ただの親馬鹿ネタです。
坊主が昨日、対外試合で初めて得点した。エースの1年上の子が、ドリブルでDFラインを突破しようとたが、ボールコントロールにミス、後方からフォローしていた坊主がそのボールを拾ってドリブルすると、DFラインの裏に抜け出すのに成功、GKと1対1になり、落ち着いてシュートを決めた。
ベンチでコーチをしているために、立場上そうは大喜びできないが、やはり嬉しかった。ちなみに観戦に来ていたおばあちゃんは、大喜びだったが。
坊主に限らず、子ども達の成長振りは本当に面白い。中でも、1人1人が、得意技が異なるのが興味深い。後方からのボールを受けて前を向くのが巧い子、敵の攻撃を読むのが巧い子、敵の裏をつくドリブルの巧い子、体格のよさを活かしてボールを持ち出すのが巧い子、下手だがよく動きよくボールに絡む子。
また吸収の早さも子どもの特長だろう。足は速いがボール扱いがまだ未熟な子に、「敵に当たる時顔を背けるな、真正面から当たれ」と指示した。すると、その子はボールをよく見るようになり、相手に抜かれないだけでなく、キックも正確になった。
なるほど、子どもの指導と言うものは面白い。自らのサッカー観を広げるのにも役に立つ。
全然関係ない話、試合の前日、TVでベガルタ−アントラーズを見ていたとき。柳沢がフリーでシュートを打ち例によって枠を外す、私が悲鳴を上げた後「よしっ」と声を上げる。横で見ていた坊主が一言「僕と同じだね、簡単なシュートを外すね」。おい柳沢、坊主は決めたぞ、お前も頑張れ。
<岩手県、宮城県の地震について>
ご承知のように本日18時半頃、我が故郷の宮城県および岩手県が、大きな地震に襲われました。何人かの方からお見舞いの連絡を受けましたが、私の両親を含む親類縁者は皆無事です。どうもありがとうございました。仙台の大地震と言うと、25年前私が高校3年の時(全然関係ないですが、ちょうどアルゼンチンワールドカップの真っ最中)。本当に恐ろしかった記憶があります。被害が最小限に留まる事を祈るのみです。
2003年05月26日
2003年05月11日
全日本少年サッカー大会予選
コーチを務めている少年団チームが、第27回全日本少年サッカー大会の予選に参加した。私はコーチとしてベンチに入るだけでなく、他のチーム同士の試合の副審も行った。言ってみれば、私は齢42にして、初めてこの盛大な大会に参加したわけだ(まさに絵に描いたような完璧な底辺ではあるが)。
この大会は、77年から始まった大会で、前身だった全日本少年団大会を拡大する形態で始まったはず。第1回の優勝は清水FC。評価、批判双方が議論されるいわゆる選抜フットボールクラブの走りでもあり、またサッカーどころ清水の栄光のはしりでもあった(「エスパルスとJリーグ」をお読み下さい)。第1回の清水FCには大榎、長谷川健太がいたはず(同年の堀池はこの時まだ「選抜」されていなかったと言うエピソードを聞いた事があるが、資料がなく断定できない)。大榎ら以降も、この大会を経験した名選手は列記できないほどだ。一方で、「この年代には勝ちにこだわる事になるトーナメント形式の全国大会は必要ない」と言う批判は77年当初から大きかった。しかし、歴史にやり直しが効かない以上は、この少年大会が無かったときの事を試す訳にはいかない。このいかにも日本らしい壮大な全国大会が、少年サッカー人口を増やす一助になった事を考えれば、日本サッカーにとって非常に貴重な大会と考えていいように思える。
さすが、全国大会予選であり、今日の末端の試合にまでプロのカメラマンが来ており、写真を撮っていた(後日これらの写真がチームに送られてきて、購入を勧められる仕組み)。それはそれで子ども達のよい記念になるだろう。しかし、そのような商業主義を取り込むならば、この日配布されたプログラムに、この大会出身の名選手のメッセージを載せて欲しいと思ったのは、私だけだろうか。また、出場選手全名鑑などは作れないだろうか。この壮大な大会に出場する数万人のうち、数十人近くはJリーガ、あるいはそれに準ずるランクまで行くのだろう。さらに数人はA代表に引っ掛かるだろう。そうすれば、子ども達はウン十年後に飲みながら友人に自慢できる。「俺はあの代表選手と同じ大会に出たんだぜ」。高校時代のそのような思い出を、今でも自慢をしている男が言うのだから間違いない。そして、そのウン十年後の自慢話こそ、この大会の最大成果ではなかろうか。
