2008年07月09日

次期日本協会会長の責務

 次期日本協会会長の決定が間近に迫ってきた。本件に関して、今日は「きれい事」を述べておきたい。

 人事報道の常かもしれないが、既に怪しげな憶測記事があちこちを飛び回っている。しかし、どなたがその任を引き受けるにせよ、次期会長は非常に大変な責務を負うことになる。現在の日本協会会長が、片付けるべき問題の多くを放置したままにしているため、相当まずい状態になっているからだ。これは、2年前のドイツでよい成績を上げられなかったとか、代表の観客動員が思わしくなく決算が赤字になったと言った事ではない。これらの問題も大変残念ではあるが、ある種の結果論である。勝ち負けは相手のある話だし、赤字にしても日本サッカー協会は営利企業ではなく出資者に利益還元をする使命がある訳ではないのだから、キャッシュフローが決定的に破綻しないと言う前提においては、決定的な罪とは言えないだろう(とは言え反省をしてもらう必要は当然あるのだが)。
 私が指摘する深刻な問題点は、「解決すべき問題の多くが放置され、さらに対応が硬直化している事」だ。
 
 例えば完全に破綻している日程問題を放置している事。
 今年も来年もワールドカップ予選は2月から始まる。既に現在の代表選手は、非常に短いオフしか許されずプレイを続けている。そして、秋にはJリーグ、アジアチャンピオンズカップ、そしてワールドカップ予選と、次々に重要な試合が錯綜する。
 本件に関して、最近2つ驚いた、と言うかあきれた事がある。
 1つはアジアカップ予選が来年1月に行われる事だ。AFCが何を言おうが、日本や韓国では1月はオフであり、選手を休ませるべき時なのだ。2月に試合があるのと、1月に試合がある意味は全く異なる。もちろんアジアの日程は、各国の事情を整理しながら決められるのは当然であり、日本の都合どおりにならないのは当然である。しかし、既に今年の天皇杯の日程までガッチリ固まっている日本サッカー界は、どうやっても対応できないではないか。元々、これらのアジアカップ予選にA代表選手ではなく若手選手を起用するのは規定路線だったろうが、ではその若手Jリーガたちはいつ休むのか。
 この(日本から見たら)滅茶苦茶な日程に対して日本協会首脳は、事前にどのような予防線をはっていたのだろうか。またどうして日程発表後に日本協会首脳は不満を公式に発言しないのだろうか。
 もう1つはやや前のニュースだが、将来のJリーグ構想が発表された。それによると、J2を22チーム、J1を18チームを上限にすると言う。この破綻している日程を改善する方策はJ1のチーム数を減らすしかない事がどうしてわからないのか。1年間は365日、52週、12ヶ月しかない。限られた日程で全ての試合をこなすために採る手段は明確なはずだ。
 日程問題を解決するのは容易ではない。上記のようにJ1のチーム数を減らすとか、天皇杯の日程を見直すとか、シーズン制を見直すと(と言って日本の豪雪地では1,2月のリーグ戦実施は不可能だ)、一部のスポンサとの契約とか、アジアの他国のシーズンの横にらみとか、幾多の問題がある。したがって、1,2年で解決できる問題ではない。しかし、だからと言って放置し続けては永久に解決しない。結果的には日本のサッカー界にとって最も大切な資産である有力選手が疲弊してしまう。
 それなのに、アジアの日程はどんどんと悪化するのを放置し、リーグ戦の将来像検討でトップリーグのチーム数削減が議論されないのは、もはや凡人の理解の範疇の外である。問題を解決できないのは仕方がないかもしれない、しかし問題を解決しようとしていない事、あるいは問題を把握できていない事は極めて深刻である。

 このように日本協会の意思決定力が極端に落ちている事は本件に限った事ではない。

 我那覇のドーピング濡れ衣事件(第三者機関から完全に無題だったと最終判定された事、我那覇の「クロ」誤判定を行った際の判定基準そのものの運用不適切を指摘されたのだから「濡れ衣」と言う表現が妥当だろう)は、そこに至る進捗も最終結論もおそまつだったが、最終判定後の対応の稚拙さと言ったらなかった。最終判定後の日本協会(担当はJリーグと言う事になるが、事実上の判定部門は日本協会と捉えるべきだろう、何故ならば問題発生時に日本協会は、Jリーグとフロンターレ(あるいは我那覇)との仲裁には立たず、完全にJリーグ支持に回ったのだから)の振る舞いを見る限り、負ける事を想定した準備(態度や発言や対応策)が全くなされていなかったようだが、公的な組織としては情けない限りの事だ。もし負けないと思っていたのだとしたら、それはそれで相当なものだが。

