技術練習を、飽きさせずにしかも丁寧にやらせるかどうか。こうやって練習方法(と言うか、練習の組立)を工夫していこう。

 全くの余談。伊豆には「ぐらんぱる公園」と言う、ちょっとした遊園地がある。しかし妻が何回直しても、坊主は「ぐらんぱす公園」としか呼ばない。もちろん、私が誘導したわけではありません。いや、ただそれだけ。
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2003年12月11日

子は親の鏡

 愚息の振る舞いを見ていると、身につまされる事が多い。
 これには2つの側面がある。1つは血統的なもの。妙に理屈っぽいとか、叱られるのが判っていてもいたずらするとか、すぐに周りから笑いを取ろうとするとか、基本的な性格が鏡を映しているように似ていると言う側面。愚息が馬鹿をして、叱る時など、「ああ子供の時(いや、今でも)自分は周りからこう見られていた(いる)のか」と、自己嫌悪に陥る。
 もう1つの側面は、親が提供している環境的なもの。親の振る舞いを想像以上に子供は見ていて、真似をするものだ。特にその振る舞いが劇的だと、子供への影響は甚大である。

 と言う事で、昨晩の日韓戦のような「血沸き肉踊る」試合を愚息と一緒に観戦すると、当方の愚かなる言動を当然ながら、真似されてしまう。帰りの電車の中で、愚息は「大久保許せないよね、死んでしまえばいいのに」などと平気な顔をして言うのだ。当方は「『人に死ね』などとは言うもんじゃない」と叱るが、あまりに説得力がない。試合中に「死んでしまえ!」「この馬鹿たれ」「2度と俺の前に顔見せるな」などと、あらん限りの声で父親が絶叫しているからだ(余談ながら、昨晩は我々の目の前で韓国から来たとおぼしき赤い集団が応援していたが、私の歌や野次をあきれて見ていた)。
 不思議な事に真似されるのは否定的な絶叫ばかり。肯定的なものは、不思議に真似しない。つまり「アレック!いい加減に真面目に守らんかい」、「アレック、もういい、お前は悪くない、使うジーコが悪い」のようなヤツは結構真似するが、「お〜、そこを通すか、小笠原ぁぁ〜〜」とか「よっしゃ、久保ぉぉぉ〜」などのようなのは覚えないのだ。
 まあいいや。かくして、しょうもない子供が育つのだろう。親の責任である。
 
 先日、愚息の試合で。敵チームの子がラフプレイで警告を食らった。すると、愚息が「や〜い、ざま見ろ」と言った。審判が苦笑いして「そんな事はいうものじゃない」と言っていたが、愚息は「どうしていけないのだ」と言う表情をしていた。ベンチで指揮をとる監督兼父親が、トップレベルのサッカーを見に行く度に、その種の態度を取り、その種の野次を飛ばすのだから、「いけない事だ」とは思える訳はないな。
 でも、不満そうな表情はしたが、不満は口にしなかった。これは教育の成果だ。審判には絶対文句言ってはいけない事も、日頃の親子観戦で学習しているからだろう。小3の愚息は大久保を越えているのである。
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2003年11月02日

少年団あれこれ

 秋の少年団シーズンが継続している。地域には5つのチームがあり総当りのリーグ戦を行っている。私は、4年チーム、3年チームのコーチ(実質的監督)を担当している。
 昨日は3年チーム、4年チームともに、リーグ最終戦があったのだが、結構愉しい事態が多数出来した。