盛夏の全国大会に出場するためには、10試合近く試合を勝ち抜かなければならないが、我がチームはあえなく1回戦で敗退。私の全日本少年サッカー大会経験は1日で終わった。しかし、副審の謝礼金¥300(帰りに先輩の応援に同行した坊主の飲み物代に消えた)以上の経験ができた一日だった。
この大会は、77年から始まった大会で、前身だった全日本少年団大会を拡大する形態で始まったはず。第1回の優勝は清水FC。評価、批判双方が議論されるいわゆる選抜フットボールクラブの走りでもあり、またサッカーどころ清水の栄光のはしりでもあった(「エスパルスとJリーグ」をお読み下さい)。第1回の清水FCには大榎、長谷川健太がいたはず(同年の堀池はこの時まだ「選抜」されていなかったと言うエピソードを聞いた事があるが、資料がなく断定できない)。大榎ら以降も、この大会を経験した名選手は列記できないほどだ。一方で、「この年代には勝ちにこだわる事になるトーナメント形式の全国大会は必要ない」と言う批判は77年当初から大きかった。しかし、歴史にやり直しが効かない以上は、この少年大会が無かったときの事を試す訳にはいかない。このいかにも日本らしい壮大な全国大会が、少年サッカー人口を増やす一助になった事を考えれば、日本サッカーにとって非常に貴重な大会と考えていいように思える。
さすが、全国大会予選であり、今日の末端の試合にまでプロのカメラマンが来ており、写真を撮っていた(後日これらの写真がチームに送られてきて、購入を勧められる仕組み)。それはそれで子ども達のよい記念になるだろう。しかし、そのような商業主義を取り込むならば、この日配布されたプログラムに、この大会出身の名選手のメッセージを載せて欲しいと思ったのは、私だけだろうか。また、出場選手全名鑑などは作れないだろうか。この壮大な大会に出場する数万人のうち、数十人近くはJリーガ、あるいはそれに準ずるランクまで行くのだろう。さらに数人はA代表に引っ掛かるだろう。そうすれば、子ども達はウン十年後に飲みながら友人に自慢できる。「俺はあの代表選手と同じ大会に出たんだぜ」。高校時代のそのような思い出を、今でも自慢をしている男が言うのだから間違いない。そして、そのウン十年後の自慢話こそ、この大会の最大成果ではなかろうか。
盛夏の全国大会に出場するためには、10試合近く試合を勝ち抜かなければならないが、我がチームはあえなく1回戦で敗退。私の全日本少年サッカー大会経験は1日で終わった。しかし、副審の謝礼金¥300(帰りに先輩の応援に同行した坊主の飲み物代に消えた)以上の経験ができた一日だった。
2003年04月21日
愚息の初勝利
先週、先々週の週末は2週続けて、坊主(小3)の少年団の公式戦があった。3年生になると、いわゆる公式戦が始まり、坊主は前日から大騒ぎである。
行きがかり上、3,4年生チームのコーチを勤めているのだが、当然ながらチェーザレ・パオロ親子のようにすんなり行くものではない。以前も触れたが、当方サッカーを観る事、語る事については、誰にも負けない自信があるが(笑)、教える事はドシロート。もっとも、知り合いに教える事についてはプロ中のプロも結構いるのだから、彼らと会った時に教えを請えばよいのだが、つい飲みながらお互いクダをまくばかりで...「オーバティーチングは子供の創造性を奪う」との命題の下、何も教えないいい加減なコーチだが、子ども達の吸収力の強さはなかなかで、教えずとも曲がりなりにも切り返しなどできる子が出てくるのだから、面白いものだ。
当たり前だが、子ども達は目先の試合に勝つのに必死である。当方が「考えてプレイしろ」「周りを見ろ」と言ったところで、そんな指示など聞いてはいない。いや、大体「考える」と言う日本語の意味を理解してないのかもしれない。1対1になれば、慌ててウラに蹴って縦に走る。フリーでも、ただ思い切り前に蹴る。つまりサッカーになってない。彼らのプレイ振りは、熱狂的なサポータたち(お母さん方)の黄色い声援「行け行け」「蹴れ〜〜」と、見事にマッチングする。