 先日の浦和スタジアムの乱闘事件の収拾策もあいまいなままだ。ガンバサイドは当該サポータの永久追放を発表するなど、明確な対応をしているが、もう1つレッズの動きは見えない。レッズがどのような対応を取るべきかどうかは、本稿とは直接関係ないのでここでは意見を控えるが、あれだけの大事になったのだから、両クラブに任せるのではなく、日本協会が主導して事態の収拾にあたるべきだろう。けれども、日本協会は試合直後を除いて明確な動きをせず、ただ傍観しているようにしか見えない。

 審判問題への対応も疑問が多い。建前的に審判の権威を守ろうとして「あたかも100%審判はミスをしない」と言う態度を取るものだから、議論に無理が生じるのだ。どんな審判でも間違いはあるものだ、それを認めないものだから、議論が噛み合わなくなる。そして形骸的な対応を連続するものだから、結果的に日々真摯な努力を積んでいる優秀で士気も高い審判の方々が、周囲から貶められる事になっている。

 これだけの問題が放置されているのを大変な責務と見るか、今まで放置されていたのだから成果を出すのが簡単と見るかは、人それぞれだろうけれど。
posted by 武藤文雄 at 23:19| Comment(15) | TrackBack(1) | サッカー一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月24日

背番号問題

 先週発売のサッカーマガジンは「背番号特集」。J各クラブなり、欧州の著名クラブなりでの、各選手の背番号に対する拘泥を中心に、色々な切り口で背番号についての議論が。 その中で興味深かったのが、46ページの「数字の持つ意味とは何か」。欧州とブラジルの(最終ラインを中心にした)背番号の相違を述べたもの。これはこれで、興味深い記事なのだが、私なりの薀蓄の深堀り、と言うか30年来疑問を持っているお話。

 元々、サッカー黎明期(〜1920年代)のポジションと背番号は下記の通り。
11LW 9CF 7RW
 10LI 8RI
6LH 5CH 4RH
  3LB 2RB

 1930年代より、オフサイドルールの変更により守備ラインを3人にして、組立をインナーに託すやり方が定着(たとえばこちら)。いわゆるWMシステムである。この頃までは、いずれの国でも背番号の配置は同じだった模様。
11LW 9CF 7RW
 10LI 8RI
 6LH  4RH
3LB 5CH 2RB
    (CB)

 で、1950年代あたりに、ハンガリーやらブラジルが新たなサッカーを展開、守備ラインが4人になるにあたり(いわゆる4−2−4システムに発展、さらに60年代以降4−3−3に発展して行く)、各国で微妙に背番号に違いがでてきた。

 欧州各国は概ね以下の通り。CBが5番と6番、守備的な中盤に4番(ただし、この4、5、6が微妙に入れ替わるのだが)。右バックは2番、左バックは3番。
11LW  9CF   7RW
  10HB  8HB
     4HB
3LB 6CB 5CB 2RB

 一方、ブラジルは右バックの2番は同じだが、左バックは6番。CBは3番と4番。守備的な中盤に5番。これは、欧州各国とブラジルの「発展形」に相違があったからと推定されているが、この欧州とブラジルの相違についてはサッカーマガジンも指摘している。
11LW  9CF   7RW
  10HB  8HB
     5HB
6LB 4CB 3CB 2RB

 ところが、さらに不思議な話がある。それはアルゼンチン。多くの方がご存知だと思うが、アルゼンチンではCBは2番と6番(ちなみにカバーリングが巧いCBが6番、敵をつぶすタイプのCBが2番をつける事が多い)、サイドバックが3番と4番なのだ。常に対立するブラジルへの対抗意識なり意趣返しなのかと思いたくなるくらいの相違である。
11LW  9CF   7RW
  10HB  8HB
     5HB
4LB 6CB 2CB 3RB

