と言うことで通読させていただきました。3月20日まで無料公開とのことなので、興味のある方は是非。
考えてみれば、この名作を、まともに読破したことがなかった。少年ジャンプに連載されていたのは、私が大学生から社会に出て働き始めた時期。さすがに、少年用マンガ雑誌はあまり読まなくなっていた。とは言え、日本屈指の人気雑誌における、日本屈指の人気マンガが、サッカーネタだっただけに、それなりにはフォローしていた。だから、主要登場人物や、よみうりランドでの全日本少年サッカー大会や大宮での全国中学校サッカー大会で七転八倒する流れは、ある程度理解していた。
ただ、まとまって全編を通しで読むのは、齢59歳で初めての経験。
いや、おもしろかった。
中盤で組み立てるとか、サイドで手数をかけるとか、強引に縦に持ち出すとか、オフサイドトラップとか、しっかりしたカバーリングとか、ちゃんとしたサッカーの描写が続く。
そこで油断しているとw、突然登場する3次元空間、いんや時間差もあるから4次元か、を駆使した1対1のバトル。さらにはゴール前の最終攻防に必ずからむ、すさまじい運動量と読みのよさを発揮する両軍の大エース。加えて、人知を超えた巧緻性による軽業で強力なシュートが発せられ、それに対し神業のような瞬発力を駆使したGKの反応。
ここにサッカー狂のリアリティを持ち出すのは野暮と言うものだろう。とにかく、おもしろいのだもの。正に、マンガ界の正攻法。単純なバトルに男の子は興奮するのじゃ、たとえ60歳近くなっていても。
さらに彩りを添えるのは、常に翼君が負傷を抱えベストコンディションでないこと。前途有為な若者が、負傷を抱えている場合、何があっても休ませる必要があるのは言うまでもない。そして、そのように出場を制御しようとするドクターも登場するのだが、そのような長期育成プランは常に否定される。全中決勝で負傷して医務室に下がったドクターと翼君の会話が秀逸だ。
「おまえがブラジルにいってプロのサッカー選手になること、そして日本のワールドカップ優勝、それにくらべたらこんな日本だけのそれも中学生の段階での大会の決勝戦なんてほんのちっぽけなものじゃないか(中略)無理をしてこのひと試合にでたばかりにこの先2度とサッカーができないからだになったとしても本当に後悔しないのか」とドクターに説教されたのに対し、翼は反論する。
「夢…夢なんです、たとえちっぽけに見えてもこれがおれの夢なんだ。南葛のみんなでこの大会V3をなしたげようとちかった…これはおれたちの夢なんだ!!」いや、これがリアルの世界で展開されたら、さすがにいかがかと思うけれど、30数年前の少年マンガ雑誌で展開された物語に文句を言う筋合いはない。
自らの身体がどうなっても、己の名誉のための勝利を目指す。そして、翼君は最後は明るくチームメートとも相手エースとも肩を抱き合い歓喜するフィニッシュとなるのが、また安心して楽しむことができるものだ。
余談ながら、翼君よりもよほど身を危険にさらす顔面ブロックを得意技とする石崎君が、いつも上々のコンディションで試合に臨んでいるのは、さすがだ。
フランスで行われたジュニアユース大会。これはこれで大会そのものの設定がおもしろい。ワールドカップ(ジュール・リメ)、欧州選手権(アンリ・ドロネー)、五輪(ピエール・クーベルタン)のような世界的運動会がいずれも、フランス人の提案によるものであることは、よく知られている。この大会もその系譜に位置するのか、と考えるのは深読みか。
そう言えば、連載時に大会の組み合わせを見て、イタリア→アルゼンチン→フランス→西ドイツの順番に戦うことになるのを見て、私を含めた西ドイツ嫌いの友人たちと「日本協会の西ドイツ好きの弊害が出た」、「ブラジルが大会に出場していたら、決勝でブラジルに負けるだろうが、西ドイツならば勝てるのだろう」などと語り合ったのを、思い出した。
ともあれ、西ドイツとの決勝戦。大きなポイントとなるロベルトノートの52ページのくだりが大好きだ。
なぜサッカーは、こんなにも楽しいのだろう高橋陽一氏のこのメッセージは、サッカー狂には堪えられない。ね、そうでしょ。
世界中でもっとも愛され親しまれているスポーツ、サッカー
おれが思うに、それはもっとも単純でもっとも自由なスポーツだからじゃなだろうか
グラウンドにたてば監督からのサインなどなにもない
自分で考え自分でプレイする、なににもしばられることなくほかの10人の仲間たちとただひとつのボールをめざし戦うスポーツ、サッカー
この堪えられないサッカーの魅力、これを翼君たちを通じて描写してくれるのだから、最高ですよね。
ただ、ジュニアユースで世界制覇した後のワールドユース編やバルセロナ編では、段々と読むのつらくなってきた。