そうこう言っても、勝利の味は感動的。昨日の2試合目、とうとう初勝利。坊主を含めた皆の喜びようを見るだけで、疲れが吹き飛んだ。
息子にとっての初勝利、チェーザレ・マルディーニにもヨハン・クライフにも永井良和にも森保一にも、たった1回あったはずだ。私にとってはそれが昨日だった。親馬鹿である。
行きがかり上、3,4年生チームのコーチを勤めているのだが、当然ながらチェーザレ・パオロ親子のようにすんなり行くものではない。以前も触れたが、当方サッカーを観る事、語る事については、誰にも負けない自信があるが(笑)、教える事はドシロート。もっとも、知り合いに教える事についてはプロ中のプロも結構いるのだから、彼らと会った時に教えを請えばよいのだが、つい飲みながらお互いクダをまくばかりで...「オーバティーチングは子供の創造性を奪う」との命題の下、何も教えないいい加減なコーチだが、子ども達の吸収力の強さはなかなかで、教えずとも曲がりなりにも切り返しなどできる子が出てくるのだから、面白いものだ。
当たり前だが、子ども達は目先の試合に勝つのに必死である。当方が「考えてプレイしろ」「周りを見ろ」と言ったところで、そんな指示など聞いてはいない。いや、大体「考える」と言う日本語の意味を理解してないのかもしれない。1対1になれば、慌ててウラに蹴って縦に走る。フリーでも、ただ思い切り前に蹴る。つまりサッカーになってない。彼らのプレイ振りは、熱狂的なサポータたち(お母さん方)の黄色い声援「行け行け」「蹴れ〜〜」と、見事にマッチングする。
そうこう言っても、勝利の味は感動的。昨日の2試合目、とうとう初勝利。坊主を含めた皆の喜びようを見るだけで、疲れが吹き飛んだ。
息子にとっての初勝利、チェーザレ・マルディーニにもヨハン・クライフにも永井良和にも森保一にも、たった1回あったはずだ。私にとってはそれが昨日だった。親馬鹿である。
2003年04月03日
KTWさんのファンタジスタ論
非常にユニークな評論?系WEBサイト「All Things in Football」を運営されているKTWさんと、最近すっかりメルトモになっている。サッカーを語る事を酒の肴として、愉しんでいる感覚に、相通ずるものを感じているかもしれない。
先日、KTWさんが書かれた「愛と幻想のファンタジスタ 序章」と言うコラムは、とかく「ファンタジスタ」達が存在感を示しづらい現代サッカー界におけるファンタジスタを論じようと言う、野心作?(あるいは暴論?)でとても面白いものだった。
と言う事で、私からメールで茶々を入れたところ、色々な返信をいただき、お互いに中村俊輔を軸にやりとりを行った。そうこうしていたら、KTWさんが、このやり取りを含め実に見事な中村俊輔論をまとめて下さった。「愛と幻想のファンタジスタ @中村俊輔篇」である。
序章、中村編共々、是非お読みください。
KTWさんも私も居酒屋風サッカー論が大好きなのだが、居酒屋でなくメールでサッカー論を語ると記録が残るので、巧く噛み合うと相応なサッカー論につながる事もあるのだと妙な感心をした。噛み合わない事で定評のある我が愛読書の連載にも負けないと思った次第(その連載の巨匠の片割れは私の師匠なのだが)。
KTWさんのコラムを読むには、上記のURLにアクセス後「Column」ボタンを押して下さい。
先日、KTWさんが書かれた「愛と幻想のファンタジスタ 序章」と言うコラムは、とかく「ファンタジスタ」達が存在感を示しづらい現代サッカー界におけるファンタジスタを論じようと言う、野心作?(あるいは暴論?)でとても面白いものだった。
と言う事で、私からメールで茶々を入れたところ、色々な返信をいただき、お互いに中村俊輔を軸にやりとりを行った。そうこうしていたら、KTWさんが、このやり取りを含め実に見事な中村俊輔論をまとめて下さった。「愛と幻想のファンタジスタ @中村俊輔篇」である。
序章、中村編共々、是非お読みください。
KTWさんも私も居酒屋風サッカー論が大好きなのだが、居酒屋でなくメールでサッカー論を語ると記録が残るので、巧く噛み合うと相応なサッカー論につながる事もあるのだと妙な感心をした。噛み合わない事で定評のある我が愛読書の連載にも負けないと思った次第(その連載の巨匠の片割れは私の師匠なのだが)。