 その後、80年代後半から、3DFシステムが登場し、各国の背番号事情は一層ややこしくなる(実際、3DFのいわゆるサイドMFが、サイドバックの背番号をつける事が多いので、より事態は混乱している)。まあ、それはそれとして、まずは4DFの背番号配置の問題について、私は不思議でならないのだ。欧州とブラジルとアルゼンチンが、見事な程に違う配置。いったい、どのような経緯でそうなっていったのか。
 誰か詳しい人がいたら、教えてください。
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(2) | TrackBack(0) | サッカー一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月28日

幻の店

 チリ戦のために信濃町駅から国立競技場に向かっていた。青山門前の信号機直前で、赤地に白ダスキのユニフォームを着たおじさんがビラを配っている。「あれ、今日はチリ戦なのに」などと思いながら、引き寄せられるようにビラを受け取った。入場し席に落ち着いて、何となく気になっていたビラを読む。

 「え!」

 驚いた。何とそのビラは、ペルー料理店「ティアスサナ」の宣伝だったのだ。あの幻の店ではないか。そう、あのタスキはペルー代表のそれなのだ。

 「ティアスサナ」と言う名前は、私にとっては甘美な記憶の中の存在。20年ほど前、東銀座の日産ビルの地下にその店はあった。店に入ると、そこはペルーを中心にした南米サッカーの情報に満ち溢れていた。壁中に貼られている幾多の南米サッカーの情報。もちろん、壁に貼られている情報比率が最大なのは、クビジャスだったが。
 まだ仙台在住だった学生時代。所要で東京に出た私は、夕刻余った時間と僅かながらの千円札を持って東銀座に向かった。地下のその店に入ると、やさしそうなおばさんと店員さん達が迎えてくれた。そして、壁中に貼り付けられたサッカーの情報(当時は写真を見る事すら貴重だったのだ!)。それだけで興奮している私におばさんは語りかけてくれた。そのおばさんが「スサナおばさん」だったのだ。
「ビデオはいくらでもあります。この店が初めてならば、ゴール集がお勧めですね。『ペレのゴール集』など、どうですか。」
当時から私はヒネていた。一瞬考えてから
「リベリーノ、リベリーノを見たいんです。」
 そう、リベリーノ。当時見た事のある映像は70年、74年、78年のワールドカップ、それにもう1つ、78年大会直前の強化試合西ドイツ戦くらい。70年の高速ドリブルと強シュート、74年の壁抜けフリーキック(何のかの言って世界サッカー史上「最高の直接FK」だろう)、件の78年大会直前の西ドイツを完全に叩きのめす美しいゲームメーク、78年3位決定戦イタリアの名手ゾフを破るディルセウの決勝点を演出する大仕事。これくらいだったのだ。だから、もっとリベリーノを見たかった。
 ちゃんと「リベリーノゴール集」があるのですよ。そして、映し出された映像。俺は感動したよ。喩えて見ようか。30分間で、リバウドとハジと岩本テルと中村俊輔の名場面を見せられたら、あなたも感動するだろう。
 以降、結構な回数通わせてもらった。いくつか見た映像の感動もまた忘れ難いが、それはそれで別な機会に。

 残念ながら、しばらくしてティアスサナは閉店してしまった。

 で、冒頭に戻る。
 慌てて、携帯から連絡し、試合後の席の予約を行なった。古くからの友人と一緒に観戦し、試合後ゆっくりやる予定だったから、ちょうどよかった。
 そこには、懐かしいティアスサナがあった。大量のクビジャスの写真はもちろん、トヨタカップやジャパンカップ(現キリンカップ)で来日した名手たちのサイン。過去の経緯はよくわからないが、「サッカーコンテンツ」は20年前のものを保持しながら、約1年前に信濃町そばで、新たな「ティアスタナ」を開店したのだそうだ。
 そして、おじさん(スサナおばさんのご子息との由)が、渡してくれたワインリストならぬVTRリスト、かつてのリベリーノを含めた夢のようなリストが...
posted by 武藤文雄 at 21:29| Comment(3) | TrackBack(0) | サッカー一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月09日