1.リーグ優勝を自ら逸する
 自分のチームの試合の合間は、他のチームの試合の審判をする。この日、私が笛を吹いた試合は、4−0。神経を使ったのは、前半、後半とも終了間際ギリギリに好機が訪れ、タイムアップにするか攻撃を継続させるかを迷った事。よい攻撃が継続していた事もあり、私は終了の笛を吹かず、結果的には前後半いずれもロスタイムに入ったあたりで得点が決まった。
 さてこの試合で、3年リーグは全日程を終了。成績を取りまとめて見ると、我がチームは3勝1分けで終了。一方、私が審判した試合で4−0で勝ったチームも、3勝1分け、勝ち点で並んだ。当該成績は当然引き分けで、後は得失点差の計算。何と、我がチームは1差で2位になってしまった。つまり、私が「ロスタイムを取らず、あの2点が入ってなければ」我がチームが優勝した事になるではないか。
 いや、長いサッカー人生こう言うこともあるのだなと思った次第。もっとも、前後半共にプレイを継続させた事の判断は何ら間違ってなかったと思っているので、後悔は全くないけれど。

2.エース対決
 4年リーグの最終戦は、今まで1度も勝っていない強豪(6月22日の日記でPK負け)との直接対決。勝った方が優勝するが、引き分けでは当方はダメ。先方はパスワークから両翼攻撃を狙うよく組織化させたチーム。一方、当方の攻撃は単身ドリブルの横に味方がフォローする、よく言えばアルゼンチン、悪く言えば原始的なサッカー。何となくご理解いただけると思うが、私としては3,4年生のチームだけに、あまり色々な事は教えずに、ボール扱いと瞬時の判断能力を高めて欲しいと思っているので、どうしてもこのようなサッカーになる(いや、気の利いた事を教える能力もないのですが)。
 選手たちはよく戦ってくれた。何回かの決定的ピンチを防いだ後は、互角の展開。そして前半終了間際、見事に先制する。左からのクロスが右に流れ、俊足の右ウィングがよくボールを追い右サイドでキープ後、後方から進出してきたエースのMFにパス、エースが強烈なシュートを決めた。
 後半敵が必死に攻め込むが、「外からの攻め」にこだわり、一番怖い中央突破がないため、当方の両サイドバックが粘る事で、決定機を作らせない。しかし、何とか逃げ切れそうになった終盤、敵のMFのエースが、見事な技巧を発揮して同点ゴールを決め、そのまま終了。4年も優勝を逸する事になった。

 結果として、両チームのエースが1点ずつを決めた引き分けとなった。私としては教え子の強烈なシュートももちろん嬉しかったが、敵のエースの一発にも快感を感じた。彼はそれまで(おそらくコーチの指導を守ってだろう)せっかくフリーでボールを受けても両翼に機械的に展開していた。しかし、試合終了間際、どうしても勝ちたかったのだろう、この日初めて強引な中央突破を狙い、それを成就させた。あの子のサッカー人生にとって、昨日のゴールはとても大きいものになるのではないか。
 しかも、エース同士がお互いを相当意識した言動をしているのが、また愉しかった。どっちも頑張れ!
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2003年09月07日

少年団、秋のシーズン開幕

 愚息の少年団の秋のリーグ戦が始まった。

 子供達の成長を見るのは実に愉しい。私が担当している3,4年チームは4年生の数が少なく、チームのほとんどが愚息を含めた3年生。その3年生たちの半分くらいは、春の試合では試合に出してもフィールドに立っているのが精一杯と言う状態だった。ところが、夏の練習を経て成長したそのような子供達が、まがりなりにも自分のそばに来たボールをトラップして蹴り返す事ができるようになってきた。これは本当に嬉しい。



 少年の指導をしていて一番悩むのは、各種の指導書と現場の落差だ。例えばリフティング、小学校3年生の子供にとって数回継続するのが最大の山場なのである。ところが、書物によると子供がすぐ数十回できて当然と言う書き方になる。しかし現実は厳しく、できない子は全くできない。当方が指導できる事は「肩の力を抜け、ボールをよく見ろ、胸の高さくらいに蹴り上げろ、集中しろ」などと言いながら励ます事くらい。自分がようやく高校時代(笑)にリフティングを数十回できるようになった時のコツの記憶なんてないし(笑)。

 次に厄介なのは個人差。リフティングを例にすると、数回できるようになった子はすぐに10回以上つけるようになるので、できない子との差はドンドン開く。当然ながら餓鬼どもと言うのは皆バカだから、できる子はできない子をバカにする。