KTWさんのコラムを読むには、上記のURLにアクセス後「Column」ボタンを押して下さい。
2003年03月26日
我が友、愛読書に登場
昨日は我が愛読書を酷評したが、一方で今週号には素晴らしいコンテンツもあった。と、言っても極めて私的な話。45ページに掲載されている大宮アルディージャの親会社の広告記事。映像配信がらみの説明をしているOと言う男は、私の大学時代のチームメートだ。
実はこのOとは、98年クロアチア戦のナント、競技場に向かう市電の中で10年ぶりの再会をした。お互い、チケットを確保できた喜びを共有した思い出は忘れ難い。
先日、また連絡があり、シゴトでサッカーがらみのソフトウェアを開発したとの由、「サッカーがらみの人脈を紹介せよ」との依頼だった。私の人脈が奏効したかはさておき、彼のシゴトは順調に進んでいるのだろう、遂には我が愛読書にも進出した次第。
大体、サッカーマガジンに大きく名前入りで写真が出るのは、日本のサッカー少年、青年、中年、壮年、老年全ての夢の1つであろう。Oはその夢を達成したのだ。私も過去何回か写真で登場した事があるが、いずれも80年代閑散としたスタンドで日の丸を振っている点のような写真であった。素直にうらやましい。
彼のシゴトにもっと興味ある方は是非よろしくお願いします。実は某TV局のサッカーアナウンサのMと言う男も大学のチームメート。Mによると、偵察用VTRの編集は大変な重労働との事で、Oの発明を巧く使う事で、日本協会のスタッフの負担を飛躍的に低減できるらしい。
私など人生の大恩人であるサッカーに対して出来る事はこうして講釈を垂れる事くらいだが、Oはシゴトをサッカーに結びつけたのだから大したものだ。
実はこのOとは、98年クロアチア戦のナント、競技場に向かう市電の中で10年ぶりの再会をした。お互い、チケットを確保できた喜びを共有した思い出は忘れ難い。
先日、また連絡があり、シゴトでサッカーがらみのソフトウェアを開発したとの由、「サッカーがらみの人脈を紹介せよ」との依頼だった。私の人脈が奏効したかはさておき、彼のシゴトは順調に進んでいるのだろう、遂には我が愛読書にも進出した次第。
大体、サッカーマガジンに大きく名前入りで写真が出るのは、日本のサッカー少年、青年、中年、壮年、老年全ての夢の1つであろう。Oはその夢を達成したのだ。私も過去何回か写真で登場した事があるが、いずれも80年代閑散としたスタンドで日の丸を振っている点のような写真であった。素直にうらやましい。
彼のシゴトにもっと興味ある方は是非よろしくお願いします。実は某TV局のサッカーアナウンサのMと言う男も大学のチームメート。Mによると、偵察用VTRの編集は大変な重労働との事で、Oの発明を巧く使う事で、日本協会のスタッフの負担を飛躍的に低減できるらしい。
私など人生の大恩人であるサッカーに対して出来る事はこうして講釈を垂れる事くらいだが、Oはシゴトをサッカーに結びつけたのだから大したものだ。
2003年02月24日
気分はもうフィリップ
この週末は慌しかった。仕事(本業)の整理、自分の草サッカーの公式戦、坊主の少年団の試合の面倒など、色々重なり、結局A3もTV観戦に終わったし、他の試合も高原不振をVTRで見ただけ。
その中で最も難儀したのは、少年団の試合準備である。今、2,3年生のチームを見ているのだが、ワールドカップ効果のおかげか総計26名もいる。来週日曜に公式戦(2試合、交替自由)が行われるのだが、「全員を出場させて、かつ勝利を目指す」と言う草サッカーにおける「典型的なジレンマ問題」に取り組んでいるわけ。
自分がプレイする四十雀サッカーでも同じ「ジレンマ問題」は存在する。チームの代表はいつも大変だ。しかし、そこは大人の世界だしサッカー大好きオジサン達。ボールを蹴ると言う至福と、宴会におけるサッカー談義が味わえれば、多くのジレンマは飛び去ってしまう。