優先順位の明示化

 天皇杯、ベガルタは敢え無く初戦(3回戦)で順天堂大学に敗れてしまった。中2日でリーグ戦がある日程だっただけに、普段出場機会のない選手を多用した事もあるのだろうが、残念な事だ。もっとも、J1昇格を目指す死闘継続中なだけに、仕方が無い思いも強い。まずは明日のモンテディオ戦にしっかりと勝利を収め、J1昇格体制を整えて欲しい。
 もっとも、各方面で話題になっているが、 現在J2の上位4チームが、全て天皇杯3回戦で敗戦してしまった。お互い、お付き合いのよい事だ。これが3チームだったら「入替戦以上確定」と戯言を語る訳だが、4チームだけに相互に微妙な感覚が漂う。勝ち点勘定から言えば、しっかりと勝利を収めたセレッソ、ベルマーレ、アビスパを加え、混迷の第4クールが愉しく継続する。最後に笑うのは我々だが、お互い愉しく罵り合いましょう。

 と、本当は明日のモンテディオ戦について、単純な精神論を述べようと思っていたのだが、日本協会首脳が折角釣ってくれているのだから、釣られねばなるまい。
川淵キャプテンは(中略)前日の天皇杯について「カップ戦は仕方がない」と話した。10日に試合を控えるJ2上位クラブがスタメンを大幅入れ替え。1位札幌から4位仙台まで4クラブがそろって敗れた。明らかにJリーグ優先の戦い方だが、天皇杯を主催する日本協会のトップ自ら「3日後に昇格のかかる試合があるなら、そちらを重視するだろう」と理解を示した。
さらに
日本協会田嶋専務理事も「Jには最強チームという規約があるが、協会にはない」と、川淵発言を補足した。
だそうだ。

 これは不等式の問題だ。以降、単純な事例抽出を継続する。
 2005年秋口、インタナショナルマッチデーに企画されたA征。ラトビア、ウクライナと言う強豪と敵地で戦う事ができて、さらに欧州でプレイする中田英寿や中村俊輔が参加できる遠征にも関わらず、日本協会は、オールスター戦を優先する判断を行なった。したがって「(1)オールスター>(2)重要なA代表親善試合」と言う不等式が成立する。
 06年4月のA代表の(欧州クラブ所属選手を招集できないためベストメンバでない)親善試合をJリーグ公式戦より優先し、ガンバはJの公式戦から中心選手を強奪された。したがって「(3)重要でないA代表親善試合>(4)Jリーグ」と言う不等式が成立する。
 なお、A代表の親善試合において、中心選手全てを招集可能な試合がより重要な事は議論に及ぶまい。したがって「(2)重要なA代表親善試合>(3)重要でないA代表親善試合」と言う不等式が成立するのは言うまでもない。
 過日、フロンターレのACL挑戦について、日本協会会長Jリーグ専務理事が因縁をつけたのは記憶に新しい。また、ナビスコカップがベストメンバ既定に縛られているのはご承知の通り。ただし、今季序盤にレイソルやグランパスが大胆なメンバ構成をした際に、先日のフロンターレよりは大騒ぎにならなかったのは、皆様ご記憶の通り(先日コメント欄で、レイソルサポータの方が「チクチクと(文句を言われた)まぁ、激怒はされてないかな。」と述べていたので、「激怒」ではないが「イヤミ」ではあったらしい)。とすれば「(4)Jリーグ>(5)ナビスコカップ>(6)アジアチャンピオンズリーグまたは(7)天皇杯」と言う不等式が成立する事になるらしい。

 以上の不等式を整理すると
(1)オールスター>(2)重要なA代表親善試合試合>(3)あまり重要でないA代表親善試合>(4)Jリーグ>(5)ナビスコカップ>(6)アジアチャンピオンズリーグまたは(7)天皇杯
と言う不等式が成立する。協会首脳自ら、下々に大会、試合の優先度を明示化してくれるのだから、ありがたい事だ。

 利益誘導に走ったり、自分自身のの懐を優先したり、サッカーの常識をわかってなかったりするトップを抱くのは大変残念な事だ。しかし、トップ自ら「私は馬鹿です」と明言するのを見るのは、ある意味でそれ以上につらい事だ。
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2006年12月04日