 まあ、そうやって悩みながら、愚息を含めたバカ餓鬼たちとサッカーを通じて遊ぶのは実に愉しい。リフティングもままならない子供が、まがりなりにも試合で「止めて蹴る」ができるようになれば、本当に嬉しいよ。さらに、時に思い出したようにフェイントで敵を抜いてくれれば感動的。たとえ、それが自ゴール前でも。



 ついでに余談。4年生のエース格のドリブル上手な子(私からすれば手塩にかけて育てている子だな)を、5,6年チームの試合に抜擢起用する事になった。後半、半ば過ぎにその子が起用された。すると、サポータたち(お母さんたち)もわかっていて、俄然盛り上がった。日本代表の試合で期待の若手(例えば最近で言えば大久保)が起用された時と同じだな、これは。
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2003年08月31日

高いレベルの試合の審判

 この週末は多忙だった。Jリーグはあるは、海外リーグも軒並み始まるは、海外リーグに多数日本のスターは登場するは、少年団のコーチはあるは、世界陸上はあるは、小学校の夏休みの宿題をやらなければならないは手伝わなければならないは。しかし、最も非日常的活動は、通常の年齢層(20代の選手がプレイする)の公式戦の副審を久々に務めた事だった。

 数ヶ月前に、4級審判員の資格を(20年振りに)取得した事は、2月9日の日記で講釈を垂れた。その後、様々な審判を務めたが、小中学校なり四十雀の試合ばかり、つまり通常の年齢層の審判は務めていなかった。諸事情あって、某市の市民大会で旗を振る事になった次第。今日の試合は(プレイした選手には失礼だが)トップレベルにはほど遠いが、コンスタントに練習を積みそれなりに真面目にサッカーに取り組んでいるレベルと見た。思うにこのようなレベルの審判をしたのは、(当時は無資格だったが)自分が20代の頃以来だろう。

 試合前は、脚力のある若者についていけるか、非常に心配だった。しかし、始まってみると案外と対応できた。その理由は、今日担当した試合のようにある程度試合のレベルが高いと、試合の流れが読みやすいためだった。MFやサイドバックがフリーになって、パスを出そうとすれば、よい展開が期待できる。逆にプレスがかかって無理な体勢からのパスは通らないだろうと予想可能。これがレベルの低い試合になると、偶然のパスが通ったりするので、読みづらく、審判としても体力を浪費してしまう。また試合が進むにつて、個々の選手の特徴がわかってくれば、より読みが当たるようになったのは言うまでも無い。



 まあ、考えてみれば、審判にせよ、観戦にせよ、同じと言う事か。いずれの場合も、選手たちとの無言の会話を行っているのだろう。おっと違った、観戦の時は応援し誹謗し激励するな(別にそれにより状況が変わる訳ではないが)。審判の時こそは無言だ。
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2003年08月09日

底辺における審判問題

 今日は、地域の少年団同士の大会運営の打ち合わせがあった。通常は、他の方が出席するのだが、諸事情あり(私としては初めて)代理で出席したもの。各種大会の組み合わせとか、日程調整などの打ち合わせが行われた。



 その会合でなかなか興味深い議論が行われた。今まで我が地域では、5,6年の高学年、3、4年の低学年のリーグ戦を準備していた。しかし、昨年のワールドカップの効果か、各チームとも3年生以下の下級生の子供が増えている。そこで、従来のリーグ戦とは別に、3年生のリーグ戦を増強していくところまでは意見が一致した。小さい子供に公式戦は不要と言う考えもあろうが、子供達にとっては公式な試合があれば格段にモチベーションは高まる。

 ところがここで問題になってきたのは、審判の数だ。各チームとも数名の審判(多くは私のように、コーチ兼父親なのだが)を抱えているが、公式戦の数を増やすと、その実数が不足してくる。では、各チームの子供の父親に依頼して審判をしてもらう(できれば4級審判の資格を取ってもらう)といいのではないかと思うが、結構審判技術について、負けたチームの父兄からのクレームが多いので、ついつい二の足を踏んでしまうと言うのだ。