しかし、小学校低学年のサッカーではそうはいかない。この年齢の子供は馬鹿だし結構ずるい。巧い子は大抵負けると下手な子を名指しで「こいつのせいで負けた」と騒ぐ。言われた子は泣くか暴力行為で反撃する。普段はおとなしい子がコソコソと私のところに「○○君がコーチの見ていないところでいたずらした」と告げ口に来る。「明日の練習来られない奴いるか」と聞くと、必ず「明日は来るけど来週は来ない」と主張する奴が出て、そのうち全員が関係ないことを話し始める。愚息だったら、怒鳴りつけて「星一徹る」事もできるが、他の子ではそうもいかない。
私はサッカー観戦と応援に関しては世界中の誰にも負けない自信がある(笑)が、サッカーの指導者、子供の教育者としては初心者である。このような40過ぎのオジサンにとって、子供のサッカー指導は、精神修養の場でもあるし、新しい勉強の場でもある。そして、そのような子供たちの愚かさかげんは、(自分の幼少時を思い出してほろ苦い感もあるが)一方で本当にかわいらしい。子供たちがゴールしたり、勝って喜んでいるのを見ると、日本代表が勝つのとは別な意味で本当に嬉しい。
と言う事で、結構真剣に冒頭述べたジレンマ解決に取り組んだ。全員短い時間でも出したい、勝つためにはやはり上手な子を長時間引っ張る必要がある、あの子は練習に真面目に取り組んでいるから少しでも使ってやりたい...最後にはとうとうパソコンを引きずり出し、簡単なシミュレーションプログラムを作るに至ってしまった。こうなると、俄然面白くなってくる。もう、気分はフィリップ・トルシェである。
その中で最も難儀したのは、少年団の試合準備である。今、2,3年生のチームを見ているのだが、ワールドカップ効果のおかげか総計26名もいる。来週日曜に公式戦(2試合、交替自由)が行われるのだが、「全員を出場させて、かつ勝利を目指す」と言う草サッカーにおける「典型的なジレンマ問題」に取り組んでいるわけ。
自分がプレイする四十雀サッカーでも同じ「ジレンマ問題」は存在する。チームの代表はいつも大変だ。しかし、そこは大人の世界だしサッカー大好きオジサン達。ボールを蹴ると言う至福と、宴会におけるサッカー談義が味わえれば、多くのジレンマは飛び去ってしまう。
しかし、小学校低学年のサッカーではそうはいかない。この年齢の子供は馬鹿だし結構ずるい。巧い子は大抵負けると下手な子を名指しで「こいつのせいで負けた」と騒ぐ。言われた子は泣くか暴力行為で反撃する。普段はおとなしい子がコソコソと私のところに「○○君がコーチの見ていないところでいたずらした」と告げ口に来る。「明日の練習来られない奴いるか」と聞くと、必ず「明日は来るけど来週は来ない」と主張する奴が出て、そのうち全員が関係ないことを話し始める。愚息だったら、怒鳴りつけて「星一徹る」事もできるが、他の子ではそうもいかない。
私はサッカー観戦と応援に関しては世界中の誰にも負けない自信がある(笑)が、サッカーの指導者、子供の教育者としては初心者である。このような40過ぎのオジサンにとって、子供のサッカー指導は、精神修養の場でもあるし、新しい勉強の場でもある。そして、そのような子供たちの愚かさかげんは、(自分の幼少時を思い出してほろ苦い感もあるが)一方で本当にかわいらしい。子供たちがゴールしたり、勝って喜んでいるのを見ると、日本代表が勝つのとは別な意味で本当に嬉しい。
と言う事で、結構真剣に冒頭述べたジレンマ解決に取り組んだ。全員短い時間でも出したい、勝つためにはやはり上手な子を長時間引っ張る必要がある、あの子は練習に真面目に取り組んでいるから少しでも使ってやりたい...最後にはとうとうパソコンを引きずり出し、簡単なシミュレーションプログラムを作るに至ってしまった。こうなると、俄然面白くなってくる。もう、気分はフィリップ・トルシェである。
2003年02月09日
4級審判講習会
実に20数年振りに4級審判講習会を受講した。
学生時代に一応資格を取ったが、社会に出てからは所属協会が変わったところで、更新をやめていた。それでも、機会があれば笛を吹いたり、旗を振り回したりしてきたが、草サッカーの事、特に問題はなかった。ところが、愚息の少年団の面倒を見るにあたって、少年の公式戦の審判をするには正式な資格が必要との事で、不惑の審判講習会受講となったもの。