4級審判講習会2006(下)

 昨日書いたように、審判資格更新のためには、ペーパーテストに合格しなければならない。もっとも、直前の講習会で先生が強調する事をおさらいしておけば、後はサッカーにおける一般常識で解ける問題ばかり。特に緊張するほどの事でもない。

 ところが、問題を解きながら、ごくごく基本的なところで悩み始めてしまったのだ。それはスローイン時の足の位置。ご承知のように
両足ともその一部をタッチライン上またはタッチラインの外のグラウンドにつけている(第15条より)
と、ルールで規定されている。したがって、極端な話、両足のかかとのあたりが、ラインに少しでもかかっていれば問題ない事になる。この事自体は昔からわかり切っている事だ。

 では何を悩み始めたか。それはボールをラインを割ったか否かの基準を定めたルールと、スローイン時の足を定めたルールの微妙な考え方の違いについてだ。

 ボールがラインを割ったかどうかのルールも、ご承知の通りアウトオブプレイになるのは
地上、空中を問わず、ボールがゴールラインまたはタッチラインを完全に越えた(第9条より)
と明確に規定されている。これは得点の場合も全く同じで、
両ゴールポストの間とクロスバーの下でボールの全体が完全にゴールラインを超えたとき得点となる(第10条より)
と規定されている。このアウトオブプレイと得点それぞれもケースのルールにおける考え方を意訳すると、「ラインの外側の縁までがフィールド内」と言う事になる。実際、フィールドのマーキングについては
エリアの境界線を示すラインはそのエリアの一部である(第1条より)
と規定されているので、公式試合のフィールドの大きさである105m×68mと言うのは、ラインの外寸の寸法になると理解していいのだろう。



 これって、冷静に考えると、何か矛盾していると思いませんか?



 上記したスローインの時は「両足がいずれもラインを踏んでいればよい」と言う事は、言い換えると「(ラインさえ踏んでいれば)両足がフィールド内にあっても構わない」と解釈できるのだ。つまり、スローインの投げる場所は、フィールドの外、内とは関係ないと言う事になる。さらに言えば、ラインの太さは
すべてのライン幅は12cmを超えてはならない(第1条より)
と規定されている(公式戦では12cmが奨励されている)。つまり、スローインは、「フィールドに『ほんのちょっとだけ』入ったところで投げてよい」と言う規定なのだ。

 もし、スローインの時のルールが「両足ともその一部がラインの外のグランドについている事」だけだったら、少なくともアウトオブプレイの概念とはそう矛盾はない。「両足の一部がフィールド外に出ていなければならない」と言い換えられるからだ。



 誤解されては困るが、だからと言って「スローインのルールを変えろ」などと語ろうと思っている訳ではない。このような「いい加減さ」が、サッカーのルールのいい所だと思うし。いや、むしろ、最近のオフサイドや退場に関する一連のルールの改悪は、このような「いい加減さ」を無理に減らそうとしている事によるのではないかと思っているくらいだから。

 ただ、歴史的な経緯には興味がそそられる。もしかしたら、このスローイン時の足の位置を定めたルールと、ボールがアウトオブプレイになるルールは、別な過程で成立してきたものなのかもしれないなどと考えるのは、また愉しいではないか。
posted by 武藤文雄 at 23:41| Comment(3) | TrackBack(0) | サッカー一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月08日

富樫洋一氏逝去

 富樫洋一さんが取材先のエジプトで亡くなったと言う。享年54歳。若過ぎる。何と言う事だ。ご家族の悲しみはいかばかりだろう、心からお悔やみを申し上げたい。そして、富樫さんのご冥福を祈りたい。



 富樫さんとの付き合いはもう20年近くにもなる。いつも悠然とした態度でニコニコと、サッカーを語る事そのものが愉しくて仕方が無いと言う、愛すべき先輩だった。ここ10年くらいは、なかなか会う事も叶わなくなっていた。最近お会いしたのは、1年ほど前の友人の結婚式。富樫さんは、日本代表史上最高の右サイドバックに、私を紹介してくれた。