 たしかに底辺レベルの草サッカーにおいても、審判の技術は大変な問題だ。私がプレイする四十雀のサッカーでさえ、まともに守備ラインを追いかけない副審がいると、試合は大変つまらないものになってしまう事がある。また坊主がプレイする子供のサッカーでも、ラフプレイを取らなかったり、副審が旗を上げているにも関わらず気付かない主審が笛を吹くと、子供たちに説明ができなくなってしまう事もある。

 さらに愕然とするのは、JリーグのジュニアチームのWEBサイトを覗くと、父兄が強硬な審判批判を平気で行っていたりする事だ。三十年以上子供の指導をしている友人は、そのような父兄には、「そんなに不満があるならば、お前が笛を吹け」とはっきりと言うらしい。しかし、凡人はなかなかそのような度胸はないものだ。



 こう考えてみると、底辺レベルの審判問題は以外に深刻なものがある。1人でも多くの人がサッカーを愉しむためには、質の高い審判が必要なのだが、現状は非常に厳しいものがあるのだ。

 具体的な対策は、すぐには思いつかない。少なくとも私にできる事は、少年団でも四十雀でも、真面目に笛を吹き旗を振る事くらい。
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2003年06月22日

遠くの日本代表より、近くの少年団

 コロンビア戦を前に、色々と語りたい事はあるのだが、今日は日本サッカーの頂点とは正反対の底辺行事−坊主のいるチームの地区対抗カップ戦−について。

 大会のレギュレーションが非常にややこしいので割愛するが、とにかく予選グループで2試合行い、その成績がよい2チームが決勝進出できる。決勝で勝って優勝すると、県の地域大会への参加権を獲得できる。今日の我がチームの参加者は3,4年生で22人。予選グループの2試合では、全員を少なくとも、1試合の半分は出場させつつも、勝利を目指すと言う、いつもいつも難しい要求をクリア、2連勝で決勝進出に成功した。

 決勝戦の相手は、先日来、何回か試合をしているが、毎回のように負けている強豪チーム。小学校中学年ながら、技巧的で周りがよく見えるMF2人を軸に、両翼から攻め込むのが特色。この決勝戦、子ども達もどうしても勝ちたいと盛り上がる。私もコーチとしての僅かながらの意地がある。普段から何も教えないコーチだが、若干守備的に戦う術を子ども達に教授して試合に臨んだ。

 子ども達は本当によくやった。序盤に不運なハンドを取られたPKを、GKがよく防いだのが皮切り。終始、押されていた展開だったが、とにかくよくゴール前で粘った。しかも、嬉しかったのは20分ハーフの短い試合時間が進むにつれ、1人1人がカバーリングの感覚を身につけてくれた事。お互いが声を掛け合い、「俺はこっちだ、お前はあっちだ」と、ちゃんと守るのだ。さらに前線に残っている俊足のドリブラを使って再三逆襲速攻。速攻をかける度に、3試合目で疲れ切った身体に全員が鞭打って押し上げる。終盤には何回かチャンスをつかみ、1度は我がFWのシュートがポストに当たる決定機。

 試合は両チーム攻め切れず、0−0のままPK合戦にもつれ込む。PK合戦がまた凄絶な戦いになった。5人ずつが蹴って4−4のサドンデス。6人目の愚息のキックは正視に耐えなかったが、ちゃんと決めてくれた。その後もサドンデスは継続。後蹴の我がチームの8人目が失敗して、勝負はついた。敗れた子ども達はしばらく動けなかった。

 サッカーは子どもを大人にすると言う。今日の試合を通じて、改めてこの格言を確信した。少なくとも、今日戦い抜いた両チームの子ども達は、男に向かって間違いなく成長した。おっと失礼、敵チームには女の子が1人いた。右サイドバックの彼女は終盤の我がチームの執拗な左からの攻めを、巧みに止めた。彼女にとっては淑女への一歩。
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