この手の物語は進めば進むほど新しいより強力な敵が出てくるのは、もうしかたがない。ただ、小学生や中学生が空を飛んだり、ゴールネットを突き破るシュートを打っている分には、夢物語で楽しめるが、後から後から新しい強敵が登場してくると、どうしても飽きが出てくる。バルセロナとかハンブルガーSVとかワールドユース日本代表とか、現実的な世界で行われると、次第に夢の実現の要素が薄れ、軽業の披露合戦としか読めず、感情移入ができなくなってくる。たとえば、若島津健やイタリアの名ゴールキーパが、西ドイツの山奥から出てきた選手と比較して、格段に劣っているかの描写は、いかがと思ってしまうのですよ。
加えて、物語に強弱をつけるためだろうが、日向の母上が大会中倒れ重体とか、岬君が大会直前に交通事故に会うとか、松山君の恋人が大会中に交通事故で危篤になるとか、立花兄弟が再起不能とか、さすがつらい。
キャプテン翼をさかのぼる十数年前、左腕が一生使い物にならなくなるまで投げ続ける読売巨人軍の投手とか、燃え尽きてまっ白な灰となってしまうまで戦い続ける世界チャンピオンを目指す 拳闘家とか…まあ、ありましたよ確かに。でも、あれは最終回の主人公だから許される荒技だと思うのだが。
まあ続編と言うものは、そういうものなのだろう。
どうしても、飲み込めない描写が2点ある。
上記した日向小次郎の母上の重体時。日向の境遇とこれまでの心意気を考えれば、重体の報を受けた後、1試合プレイしてからの帰国は考えられず、即帰国のはずだ。小学6年生時代から、約7年間、我々は日向と時を共にしてきた。日向は、不器用な性格で言葉は少ない気立てかもしれないが、人一倍自分を育ててくれた母上には感謝しているし、何より周囲の人々に気をつかい、やさしい人柄だ。その日向が、その母上が重体に至って、「あと1試合したら、帰国する」などと意思決定するわけがないではないか。いや、それ以前に、母上を少しでも楽にするために、高給を提供してくれるJクラブに進んで加入していたはずだ。
もう1つ。実は、登場人物の中で、一番共感を持ったのは、東邦学園の女性スカウトだ。彼女は私と同じ人種だ。全小の各試合を見ながら、各選手の将来性について、ネチネチと垂れる講釈振りが、我が身を見る思いだった。その内容はさておき、その態度に。
ただ、納得できないのは、彼女の後の仕事だ。ワールドユース時に日本協会の広報担当、さらに日向がユベントスに移籍した際には日向の代理人なり個人マネージャとなっていた。広報担当や個人マネージャの職務は、それぞれが担当する選手に寄り添い、その選手のプレイをいかに現金化するが責務だ。極めて主観的業務だ。
一方、チームのスカウトは違う。必要なのは、ひたすら客観的に、その選手を評価し、自部の雇用主に対し、その選手が役に立つかどうかを評価する立場だ。
サッカー狂の皆さんには、私のイライラ感が理解していただけると思う。サッカーが好きであればあるほど、クラブのスカウトと、広報担当は、まったく異なる「サッカー好き要素」、対称的な位置づけになるはずなのだ。あれだけ、小学生の日向と翼君を冷静に見ていた彼女が、そのような転身ができるはずがないのではないか。
野暮は言わないと語りながら、野暮ばかりですみません。
翼君を筆頭に各選手が、時空を舞いながら人間離れした技巧を操り、時に自らの肉体を犠牲にしても、名誉を目指す。その基盤には、サッカーと言う、世界で最も多くの人々が楽しむ玩具がある。おもしろくないわけがない、なるほどこれは名作ですよ。いや、本当におもしろかった。
80年代、当時の子供達、たとえばこいつ、を熱狂のとりこにしたのも、よく理解できた。そして、翼君にあこがれた多くの少年が、この泥沼のような魅力を誇るサッカーにはまってくれたおかげで、気がついてみたら我が国は世界でも類を見ない右肩上がりの急勾配でサッカー強国に近づくことができたということなのだろう。
飛躍的に広がったサッカーの底辺を活かして発明されたJリーグは、我が国の文化を変えた。日本中津々浦々にプロフェッショナルのサッカークラブが登場した。それにより、日本中の週末の生活は、格段に彩豊かなものとなったのだ。
いや、サッカーだけではない。地域に根ざしたクラブの魅力は、プロ野球を再生させ、バスケットボールを実り豊かなものとした。多くの競技で、企業がスポンサとして、各選手を支援する仕組みも、Jの成功があったことが大きい。
高橋陽一氏は、翼君たちを通じ、当時の子供達に幾多の夢を提供してくれた。その結果として、私たちはJリーグを起点として、日本中でスポーツ観戦と言う娯楽を楽しむことができるようになったのだ。
高橋さん、本当にありがとうございました。そして、あなたが築き上げてくれた、このステキな日本のスポーツ界を、一緒に楽しんでいきましょう。