実は最近、ルールの小変更に戸惑いを感じていた。そのあたりを正確に把握し直す事ができた。例えば、昔はキックオフからの直接ゴールは認められていなかったが、最近はOKになったとか。負傷した選手がフィールド外に出た場合は、プレイ再開後でないと再出場できないのが明文化されているとか。
学生時代に国際審判員として日本屈指の審判だった浅見氏の講演を聞く機会があった。聴衆が大学生ばかりだった事もあり、氏が非常にフランクに語ってくれた。曰く
「試合中審判に文句を言うならば、ルールブックを読んでからにしろ」
これは見事な正論で、聞いていた我々は皆うなだれてしまったものだった。今日の受講は、審判の資格が取れたのみならず、講釈師としても非常に役に立った。一応ルールに再度精通でいた今、安心して下手な審判に野次を飛ばせる。
おっと、こう言う態度は気をつけよう。せっかく取った資格を剥奪されたら大変だ。何せ、1500mを走ると言う難行を行ったすえに獲得した貴重な資格なのだから。
学生時代に一応資格を取ったが、社会に出てからは所属協会が変わったところで、更新をやめていた。それでも、機会があれば笛を吹いたり、旗を振り回したりしてきたが、草サッカーの事、特に問題はなかった。ところが、愚息の少年団の面倒を見るにあたって、少年の公式戦の審判をするには正式な資格が必要との事で、不惑の審判講習会受講となったもの。
実は最近、ルールの小変更に戸惑いを感じていた。そのあたりを正確に把握し直す事ができた。例えば、昔はキックオフからの直接ゴールは認められていなかったが、最近はOKになったとか。負傷した選手がフィールド外に出た場合は、プレイ再開後でないと再出場できないのが明文化されているとか。
学生時代に国際審判員として日本屈指の審判だった浅見氏の講演を聞く機会があった。聴衆が大学生ばかりだった事もあり、氏が非常にフランクに語ってくれた。曰く
「試合中審判に文句を言うならば、ルールブックを読んでからにしろ」
これは見事な正論で、聞いていた我々は皆うなだれてしまったものだった。今日の受講は、審判の資格が取れたのみならず、講釈師としても非常に役に立った。一応ルールに再度精通でいた今、安心して下手な審判に野次を飛ばせる。
おっと、こう言う態度は気をつけよう。せっかく取った資格を剥奪されたら大変だ。何せ、1500mを走ると言う難行を行ったすえに獲得した貴重な資格なのだから。
2003年01月28日
サッカーを取り巻くWEBサイト
42歳のサッカー馬鹿が最近インターネットにはまっていると言うお話。
12月から、毎日のように講釈日記を書いているが、実は自宅で常時接続にしたのを機会に、自分で管理するTOPページもチマチマと編集を開始している。従来は、その名も高き「サポティスタ」に間借りをしており、編集も一任していた。しかし、WEB未公開のものを含めた旧作の整理などに、どうしても齟齬が出るので、自前で少しずつ整理できるように準備をしている次第。まだTOPページも未完成なのだが、興味がある人がいたら、日記からではなく、下記URLから入ってみてください。そちらから入っていただくと、カウンタがアップして嬉しいし(笑)。
そんなこんなで、逆に色々なWEBサイトを見る機会が増えている。感心するのは、実に多数の人がWEBを通じてサッカーを語っている事だ。WEBの世界に慣れている人から見れば「何を今さら」と言う事になるのだろうが。おぢさんサッカー馬鹿としては、常時接続で時間制約のない環境になり、改めて感心していると言う訳。これだけあちらこちらでサッカーで遊んでいる人がいるのだから、日本サッカーが強くなるのも不思議でないように思える。
そんな中で、探しているサイトがある。過去のJSLや天皇杯のような国内のビッグゲームのメンバーと結果を網羅したサイトである。比較的最近のゲーム結果は詳細に記録しているサイトは多いが、80年代以前の記録はあまり見かけない。特にがっかりするのは、JSL所属チームを前身にしたJリーグのチームのサイトにも、そのような記録が少ない事だ。
もし、誰かそのような過去記録が充実したサイトを知っていたら教えて下さい。必要ならば自分で作ればいいのかもしれないが、通常の「講釈」で手一杯なもので...