 富樫さんのサッカー観は比較的穏当なものだったのに対し、私の意見は相当危ないものが多いので、随分活発なサッカー談義をさせていただいた。オフト氏が就任するずっと前、日本代表の監督に外国人が就任する事そのものがあり得ないと思われていた時代に、次期日本代表監督候補について、議論した事がある。富樫さんは加茂氏を推し、私は清雲氏を推して、微に入り細に入り語り合ったのは忘れられない。そういう時代だったのだ。

 ある時、富樫さんが雑誌に書かれた記事を見て、思わず吹き出してしまった。1ヶ月ほど前に語り合った時に、私が主張したネタではないか。富樫さんに文句を言ったら、「いやー、ごめんごめん、今度寿司をおごるから」とニコニコ語ってくれた。とうとう、寿司をおごってもらい損ねた。



 8年前のトゥルーズ駅、キックオフ3時間前、久しぶりに富樫さんに会った。「あ、富樫さん」「おう、武藤君」と近寄り握手する。「とうとう、ここまで来ましたよね。」と私が言うと、富樫さんは「そうだよな、ワールドカップだよな。」と語り、2人でボロボロと泣き出してしまった。

 

 富樫さん、これからじゃないか。これから、日本が世界で七転八倒するのじゃないか。

 

 ごめんなさい。もう、これ以上は書けません。

 

 富樫さん、ありがとう、さようなら。
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2006年01月12日

吉田寿光氏の告白

 昨年、ワールドカップ予選プレイオフで痛恨の判定ミスを犯した吉田寿光氏が、当時の背景を朝日新聞で語った(このリンク先は「サポティスタ」のものを利用させていただいている)。

 胸を打つ文章だ。これほどのトップレベルの審判でさえも、ルールの運用に混乱をきたしてしまった事情(最初「PKやり直し」と判断した後、「間接FK再開」と誤判断した背景となる、ルール改訂への言及が欲しかったが、これは贅沢と言うものだろう)、さらにそこに至る吉田氏のワールドカップへの想いと、断念せざるを得なかった精神面。

 このようなミスジャッジについて、トップレベルの審判である当の本人がここまで赤裸々に語った文章、いや発言すら、まったく記憶にない。朝日新聞の企画、編集サイドの見事な仕事と言えるだろう。2006年のサッカー界の最優秀報道賞は、新年早々ほぼ決定ではないかと思わせる程のヒットと言えるかもしれない。専門誌エル・ゴラッソ完敗。

 吉田氏本人も、相当つらい日々を送っていたのかもしれない。今回の告白を契機に吹っ切っていただき、また見事な判定振りを見せていただきたい。さらに、この企画はどうやら連載となるようだ。トップの審判の見地からのサッカー論は、今後とても愉しみになる。

 また今回の文章がもし翻訳されてウズベクの人々に伝わったとしても、彼らの無念さは未来永劫消えないだろうけれど、ある種の納得を得ることもできるのではなかろうか。少なくとも、吉田氏の本音は伝わるだろうから。



 ただし、残念な事もある。それは、このような不運な事態だっただけに、情報公開は日本協会主導で行って欲しかった事だ。しかし、日本協会は、あるいは川淵会長は、この問題について、そこまでの危機感を持って臨まなかったようだ。残念だが、現状の日本協会の危機管理能力がその程度のものであると言う事だろう。



 ともあれ、朝日新聞のこの好企画が、ここ最近閉塞気味の、日本サッカー界の審判問題に風穴を開ける事を期待しよう。
posted by 武藤文雄 at 23:58| Comment(5) | TrackBack(5) | サッカー一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月11日

彩花ちゃん退院

 米国出張の疲労が飛んで行ってしまうような嬉しい知らせ以前のエントリで、述べたアントラーズのサポータのお嬢さん、神達彩花ちゃんの治療のための募金が、計画以上にうまく行き、渡米。手術も成功し、米国内ながら無事退院できたとの事だ。今後も療養生活が続くなど、まだまだ予断を許さない事もあるのかもしれないが、まずは順調に回復に向かっていると考えてよいようだ。本当によかった。

 上記のエントリに対しては、様々な方々が真摯なコメントを寄せてくださった。YFCサポ@両国様が医療の現場での同様の体験を述べて下さったのを皮切りに、多くの方々が意見を寄せて下さった。この手の募金活動の矛盾や課題を指摘して下さった方もいた。とりあえずは何とか協力しようではないかと言う方もいた。ご自分の重い体験を記述して下さった方もいた。本来は一連の議論に、私も加わらせていただくのが当然だったのだが、ついつい多忙を理由に何も発言をしなかった。申し訳ありませんでした。

 それでも、多くの方が発言して下さった事で、このような問題に関して、私は相当知見を深める事ができた。いや、私に限らず拙BLOGを愉しんで下さっている方々にとっても、それなりには勉強になったのではないだろうか。日々、サッカーの戯言ばかり述べているBLOGでも少しは社会貢献になったのではないかと思ったりして。

 

 昨年末のJリーグアウォーズで、この一連の運動に対してチェアマン特別賞が贈られたと言う。おそらく私もその運動の一員となるのだろうが、この「表彰してやろう」と言うチェアマンあるいはJリーグ当局の態度は(私のような狭量な人間には)ちょっと不愉快。我々の活動は、単に病に苦しむ娘さんを持つ仲間への共感から起こったもの。人に褒められる筋合いのものではないし、大体どうして俺が鈴木チェアマンに褒められなければならないのだ。俺を褒める暇があるならば、他にやる事があるだろうが(と、素直ではない自分に悩むのだが)。



 1つだけ。前述したが、一連の議論で少しだけ自分も賢くなったように思える。実は、あの活動以降ちょっとした経験をしたのだ。出張で降り立った駅で、偶然全く異なる方に対する「移植手術支援募金」が行われていた。思わず、同僚を待たせ、趣意書を受け取り、速読し、寄付させていただいた。断言しよう。この「彩花ちゃん活動」を経験していなければ、私はその場を通り過ぎていた。少なくとも、私はこの活動で、ほんの少しかもしれないが賢くなったと思う。

 彩花ちゃん、ありがとう。頑張って生き抜いてくれ、俺も頑張る。
posted by 武藤文雄 at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月21日

SAVE! AYAKA

 

神達彩花ちゃん
助けたい。



 既に様々なWEBサイトで取り上げられている故、拙blogをご覧になっている方ならば、既にご存知の事とは思う。アントラーズのサポータの神達良司さんと言う方のお嬢さんが、先天的な重病との事。唯一、助かるためには、米国に渡り移植手術を実施するしかない状況にあり、そのための募金活動の情宣を多くのWEBサイトが賛同して実施しておられる。私は出遅れた口だが、このような活動が短期間で広がるWEBの世界、そしてそれを構成している方々、それぞれに素直に感動させられる。また、子を持つ身として、神達さんご夫妻の心労を考えるとやりきれない。微力ながら何とか協力したい。

 私は神達さんとは直接面識がない。しかし、たまたま共通の友人がおり、詳細を聞かされた。神達さんは、Jリーグ黎明期、アントラーズが住友金属から発展的に成立した際に、2人の仲間とアントラーズの応援団「イン・ファイト」を創設されるのに多大な貢献をされた方だと言う。ドーハの悲劇も現地参戦されていたとの事なので、おそらく同じゴール裏で座り込んでしまった仲間なのだろう。

 正直言って「イン・ファイト」と言う集団は、批判を寄せられる事も少なくない。けれども、もし鹿島に「イン・ファイト」がいなければ、アントラーズはあれほどの素晴らしい実績を残せただろうか、私にはとてもそうは思えない。そして、今日の日本サッカー界の興隆要因の1つに「強いアントラーズ」が大きく貢献している事は言うまでもない。つまり、神達さんは、今日の我々の幸せに大きく貢献してくれているサッカー人なのだ。



 しかし、現実は厳しい。目標金額は何と1億3千万円もの巨額。

 活動開始と前後して、首都圏のビッグクラブのサポータ集団が参画し、先週末いくつかのJリーグ会場でも、大がかりな活動が行われたと言う。さらには超大物も支援を明らかにしている。このような活動が具体化されても、現状(11月21日現在)の確保金額では、まだ1億円以上不足している。

 「狭義」のサポータ(つまり毎週のように競技場に足を運び、WEBサイトでサッカー界の変遷を連日追いかける人たち)だけの活動ではやや限界があるのかもしれない。「広義」のサポータ(つまり、そこそこサッカーには興味はある人たち)にまで、活動範囲を広げる必要があるように思える。