12月から、毎日のように講釈日記を書いているが、実は自宅で常時接続にしたのを機会に、自分で管理するTOPページもチマチマと編集を開始している。従来は、その名も高き「サポティスタ」に間借りをしており、編集も一任していた。しかし、WEB未公開のものを含めた旧作の整理などに、どうしても齟齬が出るので、自前で少しずつ整理できるように準備をしている次第。まだTOPページも未完成なのだが、興味がある人がいたら、日記からではなく、下記URLから入ってみてください。そちらから入っていただくと、カウンタがアップして嬉しいし(笑)。
そんなこんなで、逆に色々なWEBサイトを見る機会が増えている。感心するのは、実に多数の人がWEBを通じてサッカーを語っている事だ。WEBの世界に慣れている人から見れば「何を今さら」と言う事になるのだろうが。おぢさんサッカー馬鹿としては、常時接続で時間制約のない環境になり、改めて感心していると言う訳。これだけあちらこちらでサッカーで遊んでいる人がいるのだから、日本サッカーが強くなるのも不思議でないように思える。
そんな中で、探しているサイトがある。過去のJSLや天皇杯のような国内のビッグゲームのメンバーと結果を網羅したサイトである。比較的最近のゲーム結果は詳細に記録しているサイトは多いが、80年代以前の記録はあまり見かけない。特にがっかりするのは、JSL所属チームを前身にしたJリーグのチームのサイトにも、そのような記録が少ない事だ。
もし、誰かそのような過去記録が充実したサイトを知っていたら教えて下さい。必要ならば自分で作ればいいのかもしれないが、通常の「講釈」で手一杯なもので...
2003年01月02日
同窓会
高校の同窓会があった。数十人の中年オヤジが結集して(男子校だったもので)、酒を飲むのはそれなりに壮観だった。2次会以降は、サッカー部のチームメートと、若かりし頃(全国大会を目指して、半端じゃない練習をこなしていたのです)を懐かしんだ。記憶が曖昧だが、とにかく愉しかった。
それはそれとして、痛快な事があった。サッカー部でなかった連中の多くの子供がサッカーをやっている事だ。中でも愉快なのは、25年前の熱血野球少年2人が、息子のサッカーチームの面倒を見ていることだった。彼らに言ってやった。
「君たちが野球に費やした無駄な青春は帰って来ないが、息子さんが父親と同じ過ちを犯さないのは本当によかった」
それはそれとして、痛快な事があった。サッカー部でなかった連中の多くの子供がサッカーをやっている事だ。中でも愉快なのは、25年前の熱血野球少年2人が、息子のサッカーチームの面倒を見ていることだった。彼らに言ってやった。
「君たちが野球に費やした無駄な青春は帰って来ないが、息子さんが父親と同じ過ちを犯さないのは本当によかった」
2002年12月15日
スーパースターとの肉体労働
サッカーとは何も関係ないけれど、実に貴重な経験をした。
約20年前、ある個人競技に日本人のスーパースターがいた。自他共に認める世界一の選手だった。現在はその競技のナショナルチームのコーチを勤めている。
そのスーパースターが近所に住んでいるのは知っていた。時々、子供の運動会などで、彼を見る機会があったからだ。ところが、今日は彼と共に肉体労働を行うと言う、得がたい機会を得る事ができた。
今日はじめて知ったのだが、彼と私はそれぞれ子供を同じピアノ教室に通わせていたのだ。そして、今日その教室のクリスマスパーティが、町のちょっとしたホールで行われた。その準備で、ピアノの移動をする必要があり、早めに来ていたお父さん同士の彼と私は協力してピアノを運送する事になったのだ。
このような貴重な経験はそうない(笑)。大変光栄であった。
ところで、彼は重いものを持ち上げる時、気合をいれるためだろうか、「よしっ」と大声を上げた。何となく、現役時代を思い出し、また嬉しかった。
約20年前、ある個人競技に日本人のスーパースターがいた。自他共に認める世界一の選手だった。現在はその競技のナショナルチームのコーチを勤めている。
そのスーパースターが近所に住んでいるのは知っていた。時々、子供の運動会などで、彼を見る機会があったからだ。ところが、今日は彼と共に肉体労働を行うと言う、得がたい機会を得る事ができた。
今日はじめて知ったのだが、彼と私はそれぞれ子供を同じピアノ教室に通わせていたのだ。そして、今日その教室のクリスマスパーティが、町のちょっとしたホールで行われた。その準備で、ピアノの移動をする必要があり、早めに来ていたお父さん同士の彼と私は協力してピアノを運送する事になったのだ。
このような貴重な経験はそうない(笑)。大変光栄であった。
ところで、彼は重いものを持ち上げる時、気合をいれるためだろうか、「よしっ」と大声を上げた。何となく、現役時代を思い出し、また嬉しかった。