 本来であれば、選手たちを動かしたい。

 選手たちが競技場で支援を求める、マスコミに協力を依頼する。有名人の発言効果はWEBサイトにおける情宣と比較して極めて大きいはず。

 しかしながら、リーグ戦は完全に終末に近づいており、おそらく多くのクラブの現場は、残り3試合に集中しきっている状態で、なかなか思うに任せないかもしれない。



 しかし、選手以外ならば動けるはずだ。



 例えば、エルゴラッソ。毎号に支援の依頼を掲載しているが、どうせならば井原や福田、あるいは矢部浩之や白石美帆にコンタクトを取り、支援を要請できないものか。



 例えば、ジーコ。上記WEBサイトのコメントのみならず、どこかのスポーツニュースで一言協力を呼びかけてもらえないか。



 例えば、川淵会長。得意のトップダウンで、日本協会所属チームに協力を依頼する事はできないのか。持論のサッカーファミリーの「強さ」を、各界に見せる事のできる絶好の機会ではないか。



 現場を知らない人間の思い付きかもしれない。しかし、何とかしたい。

 上記共通の友人からのメールの結びを紹介しておく。

「12年前にドーハで果たすことができなかった『アメリカ行き』を、今こそ叶えることができれば・・・・・。」
posted by 武藤文雄 at 19:52| Comment(21) | TrackBack(3) | サッカー一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月06日

嫉妬と尊敬

 本業に疲れた帰りの電車で、エルゴラッソを読みながらサッカーのあれこれを考えるのは、愉しい。今日も昨日買い損ねたエルゴラッソを愉しんでいた。

 エルゴラッソには、読むに値しないクズ記事も見受けられるが、素晴らしい記事も多数。そして、今日は後者が非常に多く、非常に愉快に読み進んでいた。福田アリーナ完成により試合数が激減する市原臨海特集(現ジェフの選手のみならず、元ジェフの選手へのインタビューが絶品)、天皇杯3回戦のプレビュー(「日曜日は天皇杯を見に行こう」のキャッチが見事)、連載の小説版U31(マンガと小説のどちらが面白いのか考えるのがまた愉しい)、サガンの鈴木孝明インタビュー(全くノーマークの選手で気になっていたので経歴を含め非常に有効)、片野氏のユベントスの経営批判(現地にいなければ知る事のできない情報)、中田徹の「トゥエンテダービー」(サッカーの歴史の深さを再認識)、そして9000分男服部公太へのインタビュー(内容にいささかの疑問はあったが「次に期待される記録」で締めるあたりはなかなか)。

 と、快調に読み進んで来て、事実上の最終ページへ。すると...

 

 俺は感動したとうこくりえ氏の不定期連載マンガの2コマ目に。



 エルゴラッソは首都圏でしか販売されていないとの事なので、おそらく今拙稿をお読みの方の多くは、まだ当該作品を読まれていないと思う。つまらない予見を私が書く事で、初見時の感動が薄れる事を避けるため、このblogでは具体的な内容には一切触れない事にする。本当はスキャナでとって貼り付けたいくらいだが、著作権などを考えるとそれは拙いだろう。しかし、エルゴラッソの関係者の幾人かは定期的に拙blogをご覧になっているはずなので、きっと当該作品を、ここのどこいらかに掲載してくれる事だろうと思う。未読の方は、それまで待って欲しい。



 サッカーを記録する方法は、映像情報、静止画情報、文章など様々な方法がある。そして、当該作品は「サッカーの記録化」と言う意味で画期的なものだ。とうこく氏は、あるサッカーの場面を、わずか12cm×6cmと言うスペースのマンガと言う方法で、どのようなデジタル情報よりも豊かに「記録」する事に成功しているのだ。当該作品により、我々はその場面をしっかりと記憶し続ける事ができる。

 私も拙いながらも、サッカーの魅力を日本語と言う方法で記録化する事を愉しんでいる。そして、そのような立場の人間として、今回のとうこく氏の作品には、限りない嫉妬と尊敬の想いを抱く。
posted by 武藤文雄 at 23:57| Comment(9) | TrackBack(1) | サッカー一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする